ワニなつノート

子どものセンサー(その6)

子どものセンサー(その6)

『喪の途上にて』、つづきです。

    □     □     □

(158)
Aさんはすらっとした四〇歳過ぎの上品な女性。
教育学部を卒業して、5年間、教員生活をした後、結婚。
男の子と二人の娘がいる。
事故を知ったとき、彼女は失感覚の状態となり、
「飛行機が落ちたんだからだめだろうと思っても
何も実感がない。小説のなかの出来事みたい。
下着も何も持たず、家に残した二人の娘のことも考えず、
とにかく現地に向かった」のだった。

高等学校一年の長男に助けられ、比較的早く、
8月17日に夫の腹部の部分遺体を見つけだした。

…「息子の前で弱い私を見せられない、しっかりしなくては」
と自分自身に言い聞かせていた。
その後、自宅での通夜、社葬、香典返しと
こなさなければならない喪主の仕事が続いていった。


『事故当時、子どもたちのことは頭になかった。
家に残った二人の娘におカネを渡すことすら考えつかなかった。
藤岡から帰ってきたら、娘たちがげっそり痩せているのを見て、
ショックを受けた。
3人の子どもを立派に育てなければ、お父さんに申しわけがない。
それからは、「しっかりしなさい、
余所から後ろ指を指されないように」と、
3人のお尻を叩くことに一所懸命になっていた。』

(161)
彼女は娘のことを忘れていたと反省しながら、
再び別の側の無理解に反転してしまっている。

子供たちと現地を再訪した時も、飛行機のなかで
「この子たちは助かって、私だけ落ちて死ぬことはできないか」
と、ひたすら願っていた。
ずっと、「死ねたらどんなに楽だろう」という想いが、
心の片隅にあったという。

彼女は死者と同一化しながら、
子供たちにはそれを許していない。
夫を亡くした妻、父を亡くした子という同一の水準で
お互いに抱き合いながら悲哀を共にするのではなく、
むしろ子供たちを喪のスケジュールの側に
置いて見てしまっていた。


『そうこうしているうちに、上の娘が反抗的になった。
塾へも行かず、学校から呼び出しがきたりした。
それでも高校受験が終って、少し落ち着いたと思ったら、
今度は長男が反抗的になった。
長男はずっと良い子で、それまで何かと長男に相談していた。
それが急に言うことを聞かなくなった。
「僕にはこっちの方が大事だ」と、
学校を休んで慰霊祭に出たりする。

私はこの時、長男も私と同じく傷ついていると
理解する余裕はなかった。
成績が落ちてきた息子に、勉強するように注意すると、
「お母さんは世間体ばかり気にしている。
言われると余計したくなくなる」と答えた。

皆にしっかりしなさいと言われて、
すごく背伸びをしていたのだと思う。
私はそれに気づかなかった。……』


(162)
彼女は、怒り、抑うつといった悲哀の過程にありながら、
むしろそれを抑え、「しっかりしなくては」と自分を鞭打つ。

しっかりしなくてはという思いは、
当然、子供たちのものでもあると思い込んでいた。

子供たちは、そんな彼女の頑なさに対して
どう付きあっていいかわからなくなっていた。


(165)
「しっかりしなくては。余所から後ろ指を指されたくない」
という想いとなって、彼女を緊張させている。

外への構えは自分自身にとってはもちろん、
夫が残していった子供たちも当然とるべき態度とみなされている。
拡大された身構えは、子供たちとの軋轢となって、
彼女をさらに苦しめる。

だが、その後、
「お父さんが亡くなったのに、あなたたちは何をしているの」
と責めるのではなく、
自分だけが夫との死を願い、それを抑圧し、
子供たちに緊張を強いていたことに気づいたのだった。

彼女は子供を見る眼を変えていくのである。


(166)
事故後の家庭の再編は、すべての遺族が
越えなければならない課題である。

しかし、成長過程の子供を抱えた母親にとって、
とりわけ重い課題である。
将来の経済面での不安、母子家庭という外からのラベルへの反発。

それ以上に、
挫けてはならないという自らの構えが、
子供との関係にひとつの障害を作る。


    □    □    □

この本は1992年発行です。
私は障害をもつ子とつきあいながら、
そして定時制高校、中学の不登校の教室、
児相の保護所で子どもたちとつきあいながら、
何度もこの本を読み返してきました。

私が思いもよらない事情や物語を抱えた子どもに出会うたび、
私は「いるだけでしかない自分」のことを
考えるようになりました。
そして、それは「いない人」を
考えることでもありました。
何かに迷ったりつまづいた時に
ふと何かを思い出して、この本を開いてきました。

母親の視点から書かれているページを、
私は子どもたちの視点から感じたいと思ってきました。
でも、何度読んでも、何年読んでも、
「私には分からない」ということが、分かるのでした。
子どもの気持ち、を分かることなどできないのだと。
それでも、分かろうとすることと、
分からないと思いとどまることの間で、
私はかろうじて子どものそばにいることができました。

以下は、私のなかの「翻訳」です。

     □     □     □


「子どもに立派な教育を与えなければ、申しわけがない。」
「しっかりしなさい、余所から後ろ指を指されないように」
「子どもをがんばらせることに、一所懸命になっていた。」

子どもといろんなことを話しながら、
弱さや不安を話しながら、苦労を共にするのではなく、
むしろ子どもを「発達のスケジュール」の側に
置いて見てしまっていた。

しっかりしなくてはという思いは、
当然、子どものものでもあると思い込んでいた。
子どもは、そんな彼女の頑なさに対して
どう付きあっていいかわからなくなっていた。

「しっかりしなくては。余所から後ろ指を指されたくない」
という想いは、彼女を緊張させている。

外への構えは、自分自身にとってはもちろん、
子供たちも当然とるべき態度とみなされている。

拡大された身構えは、子供たちとの軋轢となって、
彼女をさらに苦しめる。

思いがけない障害や病気が子どもにあるとわかった後、
すべての家族が受けとめ合わなければならない課題がある。

しかし、成長過程の子どもを抱えた母親にとって、
とりわけ重い課題である。
「障害や病気」のある子どもを育てることの不安。
将来のさまざまな不安。
「障害児」「障害者」という外からのラベルへの反発。

それ以上に、
「挫けてはならない」という「自らの構え」が、
子どもとの関係にひとつの障害を作る。



それ以上に、

「挫けてはならない」

という「自らの構え」が、

子どもとの関係に

ひとつの障害を作る。
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