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八月十五日におもう。

2007-08-15 18:53:54 | ひとりごと
敗戦記念日と言っていた八月十五日が、いつの頃からか終戦記念日になった。

八月六日のことは、鮮明に覚えているのに、八月十五日のことは、全く記憶にない。
五歳四か月の時だ。

大きくなったら、兵隊さんになると言っていたそうな。
昔、祖母がよく話してくれていた。

戦地から病気のため強制送還されて内地へ配属された父は
戦友を失いながら、自分が生き残ったことへの慙愧があったのだろうか
戦争の話はしなかったし、終戦記念日のテレビは一切見なかった。
ただ、靖国に対する強烈な思いを激しく口にしていた。

わが家は、近所では珍しく、あの大戦で人的被害はなかった。
そういうこともあってわが家では、ご近所へ申し訳ないという空気があった。

”あんたんとこは、えかったネー、戦争にもピカにもとられんかったけぇ”
(あなたの家はよかったね。戦争でもビカ・・ピカドン-原爆でも死ななくて・・)
と、近所の大人たちに言われると子供心につらかった。

家内は、旧満州で生まれ、そこで敗戦を迎えた。
というより参戦してきたロシア軍と中国に追われ
取り残された多くの日本人と厳しい逃避行を始めていた。

女の子は略奪されるということで坊主頭にして
一年半もかかり叔父につれられ大阪へ戻ってきた。
ひとつまちがえれば、あの残留日本人孤児の運命にあったのだと思う。

父親は、シベリアへ送られて今なお消息不明のまま
だから父親の顔はしらない。

今日の記念式典でも平和への誓いが宣言された。
いつも思う、平和の誓いとは、どういうことなのか?
どうすることが平和の誓いの中身なんだろうか・・・

誓うということは、具体的に、国民ひとりひとりにどうすることか
なにも具体的な行為として明確にしていない。

美しい言葉だか、なにも中身も具体性もない儀式言葉の虚しさを覚える。

平和を唱えて、じっと待っておれば、だれかが与えてくれるのか
守ってくれるというのか・・・

あるいは、なにかを提供し、派遣をすることが平和貢献なのだろうか?

あの大戦の反省と唯一の核被爆国として日本でなければできない
平和への役割、積極的な活動があるはずだ。
言うべきことがあるはずだ。

二度と過ちは繰り返しませんから・・・と原爆慰霊碑に刻まれている。
それだけでいいんだろうか・・・

今朝、民放の番組で、アメリカの子供たちに原爆の悲惨な画面を
みせる授業が放映されていた。

アメリカの教科書では、原爆は戦争終結のために
使われたのだから正しかった・・・と書かれている。
前防衛大臣もそう言っていた。

その子供たちが、悲惨な原爆の映像をみて表情がどんどん変わり
あの原爆投下がもたらした悲惨さに声をなくしていた。

日本の学校の現場にも、このような生の教材があるんだろうか
教えているんだろうか・・・疑問に思う。


日本は、(とくに指導者)主語を失った、主語を持たない国だ。
それを外国人は、顔のない日本というのだろう。

自分の言葉で話したい、自分の意思をきちんと伝えたい、
自分を持たず、言わずして、人に身を預けるような安易で
妥協的な生き方はしたくない。

平和とか、個人の安定は、他から与えられるものではなく
自ら守り勝ち取っていく、努力が必要だと思っている。

強い自分、強い国民、強い国にならないと馬鹿にされてしまう。
(ヒロシマ人として平和への欲求はだれよりも強い、戦争を礼賛しているのではない)

あれから62年の日に思う。