ふるさと広島は今日8月6日、雨の中を
69回目の原爆の日を迎えた
広島県人として8月6日は特別の日なんだ
毎年この日を迎えると何年たったいまで
昭和20年8月6日の5歳の自分に戻ってしまう
"水をください、水をください"
と焼け爛れた被爆者が郊外のわが家に何人もきた
祖父が水を飲ませようとする祖母に
"水をやっちゃあいけん、死ぬるけえ!"
(水をやってはいけない、死んでしまう)
"水をください、水をください"
かわいそうに・・・
あの言葉と
あの姿がいまでも忘れられない
もう原爆の記憶があるのは自分より年上の人に
限られてきた
多くの日本人にも8月6日や9日が何の日やら
わからないんだろう
過去のブログで8月6日を振り返ってみたら
こんなことを書いていた
13年8月6日
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/de2baf812d4b43a4337b14f3fd24d076
11年8月6日
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/33d591509c4957c4730aec102bc25930
09年8月6日
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/45a2375d84e0d11a58b444090b5d4bb1
08年8月6日
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/c7f6a2d3e262bfa25622d4cb68516b58
先日、息子が東京からお嫁さんと戻ってきた
昔編集していた「親子新聞」のことが話題になった
久しぶりに原稿を引っ張り出してみた
昭和59年8月の夏休み特集号では
夏休みの自由研究で広島の原爆について
祖父母、おじ、おばなど6人から原爆の惨状を
取材した記事が書かれていた
(近所の人にはテープレコーダーで録音)
小学3年生の文章だが、ひとりひとりの証言を
しっかりと書いている
原爆の悲惨さが改めて伝わったくる
連日、救護に当たった母(息子の祖母)の証言は
地獄絵そのもの
兄(息子のおじ)の証言・・・学校に収容された
人がどんどん死んで行く、校庭に重ねて焼く・・・
兄嫁の・・・兄が死体となって発見された時の
無残な体の状態・・・見つけた母親も原爆症で
苦しみ亡くなった
証言を記事にしたものだがいまとなれば貴重な
記録だろうと思う
(担任の先生からテープと共に使いたいと
依頼があった)
息子は今日の8月6日をどう迎えたやら