ワニなつノート

子どもの声をきく、ってどういう設定なんだろう?

「子どもの声をきく」を見る機会が増えた。

当たり前のことだから、「うんそうだね」と思う。子どもの声はきいた方がいい。聞かないと分からないし、分からないとすれ違うから。

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「子どもの意見表明権」という言葉が流行った30年前、大人たちは大反対だった。子どもにそんな権利はない、そんなもの認めたら子どもがだめになるとかなんとか。露骨な嫌悪感があふれていた。

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いま、「声をきく」が流行るのは、「声をきかない」大人がいまだに多いからだ。そもそも、「聞かない」、のは大人。子どもの主体(声とことば)を認めない、のは大人。

なのに、「子どもの声をきく」の主語は、また大人!

これって、なんか違和感がある。

 

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「子どもの声をきく」は、子どもの主体を大切にしたい、ってこと。子どもの主体を大切にするなら、「子ども」が主語にならなきゃおかしくないか?

子どもが主語なら、「子どもが話す」「子どもが声をあげる」「子どもが表現する」かな。

ただし「話す」も「聞く」も、「一方通行」と受け取られやすい。両方を主語にするなら、「対話」を語らなくちゃいけないのかな。

私は「言葉を使わない子の声を、もっとききたい」が探し物だったから、「そのためのふつう学級」でもあったのだけれど。

(分けると対話が難しくなる。言葉のない重度障害とよばれる子ほど難しくなる。だから、重度の子ほどふつういい、となる)

そもそも「子どもの声をきく」の設定は、「言葉を話さない障害のある子」の「声」をどれくらい含みこんでいるのだろう。

そんなことを思い悩む日々。

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