岳と百姓と

余生で農業しながら山に登り、全国を旅行して人生を謳歌している爺の趣味三昧のブログ

旅の寄り道「和歌山 高野山 その2」

2018年02月15日 | 旅行
平成30年2月15日(小雪)

今日はあまり雪降ってないけど、昨夜は雨で今朝は冷えて雪がガキガキで道路もつるつるで超怖い。年寄りが転んで怪我したら致命的なのでそろそろ歩いてバイト先に行ったね。

今日もバイトは明日の本番前の実地研修でしたが、今日も職員が仕事があるからと自分に指導教官を指名して居なくなった。仕方ないのでお客様の采配からバイト君たちの休憩の指示やら作業の運用が変わったりしてその指導なんかしていて全く自分の研修が出来なかった。
明日から本番なんだよな。大丈夫かな?

さて、旅の寄り道 高野山の続きです。

高野山はそんなには広い地域ではないのですがお社が沢山あって見ていて楽しいです。今日は寒いこともあって参拝者というか観光客は10名はいませんでしたね。
ここは木々の中にあった西塔です。壇上伽藍の小型版的な構造です。建物が古くてよい雰囲気です。




孔雀堂です。後鳥羽上皇が建立したようですね。建物はこの地域では小さいほうですが雰囲気は良いですね。




大会堂かな?一寸大きめの建物です。建物がありすぎて分からなくなってきた。




准てい堂(漢字が出てこない)
ネットから「本尊の准てい観音は、弘法大師が得度の儀式を行う際の本尊として自ら造立された」高野山には社が沢山あっていろんな儀式のために建立されているんですね。




御影堂です。
ネットから「お大師様の持仏堂として建立されましたが、のちに真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安している」
建物が沢山あって現地では名札があってお堂の名前はわかりますが、写真では分からなくなってきますね。
見分け方は屋根の形ですね。




金堂です。
「平安時代から、高野山の総本堂」 大きなお堂です。
人が全く写っていないでしょう。本当に人がいないんですよ。




根本大塔です。色も朱色で大きな塔で高野山のシンボル的な建物です。




名前がわからないけど登天の松の前にあるお堂で大きな建物です。金堂だったかな?




愛染堂です。
「建武元年 1334年後醍醐天皇の命により四海静平、玉体安穏を祈るために建立」

ここいら辺にはお堂がずらーーーと並んでいて写真で全体的に撮り切れないんですね。




大会堂です。
「鳥羽法王の皇女である五辻斎院親王というお方が、父帝の追福のため建立」




大会堂を正面から撮ってみました。あまりにもお堂が多すぎて名前を覚えきれません。



でも、雪も降ってきて寒いので本当に人がいないんですよね。欧米人のカップルがそれぞれ好きなところを勝手に回っていました。あとは3人のジジババグループがいて寒すぎたのかそそくさに帰っていきました。この地域で自分が見たのはこの5人だけでした。
ここはやはり山なんですよね。高野山は標高1000Mの山々に囲まれた標高800Mにありますので寒いし、今日は雪も降ってきましたからね。

今回はここまで。この後、地獄を見る。

明日はバイト本番で超忙しくなるね。

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