おはようございますZUYAさんです
昨夜から今朝にかけて、東京地方もずいぶんと冷え込みましたね。昨夜は珍しく定時で退社し、(これまた珍しく)休憩室での一杯もやらずに真っ直ぐ帰って来ました。商店街のスーパーにだけ立ち寄り夕飯の材料を買い込んだぐらいです。ちなみに「キムチ鍋」にしました
さぁ「大阪滞在記」の続きを綴りましょう
やっぱり大阪で食うお好み焼きは美味い!
暮れに届いた父に関する一報で、「緊急で手術・入院」、更には「面会謝絶」と言うワードがインプットされました。ところが何処でどう変わったのか、不安に掻き立てられながら年が変るのを待って、新幹線に乗って大阪に来てみたわけです
すると“面会謝絶”と言うのは、“病院が人手不足のために年末年始の面会はお断りします”と言うものでした(後に土日祝日もダメなことが判明...)。つまりは平日の「14~16時」と言う2時間の枠の中でしか面会できないと言うのです。しかも15分間だけ...
大阪滞在も云十年振りの4日目になりました。ええ今回の滞在を伸ばしたのは父の顔を一目でも見て帰らないと、何のための帰郷かわかりませんからね。そしてこの1月4日から面会は再開。ようやく父に会えるわけですが、よくよくすっかり耳の遠くなった母に聞いてみると、15時に病院に行くと
う~ん...ではそれまで何をして過ごせば良いのだろうかと考えていると、「門扉のドアノブが壊れているから直してくれないか?」と母がリクエスト。早速、扉を確認しに行くとどうやらまるっと交換が必要。この手のことは得意だから良いのですが、問題は必要な部品等を何処で手に入れるかです
ZUYAさんが住んでいた頃には、徒歩10分ぐらいのところにホームセンターがあったのですが、今は隣町まで行かないとないようです。スマホで一番(アクセス上)効率の良さそうな店舗を検索、近鉄電車に乗ってその最寄駅から1.3kmを歩く方法を選びました
時間もあり余っている上に(ZUYAさんなら)自宅から直接歩いて行ける距離でしたけどね。近鉄「高安駅」でスマホでついついパチリとしたのは、駅のホームにある懐かしの「反転フラップ式案内表示機」。今は何処もほとんどが味気ないデジタルになってしまいましたよね。時々チラッと見たこともない表示(レアな行き先など)が見えると子供心にワクワクしたものです
若い頃に通った自動車教習所や生駒の山々を眺めながら歩いていると、あっという間にホームセンターに到着しました。先述したようにドアノブは全て交換になるので、同じタイプの物(インテリジェント錠)の取り付け寸法を家を出る前に何ヶ所か測って来ました。が、うっかり一番肝心な“バックセット”と呼ばれる部分を測り忘れていました
これも前日の万博記念公園の休園と言い、昨年11月以降からの不運の続きであることは間違いないと思いますよ
バックセットは取り付ける扉のドアノブの中心部から扉の端までの長さ。何種類かあるわけですよ。手ぶらで家に戻って測ってもう一度ここまで来るか、とりあえず購入してダメならもう一度足を運ぶか...一か八か好きのZUYAさんは後者を選びましたよ(この2択を提案してくれたコーナン八尾山本店の女性店員さんに感謝です)
ドキドキしながら来た道を戻り、家に着くと早速作業に取り掛かりました。結局選択はバッチリで交換は上手く行きました。ところがここがプロとトーシロの違いですね...扉の受け手側になる「ラッチ受け(ストライク)」と呼ばれる部分を随分慎重にやらないといけないことが分かりました。まぁ帰京まではたっぷり時間があるのでのんびりやることにしましょう
これが終わり、自室で昼飯代わりに焼酎を呑んで昼寝していると面会の時間が近づいて来ました。病院までは徒歩で10分ほど。母親はまだまだ元気なようでサクサクと歩いているのに少し驚きでしたが、やはり高齢者特有の(いや郊外特有と言うべきか?)“道の歩き方”には不安になりましたけどね
面会カードを記入してナース・ステーションに提出すると、看護師さんと共に付き添われ点滴スタンドに掴まりながらそろそろと歩いてくる父が見えました。2年振りに見た父...すっかり痩せていました。てっきり病室でベッド上での面会になるのだろうと思っていたので、そういう意味では予想に反して元気で良かったです
イスに座り会話を始めましたが、体型だけでなくあの大きかった声までもが随分と細く小さくなっていました。若干、認知症が入っていると前情報を持っていたのですが、ここは本場の大阪人、会話の中で本当にボケているのか受け狙いでボケているのか区別がつきませんでした
