今日(3月30日)は、「薬師寺花会式」(修二会)
薬師寺花会式(はなえしき)とは別名、修二会(しゅにえ)とも呼ばれる薬師寺で最大の行事でである。
修二会は、仏教寺院で行われる法要のひとつで、国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事。旧暦の2月に行われることからこの名がある。迎春行事のひとつであって、旧暦1月行われる場合は修正会(しゅしょうえ)という。奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で全国的に知られている。
東大寺の修二会は、かつては旧暦2月に行われていたが、今日では3月1日から3月14日までの本行とそれに関連して行われる儀式の総体を修二会といい、このうち3月12日深夜(正確には13日午前1時半ごろ)行われる本尊の十一面観音に献ずる水を汲む儀式を「お水取り」といい、東大寺の修二会の通称ともなっている。
これに対して、通称「花会式(はなえしき)」、例年、3月30日から4月5日にかけて行われる。薬師寺の修二会は、「花会式」と称されるように、大量の造花や献花が奉納されている。
最終日の4月5日の夜には結願(けちがん)法要として、「鬼追い式」が行われている。この法要は奈良時代から続いてきたもので、現在の形態となっての法要は1107(嘉承2)年に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したとされており、皇后はその翌年に女官に命じて10種類の造花を作らせて、薬師如来に供えたのが、今の「花会式」と呼ばれる法会の始まりとされているそうだ。(薬師寺HPより)
他に法隆寺西円堂のものが有名。
最終日、4月5日に金堂の前で行われる「鬼追式」は、薬師如来の力を受けた毘沙門天が暴れまわる5匹の鬼を鎮めるという行事であり、この鬼の暴れぶりが花会式の行事を大いに盛り上げている。
毎年2月3日の節分には豆を撒いて鬼を追う行事が行われているが、もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われているこの「追儺」(ついな)から生まれたものである。
節分は、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指し、季節の移り変わるときと言う意味があり、もともとは、1年に4回ある節分が現在では立春の前日だけを節分というようになっている。そしてこの季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための儀式が「鬼追式」なのである。この追儺の式を「おにやらい」(【鬼遣】)ともいうが、詳しくは以下参考に記載の「節分祭」を見るとよい。その当時日本で行われていた豆まきの行事と結びつき現在の節分の行事となっている。
豆は古い時代には主食の一つで、霊的な力を持っていると信じられていた。豆撒きには鬼に豆(大豆)をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。また、豆撒きは豆に身のケガレを託すならわしでもある。撒いた豆を普通、自分の年より一つ余計に食べるのだが、今でも所によっては食べたのと同数の豆を紙に包んで居宅の付近の「辻」橋のもとに置き後を振り返らずに帰る風習がある。振り返るのを禁じるのは、豆に託したケガレが再びわが身に取り付くのを避けるためであるが辻や端の下に置くことに意味がある。ここでは詳しく触れないが辻や橋には境界の意味がある。このような、節分の行事は、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合したものとも言われている。
行事や芸能の世界で現れる鬼は格別の場合にはその本体を隠し、異界のものたることを示す表徴だとする概念が通年としてあったが、中世の時代の特産とも言うべき能の鬼には、誠に厳しいものがあり、「心に棲む鬼」の形相を見せ付けて余すところがない。嫉妬・憎悪・煩悩・妄想といった言葉の数々で言い表される人間の性が凝縮され、救済されることなく彼岸と彼岸との狭間を彷徨い(さまよい)漂う霊魂が姿を現して苦悩を語り舞い、そして念仏の呪能に包まれつつ、菩薩の境地へ成仏してゆく。真実恐るべき鬼は、人の心にこそ執拗に生きているのだと、ひたすら観る者すべてにそう感得させようとするかのように・・・。異界の鬼より、このような鬼の方が余程恐い。
今の日本には心の中に鬼の棲んでいる人が多くなったのではないか?。人の心をなくし、人と人との絆も切れ、彷徨い歩いている物の怪(鬼)達。ひょっとして、あなたもそんなことにはなっていないですか・・・。異界の鬼を祓うことよりも、どこかにお参りでもして、自分の心に巣食う鬼を払った方が・・・。(-。-) ボソッ
(画像は、「勢ぞろいした鬼たち」京都祇園・八坂神社の節分行事。赤毛の方の面は能では癋見(べしみ)面、狂言では武悪(ぶあく)面に通じる画像は週間朝日百科「日本歴史」より)
参考:
薬師寺ホームページ
http://www.nara-yakushiji.com/index.html
薬師寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA
東大寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA
十一面観音 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3
毘沙門天 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9
鬼 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC
[PDF] 節分祭
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/aicon-m/ttoday/h190117setubunHP.pdf
薬膳教室
http://www.foodvalley.jp/yakuzen/yz06.html
薬師寺花会式(はなえしき)とは別名、修二会(しゅにえ)とも呼ばれる薬師寺で最大の行事でである。
