猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地⑤

2012年01月03日 22時05分32秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ⑤

 かつて、花と栄えた滋賀の里でしたが、今は、人々も散り散りとなって、館も朽ち果

てて、親子三人が、侘びしく、嘆きながら月日を送っておりました。ある晩秋の夕暮れ

のことでした。北の方は、その頃、風邪をひいて寝込んでいたので、兄弟の人々は枕元

で看病をしておりましたが、突然に、館が、がたがたと振動し始めると、崩れるばかり

に、家鳴りを始めました。あまりの恐ろしさに、親子兄弟が、倒れ伏していると、また

また、糸竹の亡霊が現れました。

「あら、恨めしやの御台様。これまで、どうにかして、命を奪わんとしましたけれど、

海津の漁師に拾われた菖蒲の前様が、ご継子であるにも関わらず、父母兄弟の為に、法

華経を読誦されるので、諸神諸仏に隔てられて、思うに任せませんでした。しかし、今

日、姫君の願いも満願となりましたので、その暇を見て、ようやくここまで、来ること

ができましたよ。」

と、言うと、糸竹の生首は、御台の枕元に近づき、その途端に、往生の息をふうっと吹

きかけて消え失せました。

 すると、北の方の五体は、たちまち腐乱を始めました。御台は、ああ、苦しや、耐え

難いと、のたうち回りました。兄弟は、驚いてうろうろするばかりです。やがて、御台

は、苦しい息の下から、兄弟の手を取ると、

「我は、死霊の恨みが深いので、最早、冥途へ赴くぞ。それにつけても、菖蒲の前が、

海津の浦に生きているという。さぞや、我を恨んでいることであろうが、わらわが、死

んだなら、お前達は、海津の浦を尋ねて、菖蒲の前に巡り会いなさい。そして、私の代

わりに懺悔して、姫が恨みが消えたなら、千部万部の御経よりも、有り難いことです。

ああ、苦しや。」

と、言い残して、とうとう御台は、亡くなりました。兄弟の人々は、空しい死骸に抱き

ついて、泣き口説いていましたが、大人しげな菊若は、すっくと立つと、

「いつまで嘆いても仕方ない。まず、御遺骸を、どこかに納めましょう。」

と、言いました。姉は、弟に促され、ようやく立ち上がると、兄弟二人で、母の遺骸を

弔いました。その心の内こそ、哀れというより外はありません。

 

