竹生嶋弁財天の御本地 ⑥終
さて、天の邪鬼が余計なことをしている間に、カララ仙人と天和の宮は、なんなく
弁財天の居る天上界へ着きました。カララ仙人は、若宮を下ろすと、
「さあ、あれに見える林の向こうこそ、母上がお住みになっている浄土ですぞ。我こそ
は、宵の明星である。」
と言い放ち、虚空に舞い上がりました。若宮が、有り難しと虚空を三度拝んでいると、
十六七歳の童子が二人、白馬を引いて来るのが見えました。若宮は、この童子達に母上
の居所を聞いてみようと思いました。
「もし、この国の弁財天はどこにいらっしゃいますか。私は、日本の主(あるじ)、聖
武帝の宮、天和の宮と申す者です。」
と、尋ねると、童子は、
「それは、それは、左様でしたか。我らは、弁財天に仕える者。あなた様がいらっしゃ
ることを、弁財天がお知りになり、この白馬で、お迎えに参りました。」
と、言うのでした。若宮が白馬にまたがった途端に、もうそこは、弁財天の内裏でした。
若宮は、ようやく母、弁財天との対面を果たしました。母子共に喜びの涙を流しており
ましたが、やがて、弁財天は、父、宇賀神大王の所へ、若宮を連れて行きました。宇賀
神大王は、こう話しました。
「天和の若よ、汝は知らないのか。釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)で約束をしたこと
を。末世において、下界にひとつの嶋ができ、行基が仏法を広め、愛染明王は優しく情
けが深く、弁財天は貧苦を助けるだろうという契約であるぞ。今、時こそ来たれ。若は、
これより直ちに日本に帰り、衆生を済度すべし。我も弁財天を伴って、後より日本に向
かうことにする。」
これを、有り難く拝聴した若宮は、十五童子(宇賀神又は弁財天の僕)と共に、日本を
目指して、急ぐことにしました。ところが、天の川に船を乗り出すと、そこには、第六
天の魔王が、沢山の眷属を連れて、待ち構えていたのでした。天の川の中から、邪悪な
鬨の声を上げて、魔王達が立ちはだかりました。十五童子は、船梁(ふなばり)に立ち
上がり、
「おのれらは、この川の阿修羅どもか。宝が目当てならば無駄だ。そこ、立ち去れ。」
と、怒りました。魔王は、
「やあ、推参なる雑言。われこそ、第六天の魔王なり。日本の主、天和の宮が、弁財天
を下界へ連れ行くこと、許さぬ。」
と、迫りました。これを聞いた童子達は、
「さては第六天か、出で物見せん。」
と、飛び出すと、神通飛行の剣と化身して、縦横無尽に飛び交ったので、外道どもはこ
とごとく切り裂かれてしまいました。第六天は、怒り狂って、おのれ見ておれと、虚空
へ飛び上がると、突然、空が燃え上がり、火の雨がどうどうと降り始めました。さすが
の十五童子も成す術も無く、次々と火に焼かれて行きます。これはいかんと、若宮が、
「南無、日本の明神、力を合わせたび給え」
と、大音声に祈念すると、俄に神風が吹き始め、大雨は車軸を流し、火炎は消えてなく
なりました。危ないところを助かりました。日本の神々が援軍に来たのでした。
しかし、それだけでは終わりませんでした。今度は、妖魔(ようまん)外道が鉾を手
にして襲いかかってきました。すると、諏訪の明神が現れ、むんずとつかみかかると、
そのまま押し伏せて、首をねじ切って放り投げました。次は、極道外道が跳んでかかり
ましたが、敏馬(みぬめ)(※敏馬神社:神戸市灘区岩屋中町)、香取の両明神が、
立ち向かい、一刀両断にしてしまいました。とうとう、業を煮やした第六天の魔王は、
怒り狂って、若宮に向かって、一文字に飛びかかりました。若宮は、第六天とむんずと
ばかりに組み合いました。右に左に、組んず解れずの大接戦です。やがて、若宮がぐっ
とばかりに押さえ付け、勝負あったかに見えましたが、その刹那、第六天は、陽炎の如
くに消え去って、若宮の背後にすっと回りました。その時、鹿島の明神が跳んで出て、
第六天を羽交い締め、息の根を止めようとしました。 しかしその時、雷神が現れ、
「しばらく、しばらく、この度は、それがしに預け給え。」
と、言ったのでした。素戔嗚尊は、雷神のお出ましに驚いて、
「むう、雷神の仰せとあれば、お任せいたしましょう。」
と、第六天を許したのでした。そうして、神の戦は終わりました。さて、素戔嗚尊は、
天和の宮と対面すると、
「ますます、衆生を守りなさい。」
と、励ましました。やがて、神々も若宮も日本にお戻りになったのでした。
さて、その頃日本では、元正の宣旨によって、行基菩薩が、竹生嶋にお入りになった
所でした。すると、突然、頭に白い蛇を乗せた者が現れたのでした。その男は、
「いかに、行基よ。智慧が無くては、この山の主にはなれぬぞ。」
と、言うのでした。行基はこれを聞いて、
「そういうあなたは、何者ですか。先ず、あなたが、智慧を顕したらいかがです。」
と、言い返しました。すると男は、
「はは、それは、容易い望み。では、ご覧入れよう。」
と、空中に向かって「七宝」(しちほう)と言う文字を書くと、不思議なことに、七つ
の宝珠の玉が現れたのでした。行基は、この玉を御経の箱で受け止めると、即身七仏と
唱えました。すると、空より紫雲が舞い下がり、玉を受け止めた経箱に入るかと思った
途端、玉は仏の姿と変じたのでした。件の男は、
「やあ、行基。我こそは、その昔の天和の宮である。末世の衆生に福を与え、貧苦を救
うため、天竺より、福神を連れて参った。この嶋は、金輪際より出現した山であるので、
この嶋に迹を垂れ(あとをたれ)(※垂迹:神仏を顕すの意)慈悲哀憫(じひあいみん)
をいたさん。我はそも、愛染明王なり。」
と、言うと、たちまち虚空に消え去りました。有り難し、有り難しと、行基が、虚空を
拝んでいると、水中より光りが射し上がり、虚空からは音楽が聞こえ、花が降り、十五
童子達が現れました。すると、辰巳の方角(南東)より、白い蛇に導かれて、光に溢れ
た弁財天が近づいて来ます。なんとも神々しいばかりです。御手の宝珠がまばゆいばか
りの光を放っているのでした。やがて、白い蛇は、弁財天の頭の上に差し上ると、とぐ
ろを巻いて、まるで弁財天の頭に雲が乗るように見えました。その時弁財天は、
「やあ、珍しや行基よ。我は、この嶋に迹を垂れん。只、一心に、己(つちのと)の巳
(み)の日(弁財天の縁日)を待つ人々を、三日の内に大長者となさん。これを、衆生
に示すべし。」
則ち、無量寿仏(※阿弥陀仏)と拝まれ給えば
白蛇は、観音、勢至となり給う
それより嶋を建立あり
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目出度しとも中々、申すばかりはなかりけり
右は天満八太夫・重太夫正本なり 大伝馬三町目 うろこかたや板
おわり