ZUYAさんの母はこんな時でも気をつかう人で、確かに面会は15分と決められていましたが看護師さんも特に呼びに来ないので、母も父が入院後初めて会うのだし(看護師さんに)呼ばれるまで話していれば良いのに、“面会の場を他にも使いたい人がいるだろうから...”と、さっさと切り上げようとするのを見て、ここだけは意思疎通が出来たのかZUYAさん、父と顔を見合せて苦笑いしました
で、母親は立ち上がったのでナース・ステーションに声を掛けに行きますと浪花の女子看護師たちが皆、“え?もうエエのん?”って顔してましたよ
さてZUYAさんは面会の後は家に戻らずに、梅田に向かいました。大阪にはもう友達はいないのですが、ひょっとしたら同じように誰か帰省していないかと連絡を取ってみると、あの香川県で悠々自適に生きている親友Sくんがいました。彼と昔と比べてあまり変わっていなくて、わかりやすそうな「お初天神」で待ち合わせをすることに
JR大阪駅から懐かしのルートを思い出しながら歩くもすっかり変わってしまいましたね。変わっていないのは街行く人々が“大阪弁で話している”ことだけ。待ち合わせ時間まで写真を撮っているつもりでしたけど、“撮りたい!”と思わせるスポットがあまりなく...何で都心部って何処へ行っても同じなんですかね~
何を食べようかと考えた時に閃いたのは「お好み焼き」でした。散々、大阪は嫌いだ嫌いだと書いているZUYAさんですが、食べ物の美味さだけは認めます。大阪名物はもちろんのこと(※串カツは名物ではありません)、ラーメンから何から何まで何を食べても東京で食べるものより美味しいと断言しますよ
さて事前に調べたわけではなく、昔ながらの“勘”で選んだお店に入店。数年振りに“都会に出て来た髭面に草鞋を履いた男”と“革ジャンにポニーテールと髭面の男”2人が入店すると、一瞬店の雰囲気が変ったのはご想像にお任せします
ZUYAさんはモダン焼き、Sくんはネギ焼きを注文。後はキムチと餃子をシェアしました。味はまぁまぁかなぁ
その後はレコード・ショップへ。Sくんと出会ったのは20歳の頃、ZUYAさんが音楽雑誌「Player」にバンドメンバー募集の広告を載せたところやって来たのが彼でした。その時のバンドのメンバーとはリハが終わった後には、レコード屋を巡ることが多かったですね
Sくんの話やと大阪にもdiskunionが出来てると言うことで探して行ってみました。何と懐かしの「ActⅢ」にありました(←大阪の人間にしかわからへんわ~)。ここはここで昔違うレコード屋があったような名前は思い出せませんが
このあと茶屋町界隈をウロウロしました。Sくんが正月に大阪で間借りしている所には色々な悠々自適な人や風来坊、放浪の旅人が泊っているそう。ZUYAさんもその夜泊まりに来たらええねんと誘われましたが、一応母の面倒を見るために大阪に残っているので「外泊」は丁重にお断りました。またの再会を約束して解散。ZUYAさんは帰路につきました
ところが...な~んか物足りなくて御堂筋線に乗り、ミナミの夜の街へ(Sくんは昔から乾杯程度にしか呑めない)。嗅覚鋭いZUYAさんですが、全くピンと来る店が見つからず、再び地下鉄に乗って天王寺へ移動。やはり路地に入りこんで吞み屋を物色しましたが、どこもパッとしない...
もう帰ろう
諦めて地元の駅まで帰って来ましたが、何処も消灯。“おいおい東京なら1月4日なら商売再開だぜ!?”と思いながら寂れた商店街を歩いていると、唯一灯りの点いてる店を見つけて入るとカウンターは(間違いなく)常連客で埋まっていて、挙句に“もう閉店です”と断られてしまった。なら看板消しとけよと思いましたが...
結局、家の近くのコンビニでハイボール缶...もうこんな街嫌だよぉと(東京に)帰りたいモードは最高潮に。良い年をしたおっさんが涙を堪えながら飲んだちょっと寂しい夜になりました
ちょっと長くなりました。ここまでにしておきます
To Be Continued...
さて時間は戻って今日は1月25日木曜日、ZUYAさんは公休日です。滞在記の中の気持ちと大して変わりません
明日から2日間また引継ぎで、新勤務地に行かないといけないので。本当に憂鬱なのですよ。この店舗は信じられないぐらいの額の赤字経営...つまりはお客さんも少なく一日が長い...(おそらく近い内に...)
とりあえず今日を楽しまなきゃ...
Have A Good Day,Folks!
しかし、面会謝絶というパワーワードにドキドキしましたが、体調不良のためでなくて良かったですね。
大阪に行けばZUYAさんも関西弁バリバリに戻るのでしょうか?
お休みの今日、存分に羽根を伸ばしていますように🙏
葉月
小生は“東京生まれ大阪育ち”と言う異色の関西人なので...意外と大阪に帰ると大阪弁は出ませんよ~
“存分に羽根を伸ばしていますように”とのお言葉、残念ながら羽根ではなく胃袋を伸ばしてしまいました。寿司屋でランチタイムから暴飲...ごめんなさい