 さて、突然に遁世した滋賀殿は、発心が固く、その後、「善光坊」となり、三年の間、

諸国行脚の修業をしていました。家臣の景次も、出家をして、西寛坊と改めて修業をし

ていましたが、信濃の国で、二人は巡り会い、主従打ち連れて、しばらく西国行脚を行

いました。やがて、仏縁によって、二人は、滋賀の国にもどって来たのでした。

 「如何に、西寛よ。故郷へは錦を着て帰るものと聞いていたが、我々は、色も匂いも

墨染めの、変われば変わる世の中やなあ。」

と、朽ち果てた館の中を見て見ると、仏前に新しい位牌を立てて、灯明をつけ、香華を

供えて、兄弟がひれ伏して泣いているではありませんか。二人の僧も、目と目を見合わ

せて、泣くより外にはありません。西寛は、あまりのいたわしさに、

「如何に、我が君様、御名乗りください。」

と、言えば、善光坊は、

「いや、愚かなり、西寛。名乗って、喜ばせたくも思えども、そうすれば、仏の金言に

背くことになる。今生はこれ、仮の宿りに過ぎぬ。ただ未来こそ誠なり。」

と、言うと、思い切って館を後にしました。道心の志の強さこそ、大変殊勝でした。

 父が、覗いていったことも知らずに、兄弟は、やがて、旅の準備をすると、母の遺言

に従って、習わぬ旅路へと出たのでした。しかし、慣れぬ旅に、道ははかどらず、幼い

二人の兄弟には、辛いことばかりです。とうとう若君は、小松浜(大津市志賀町)のあ

たりで、ばったりと倒れてしまいました。姉は、

「お前は、嘆いてばかりいて、食事もろくに取らないから、歩けなくなるのです。何か

食べ物はないものか。」

と、辺りを見ると、おいしそうな花瓜(きゅうり)が沢山なっています。蔓を押し分け

て、一本取ると、

「さあ、これを食べなさい。」

と、差し出しました。菊若が、喜んで、忝ないと食べようとしたその時、大の男が飛ん

で来て、兄弟の人々を情け容赦も無く押さえつけると、

「やあ、この頃、夜な夜なこの瓜を、盗み荒らす曲者は、お前達だな。」

と、有無も言わさず、杖振り上げて、めった打ちに打ち叩けば、姉は、弟に覆い被さり、

「のうのう、情けない。この若は、何もしていません。これを取ったのは私です。叩い

て、気が済むのなら、私を打ってください。」

と、泣いて詫びました。男は、はったと睨みつけると、

「女とても、容赦はせぬ。杖の味をよっく覚えよ。」

と、今度は、姉を散々に叩きました。弟は、必死に立ち上がって、今度は、姉をかばい

ます。

 

