陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

オランケ

2010-10-22 08:59:00 | Weblog
昨日のブログで書いたことの補足。

何ゆえ、天下り役人を陰陽師に養成することが起死回生策なのか?
ムダ飯食らいを増やすだけではないのか?

その疑問にお答えすると、次のとおりでござります。
ムダ飯食らいの役人を陰陽師とすることで、
(1)その祈祷にはそれなりの効果がある。
(2)効果が出ない場合は、陰陽師を人柱にたてる。結果、絶大な効果がある。
(3)万一、その成果が出ない場合でも、陰陽師にした役人の数は減る。

多数の陰陽師を前面に出し、隈取りをした目で相手を射すくめるのは、
さしづめ宇宙戦艦ヤマトの波動砲でござりますからなあ。
核兵器どころではござりませぬよ。
どうでありましょう。
この策以外の何をもって(起死回生)策と言うのでござりましょうや?

ところで、改めて思うのだが、
人間世界の邪悪な存在は、荒ぶる神と言うよりも、
「オランケ」と言った方が具体的なイメージがわきますなあ。
勿論、昔のオランケとは違い、イメージを借用しただけでござりますがね。

現代のオランケは、
北からではなく、西あるいは南西から邪悪な風に乗ってやってくるのでござります。
昔、朝鮮半島では、子供が親の言うことを聞かず、泣きやまないとき、
「そんな勝手を言っているとオランケが来るぞ」
と言うと、子供は泣くのをピタリと止める、
そんな怖~い存在だったそうでござります。

これは子供向けの昔のおとぎ話しではござりませぬよ。
実際、オランケにどう臨むかは、朝鮮半島では歴史的に大問題なのでござりました。

現に、今の日本社会でも、
「オランケが来る」とのウワサが流れると、
国会で、オランケ様をどうなだめるかで大騒ぎになっているではござりませぬか。

朝鮮半島は、ある見方では、
オランケとの抗戦論と講和論がゆり動く歴史とも言えると思うが、
今の日本は、それと同じ事態になろうとしているのでござります。

ただ、誤解のなきよう申しておきますが、
オランケは、ただ邪悪な側面だけではござりませぬ。
善の存在の側面もあることを忘れてはなりませぬよ。

神はすなわり悪魔であり、悪魔はすなわち神でござります。
表から見た場合と、裏から見た場合の、表現が違うだけでござりますよ。

さあて、カン政権は、現代のオランケにどう臨みますかな?
コメント
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