12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

平山郁夫

2007年11月18日 05時29分19秒 | Weblog

  21世紀への幕開けへの除夜の鐘が鳴り響く中、平山郁夫さんは奈良・薬師寺の玄奘三蔵院伽藍で、自作の壁画に「筆入れの儀式」を行った。
縦2.15m、横50mにも及ぶ『大唐西域壁画』の入魂開眼法要である。

  17年にわたる辛苦の旅の末に仏教経典を長安に持ち帰り、20年を費やし翻訳に取り組んだ玄奘三蔵。その世界を、平山さんは20年の歳月をかけ、13壁面(7場面)に分けて描いた。

 今は亡き高田好胤管長から大壁画の依頼を受けたとき、
「伽藍建立の費用は多くの方々の写経勧進(般若心経を書き写す行為を通しての寄付行為)で支えられているのですから、

私もお金を1円たりとも貰うわけにはいきません。三蔵法師の壁画をぜひ寄贈させてください」と申し出ている。

 「平山さんは、面倒なことでも決して逃げない。常に相手の立場に立って譲歩する。立っている次元が違うんだ」という方がいる。

 長者番付に名を連ねるものの、自家用車も別荘も持たず、禁酒に粗食である。開発途上国に小学校の建設資金を寄付し、世界の文化財の保存・修復に巨額の私財を投じてきた。

 「先生、たまには銀座の高級クラブで飲んでみたいと思いませんか?」 平山さんは、微笑んで答える。

「絵を買う人が高級クラブで飲むのは自由ですが、私は飲みたいと思いません。自己抑制してこそ、ハングリー精神を維持できると思うのです」

 15歳、広島で被爆。多くの級友を一瞬の閃光で失う。その後、被爆の後遺症で白血球が激減。二人の幼子。家計を支える美知子夫人。

今、死ぬわけにはいか ない。生命の危機に瀕した平山さんの脳裏に玄奘三蔵の姿が浮かび上がる。「夢」を実現するために「今」と闘う三蔵法師。その姿を創造した『仏教伝来』で世 に出る、29歳。

  東京 美術学校(現・東京芸術大学)を首席で卒業し、自分は絵筆を折り、都合7年間も時間講師をしながら家計を支えた夫人。自分の意見を明確におっしゃる方で、 玄奘三蔵の足跡を辿る旅の大半に同行している。ちなみに次席は平山さんである。

 平山郁夫 「生かされて生きていること」の自覚を忘れまい
                  (文/プレジデント社企画出版部・原 孝)より引用。

ご本人も偉いが、この様なすばらしい奥さんがいるから、すばらしい人生が過ごせるのであろう。

 「先生の絵は、ほのぼのとして心を癒してくれる絵である」と、感じている。大好きな画家である。