日本記念日協会の今日(3月25日)の記念日を見ると、「ドラマチック・デー」があった。
由来を見ると、1956 (昭和31)年の今日(3月25日)”後楽園球場の巨人-中日戦で、巨人・樋笠一夫選手が9回裏の攻撃で中日・杉下茂投手から史上初の代打逆転満塁サヨナラホームランを放ったことに由来するするらしい。どんな修飾語もつけようがないほどドラマチックなバッティングだった。 ”ことからだそうだ。
巨人の樋笠一夫選手・・・正直私は、この当時まだ高校生だったが、野球では、高校野球は地元に強い高校、滝川学園や育英高校、報徳学園などがあったのでシーズンになると高校野球には関心を持っていたが、この当時は、それ程の巨人ファンでもプロ野球ファンでもなかったので、この選手のこともこの試合のこともよく覚えていない。
Wikipediaによると、樋笠一夫(1920年3月20日 - 2007年6月17日)は、香川県丸亀市出身で、旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)卒業後、戦時中のことでもあり、職業軍人の道を歩むが、戦後、ノンプロの広島鉄道局から、1949(昭和24)年 に原爆投下による壊滅的被害からの復興を目指し設立された、プロ球団「広島カープ」に、翌・1950(昭和25)年に入団。新人ながらレギュラーとして活躍し、打率こそ2割1分9厘に終わったものの、本塁打は白石勝巳を1本上回る21本、72打点でチーム二冠王となっという。
それが、何故かは知らないが、1年で広島を退団し、地元で友人と醤油製造に従事していたそうだが、読売ジャイアンツから熱心な勧誘を受け1951(昭和26)年6月に入団したそうだ。
当時の巨人外野陣には青田昇・与那嶺要・南村侑広・岩本尭らがおり、控えに回ることが多く、やがて代打の切り札として存在感を高めていったという。
1956 (昭和31)年の今日・史上初の代打逆転満塁サヨナラホームランを放った翌・1957(昭和32)年に現役を引退したらしい。この瞬間は本人にとっても、生涯最も輝いた一瞬だったろう。
1956 (昭和31)年3月25日の劇的な試合のことについては、以下参考に記載の※:「雑記録・Data021 樋笠の代打逆転満塁サヨナラ本塁打」が詳しく書いているので見られると良い。ここでは、この試合での本塁打を「「釣り銭なし代打逆転満塁サヨナラ本塁打」と呼んでいる。”釣り銭なしとは、3点差をぴたり逆転したという意味で、同じ代打逆転満塁サヨナラ本塁打を打った藤村富美男(阪神・56年、0 ―1のとき)、広野功(巨人・71年、3 ―5 )、柳原隆弘(近鉄・84年、1―2)、藤田浩雅(阪急・88年、6―7)の4人は、ぴたりではない。”ことから、画期的なものだとしている。確かにドラマチックな出来事だと言えるだろう。やはり、野球でのホームランの魅力は大きいね~。
よく野球は、ドラマだ。9回までは序章に過ぎない、9回の幕が下りたときどのような結末が待っているか。最後の最後に、1発のホームラン、いや、1発のヒットでも、はたまた、エラーなどが、劇的な結末を作り出す・・・。だから、新しいスポーツが次々と現れても根強い人気があるのだろう。
特に、私は、高校野球はただの野球ではなく、ドラマ・・・それも感動のドラマ!だと思っている。高校野球は、負ければ終わりのトーナメント・ゲーム。1915(大正4)年に第1回大会が開かれて94年、73校だった参加校は「2009年 夏の甲子園」(第91回全国高等学校野球選手権大会)の場合4,041校にもなっている。 甲子園へ出場するためにはその前に地方大会を勝ち抜いてこなければならないが、私のいる兵庫県の場合兵庫予選への参加校は164校もある。その中を勝ち抜いてきて、やっと、本番の甲子園での全国大会に出場が出来る。