「おやめ下さい。女のことなれば、お許しください。どうぞ、私を打ってください。」

男は、小賢しい小僧だと、さらに怒って、拝み打ちに叩き伏せ、立てば打ち倒し、散々

に打ち散らすと、やがて打ち疲れて、去っていく姿は、凄まじいともなんとも、哀れと

言う外はありません。

 兄弟の人々は、慣れぬ旅の疲れにも増して、思わぬ邪険の杖を受けて、目も眩んで、

ふらふらと、立ち上がることもできません。姉は、必死に起きあがり、

「のう、菊若。ここに居ては、またもや憂き目に会うかも知れぬ。さあ、歩くのです。」

と、弟を引き上げようとしますが、菊若には、立ち上がる力さえ残っていませんでした。

菊若は、声を振り絞り、

「姉上様、五体はすくみ、最早一歩も歩けません。私をおいて、どうぞ、海津へ行って

ください。早く、早く。」

と、言うと、ばったりと気を失いました。

「そなたを、置いて、誰を頼ったらよいのです。ええ、しっかりしなさい。」

と、言うと、弟を肩に担いで、よろよろ、よろよろと、進み始めました。いたわしや

姫君様は、心は弥猛に早やれども、のろのろ、のろのろと、ようやく一歩を進めるので

した。しかし、姉は、木の根に躓き、かっぱと転んでしまいます。菊若は、意識を取り戻し、

「のう、姉上、どうしたのです。」

と、取りすがりました。姉上は、

「お前は、怪我はありませんか。この様子では、もう一歩も進めません。ここで、一夜

を、明かしましょう。」

というと、兄弟は、何処とも知らぬ山中で、抱き合って、泣きながら寝入ったのでした。

 やがて、老人が一人、薪を背負って通りかかりました。

「やれやれ、こんな所に寝ていては、犬や狼の餌食となってしまう。やれ、兄弟の人々。

お目を醒まされよ。」

と、老人は、二人を起こすと、兄弟の人々を、弓手と馬手にかいこんで、軽々と抱き上

げ、あっという間に、海津の浦まで運んだのでした。兄弟の人々の心の内、嬉しきとも

なかなか、申すばかりはありません。

つづく

Photo_2


忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地④

2012年01月03日 18時27分33秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ④

 さて、菖蒲の前をまんまと消すことができたと喜んだ北の方でしたが、ひとつだけ、

気にかかることがありました。

「今は、もう、思いの儘に、菖蒲の前を消し去ったが、下の水仕の糸竹を、このまま生

かしておいては、いつ、この秘密を人に話すとも限らぬ。」

と、北の方は思案して、糸竹を呼び出しました。北の方は、糸竹に、

「さて、お前は、下郎とはいいながら、この度は、大事の御用を良く果たしました。そ

こで褒美に、身に付けた衣装は、残らずお前にあげましょう。それに、お前は、あの猿

回しに恋いこがれていると聞きました。褒美に、暇を取らせましょう。この文を持って、

都の方へ尋ね行けば、必ず巡り会えますよ。さあ、早く行きなさい。」

と、誠しやかに言いました。真に受けた糸竹は、涙を浮かべてお礼を言うと、そさくさ

と、都を指して出発しました。

 糸竹が、急ぎ、都を目指して歩き出すと、後ろから、男が二人追いかけて来ます。

「やあ、待て。おのれは、誰に断り、番所を抜け出るか。法を背く科人め。やれ、討て、

殺せ。」

と、糸竹を取り巻きました。糸竹は、騒がず、

「いやいや、わらわは、御台様の仰せによって、参る者。不躾なことして、後で、後悔

召されるな。」

と、睨みつけますが、男達は、

「愚かなことを、糸竹。我々は、御台様の命令で、これまで追っかけて来たのだ。覚悟

せよ。」

と、言うなり、間髪入れずに、ちょうどと、糸竹を切り捨てました。ああっとばかりに、

もんどり打って倒れた糸竹は声を上げ、

「ええ、さては、謀り追い出して、殺すつもりだったのか。ああ、腹立たしや、口惜し

や、この恨み、晴らさでおくものかあ。」

と、言う声も聞き入れず、男達は、散々に切り付けて、糸竹を殺害したのでした。

 

 そんなことがあったとも知らない滋賀殿は、北の方、兄弟ご一門を集めて、宴を開い

て、憂さを晴らしておりましたが、思い出すのは、哀れな菖蒲の前の事ばかりです。世

の無常を感ぜずにはいられません。そんな時に、突然、築山の陰より、怪しい物が現れ

出ました。一座の人々は、いったい何が出たかと見てみると、なんとそれは、色青ざめ

た女の生首ではありませんか。苦しげに吐く息は、火炎となり、その髪の毛は、長々と

梢にまとわり、たなびいて、凄まじばかりの有様です。滋賀殿は、太刀をおっとり、縁

先に走り出ると、

「おのれは何者。推量するに、菖蒲が前の亡魂か。おのれが、不義故、殺されしことな

れば、誰を恨んで、ここまで来たるか。」

と、大音声で呼ばわると、生首は、

「いや、これはもったいなき仰せかな。どうして、菖蒲の前でありましょうか。恥ずか

しながら、自らは、下に召し使われおりました糸竹が亡魂でありまする。それなる御台

様の御心底の恨めしや。御台様の頼みとて、もったいなくも姫君の縁切りに荷担しまし

たが、それも皆、御台様の計らい。私に何の罪科あって、情けなくも、刃に掛けて殺し

たか。その上、冥途へ行っても、やんごとなき縁を妨げた科により、阿鼻大焦(あびだ

いしょう)の地獄に落とされ、浮かぶ事もさらに無し。この上は、子々孫々に至まで

悉く取り殺し、今生の恨みを晴らしてやる。ああ、苦しい。」

と、叫ぶ声が、御殿に響き渡りました。人々は、ひっそりと静まりかえって、物を言う

者もおりません。全ての秘密が暴かれた今、滋賀殿は、はあっと、大きな溜息を付き、

「ええ、浅ましや。このような子細とは、露も知らずに、菖蒲の前を失ったことの無念

さよ。草葉の陰にて、さぞや父を恨んだことであろう。」

と、歯がみをして、涙に暮れました。やがて、滋賀殿は、きっと立ち上がると、

「ええ、浅ましき火宅(かたく)の住まい。これこそ、発心の門出。」

と、言うなり、髻をばっさり切って捨て、物も言わずに、館を去ろうとしました。驚い

た兄弟が、取り付くと、滋賀殿は、兄弟を左右にかっぱと突き倒して、

「妻子珍宝(さいしちんぽう)

 及王位(きゅうおうい)

 臨命終時(りんみょうしゅうじ)

 不随者(ぶずいしゃ)」(大集経虚空蔵菩薩品)

(※死ぬ時は、何も持っては行けないという意味)

