「この子がさびしくないように」
それは、「年老いて認知症が深まり、自分のことさえ分からなくなってしまった母親がさびしくないように」と、同じことです。
「この子がさびしくないように」
娘が生まれるまえから、私はその答えを知りたくて、ずっと探していたように思います。
それは、「わたしがさびしくないように」と同じことでした。
「8歳のわたし、がさびしくないように」、その答えが分からないと、わたしは子どもに出会えないと、思っていました。
その答えを私に教えてくれたのは、知ちゃんであり、たっくんであり、朝子であり、康司であり、りさであり、石川先生の会で出会った子どもと親たちでした。
「この子がさびしくないように」
親だけでは、かなえられないこと。
それこそが、「この子がさびしくないように」の答えでした。
どんなにがんばっても、大人に、親に、友だちの代わりはできません。
「この子がさびしくないように」
親にできることは、この子に、たしかな「ここにいるわたし」を感じられるようにしてあげること。
「ここにいるわたし」の居場所を守ること。
「この子がさびしくないように」
「子どもはだれかと一緒のとき、一人になれる」 D・W・ウィニコット
だれかとは、自分をまるごと受けとめてくれる母親のこと。
その母親が見えなくても、いなくても大丈夫なのが、一人なれる「ここにいる私」。
この子が、自分の苦労もさびしさも、自分で受けとめて、自分で助けを求めて、自分で生きていけるように、親以外の人間と環境への信頼を育てること。
そのためには、親がひとりで、「この子がさびしくないように」側にいてはいけないということ。
「この子がさびしくないように」
虐待され、家を追われ、十代半ばで「一人」で生きていくことを迫られた子どもたちが、「さびしくないように」。
私がかなえたい、自立援助ホームの答えもまた同じでした。
だれよりもさびしい子ども時代を過ごしたかもしれない子ども。
「ここにいる私」を感じることができなかったかもしれない子ども。
それでも、「一人」で生きていけという、社会。
わたしにできることは、ただまるごと受けとめるために、自分で自分を受けとめること。
迷う自分、「おろおろする自分に耐えること」(※)、のようです。
※《親はこうした子どもの孤独な闘いをひたすら見守ること、つまり受けとめること。
そのためには親自身が自分を根気よく受けとめ続けることができなくてはならない。
すなわち自己を受けとめる力を強化することが不可欠である。
自己受けとめができないとき、子どもを受けとめることはできない。
具体的に言えば、
おろおろする自分に耐えること。》
「存在論的ひきこもり」論 芹沢俊介 雲母書房より
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