高校野球は、チームとチームの戦いと言うよりも、県対抗の要素が強く、県選出の代表校には出場校からの応援だけではなく出場県の県民の期待がぐっと背にかかってくる。勝ち進めば勝ち進むほどに期待は大きくなり、選手へのプレッシャーも重くなるだろう。各チームともに投手など、プロ野球のように交代要員が十分に居ないため、試合数が進むにつれ、疲労困憊、技術もさることながらただただ精神力の戦いとなり、終盤はまさに修羅場とも化す。甲子園まで勝ち進む投手は"投球過多"となりがちであることから、1993(平成5)年から投手の肩・ひじ診断が実施されるようになった。その波瀾に富んだ試合の幕切れは劇的である。冒頭掲載の画像は、1933(昭和8)年8月19日に行われた第19回全国中等学校優勝野球大会(今の高校野球)準決勝で、中京商業と明石中学が延長25回に及ぶ熱戦を繰り広げ、延長25回裏、中京商業が無死満塁から大野木が2塁ゴロ、本塁への返球がやや高く3塁走者が生還、1-0で、サヨナラ勝ちした場面である。中京・吉田投手は336球、明石・中田投手は247球を投げた。今も球史に残るドラマチックなゲームであった。勝った中京は翌日の決勝戦で平安中学を2-1で破って優勝している。(画像は、アサヒクロニクル「週間20世紀」より)。
これは、4年に1回開催されるオリンピック大会などでも同じと・・・言うよりも、桁違いに大変なことだろう。一部の競技を除き殆どの競技は毎年行なわれる世界選手権大会などと違って、4年に1度開催されるオリンピック大会は、各選手が鍛えた技を競うために参加する事に意義のある競技会と言うよりも、国家の名誉と威信を賭けた国対国の競技会といったようなものになっている。今や、オリンピックへ出場するような選手には、相当な強化費用を国が支援したり、オリンピックの成果に応じてそれ相応の報酬や年金、その他経済面での待遇をしている国が多くなってきているようだ。要するに、国の名誉と威信の為に国を挙げて選手の強化をしているのである。しかし、日本の国では、スポーツはスポーツとしての理想論のもと、これら出場選手にたいして、強化費用などへのろくな支援もしておらず、選手たちは家族や個人的な支援者の協力に頼らざるを得ない環境の中で、中にはアルバイトをしながら生活面で相当な負担を負いながら、メダルを目指して4年間その日の為に切磋琢磨している。そのような中でも、出場する選手には、メダルへの過大な期待が寄せられる。
物凄いプレッシャーの中で、大会で行なわれるたった1度の競技で、4年間の努力と苦労が報われるか否か・・・? 大会本番になれば、もう、偶然はない。4年間この日のために練習してきた成果を出し切るのみ、正に、技術力以上に精神力と精神力の戦いが繰り広げられる。そこに起きる悲喜劇は・・・。正にドラマチック(劇的。波瀾に富んだ)な舞台(競技)が、見ているものの感動を呼ぶ。
今年2月に「バンクーバーオリンピック」がカナダで開催された。この大会でのフィギュアスケートの女子シングルスでは、韓国の金 姸兒(キム・ヨナ)と日本の浅田 真央は、年令も同じ19歳、実力も伯仲した良きライバル。しかし、両名ともに国民からは、ただのメダルではなく金メダルの獲得を期待された者同士の対決となるだけに、他の選手以上にプレッシャーを受けただろう。ショートプログラム(SP)では、日本の浅田が五輪のSPで史上初となるトリプルアクセル(3回点半)ジャンプを成功させ、何のミスもなく演技を終了し、今期自己最高の73、78点を獲得。これで、SPは浅田がトップだろうと思っていると、浅田の直後に滑った、金がトリプルアクセルはやらなかったが、3回転トーループの2連続ジャンプなどを完璧に決め、自身がもつ世界歴代最高を更新する78,50点を出し首位に立った。浅田も金もミスはなく。フリーを得意とする浅田は、今までもSPでは差をつけていた金の完璧な演技に4,72の点差をつけられてはいたものの、これくらいの差はフリーが得意の浅田にとって、逆転の可能性は大であった。フリーの演技に期待が高まったが、フリーの滑走順は、SPとは逆で、先に金が滑り、その直後に浅田が演技した。
