今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

電気自動車の日 (Ⅰ)

2010-05-20 | 記念日
日本記念日協会には、今日・5月20日の記念日として「電気自動車の日」が登録されている。
記念日は「京都市に本社を置き、自動車・オートバイ用電池、電源システムなど、電気機器事業を世界規模で展開する株式会社 ジーエス・ユアサ コーポレーションが制定。1917(大正6)年に同社の創業者のひとりである島津源蔵氏がアメリカから輸入した電気自動車(EV=electric vehicle)「デトロイト号」を約90年ぶりに、復活させた2009(平成21)年のこの日を記念したもの。
ジーエス・ユアサ コーポレーション(英語名:GS Yuasa Corporation)は、旧日本電池と旧ユアサコーポレーションが2004(平成16)年に経営統合して誕生した純粋持株会社であり、自動車電池、産業用電池、電力貯蔵用電池、特殊電池、燃料電池などの電池や比較的大規模の電源装置を中心に開発・製造・販売をしている。自動車・二輪車用の鉛蓄電池で国内のシェアはトップ、世界でも第2位のシェアを占めているそうだ。
日本電池とユアサコーポレーションは、持株会社設立後も事業子会社としてしばらく存続していたが、2006(平成18)年1月1日、両社は「ジーエス・ユアサ インダストリー」となった。その翌年には他のグループ2社と合併し、「ジーエス・ユアサ パワーサプライ」となり、さらに、今年・2010(平成22)年4月の機構改革で、ジーエス・ユアサコーポレーションの管理部門の一部と研究開発事業を移管、グループ会社2社を吸収合併して、「株式会社 GSユアサ」と商号を変更した(以下参考の※1:GSYUASAホームページ参照)。
ちなみに「ジーエス(GS)」とは旧・日本電池のブランドであり、同社の創業者の1人である島津源蔵(日本電池初代社長)のイニシャルに由来する。島津源蔵は、島津製作所の二代目社長で、幼名は梅次郎。1894(明治27)年に初代・源蔵が急死したことにより、二代目・源蔵を襲名して事業を継承した。
二代目・島津源蔵は、日本の十大発明家の一人として1930年の宮中晩餐会に招待されているそうだ。GSYUASAのホームページをみると源蔵が日本で初めて鉛蓄電池を製造したのは1895(明治28)年のことで、これが後に改良され「GS蓄電池」(GSは島津源蔵の頭文字から)となった。
旧日本電池が設立されたのは、1917(大正6)年のことで、この年に電気自動車「デトロイト号」2台をアメリカから購入して、源蔵が自社製の鉛電池を積んで通勤や社用車として、日本電池の社長を退任する1946(昭和21)年まで約30年間愛用していたらしいが、その後、1981(昭和56年)年より同社京都本社ロビーに展示されていたという。
このところの第三次電気自動車ブームの到来を受けて、社内の「デトロイト号をもう一度走らせよう」との声から、2008(平成20)年夏に「デトロイト号復活プロジェクト」がスタートし、同年秋にはGSユアサによる三菱自動車工業(株)製新世代電気自動車「i MiEV」の実証実験がスタートしたこともあり、「新旧の電気自動車を一緒に走らせよう」というユニークな企画も提案されたようだ。
「デトロイト号」は、当時の走りや品格を損なうことなく再現させることを修復方針に掲げ、足回りの補強、鉛電池やモーターの新調、屋根の張り替えなどの作業がおこなわれ、運転可能な電気自動車として昨・2009(平成21)年に復活させたものだという。詳細は、同社HPのデトロイト号復活プロジェクのページを参照されると良い。そういえば、そんなニュースをテレビで見た記憶がある。
近年、地球温暖化など環境意識が高まるにつれて、電気自動車やハイブリッド車(HV=Hybrid Vehicle)などのエコカー(低公害車)に対する注目度が高まってきており、自動車メーカー各社もこの分野での車の開発を競っている。
ここ数年は「第三次電気自動車ブーム」と呼ばれているようだが、第三次電気自動車ブームと言う限りは、第一次、第二次電気自動車ブームがあった訳だ。今の時代、自動車と言えばガソリン車が当たり前となっているが、人類が最初に生み出した自動車は、1769年、フランスの軍事技術者、ニコラ=ジョゼフ・キュニョーによって発明された蒸気機関で動かせる蒸気自動車前輪駆動三輪自動車)であった。その後、1800年代に入ると蒸気機関の技術開発が急速に進み、蒸気自動車の実用化が進むが、自動車の歴史の初期には、この蒸気自動車とともに盛んに用いられていたのが、電気自動車であった。
イタリアのアレッサンドロ・ボルタが1799年、電池(ボルタ電池)を開発。1838年にスコットランドのロバート・アンダーソンがモーター(電動機)を製造し、1873年にイギリスでロバート・ダビットソンが鉄亜鉛電池(一次電池)を使用した電気自動車の実用化に成功した。