修二会は、仏教寺院で行われる法要のひとつで、国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事。旧暦の2月に行われることからこの名がある。迎春行事のひとつであって、旧暦1月行われる場合は修正会(しゅしょうえ)という。奈良地方の古寺で行われるものが著名で、特に東大寺二月堂の修二会は「お水取り」の通称で全国的に知られている。
東大寺の修二会は、かつては旧暦2月に行われていたが、今日では3月1日から3月14日までの本行とそれに関連して行われる儀式の総体を修二会といい、このうち3月12日深夜(正確には13日午前1時半ごろ)行われる本尊の十一面観音に献ずる水を汲む儀式を「お水取り」といい、東大寺の修二会の通称ともなっている。
これに対して、通称「花会式(はなえしき)」、例年、3月30日から4月5日にかけて行われる。薬師寺の修二会は、「花会式」と称されるように、大量の造花や献花が奉納されている。
最終日の4月5日の夜には結願(けちがん)法要として、「鬼追い式」が行われている。この法要は奈良時代から続いてきたもので、現在の形態となっての法要は1107(嘉承2)年に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に祈られ、その霊験を得て病気が回復したとされており、皇后はその翌年に女官に命じて10種類の造花を作らせて、薬師如来に供えたのが、今の「花会式」と呼ばれる法会の始まりとされているそうだ。(薬師寺HPより)
他に法隆寺西円堂のものが有名。
最終日、4月5日に金堂の前で行われる「鬼追式」は、薬師如来の力を受けた毘沙門天が暴れまわる5匹の鬼を鎮めるという行事であり、この鬼の暴れぶりが花会式の行事を大いに盛り上げている。
毎年2月3日の節分には豆を撒いて鬼を追う行事が行われているが、もともと、この節分の鬼を払う悪霊ばらい行事は平安時代頃から行われているこの「追儺」(ついな)から生まれたものである。
節分は、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指し、季節の移り変わるときと言う意味があり、もともとは、1年に4回ある節分が現在では立春の前日だけを節分というようになっている。そしてこの季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための儀式が「鬼追式」なのである。この追儺の式を「おにやらい」(【鬼遣】)ともいうが、詳しくは以下参考に記載の「節分祭」を見るとよい。その当時日本で行われていた豆まきの行事と結びつき現在の節分の行事となっている。
豆は古い時代には主食の一つで、霊的な力を持っていると信じられていた。豆撒きには鬼に豆(大豆)をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがある。また、豆撒きは豆に身のケガレを託すならわしでもある。撒いた豆を普通、自分の年より一つ余計に食べるのだが、今でも所によっては食べたのと同数の豆を紙に包んで居宅の付近の「辻」橋のもとに置き後を振り返らずに帰る風習がある。振り返るのを禁じるのは、豆に託したケガレが再びわが身に取り付くのを避けるためであるが辻や端の下に置くことに意味がある。ここでは詳しく触れないが辻や橋には境界の意味がある。このような、節分の行事は、中国から渡来して宮中で行われていた悪鬼・厄神払いの行事と、寺社が邪気払いに行った豆打ちの儀式が融合したものとも言われている。
行事や芸能の世界で現れる鬼は格別の場合にはその本体を隠し、異界のものたることを示す表徴だとする概念が通年としてあったが、中世の時代の特産とも言うべき能の鬼には、誠に厳しいものがあり、「心に棲む鬼」の形相を見せ付けて余すところがない。嫉妬・憎悪・煩悩・妄想といった言葉の数々で言い表される人間の性が凝縮され、救済されることなく彼岸と彼岸との狭間を彷徨い(さまよい)漂う霊魂が姿を現して苦悩を語り舞い、そして念仏の呪能に包まれつつ、菩薩の境地へ成仏してゆく。真実恐るべき鬼は、人の心にこそ執拗に生きているのだと、ひたすら観る者すべてにそう感得させようとするかのように・・・。異界の鬼より、このような鬼の方が余程恐い。
今の日本には心の中に鬼の棲んでいる人が多くなったのではないか?。人の心をなくし、人と人との絆も切れ、彷徨い歩いている物の怪(鬼)達。ひょっとして、あなたもそんなことにはなっていないですか・・・。異界の鬼を祓うことよりも、どこかにお参りでもして、自分の心に巣食う鬼を払った方が・・・。(-。-) ボソッ
(画像は、「勢ぞろいした鬼たち」京都祇園・八坂神社の節分行事。赤毛の方の面は能では癋見(べしみ)面、狂言では武悪(ぶあく)面に通じる画像は週間朝日百科「日本歴史」より)
参考:
薬師寺ホームページ
http://www.nara-yakushiji.com/index.html
薬師寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E5%B8%AB%E5%AF%BA
東大寺 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA
十一面観音 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E4%B8%80%E9%9D%A2%E8%A6%B3%E9%9F%B3
毘沙門天 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E6%B2%99%E9%96%80%E5%A4%A9
鬼 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC
[PDF] 節分祭
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/aicon-m/ttoday/h190117setubunHP.pdf
薬膳教室
http://www.foodvalley.jp/yakuzen/yz06.html
>どこかにお参りでもして、自分の心に巣食う鬼を払った方が・・
アハハ、耳が痛いです。