1995年(平成7年)1月17日。今から16年前の今日、阪神・淡路大震災が発生し、兵庫県南東部の淡路島・同じく兵庫県南東部で本土部の阪神地区・東播磨地方中南部、姫路市・大阪府豊中市を中心に甚大な被害を与えた他、近畿圏の広域に渡って大きな被害を与えたが、特に、震源に近いわが街である神戸市市街地〔特に東灘区・灘区・中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)・兵庫区・長田区・須磨区〕の被害の様子は、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた(被害の状況はここ参照)。
神戸市では、今日は各地で朝から震災の追悼式典が行われる。私も今朝は朝食の前に、仏壇の前で被災で亡くなった方々のご冥福をお祈りした。
当時の自社さ連立政権時代の頼りにならない村山富市内閣による政府の支援が遅々として進まない中、神戸市に本社を構えていたスーパーマーケット大手のダイエーや、セブン-イレブン・ジャパンなど民間企業が地震発生3時間以内に救援物資や食料などを他地域からヘリ空輸するなど、非常に早い対応を行った。
又、 Wikipediaによれば、皮肉なことに、これら支援活動の一番乗りの救世軍は、神戸に総本部を置く日本最大の暴力団組織・山口組や、阪神地域で強い影響力を有する宗教団体のPL教団・天理教・創価学会・金光教・2ヵ月後には地下鉄サリン事件を起こすオウム真理教といった組織・団体が、食料や飲用水の供給・便所・風呂・避難場所の提供などの積極的な支援を行っていたようであり、これらの団体の対応が、政府・警察・自衛隊よりも迅速であったため、海外メディアからは「日本では、大地震が起きると、政府や警察よりも先に、マフィアやカルト宗教が手を差し伸べてくれる」と、皮肉られていたようだ。
もし、現在、同じように頼りにならないことでは村山首相に引けを取らない民主党の管直人政権だったらどうだっただろう。全く決断力・実行力もなく人気が低迷している管政権のことだから、これから先の財政赤字など考えもせず、ただただこの時とばかり人気取りのために、神戸市民のために支援金をばらまいてくれたかも知れないな~…。神戸市民にとって、管ほどのずるさもなく、ただただお人よしだけが取り柄の村山内閣であったことが、政府からの支援もほとんど得られず不幸であったと言えるかも知れない・・・と、私などは思っている。
これら暴力団や宗団体の他、渡哲也・渡瀬恒彦兄弟(現・淡路市出身)や、河島英五(大阪市出身)・嘉門達夫(大阪府茨木市出身)・ジャイアント馬場(元子夫人の実家が明石市)と言った関西にゆかりがある芸能人・タレント・文化人が現地入りし、炊き出しや支援を個人単位で行ってくれていた他、地震直後に現地において、被災者支援のボランティア活動に参加してくれていた人の数は1日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われ、この年は、ボランティア元年とも呼ばれているが、神戸市民は、これらのボランティアの人たちには本当に感謝をしている。
これらボランティア活動とともに神戸の被災市民を勇気づけたものに地元のスポーツ団体があった。当時40年以上も本拠地としていた西宮球場から神戸市須磨区緑台のグリーンスタジアム神戸に本拠地を移していたプロ野球・オリックスブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)は、震災のあった前年・1994年から仰木彬が監督に就任。仰木の下でレギュラーとして起用されたイチローが初の規定打席到達にして日本新記録の年間210安打を樹立。チームの最終順位は2位に終わったが、イチローフィーバーに後押しされたチームは優勝争いにも加わり、観客動員も球団記録を大幅に更新していた。このような、震災の影響を受けた中で頑張ってきたのはプロ野球のオリックスブルーウェーブだけでなく、JFLのヴィッセル神戸がある。
ジャパンフットボールリーグ(JFL)の川崎製鉄(現・JFEスチール)を母体とし、本社を神戸に置くスーパーマーケットのダイエーがメインスポンサーとなり、Jリーグ入りを目指して1995年1月1日、正式にヴィッセル神戸として結成されたが、不運なことに、初練習を予定していた1月17日に阪神・淡路大震災に遭遇したことから、選手らは母体となった川崎製鉄サッカー部の本拠地であった岡山県倉敷市での練習開始を余儀なくされ同グラウンドで2月6日に初練習を行うが、神戸では練習場の確保もままならならず、練習場を転々とせざるを得なかったが、やっと、神戸市西区 室谷の市営公園(いぶきの森公園) 内に練習場「いぶきの森球技場(旧)」が完成したのは7月のことだった。チームのメーンスポンサーのダイエーも震災の影響で撤退後、市民チームとなるが、メインとなるスポンサーも現れず存続が危ぶまれたが、街や人の復興とチームの成長を応援するサポーターの熱い思いに応えて1997年にJリーグ昇格を果たした。しかし、その後の成績は下位に低迷し、観客数も伸びず業績が悪化していた。