と、言い捨てると、滋賀殿は、そのまま遁世してしまったのです。

 主を失い、幽霊が出る怖ろしい御殿から、人々が去るのは、あっという間でした。

今は、もう、荒れ果てた御殿に、御台と兄弟だけが寂しく取り残されました。この人々

の心の内は、哀れともなかかな、申すばかりはありません。

つづく

Photo


忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地③

2012年01月03日 16時34分44秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ③

 ほうほうの体で、都に帰った右大臣頼忠公は、帰るなり、早川文太重次を呼び出すと、

「さても、おぬしは、粗忽者じゃ。まったく、太政大臣のこの家を汚し、末代までの

瑕瑾となるところであったぞ。菖蒲の前の心様といい、その姿形といい、由緒書き

とは、雲泥万里の違いであった。いったい、十八相の粧いとは、何を見て書いたものか。

あのような見苦しい女は、下々を探しても見つかるものでは無い。その昔、美濃の国

の西郡(にしごおり)の長者が、ふつつかな娘を乙御前と偽って、風聞を立てたが、そ

の乙御前ですら、これほどではあるまい。まったく不敵千万。この縁組み、急いで破談

といたせ。」

と、大層なお腹立ちです。重次は、驚いて返す言葉もなく、ただただ呆れておりましたが、

「さてさて、驚き入ったことですが、どうにも、それは納得が行きません。そのように、

お考えになった証拠はございますか。」

と、尋ねました。頼忠公は、

「愚かなり、重次。私が、試みに書き送った艶書へ、さっそくの返事。これを身よ。」

と、例の色紙を差し出しました。重次は、これをつくづくと見て、

「むう、これは、言語道断。御立腹もごもっともです。拙者の一生の誤りでした。とに

もかくにも、これよりすぐに滋賀へ向かい、破談にして参ります。」

と、重次は、取る物も取りあえず、急いで滋賀の里へと向かいました。

 滋賀の里に着いた重次は、直ちに滋賀殿に面会しました。重次は、

「さて、この度、ご息女菖蒲の前様、不義がありましたので、こちらより破談させてい

ただきます。どこへとも、お送りなされませ。数多くの男性遍歴を持ちながら、隠して

関白家へ嫁に出すとは、苦々しいばかりですぞ。」

と、言い立てました。滋賀殿は、思いもよらぬ言い立てに戸惑って、眉を顰めておりま

したが、やがて、

「いかに重次。菖蒲の前の不義ということ、まったく心当たりも無い。何か証拠があっ

てのことであるか。」

と、言いました。重次は、すかさず、例の色紙を取り出しました。滋賀殿が、これを見

てみると、疑いもない、菖蒲の前の筆跡です。いったいどういうことだと、呆れるばか

りです。その時重次は、弟の景次に向かうと、

「おのれは、それでも侍か。よくも出鱈目な由緒書きを作ったな。とにかく、お前を生

かしておいては、主君への面目が立たない。首を出せ。」

と、太刀の柄に手を掛けると、景次は、

「ははあ、仰せの如く、それがしが誤りなり、お手討ちくだされ。」

と、首を差し伸べるのでした。慌てた滋賀殿が割って入り、

「まあ、お持ち下され。この度の子細は、景次には責任は無い。全ては、菖蒲の前の

不義が原因。この上は、姫が首を討って、右大臣頼忠殿の憤りを、納めていただきまし

ょう。そうすれば、御辺の面目も立つこと。平にこの度のことは、我に免じて、許して

くだされ。」

と、道理を尽くして詫びるのでした。重次は、はらはらと、涙を流して、

「これは、もったいないお言葉。ようく分かりました。この上はひとまず、都へ帰り、

主君頼忠様へ申し訳いたします。どうか、姫君の首討つことだけは、思いとどまり下さ

い。」

と、言うと、都へ戻りました。

 突然の破談に、呆然としていた滋賀殿は、しばらくして景次にこう言いました。

