ワニなつノート

「十日町のおばさん」のこと


「十日町のおばさん」のこと



昨日、「ぼくのおばさん」が亡くなった。


百歳を超えて、60歳までの私を守り続けてくれた「おばさん」がいなくなって、私が今日まで「守られ続けたもの」と、私が子どもたちに「守り続けたい贈り物」が同じものだと、気づく。


幼いころ、雪深い冬の間だけ、その寮で暮らした。そこで「十日町のおばさん」にかわいがられた。


親からも先生からも、叩かれ、耳を引っ張られ、廊下に立たされ、縛られ、物置に閉じ込められ、教育委員会で取り調べられるほど「悪い子」だったけど、おばさんだけは「ぼくはいい子」だと、呪文のようにくり返してくれた。「本当は違うのに」といつも思っていた。でもうれしかった。



いまもその声が聞こえる。いや、その声が身体の中をずっと流れ続けていたのだと、いま分かる。


学校にも家にもいられなくなると思った8歳の時にも、それを切り抜け、みんなと同じふつうのふりをしている間も、ずっと怯えながら生きている間も、「ぼくはいい子」だという声のおかげで、自分が自分でいることを、あきらめなくてこれた。


・・・「ぼく」がいま「ここ」にいるのは、その声のおかげだった。


「0点でも高校へ」と「ふつう学級へ」という言葉は、おばさんがくれた言葉と同じだったのだと、いまおもう。


おばさん。ずっとずっとずっと一緒にいてくれてありがとうございました。
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