『みんなの学校』 3年後の感想文(2)
《一人の子どもにとっての「みんなの学校」》
一般の観客には「見たことのない世界」で、自分の体験では「見ることのできない世界」が広がっている。そのことはよく分かる。
でも、私(たち)は、「テストも当たり前に一緒」の世界を、30年前から見てきた。
その子の半径200Mくらいの世界かもしれないけれど、一人の子にとっての「みんなと一緒の教室」「みんなと一緒の学校」をたくさん見てきた。
私たちが守ってきた「みんなと一緒の学校」は、中学校を「別物」にする学校ではなかった。
その先の「高校」も「みんなの学校」として、子どもたちと共に創ってきた。
一人だけ遠足に連れて行ってもらえなかったり、一人だけプールに入れてもらえなかったり、一人だけ縦笛にテープを貼られたりしながらも、親は「わが子にとってのみんなの学校」を必死で守ってきた。
「みんなの学校」のなかで、自分を受け入れてくれる先生に子どもが見せる表情がどの子も素敵だった。
それは、ふつうは親が見ることのできない場面だ。そこを映せるのは、映画のいいところだと思う。
そこを観せてくれるのが、この映画の一番いいところだと思う。
だから、よけいに、一人の子どもの、一瞬の「納得できない表情」を見逃してはいけないと思う。
「どうして、いまの時間だけ、自分は、みんなと一緒じゃないの?」
そう問いかける表情を見逃して、校長の言葉を受け入れてはいけない。
これが恋愛映画やサスペンス映画なら、見逃していい一瞬の場面かもしれない。
でも、この映画のタイトルは、「みんなの学校」だ。
一人の子どもが感じた違和感を拾わないわけにはいかない。
その子が、言葉ではうまく表現できない屈辱の表情を、大人の言葉でいいくるめるシーンは、他のすべての良さを台無しにしてしまう。
「みんなの学校」は、誰か一人だけ、みんなのために我慢させる学校ではない、はずだから。
(つづく)
□
「子どもの屈辱をわかってやる感覚が、私たちにはまだ備わっていません。
子どもを尊重しその傷ついた心を知るというのは、知的な行為ではありません。
もしそれがそんなものだったら、もうずっと前に世間一般に広まっていたことでしょう。」
(アリスミラー)
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