一方、1876年、ドイツのニコラウス・オットーがガソリンで動作する内燃機関ガソリンエンジン)をつくる(特許が下りるが後に無効とされた)。これを参考にゴットリープ・ダイムラーが改良し、1885年、二輪車に取り付けたガソリンエンジンの特許を取得している。同じ年に、ドイツのカール・ベンツもダイムラーとは別にエンジンを改良し、翌・1886年には、4サイクルのガソリンエンジンを搭載した三輪自動車の開発に成功し、翌年特許を取得。これが世界初のガソリン自動車の生産とされているが、自動車の生産にビジネスとして乗り出したわけではなかったようで、少数が製作・販売されたようだ。ビジネスとして、ダイムラーのエンジンを搭載した自動車を製作し、販売したのは、今も、その名をとどめているフランスのプジョー(1897年)が最初であったようだ(以下参考の※3、※4参照)。しかし、フランスには、本格的な自動車メーカーとしてドイツのダイムラーおよびベンツ(現・ダイムラー)にも先んじる世界最古の自動車メーカーであるパナールがあり、ここは、プジョーにも、初期のエンジン供給をも行っていた会社であり、1891年には、現代にまで通じる後輪駆動のフロントエンジン・リアドライブ方式(FR方式)を発明し、世界最初にガソリン自動車(ダイムラー・エンジンを搭載)に実用化していたという。しかし、このような初期の自動車は手作りであるため非常に高価なものであり、貴族や大金持ちだけが所有できるものであった。
販売された初の電気自動車は、最初のガソリンエンジン車(1891年)の5年前の英国で登場したが、1897年には、ニューヨークの市内を、電気自動車タクシーが走りまわっていたという(以下参考の※2の図表1参照)。電気自動車は、1899年に、ガソリン車よりも早く初めて100km/hを突破するなど有望視され、米国では、1900年から1908年の間に480社以上の会社が自動車に参入したといわれている。1900年時点で、米国での電気自動車台数は約4、000台、自動車生産で全体の約40%を電気自動車が占めていたというが、1912年頃に電気自動車の生産はピークを迎えた。第一次世界大戦が終わり1920年頃からは、電気自動車が衰退の一途をたどった。
電気自動車に変わって、ガソリン車が主流になったきっかけは、1908年に、アメリカのフォードが、フォード・T型を流れ作業方式によって低価格で製造することに成功したことによる。広大な国土を持つアメリカでは電気自動車の1回の充電による走行距離の短さがネックとなり、しかも、重い電池を数多く積むために室内空間が狭くなるなどの致命的な欠陥もあったことが、技術革新の進んだガソリン車に道をゆずることになったようだ。また、電気自動車と性能を競っていた蒸気自動車もアメリカで発展を遂げ、ボイラーの小型化にも成功し、外見・性能とも当時の内燃機関動力の自動車と遜色がなかったが、安全性や操作性などの面で超えられない技術上の壁があった。
1917(大正6)年に旧・日本電池が、日本で初めて、電気自動車を輸入したことは先にも書いたが、この時、京都電灯も3台を輸入していたようだ。この頃、日本でも電気事業の興隆により電気自動車が注目を集めていたが、時期的にまだ事業として電気自動車が売れる状態ではなく、アメリカでの電気自動車の生産が急激に萎んでしまったことから、日本では試作の段階で終わっていたようだ。
しかし、1930(昭和5)年になると日中戦争の拡大と共に、国内の石油需給の逼迫に悩まされた結果、自動車の代替燃料が求められ、国家を上げての電気自動車の研究も行われるようになり、商工省(現在の経済産業省の前身)の助成を受けて、中島製作所、日本電気自動車(たま電気自動車)などで電気自動車の製造販売が始まり、第二次世界大戦敗戦までの10 年間 (1935~1945年)で小形電気自動車の生産台数は約1500 台に達したという(以下参考の※5参照)。因みに、日本電気自動車は、石川島飛行機製作所を前身とし、戦後たま電気自動車と改称。後に富士精密工業→プリンス自動車工業→を経て日産自動車へ吸収されている。中島製作所のことは良くわからないが、恐らく、中島知久平の設立した中島飛行機のことではないか?と思っている。ここは戦後会社は解散するが、当時は飛行だけでなく自動車も作っていたようだ。
第二次世界大戦で敗戦国となった日本は、ガソリンが統制されて入手困難となっていたため、輸送手段はもっぱら薪や木炭を使う代燃車が主であったが、戦争で多くの住宅が焼失、工業の全面的な停止等によって電力は余っていたこともあって、人々の関心は電気自動車にも向けられ、戦前からの日本電気自動車や中島製作所等いくつかのメーカーが電気自動車を世に出していた(戦後初の本格的電気自動車製造に取り組んだたま電気自動車のことは以下参考の※7のここ、また、※8のここを参照。)。
1949(昭和24)年には、日本でも電気自動車の普及台数は3299台となり、普及率は自動車保有台数の3%に達していたようだが、ガソリン車の改良とガソリンスタンドの整備が充実したことから、電気自動車は衰退し街頭から、姿を消していった。昭和の始から戦後暫くのこの時期が日本の第一次電気自動車ブームの時代といえるだろう。