フリーの演技でも金は、SP同様失敗の確率の高いトリプルアクセルは避け、表現力に重点を置きミスのない完璧な演技を終了した。得点は金本人も驚く、フリーの自己ベスト133,95点をはるかに上回る150,06 点を獲得。その直後に浅田が演技。「鐘」の重厚な調べにあわせ、最初のトリプルアクセルは綺麗に成功、続いて跳んだアクセルは2回転ジャンプを後ろにつける連続ジャンプ、これも見事に決めた。この2つのジャンプを決めれば後は要素をこなして行けば順調に最後まで行けると誰しも思った。
だが、その後の3回転ー2回転―2回転の3連続ジャンプの1つ目のジャンプが回転不足と判定。リンクの中央で跳ぶはずだった3回転ローループは跳ぶ直前にエッジ(刃)が乱れ中途半端な1回転ジャンプになってしまった。その後の演技は無難にこなしたが、結局金の得点を上回れず、2位となってしまった。3回転トーループは普通だったらなんなく跳べたはずのものが、後半になって足に疲れが出てきて飛べなかったと後で述べている。豊富な練習をこなしてきた彼女が疲れを感じるのは極めて珍しいことだが、本人も後半になって緊張が出てきたようで・・悔しい・・・と涙を流した。
フィギュアスケートで、芸術性を訴える上においては、演技のための選曲が重要だという。金選手は、曲に乗ってミュージカル的な動きの出来る軽快で踊りやすい曲を選んだのに対して、浅田が選んだのは、ロシアの作曲家・セルゲイ・ラフマニノフの前奏曲「鐘」であった。東京交響楽団の正指揮者である飯森範親さんはこの曲を「全体が響き」を主にした重厚な音楽で、「こうした音楽に動きを付けて踊るのは、表現力がよほどないと対応できない。浅田選手の内面性がアピールできる曲だと思う」と述べていたよう(2月26日朝日新聞)だが、関係の中には、曲が暗過ぎること、五輪開催地の北米ではあまり理解されないと危惧する人達も多くいたようだ。不振だった1昨年のフランス杯(2位)と昨年のロシア杯(5位)を終え、浅田の名コーチであるタチアナ・タラソワも、昨季から温めていたもう1つの候補曲・フランツ・リスト作曲の「愛の夢」に変えようかと迷ったらしい。この曲は、優しい曲であるが、生まれつきの負けず嫌い浅田は、どうしても「鐘」のままいきたとやる気に火が付いたという。浅田は昨年12月の全日本選手権まではジャンプが跳べスランプに陥っていた。そんな、浅田は、バンクーバーの舞台で、オリンピックでは誰も跳んでいないトリプルアクセル(3回点半)を決め、あえて、難しいといわれる「鐘」で演技し、栄光の「鐘」を鳴らしたかったのであろう。
浅田自身も個々の細かい技術力では金が、勝っていることを認めており、試合後の表彰台ではライバルの金を讃え、抱き合う姿(冒頭右画像。2月27日朝日新聞より)が美しい。
バンクーバー・オリンピックでは、金が敢えて高難度のジャンプのリスクををさけて、無難に演技全体の完成度を高めて点数を稼いだのに対して、女子ではオリンピック史上初となるトリプルアクセルジャンプに、挑戦しSP、フリーで3度も成功させた浅田の快挙は、今後も歴史に残ることだろう。また、フリーでは、軽快で踊り安い曲を選ばず、敢えて踊るのには難しい曲を選び芸術性の高い演技で挑戦した根性も立派なものであり、勝負には負けたといってもこれは大いに評価した。まだ、19歳と若く次のオリンピックに期待したいところだ。
