実家にて①
こんばんはZUYAさんです
認知症の父と耳の遠い母をサポートするために今年4度目となった大阪の実家への帰省での経験を、なるべく面白可笑しく綴っております
今回の滞在中、認知症(要介護2)の父が度々妙なことを言っているのが気になっていました...
“うちの子たち”
“厚生労働省から出向で来ているスタッフがいる”
“お局さんが会議中に手を振ってくる”
あれ?
どうやら父は入院している病院を、“自分が働いている会社”だと思っているようです。そしてよくナース・ステーションに行き座って居ると(母を通して)聞いていましたが、会議に参加しているつもりだったようです
母曰く、“老人たちが一杯いる施設よりも、若い人達が多い病院の方が合っているのかも”と…
いやいやいやいや...
母よ...病院は病院で、施設は施設なのですよ...何を言い出すのだよ~
まぁ確かにあれだけ食欲・体力が回復したとなると、「緩和ケア病棟」にいる必要があるのかどうかと考えさせられます。ただ、こちらとしてはこの病棟に入る際に(一切の医療行為はしなくて良いと)署名させられているわけだし、向こうもさせた手前いまさら“誤診だったかも...”とは言えないわけです
認知症と抗がん剤などの投薬による副作用の一つである“認知機能の低下”は、よく似ていて誤診が多いと言うのは以前から長兄と疑っていました。こうなったら、笑った(転んだ)動いた方が「負け」の状態と言っても過言ではありません
あえて“誤診だったのでは?”と病院に問うことも止めておこうと思っています。なぜならお互いの利害関係が一致しているからです。こちら側は息子たちが全員、東京にいるから早々駆けつけることが出来ないし...(そんな中で長兄は一番頑張ってくれていますけどね)
実家にて②
さて5日目(父にとっては一時帰宅後7日目)
母が少し洒落た物を買いたいから電車に乗って隣町まで行ってくると言うので、また父と2人で留守番に。“ちゃんと見ているからゆっくりして来なよ~!”と言って送り出すも、驚異的な速さで母が戻って来た...しかもその帰って来る時間を、父は予想していたのだから凄い...って言うか、ホンマに認知症なんか~!
母が帰って来たので、前日の剪定のやり残しを少ししてから、ZUYAさんは(今年何度も帰省する内に見かけて)一度行ってみたいと思っていたうどん屋さんへ。ZUYAさんがこの町を出てから出来たのかな。意気揚々と店の前に立ち暖簾を見ると、うどん屋ではなく蕎麦屋であることに気がつき暫し茫然...
あれ?
俺、認知症予備軍?
ちなみに家系で認知症は父が初...癌家系ではあるのですがね
取りあえず暖簾をくぐるとランチタイムのお客さんははけた後で、店主が独りでテレビを観ていました。瓶ビールと一品料理を頼み店主から地元情報を貰いながら2本目のビールが終わると、何十年も口にしていない「チューハイ」を何杯か呑みましたが、これが酷く酔いましたわ。天ぷらの盛り合わせで〆。そう麺類まで到達せず~
さて最終日の夕飯は、又もや父が“魚が食べたい”と言うので母が買って来た秋刀魚を焼いて頂きましたよ
実家にて③
6日目(父は8日目)。今日は父は病院へ、ZUYAさんは東京に戻る日です。午前中はまったりと過ごし、ランチはどうしようかなと考えていたら母が、ピッツアを食べたいと(ちなみに母はZUYAさんと違い、日本人らしくピザと発音します)
何にもない廃れた町ですが、家から少し歩いた所にドミノ・ピザがあるので、ネットで注文してZUYAさんがピック・アップに行きました。最後のランチも父の食べっぷりは凄かった...
実家にて④
午後2時半に母が予約していた介護タクシーがやって来ました。母はZUYAさんも乗れると思っていたらしいが、付添人が2人の場合は事前に申請しておかないといけなかったようです
急遽ZUYAさんは徒歩で病院へ(とは言っても15分ほど)。でもこの日もそうですが、今回の滞在中は涼しくなった東京と違い、大阪は厳しい残暑で東京に比べて3℃から5℃も高かったのです。ハーフパンツとサンダルを持参していて。本当に良かった...
ところが最終日なので、衣類も全てバッグに既に入れてしまったZUYAさん。ブーツカットのジーンズに革のショートブーツと言う出で立ちや、病院に着く頃には汗だく...
病院の玄関先で父母を送り届けてくれた介護タクシーの女性運転手に再び会い、
“お兄ちゃん、ほんまごめんなぁ。でも後はお兄ちゃんおりはるから私はここで引き揚げますわ~”
と言われました。そのために来たのだから別に良いんだけどさぁ。んなことより、おまえ俺より絶対に10以上は年下やろ...お兄ちゃんて...(まぁ若く見るのでしょう、ZUYAさんはね)
手続きを済ませると病棟へ。看護師やら病院の関係者から熱烈な“お帰りなさいコール”を受ける父...それに対して大統領のように手を挙げて応える父...どうなってるの?
再入院に際してコロナの検査が40~50分ほどかかると、看護師の1人から説明を受けました。これだけ父の帰還で皆が盛り上がっているのなら、もう息子の出番は終わったのだろうと判断して、このタイミングでお暇することに。母に声をかけ、一人で家に戻ってバッグを持ち、新大阪駅へ向かいました
帰りの新幹線は隣には誰も座らなかったので、気にせずに次々と開缶。名古屋からはほぼ満員だったのに、ZUYAさんの並びの席には誰も来ない...隣の3列シートが空いていたので、肘掛けを挙げて寝ころぼうかと真剣に考えました(その時の写真はこちら)
東京に着いても一向に酔っぱらわず、自宅の最寄り駅までも帰って来て「お好み焼き居酒屋」で何杯か日本酒を煽り、ようやく現実(正気)に戻りました
以上で今年4度目の帰省の話(人呼んで、“大坂秋の陣”)は終焉です。拙い文章でしたが、ご家族がより重い認知症や病気等で苦しんでおられる方もいらっしゃる中、なるべく心にユトリが生まれるように書かせて頂きました
それでもこの5泊6日は疲労困憊、そのまま翌日から5連勤...まぁ長くツラい親孝行となりました。コメントを下さった方々、温かく見守ってくださった方々には感謝しかありません。そして語彙力乏しい方からのダイレクトメッセージには、反面教師で自分の文才を再確認させて頂きました
まだまだ公私ともに大変ですが、暫し休憩を頂き通常ブログを再開したいと思います
Have A Good Night,Folks!