電気自動車の日 (Ⅱ)と参考のページへ続く

電気自動車の日 (Ⅱ)

2010-05-20 | 記念日
1955年から高度経済成長と共にガソリン車が順調に成長をしていくが、1965(昭和40)年頃には、急激なモータリーゼーション(自動車の大衆化)の進展による排出ガスや騒音などの自動車公害(大気汚染)が大きな社会問題となり、電気自動車への関心が再び高まり、電気自動車の開発が再スタートした。1970 (昭和45)年日本で初めて開催された大阪万国博覧会では、電気自動車は、展示物と言うよりも会場内の交通機関の一つとして活躍し、来場者用のタクシーのほか、放送用機材を運搬するプレスカーや施設管理用のパトロールカーなどに使われた(ダイハツが開発したEV Taxi。以下参考の※10参照)。
1971(昭和46)年には、米国で「マスキー法」が制定された。これは自動車の排気ガスに含まれる一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物を現在の10分の1に削減することを義務付けた大気汚染防止法で、この基準をクリアできない自動車は販売が認められないことから、1971年~1976年に、当時の通産省(現:経済産業省)による電気自動車の研究開発の大型プロジェクト(自動車・電機・電池メーカーが参加)が設立された。
1976(昭和51)年には、(財)日本電動車両協会が設立(設立目的等以下参考の※9参照)され、産・官・学一体となって普及への取り組みが推進され電気自動車に大きな期待が寄せられた。又、こうした国の動きとは別に、自動車メーカー各社も新たな触媒の開発やクルマの電子制御化に力を注いだ(>ホンダは低公害エンジン「CVCC」の開発に着手)。しかし、このときはガソリン車の排出ガス浄化技術の性能が飛躍的に向上したが、電気自動車の性能や価格などは、まだ、商品としての評価を得られず世の中から姿を消していったが、このころが、第二次電気自動車ブーム時代といえるだろう。
1990年代になると、都市郊外や地球温暖化がより社会問題化し、さらに、石油枯などのエネルギー問題などへの対応、また、米国カリフォルニア州でZEV(ゼロミッションビークル)規制(以下参考の※11参照)が制定されたことにより電気自動車の開発が再開された。
政府は電気自動車実用化の鍵を握る「EV用電池開発プロジェクト」を1992(平成4)年から発足し、実用化の鍵を握るリチウムイオン電池の技術開発をスタートさせた。そして、1995(平成7)年 には、政府公用車の10%を低公害車とする閣議決定模された。
1996(平成8)年には、EV車の総合的な評価試験が行われ、今までの電気自動車とは性能が格段に向上した第2世代と言われる新しい電気自動車が登場し脚光を浴びるようになった。今までの電気自動車(第1次世代。1973年実験)が指摘されていた多くの課題を解決したしたものであるが価格が依然高いことから大量販売には至らなかった。この時代(1990年~2000年)に開発された電気自動車には、トヨタの『RAV4L V EV』やホンダの『EV PLUS』があり、ハイブリッド車『プリウス』もこの頃に誕生した。価格もそれまでの電気自動車に比べると大幅に安価で売れることから販売目標台数を上回り、生産台数も半年後には倍に達する売れ行きとなった。
2005(平成17)年愛知万博略称:「愛・地球博」では、「自然の叡智 Nature's Wisdom」 “人と自然がいかに共存していくか”、というテーマを掲げた上で、環境万博を目指して開催された。同万博では、会場内交通手段(長久手会場内の駅とモリコロメッセの前にあるメッセ前バス停の4か所を結ぶ)の一つとして、トヨタグループが開発した、IMTS(電波磁気誘導式のバス)が登場。長久手会場と瀬戸会場間は燃料電池ニッケル水素電池を動力源としトヨタ・FCHV-BUS(ハイブリッドカー)で結ばれた。
又、会場を一周するように設置されたグローバル・ループ(水平回廊)には、電気自動車グローバル・トラムを日本通運が運営し、同ループ上を、ブリジストンサイクル・ナショナル自転車工業・ヤマハ発動機などの電動アシスト自転車タクシーが走った。
そして、2009年からいよいよEVの量産・市販化がスタートした。ついに電気自動車“元年”到来か?・・・といった記事が日経新聞を賑わしたが・・・(以下参考の※12参照)。
これが、第三次自動車ブームの到来と言うことなのだろうが・・・さて、これから先どうなることだろうか・・・?
(画像向かって、左:エジソンと1914年型 Detroit Electric モデル47、右:愛知万博で活躍したトヨタの「FCHV-BUS」、いずれもWikipediaより)

