ワニなつノート

Hideとyuくんの「事件」のこと(その1)

Hideとyuくんの「事件」のこと(その1)


「ことば」には、意味と矢印があります。

ことばは、いつも同じ「意味」ではありません。

ことばには、確かに意味がありますが、でもそれは「矢印」の方向によって変わります。

「死にたい」ということばの意味は、「死ぬことを希望する意志」を表します。
でも、その言葉を伝えた人への「矢印」(思い)によっては、「生きたいという希望を表す意志」にもなります。

そんなことは、少年マンガにでさえいくらでもあります。

でも、私たちは言葉の意味に縛られています。
そのことは、言葉の遅れや言葉の障害をもつ子どもへのかかわり方にも影響します。

ことばには、意味と矢印がある、ということ。
ことばには、もともと声(音)があり、重さも、色も、ぬくもりも、憎しみさえもあります。

私たちはついそれらを忘れて、「語の意味」にとらわれて暮らしています。



    ◆


久しぶりのブログなのに、理屈っぽいことから始めてしまいました(・・;)
でも、最初にこれを書いておかないと、タイトルの話に入れません。

Hideの話は、去年の「ほうきと生米」の事件。
Yu君の話は、「はるこい」のブログに報告されていた「事件」。
(Yu君が近所の女子中学生に「変質者?」として警察に訴えられた冤罪事件。)


   ◆


Hideの件は、去年の学習会以後、県や市の指導や、事業所との話し合いを通して、hideの生活は改善されてきました。
それとは別に、警察の問題がありました。

始めは、ちゃんと対応してくれるのだろうかと不安だった警察ですが、12月には略式起訴になり、結果待ちでした。

先日、事業所からhideのお母さんに連絡がありました。
罰金刑が確定し、当のヘルパーとともに謝罪したいと。

2月22日。事業所の理事長、管理者とヘルパーとで謝罪にきました。
罪状は傷害罪。
《刑法204条。15年以下の懲役または、50万円以下の罰金に処する》
で、今回の場合、30万円の罰金ということです。

「30万の罰金」という決定が、重いのか軽いのか、それはあまり意味がないと私は思っています。

それよりは、「ことば」をしゃべらないために、被害も苦しみも悔しさも訴えることができないhideの思いを、仲井さんが最初から最後までhideの味方になってがんばってきたことの証であることに、一番の意味があるのだと私は思います。

(ちなみに、1987年に神奈川の養護学校高等部で起きた事件では、担任は20万円の罰金だったと記憶しています。
養護学校で、マンツーマンの授業で、担任が一人の生徒を溺死させておいて、それでもこの国の法律は、罰金20万という評価をするのです。法律とはそんなものなのかと思ったことを覚えています。)

事件後に、「警察にも被害届を出さなきゃ」と私は言いました。
事件のショックやhideの生活の不安、混乱と憔悴の渦中にいる仲井さんに、私はそう言いました。警察に訴えることで、何日も何回も何時間も呼び出され、何十回と同じ話を繰り返さなけれなりません。それを、事件後の一番苦しい時期に全部親がしなければならないのです。
その時に、先のことが見えていた訳ではありません。
重度の障害があり、本人の言葉はない密室での事件。
死亡・重症ではなく、医師の診断書もなく、傷の写真も一週間後に撮ったもの。
半年後の集会に、県の課長や市の課長がきてくれるとか、警察がちゃんと捜査して刑罰が下るとか、確証があったわけではありません。

でも、そんなことより何より、無条件でhideの味方であるためには、誰に対してもどこに対しても、言うべきことは言う。
地域で生きてきたというのは、そういうことでした。
普通小学校で、普通中学校で、普通高校で、生活してきたことは、そういうことでした。
それは、私は無条件で子どもの側に立つ、ということだったのだと、私は改めて思います。
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