3月7日(火)馬見原〜小峰(中間地点)往復
日向往還は、旧藩時代の肥後国から日向の国へ至る歴史街道
3年ぶりの3月18日(土)開催となる
「日向往還歴史ウォークin山都町」
今回は馬見原から通潤橋を目指して歩く23km
通常の逆コースが設定され
記憶を辿りながら事前に歩いてみることに、、、
8:50 馬見原交流広場に駐車してスタート
宿場町として栄えた馬見原
五ヶ瀬川を渡ると
名所「夫婦岩」
蘇陽病院を抜け
ルートに入ると早くも荒れ放題
枝を祓い薮こきの末
道標「白石御駕籠場跡」
板碑も残る
左に行くと道迷い?
本来の日向往還ルート218号へ出て
弊立神宮下から参拝
大野へ
角にあるたまご屋さんの「生産農場 蘇陽農場」
脇を下り
農作業中の方と出会う
まもなく、高台から新型ロケット「H3」打ち上げの軌跡が
見えるとの情報だが、、、
先に進む
「神ノ前免ノ原」を右へ
畑にポツンとお地蔵さんが鎮座
ご挨拶して
九州脊梁や
阿蘇中岳の噴煙が棚びく絶景ポイント
この地区を救った昔の英雄に敬礼して
仮屋公民館を左
県道153号から入る日向往還ルートを見逃して遠回り
寄り道は高松小学校跡地
黒峰入り口で花の手入れをされてる方と触れ合い
小峰地区の日向往還ルートに復帰
12:30 中間地点の「栃原年祢神社」
上にある「高齢者憩いの家」前でお昼タイム休憩
帰路は馬見原に向けて
栃原浦田から山道へ
荒れているが通れないことはないと
近所の方のアドバイス
確かに足元不安定だが何とか歩ける
雰囲気漂う古の道
ふかふかの杉の枝葉を踏み
埋もれる「栃原狭間」
「虎御前」は、日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」で有名な曽我兄弟の兄
曽我十郎の愛人の名前で 、仇討ち本懐後果てた十郎の供養に
虎御前がこの地を訪れ松を植えたという伝説
「明治七年公立虎御前小学校 元小峰小学校」の標石
広場から九州脊梁の絶景
阿蘇のロケーションに癒されて
市の原?矢印の方向
大野地区から
弊立神宮参道経由
参拝者と触れ合いタイムで一息
人影ない
広域通信制「やまと高等学校」グランドを横断
ここからの山道を掻き分け
蘇陽病院を下り
馬見原地区に戻って
16:30 ゴール!!
風景が違う逆コースで
久々の長距離ウォーキングを楽しみました?
活動データ
累積標高820m 23.7kmを記録
予定距離よりオーバーして終了
薮こき地点など
当日はコースに多少変更があるようです。。。
日向往還は、旧藩時代の肥後国から日向の国へ至る歴史街道
3年ぶりの3月18日(土)開催となる
「日向往還歴史ウォークin山都町」
今回は馬見原から通潤橋を目指して歩く23km
通常の逆コースが設定され
記憶を辿りながら事前に歩いてみることに、、、
8:50 馬見原交流広場に駐車してスタート
宿場町として栄えた馬見原
五ヶ瀬川を渡ると
名所「夫婦岩」
蘇陽病院を抜け
ルートに入ると早くも荒れ放題
枝を祓い薮こきの末
道標「白石御駕籠場跡」
板碑も残る
左に行くと道迷い?
本来の日向往還ルート218号へ出て
弊立神宮下から参拝
大野へ
角にあるたまご屋さんの「生産農場 蘇陽農場」
脇を下り
農作業中の方と出会う
まもなく、高台から新型ロケット「H3」打ち上げの軌跡が
見えるとの情報だが、、、
先に進む
「神ノ前免ノ原」を右へ
畑にポツンとお地蔵さんが鎮座
ご挨拶して
九州脊梁や
阿蘇中岳の噴煙が棚びく絶景ポイント
この地区を救った昔の英雄に敬礼して
仮屋公民館を左
県道153号から入る日向往還ルートを見逃して遠回り
寄り道は高松小学校跡地
黒峰入り口で花の手入れをされてる方と触れ合い
小峰地区の日向往還ルートに復帰
12:30 中間地点の「栃原年祢神社」
上にある「高齢者憩いの家」前でお昼タイム休憩
帰路は馬見原に向けて
栃原浦田から山道へ
荒れているが通れないことはないと
近所の方のアドバイス
確かに足元不安定だが何とか歩ける
雰囲気漂う古の道
ふかふかの杉の枝葉を踏み
埋もれる「栃原狭間」
「虎御前」は、日本三大仇討ちの一つ「曽我物語」で有名な曽我兄弟の兄
曽我十郎の愛人の名前で 、仇討ち本懐後果てた十郎の供養に
虎御前がこの地を訪れ松を植えたという伝説
「明治七年公立虎御前小学校 元小峰小学校」の標石
広場から九州脊梁の絶景
阿蘇のロケーションに癒されて
市の原?矢印の方向
大野地区から
弊立神宮参道経由
参拝者と触れ合いタイムで一息
人影ない
広域通信制「やまと高等学校」グランドを横断
ここからの山道を掻き分け
蘇陽病院を下り
馬見原地区に戻って
16:30 ゴール!!
風景が違う逆コースで
久々の長距離ウォーキングを楽しみました?
活動データ
累積標高820m 23.7kmを記録
予定距離よりオーバーして終了
薮こき地点など
当日はコースに多少変更があるようです。。。