参考:
※1:GSYUASAホームページ
http://www.gs-yuasa.com/jp/
※2:環境ナノテクがエレクトリック・カーの未来を開く(環境省HP)
http://www.env.go.jp/policy/tech/nano_tech/review/theme/03/01.html
※3:自動車について
http://www.osaka-c.ed.jp/matsubara/KADAI/28KI/kadair23.htm
※4:ずんぐり車図鑑・自動車年表
http://www.pupukids.com/jp/hobby/zunguricar/htmls/car-chronology.html
※5:ニッ サンは日本の電気自動車の草分けか(PDF)
http://www.ne.jp/asahi/yada/tsuneji/history/EV-japan.pdf#search='日本電気自動車製造'
※6:機械技術研究所 写真で見る25年史
http://www.mel.go.jp/soshiki/tokatsu/25nensi/index.htm
※7:トヨタ博物館ブログ・目次
https://gazoo.com/G-Blog/tam/4121/Category.aspx
※8:トミカコレクション
http://homepage2.nifty.com/ozawa2001/catalog_frame.htm
※9:EICネット[環境機関情報 - 日本電動車両協会]
http://www.eic.or.jp/org/?act=view&serial=261
※10:ダイハツ用語集
http://homepage1.nifty.com/movinmove/daihatsu%20corner/yougosyu/yougosyu%20am/Yougosyu.htm
※11:ZEV規制 - 日経エレクトロニクス - Tech-On!
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/WORD/20080123/146089/
※12:2008年12月14日付けの日本経済新聞朝刊は「2009年は量産化された電気自動車が町中を走る“元年”になる」と報じた。
http://premium.nikkeibp.co.jp/em/column/torii/42/index.shtml
自動車の電池課について(PDF)
http://www.meti.go.jp/committee/materials/downloadfiles/g80425d04j.pdf#search='EV用電池開発プロジェクト'
ahead Vol.72 SPECIAL 特集 READY to EV
http://www.ahead-magazine.com/articles/72_special_2.html
EVヒストリー EV MUSEUM|一般社団法人 次世代自動車振興センター
http://www.cev-pc.or.jp/NGVPC/museum/history.html
電気事業―Yahoo!百科事典
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E4%BA%8B%E6%A5%AD/
(社)自動車技術協会「日本の自動車技術240選」
http://www.jsae.or.jp/autotech/
石油減耗時代が到来? −石油枯渇に関する国際ワークショップの議論から−(PDF)
http://www.gsj.jp/Pub/News/pdf/2005/11/05_11_02.pdf#search='石油減耗時代が到来? −石油枯渇に関する国際ワークショップの議論から−(PDF)'
電気自動車の LCA 調査研究(PDF)
http://isw3.kankyo-u.ac.jp/project/2004/project/1013001.pdf#search='1965年 通産省 電気自動車 研究開発プロジェクト'
電気自動車 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%B0%97%E8%87%AA%E5%8B%95%E8%BB%8A
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html

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