現在のヴィッセル神戸のオーナー企業は、ネットショッピングをはじめとしたインターネット総合サービスを提供している楽天の創業者である三木谷浩史がオーナーであるクリムゾングループである。
ヴィッセル神戸に関しては、あくまでも楽天グループの三木谷が個人的に「神戸に貢献したい」という意向を示していたことから、2004年、三木谷家の個人資産管理会社であるクリムゾン社がが買収し、再建にかかわっているものであり、楽天はあくまでもユニフォームスポンサーなどにとどまっている点で、楽天の100%子会社であるプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスとは異なっている。
私は、サッカー発祥の地と言われている神戸(以下参考に記載の*1:「VICTORIOUS☆KOBE」のヴィッセル神戸、設立の経緯・1参照)にふさわしい強力なチームが誕生するのではないかと期待していたのだが、チーム設立当初からその選手層の薄さなどもあり、いつも最下位を低迷していることを非常に残念であったし、そのようなことから、特にサッカーファンでもない私は正直、同チームには余り大きな関心を寄せていたわけではないのだが、震災の日にチームが生まれたことを祈念するため、ホームスタジアムでの試合では、ヴィッセルを熱心に応援しているサポーター達が、試合前に歌い続けていたという『神戸讃歌』という応援歌を聴くとやはり同じ神戸市民として胸が熱くなる。
♪俺たちのこの街に
お前が生まれたあの日
どんなことがあっても
忘れはしない
共に傷つき
共に立ち上がり
これからもずっと歩んでいこう
美しき港町
俺たちは守りたい
命あるかぎり
神戸を愛したい
この歌は、フランスのシャンソン歌手・エディット・ピアフの名曲というよりも、日本では岩谷時子の訳詞により越路吹雪が歌って有名である「愛の賛歌」のメロディーにオリジナルの歌詞をつけたものであるが、その歌は以下のYouTubeで聴ける。
YouTube - 神戸讃歌
http://www.youtube.com/watch?v=U85j9GCjN7s&feature=related
この応援歌の詩は、2005年、古参サポーターのアイデアで生まれたもので、応援のリーダー役を務める男性サポーターは、「神戸にかかわる人たちが一番思いを共有できる歌」だと話しているそうだ(1月8日朝日新聞)。
昨・2010(平成22)年も、16位で迎えた最終節の浦和レッズ戦に勝利し、15位だったFC東京が敗戦したことにより勝ち点でFC東京を上回り、最終順位15位となりなんとか2年連続でJ1残留を果たしている。
ヴィッセル神戸のチーム名の由来である「 VISSEL」は英語のVICTORY(勝利)とVESSEL(船)から生まれた造語だそうで、「勝利の船」「勝利の船出」を意味し、国際港神戸をイメージするとともに、市民の夢を乗せた「大きな船」であること、勝利に挑戦し続けるチームであることへの願いが込められているようだ。
昨年途中からチームを率いるようになった本拠地神戸出身の和田監督は自身が震災経験もあることから、どうしてもチーム結成の原点である17日からの練習開始にこだわり、震災から16年たった今日・17日から、上位で戦い続けることにより応援者を勇気づけようと始動しているはずだ。頑張ってほしい。
(画像は、ヴィッセル神戸のホームズスタジアム神戸[神戸市御崎公園球技場]。Wikipediaより)
参考:
*1:VICTORIOUS☆KOBE
http://plaza.rakuten.co.jp/vissel12/
ヴィッセル神戸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%88%B8
ヴィッセル神戸公式サイト
http://www.vissel-kobe.co.jp/
Jリーグ公式サイト:クラブガイド:ヴィッセル神戸
http://www.j-league.or.jp/club/kobe/