「つくづくと考えたが、こうなっては、菖蒲の前を生かしておいて、世間の噂になり、

物笑いとなることは、返す返すも口惜しい。

 最早、仕方ない。景次よ。今宵、闇に紛れて、密かに姫を連れ出し、琵琶湖へ沈めて

参れ。

 ああ、娘など持つべきではなかった。菖蒲の前の母親が亡くなる時に、姫のことを様々

と心配していたので、母の形見と思って、愛情を注いできたけれども、今となっては、

逆に思いの種となってしまった。さても浅ましい世の中であるな。」

景次も悲嘆の涙に暮れながら、『主君北の方の命令に従わなければ、姫の命を奪うこと

も無かったのに』と、板挟みの宮仕えに進退窮まって、慟哭するのでした。

 景次は、どうすることもできず、菖蒲の前を伴って、磯辺までやってきました。小舟

に姫を乗せると、黙ったまま舟を漕ぎ出しました。いたわしいことに姫君は、なんにも

知らずに、

「如何に、景次。父上様が仰せには、宿願があるので、唐崎神社へ参詣せよとのことで

すが、どうして女房達は来て居ないのですか。変ではありませんか。」

と尋ねました。景次は唐突に、

「姫君様には、何の科(とが)もありませんが、この海に沈めよとの父上様の御命令

によって、これまで、お供いたしました。どうぞ、お念仏をお唱え下さい。」

と、言うと、差し俯いて泣きました。菖蒲の前は、突然のことに、何がなんだか分かり

ません。

「ええ、何のことか、身に覚えもありません。いったい誰が父上に讒言して、私は、こ

のような怖ろしい大海の水屑とならなければならないのですか。」

と、泣き崩れました。やがて、菖蒲の前は、血を分けた父上様が、私を憎むのであれば、

仕方も無しと、観念すると、涙と共に御経を取り出しました。姫君は、声も高々に三巻

を読誦すると、

「只今、読み上げました御経は、先立ちなされた乳房の母が極楽往生の為。さて、一巻

は、後に残る、父上、母上様や、兄弟の現世の安穏、後世養生のその為に。そして、

私を、乳房の母諸共に、一つ蓮(はちす)にお救いください。南無阿弥陀仏。」

と、唱えると、再び船底に倒れ伏して号泣する外はありませんでした。やがて、心を

取り直した菖蒲の前は、船梁に立ち上がると、袴の股立ちを高く取り、直衣(なおし)

の袖と袖を引き結んで肩に掛けると、

「さあ、景次。もう観念しました。沈めなさい。」

と、言うのでした。そのお顔の美しさといったらありません。終夜(よもすがら)泣き

明かして、乱れた髪が面差しに乱れ懸かり、ぞくっとするばかりのお姿に、景次は、目

も眩み、心も消え消えとなり、とても沈めることなどできません。景次は心の中で、

『そもそも、罪も無い姫君が、このような憂き目に遭うのも、邪険の継母の心より起こ

ったこと。それを知りながら、我が手に掛けて、姫を殺すなどということは、人間のす

ることではない』とつくづく思って、

「如何に、姫君様。今となっては、もう隠すこともありません。これは、すべて、北の

方様の悪心より起こったことでございます。しかし、ご存じの如く、それがしにとって

は、譜代の主君。なんともしようも無く、これまでお供いたしましたが、とてもとても

私の手で沈めることなどできません。どうか、この竹の嶋に上がってください。」

(竹生嶋のことと思われる)

と、言うと、姫を降ろし、一人、舟に乗ると、

「お命、恙なく(つつがなく)、母君の菩提を懇ろに弔い給え。それがしも、これより

発心いたし、浮き世の絆を捨てまする。」

と言って、腰の刀をするりと抜くと、ばったりと髻(もとどり)を切り落とし、太刀諸

共に、海中に投げ捨てました。景次は、涙を払って舟を出しました。姫は、余りの悲し

さに、

「やれ、景次よ。このような怖ろしい所に、我一人を捨て置くならば、いっそ、お前に

殺された方がまし、のう、どうか連れて行けよ。景次。」

と、流涕焦がれて泣き崩れました。まるで、早利即利(そうりそくり)が海岸山に流さ

れた時のように、まったく哀れな次第です。(源平盛衰記の引用)

