ワニなつノート

「かんじんなことは目にはみえない」 (NO 01)

「かんじんなことは目にはみえない」 (NO 01)


今年の就学相談会の日程がひとつ決まりました。
7月12日(日)13時半~

生きている間に知りたいことがあります。
それを知るために、わたしにとっての一番の出会いと学びの場が、
就学相談会のような気がします。

この社会では、その仲間に出会う機会がなかなかないけれど。
でも、わたしがはじめて相談されたときには、
まだこの世に生まれていなかった命が、
ここに生まれ、大人になり、やがてわが子と出会う。
時代や街は違っても、その子と暮らす日々の中で、
わたしたちが聞いたことばとおなじことばを聞く。
そして「おなじおもい」を大事にしたい人がいる。

その確信を、毎年の就学相談会の度に更新することができます。



先日、書評を読んで、「ぼくは物覚えが悪い」という本を買いました。

1953年、てんかん治療の脳手術の結果、新しい記憶をつくることができなくなった人。

手術が行われた27歳までの記憶は残ったけれど、それから2008年までの数十年間、「彼は永遠の現在を生きてきた。出会う人の顔も、訪れた場所も、日々のひとこまひとこまも、もはや記憶にとどめることはできない。どんな経験もすぐに脳裏から消え失せる」。

私が本を手にして知りたいと思ったのは、その人のことと同時に、その人と40数年にわたり研究者としてつきあってきた著者自身のことでした。

まだ途中ですが、クリスティーンさんの「私は私になっていく」とおなじものを感じています。

「かんじんなことは目にはみえない」
かんじんなことは、わたしにはまだよく見えないけれど、
かんじんなことがここにある、
そのつなぐ糸はみえる気がする。



     ◇



たとえ、わたしが覚えていなくても。
「そのとき、そのじかん、そのかんけい」がなかったことにはならない。

わたしが、問いに応えなくても。
「そのであい、そのまなび、そのよろこび」がなかったとはいえない。


6才の子どものいきているよろこび。
6才の子どものあたらしいまなびへのさそい。
子ども同士が長い旅をいくスタート前のにぎわいと
ひとりの子どもの胸の鼓動がきこえないか。


振りほどかれた手をつなげないままの記憶を、
この子におしつけるな。
錆びついた記憶と、踏み外した段差と、
届かなかったゆめの道連れにするな。


この子は、この子の出会いと手をつなぎながらいく。
笑いながら、泣きながらでも、
ときに転んで手をつきながらでも、

この子が手をつなぐ相手を見失わないように、
その最初の手を、わたしがつなぐ。
わたしは、この子の手をはなさない。


そのわたしの手をふりほどいて、
この子は、ともだちの方へかけていく。

たとえ、この子が覚えていなくても。
この子がうまれたとき、わたしと手をつないだ日々が
なかったことにはならない。

この子が、ことばで話さなくても。
このであい、このよろこびがなかったとはいえない。

だからわたしはこの世を離れても
この子と手をつないだ日の記憶をはなさない。
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