震災発 | 阪神・淡路大震災の資料データベースリンク集
http://kobe117.ciao.jp/link/data.html
asahi.com(朝日新聞社):響け「神戸讃歌」 J1神戸、震災復興と歩んだ16年(1/3ページ)
http://www.asahi.com/sports/update/0108/OSK201101080065.html
神戸市では、今日は各地で朝から震災の追悼式典が行われる。私も今朝は朝食の前に、仏壇の前で被災で亡くなった方々のご冥福をお祈りした。
当時の自社さ連立政権時代の頼りにならない村山富市内閣による政府の支援が遅々として進まない中、神戸市に本社を構えていたスーパーマーケット大手のダイエーや、セブン-イレブン・ジャパンなど民間企業が地震発生3時間以内に救援物資や食料などを他地域からヘリ空輸するなど、非常に早い対応を行った。
又、 Wikipediaによれば、皮肉なことに、これら支援活動の一番乗りの救世軍は、神戸に総本部を置く日本最大の暴力団組織・山口組や、阪神地域で強い影響力を有する宗教団体のPL教団・天理教・創価学会・金光教・2ヵ月後には地下鉄サリン事件を起こすオウム真理教といった組織・団体が、食料や飲用水の供給・便所・風呂・避難場所の提供などの積極的な支援を行っていたようであり、これらの団体の対応が、政府・警察・自衛隊よりも迅速であったため、海外メディアからは「日本では、大地震が起きると、政府や警察よりも先に、マフィアやカルト宗教が手を差し伸べてくれる」と、皮肉られていたようだ。
もし、現在、同じように頼りにならないことでは村山首相に引けを取らない民主党の管直人政権だったらどうだっただろう。全く決断力・実行力もなく人気が低迷している管政権のことだから、これから先の財政赤字など考えもせず、ただただこの時とばかり人気取りのために、神戸市民のために支援金をばらまいてくれたかも知れないな~…。神戸市民にとって、管ほどのずるさもなく、ただただお人よしだけが取り柄の村山内閣であったことが、政府からの支援もほとんど得られず不幸であったと言えるかも知れない・・・と、私などは思っている。
これら暴力団や宗団体の他、渡哲也・渡瀬恒彦兄弟(現・淡路市出身)や、河島英五(大阪市出身)・嘉門達夫(大阪府茨木市出身)・ジャイアント馬場(元子夫人の実家が明石市)と言った関西にゆかりがある芸能人・タレント・文化人が現地入りし、炊き出しや支援を個人単位で行ってくれていた他、地震直後に現地において、被災者支援のボランティア活動に参加してくれていた人の数は1日平均2万人超、3ヶ月間で延べ117万人とも言われ、この年は、ボランティア元年とも呼ばれているが、神戸市民は、これらのボランティアの人たちには本当に感謝をしている。
これらボランティア活動とともに神戸の被災市民を勇気づけたものに地元のスポーツ団体があった。当時40年以上も本拠地としていた西宮球場から神戸市須磨区緑台のグリーンスタジアム神戸に本拠地を移していたプロ野球・オリックスブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)は、震災のあった前年・1994年から仰木彬が監督に就任。仰木の下でレギュラーとして起用されたイチローが初の規定打席到達にして日本新記録の年間210安打を樹立。チームの最終順位は2位に終わったが、イチローフィーバーに後押しされたチームは優勝争いにも加わり、観客動員も球団記録を大幅に更新していた。このような、震災の影響を受けた中で頑張ってきたのはプロ野球のオリックスブルーウェーブだけでなく、JFLのヴィッセル神戸がある。
ジャパンフットボールリーグ(JFL)の川崎製鉄(現・JFEスチール)を母体とし、本社を神戸に置くスーパーマーケットのダイエーがメインスポンサーとなり、Jリーグ入りを目指して1995年1月1日、正式にヴィッセル神戸として結成されたが、不運なことに、初練習を予定していた1月17日に阪神・淡路大震災に遭遇したことから、選手らは母体となった川崎製鉄サッカー部の本拠地であった岡山県倉敷市での練習開始を余儀なくされ同グラウンドで2月6日に初練習を行うが、神戸では練習場の確保もままならならず、練習場を転々とせざるを得なかったが、やっと、神戸市西区 室谷の市営公園(いぶきの森公園) 内に練習場「いぶきの森球技場(旧)」が完成したのは7月のことだった。チームのメーンスポンサーのダイエーも震災の影響で撤退後、市民チームとなるが、メインとなるスポンサーも現れず存続が危ぶまれたが、街や人の復興とチームの成長を応援するサポーターの熱い思いに応えて1997年にJリーグ昇格を果たした。しかし、その後の成績は下位に低迷し、観客数も伸びず業績が悪化していた。