 すると、そこに漁船が近づいて来ました。夫は網を打ち、妻が棹を差しながら、嶋の

回りで、漁をしています。姫は、喜び、

「のう、その舟。乗せてたべ。わらわは、都の者なるが、親兄弟も無く、頼るところも

ございません。どうぞ、哀れみください。」

と、懇願しました。突然に、声を掛けられて、夫婦の者は、びっくりしましたが、姫君

のお姿を見て、

「これは、只人ではないようだ。これが、都の上﨟様か。どうしたわけで、こんな所

に捨てられたかは知らないが、このような美しい上﨟様なら、身に替えても、お守りい

たしましょう。」

と、菖蒲の前を舟に抱き乗せると、甲斐甲斐しく介抱して、海津の浦(琵琶湖北岸)に

帰りました。

つづく 


忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地②

2012年01月03日 10時36分23秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ②

 まだ見ぬ姫に憧れた、右大臣頼忠は、賎しき者の姿に身をやつして、恋の闇路に迷い

出て、願掛けに、常陸帯(鹿島神社の神事:意中の人の名前を帯に書く)まで締めて、

やがて、滋賀の里にお着きになりました。

 さてその頃、菖蒲の前は、多くの女房達をうち連れて、紅葉の殿に出て、ススキや萩、

桔梗や女郎花を愛でて、秋を楽しんでいました。やがて、菖蒲の前は、

「のう、如何に、女房達。先ほどやって来た、遊び者は、どういたしましたか。呼びなさい。」

と、菖蒲の前が、言いましたので、早速に、猿回しが呼ばれました。控えの間でじっと

待っていた猿回しに扮した頼忠公は、襟を直すと、手飼いの猿の綱を引いて立ち上がり

ました。頼忠公は、

「さても、やつせし我が姿よな。その昔、用明天皇が、玉よ姫に恋焦がれて、帝位も捨

てて、身をやつし、山路と名乗って牛飼いとなり、草刈り笛を吹いたのと、同じ気持ち

だ。」(烏帽子折草子の草刈り笛物語の引用)

と、顔を赤らめて、姫の前へと、出られたのでした。ところが、御簾内の女房達は、そ

の姿を見るなり、総立ちとなって、このような賎しき身分の者でも、このように気品の

高い麗しい男が居るものなのかと、水を打ったように静まりました。ごくりと、生唾が

聞こえるようです。やがて、菖蒲の前が、奥より、

「何んでも、面白い曲を一曲奏でてみなさい。そのような美しい姿で、卑しい猿を引くのですね。」

と、言いました。頼忠公は、これを聞いて、

「はい、所謂、宗の狙公(そこう)は、朝三暮四の、栃の猿を愛して、一生の楽しみと

暮らしました。(列子または荘子の引用)布袋禅師が、幼き子供を寵愛されたのも同じ

こと。私も又、それと同じく、物言わず笑わねども、人の心を汲んで知る、猿に勝る宝

は無いと思っております。首に結んだ手綱を、私が引くように見えますが、私の思いも

同じ事。あなたが、手綱に引かされて、ここまで迷い出て来たのは、恥ずかしい次第です。」

と、口上を並べると、次のように謡いました。

 ~汝が想いに比ぶれば

  我が想いは

  勝る目出度き

  ましまし目出度き

  踊る手元を

  猿や召さるか

  小猿に教えて

  安楽(あらき)ことをば

  見ざると申せば

  人事言わざる

  悪事を聞かざる

  木の葉猿めが(※身の軽い猿)

  見ざる目元で

  ころりとこけざる

  そこらで締めろ

  踊りは山猿  

  恋の心か

 申酉戌亥

 浮きに浮き世の

 猿、豆蔵に(※門付け芸人)

 猿が狂うわば

 我が身も共に

 浮き世狂いは面白や

 駒、引き出すには

 猿の白い水干

 立て烏帽子

 折り烏帽子を

 しゃんと着ないて

 御馬の手綱をかい繰って

 立ち見馬や春の駒

 土佐に雲雀毛(ひばりげ)

 糟毛(かすげ)、柑子栗毛(こうじくりげ)額白

 槇の駒に信濃の白駒

 何々乗りたい

 心ぞ面白や

 いかにましょ~

さて、奥よりの、御望みなれば、これなる綱手を渡りて、お目に掛け申せ。」

と、縄手を切って、猿を放つと、猿は、天にも昇る心地して、大庭に躍り出ると、あっ

ちこちと駆け回り、跳び上がり、綱を渡る有様は、まるで、蜘蛛が、糸を渡る様に見事

だったので、人々は、大喜びをしました。

 西の対が、そのように大騒ぎをしているところに、北の方が、様子を窺いにやってき

ました。北の方が、

「さて、さて、賑やかなこと、いったい何が始まったのです。」

と尋ねると、菖蒲の前は、

「はい、あそこにおります猿回しが、いろいろと、秘曲を尽くして、見せ物をしてくれ

ますので、どうぞご覧ください。

外に、何か珍しい曲は無いか。母上にお見せしなさい。」

と、言うと、頼忠公は、畏まって、鞨鼓(かっこ)を取り出して、首に掛けると、

「それでは、これより、都で流行っております、「紅葉流し」という曲を、拍子に乗っ

て、舞うことにいたしましょう。」

と、言って、次の様な歌を謡いながら、踊りました。

 ~あら面白の御代のためしや

  春は先、咲く梅野かや