【「どの子も地域の学校へ」という現在位置】
1979年から、私は「養護学校義務化」に反対してきました。
反対しながら、1985年には養護学校の教員免許を取りました。
小学校、中学校の「情緒障害児学級」で15年くらい仕事をしました。
特殊学級の介助員も、普通学級の介助員も経験してきました。
17年間いた定時制高校には、毎年、「障害児」と呼ばれる子が入学してきました。
どの学年の授業に行っても、ふつうに障害のある生徒がいました。
地域の会での就学相談会も21年で100回近くになっていると思います。
「0点でも高校へ」という運動も26年。
千葉では、来年の受験で、「高校合格100人突破」する予定です。
「0点でも高校へ」という「無謀」な運動を続けるうち、いつしか100人もの子どもたちが当たり前に高校生になっていく日がこようとは、想像できませんでした。
そんな私自身の歩みを振り返る中で、この社会の何が変わったのか、変わらないものは何か。
そのことを、途中経過として記しておきたいと思います。
私が感じる一番の変化は、「行政」の対応です。
障害児が普通学級に入るときの「壁」は、確実に低く、薄くなりました。
時には、壁どころか「自動ドア」のようにさえ感じられることもあります。
私が、そのことをはっきり意識したのは、2年前、「気管切開」の子どもたち3人の入学の時でした。
はじめに親だけで、入学を希望した時には、昔ながらの「特支教育」への勧めを含めた対応だったと聞きました。
しかし、「会」で要望書を提出してからの対応は、予想外に「スムーズ」でした。
私としては、何度かの直接交渉を重ねる心づもりでいました。一つの市を突破できたら、その結果をもって、他の市への交渉をしなければいけないものと思っていました。
ところが、どの市教委の対応も、柔軟なものでした。
3人の子どもの主治医を招いての学習会には、それぞれの市教委の担当者が足を運んでくれました。
座り込みもなく、ビラ配りもなく、ただ「要望書」を提出して、「学習会」を開いただけでした。
それだけで、私たちの求めていること=要求が何か、
市教委としては何をどう対応すればいいのか、が「理解」される状況になったということだと思います。
その直後に、他県での「養護学校から、地域の普通学級への転校」の相談がありました。
そのときも、「気管切開」の子どもたちの入学以上に、難しいことのように、私は身構えていました。
子どもの障害も、決して、普通学級が受け入れやすいものではありませんでした。
はじめに私が伝えたのは、親の意志と覚悟を伝えるために、要望書を3つ同時に提出すること(養護学校長・県教育長・地域の市の教育長)と、地元で「学習会」を開くことでした。
先の「気管切開」の子どもの入学の時と同じです。
就学のための「度重なる交渉」が、その先に始まるはずでした。3月には新幹線で交渉の応援に行くのを楽しみに?していました。
養護学校(1年生)からの転校というのは、12年前に亡くなった私の友人の「リベンジ」の思いもありました。
しかしそのときも、1月に要望書を提出して、2月には転校可能な感触が伝わってきました。
その後も、去年、今年、と気管切開の子どもは、ふつうに入学ができています。
ここ数年の、入学についての相談と結果を振り返ると、小学校入学に関しては、20世紀と、21世紀とは、明らかに、その対応が違います。
それは、金井康司という名前のひとりの子どもを始め、裁判や運動を通して、大切なその名前を「堂々と社会に伝え」てきた、一人ひとりの子どもたちの、いきる姿勢が、変えてきたものだと、私には思えます。(山崎恵さん、平本歩さん、折田涼さん、青木鈴花さんなど、多くの名前を思い出すことができますが、ここに記すのは「著名」な「子ども」たちだけだけにとどめます。)
でも、この変化の状況を素直に喜べないのは、先に書いた「自動ドア」の感じそのもののせいだと思います。
特別支援学校からの転校や、その地域ではじめての看護師の配置などは、自動ドアという訳にはいきません。だから、親も「覚悟」を固めることができます。そして、その覚悟こそが、入学後にも子どもを守る覚悟につながります。
でも、普通学級を希望すれば入ることは入りやすくなった、その自動ドアの感じは、普通学級から出るときにも、「自動ドア」の役目を果たします。
分けられてことのない親は、子どもの分けられる痛みや、その後一生続くことさえある寂しさに気づかずに、いとも簡単に自動ドアを渡ります。
この両極端の感触が、いまの【「どの子も地域の学校へ」という現在位置】だと、私は思います。
コメント一覧
yo
kaeru
最新の画像もっと見る
最近の「ようこそ就園・就学相談会へ」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- ようこそ就園・就学相談会へ(471)
- 就学相談・いろはカルタ(60)
- 手をかすように知恵をかすこと(28)
- 0点でも高校へ(395)
- 手をかりるように知恵をかりること(60)
- 8才の子ども(161)
- 普通学級の介助の専門性(54)
- 医療的ケアと普通学級(90)
- ホームN通信(103)
- 石川憲彦(36)
- 特別支援教育からの転校・転籍(48)
- 分けられること(67)
- ふつう学級の良さは学校を終えてからの方がよくわかる(14)
- 膨大な量の観察学習(32)
- ≪通級≫を考えるために(15)
- 誰かのまなざしを通して人をみること(133)
- この子がさびしくないように(86)
- こだわりの溶ける時間(58)
- 『みつこさんの右手』と三つの守り(21)
- やっちゃんがいく&Naoちゃん+なっち(50)
- 感情の流れをともに生きる(15)
- 自分を支える自分(15)
- こどものことば・こどものこえ・こどものうちゅう(19)
- 受けとめられ体験について(29)
- 関係の自立(28)
- 星になったhide(25)
- トム・キッドウッド(8)
- Halの冒険(56)
- 金曜日は「ものがたり」♪(15)
- 定員内入学拒否という差別(91)
- Niiといっしょ(23)
- フルインクル(45)
- 無条件の肯定的態度と相互性・応答性のある暮らし(26)
- ワニペディア(14)
- 新しい能力(28)
- みっけ(6)
- ワニなつ(351)
- 本のノート(59)
バックナンバー
人気記事