現在のヴィッセル神戸のオーナー企業は、ネットショッピングをはじめとしたインターネット総合サービスを提供している楽天の創業者である三木谷浩史がオーナーであるクリムゾングループである。
ヴィッセル神戸に関しては、あくまでも楽天グループの三木谷が個人的に「神戸に貢献したい」という意向を示していたことから、2004年、三木谷家の個人資産管理会社であるクリムゾン社がが買収し、再建にかかわっているものであり、楽天はあくまでもユニフォームスポンサーなどにとどまっている点で、楽天の100%子会社であるプロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルスとは異なっている。
私は、サッカー発祥の地と言われている神戸(以下参考に記載の*1:「VICTORIOUS☆KOBE」のヴィッセル神戸、設立の経緯・1参照)にふさわしい強力なチームが誕生するのではないかと期待していたのだが、チーム設立当初からその選手層の薄さなどもあり、いつも最下位を低迷していることを非常に残念であったし、そのようなことから、特にサッカーファンでもない私は正直、同チームには余り大きな関心を寄せていたわけではないのだが、震災の日にチームが生まれたことを祈念するため、ホームスタジアムでの試合では、ヴィッセルを熱心に応援しているサポーター達が、試合前に歌い続けていたという『神戸讃歌』という応援歌を聴くとやはり同じ神戸市民として胸が熱くなる。
♪俺たちのこの街に
お前が生まれたあの日
どんなことがあっても
忘れはしない
共に傷つき
共に立ち上がり
これからもずっと歩んでいこう
美しき港町
俺たちは守りたい
命あるかぎり
神戸を愛したい
この歌は、フランスのシャンソン歌手・エディット・ピアフの名曲というよりも、日本では岩谷時子の訳詞により越路吹雪が歌って有名である「愛の賛歌」のメロディーにオリジナルの歌詞をつけたものであるが、その歌は以下のYouTubeで聴ける。
YouTube - 神戸讃歌
http://www.youtube.com/watch?v=U85j9GCjN7s&feature=related
この応援歌の詩は、2005年、古参サポーターのアイデアで生まれたもので、応援のリーダー役を務める男性サポーターは、「神戸にかかわる人たちが一番思いを共有できる歌」だと話しているそうだ(1月8日朝日新聞)。
昨・2010(平成22)年も、16位で迎えた最終節の浦和レッズ戦に勝利し、15位だったFC東京が敗戦したことにより勝ち点でFC東京を上回り、最終順位15位となりなんとか2年連続でJ1残留を果たしている。
ヴィッセル神戸のチーム名の由来である「 VISSEL」は英語のVICTORY(勝利)とVESSEL(船)から生まれた造語だそうで、「勝利の船」「勝利の船出」を意味し、国際港神戸をイメージするとともに、市民の夢を乗せた「大きな船」であること、勝利に挑戦し続けるチームであることへの願いが込められているようだ。
昨年途中からチームを率いるようになった本拠地神戸出身の和田監督は自身が震災経験もあることから、どうしてもチーム結成の原点である17日からの練習開始にこだわり、震災から16年たった今日・17日から、上位で戦い続けることにより応援者を勇気づけようと始動しているはずだ。頑張ってほしい。
(画像は、ヴィッセル神戸のホームズスタジアム神戸[神戸市御崎公園球技場]。Wikipediaより)
参考:
*1:VICTORIOUS☆KOBE
http://plaza.rakuten.co.jp/vissel12/
ヴィッセル神戸 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%88%B8
ヴィッセル神戸公式サイト
http://www.vissel-kobe.co.jp/
Jリーグ公式サイト:クラブガイド:ヴィッセル神戸
http://www.j-league.or.jp/club/kobe/
震災発 | 阪神・淡路大震災の資料データベースリンク集
http://kobe117.ciao.jp/link/data.html
asahi.com(朝日新聞社):響け「神戸讃歌」 J1神戸、震災復興と歩んだ16年(1/3ページ)
http://www.asahi.com/sports/update/0108/OSK201101080065.html