しかし、今年のフィギュアアスケートの採点を見ていて気に成る事がある。男子フィギュアでもそうであったが、敢えて難しいジャンプを跳んで勝負するよりも、無難なジャンプで演技力で勝負したエバン・ライサチェック(米)が高得点を得て、金を獲得しているが、4回転ジャンプを軸にした演技で金を狙ったエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)もこれが余り評価されず2位(銀メダル)となったが、彼が、「4回転を跳ばないのは男子フィギュアーじゃない。」といっているように、このような採点基準は、今後のフィギュアスケートの演技に随分と影響を及ぼすことになるかもしれない。フィギュアーがスポーツであるにもかかわらず、今回のように、難易度の高い演技への挑戦が余り評価をされないようであれば、どの選手も、難易度の高いジャンプへの挑戦を控え、無難なジャンプの完成度を高めることに取り組むようになり、フィギュアスケートが、スポーツとしてよりも、氷上での演技力を競うショー的なものになってしまわないかと心配されるのだが・・・。国際スケート連盟(ISU)も技術力と演技力の採点基準の見直し等も考えていると聞くが、よく検討して欲しいものだ。
兎に角、冬のオリンピックの花とも言えるフィギュアで、日本勢は男子3名、女子3名、全員が入賞するといった快挙を成し遂げた。本当に素晴らしい競技を見せてくれた彼・彼女等にに感謝したい。
(冒頭の画像左は、1933(昭和8)年8月19日に行われた第19回全国中等学校優勝野球大会の延長25回裏、中京商業勝利の瞬間。アサヒクロニクル「週間20世紀」より。右は、バンクーバーオリンピック、フィギュアの表彰台でライバルの金と抱き合う姿浅田。2月27日朝日新聞より)
参考:
雑記録・Data021 樋笠の代打逆転満塁サヨナラ本塁打
http://www.yomiuri.co.jp/adv/giants_server/thats/data021.htm
激闘の記録と栄光の記録
http://www.fanxfan.jp/bb/
高校野球-info - 高校野球情報サイト
http://kousien.info/
樋笠一夫-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E7%AC%A0%E4%B8%80%E5%A4%AB
冬季オリンピック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
鐘 (ラフマニノフ)-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98_(%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95)
フランツ・リスト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
由来を見ると、1956 (昭和31)年の今日(3月25日)”後楽園球場の巨人-中日戦で、巨人・樋笠一夫選手が9回裏の攻撃で中日・杉下茂投手から史上初の代打逆転満塁サヨナラホームランを放ったことに由来するするらしい。どんな修飾語もつけようがないほどドラマチックなバッティングだった。 ”ことからだそうだ。
巨人の樋笠一夫選手・・・正直私は、この当時まだ高校生だったが、野球では、高校野球は地元に強い高校、滝川学園や育英高校、報徳学園などがあったのでシーズンになると高校野球には関心を持っていたが、この当時は、それ程の巨人ファンでもプロ野球ファンでもなかったので、この選手のこともこの試合のこともよく覚えていない。
Wikipediaによると、樋笠一夫(1920年3月20日 - 2007年6月17日)は、香川県丸亀市出身で、旧制高松中学(現・香川県立高松高等学校)卒業後、戦時中のことでもあり、職業軍人の道を歩むが、戦後、ノンプロの広島鉄道局から、1949(昭和24)年 に原爆投下による壊滅的被害からの復興を目指し設立された、プロ球団「広島カープ」に、翌・1950(昭和25)年に入団。新人ながらレギュラーとして活躍し、打率こそ2割1分9厘に終わったものの、本塁打は白石勝巳を1本上回る21本、72打点でチーム二冠王となっという。
それが、何故かは知らないが、1年で広島を退団し、地元で友人と醤油製造に従事していたそうだが、読売ジャイアンツから熱心な勧誘を受け1951(昭和26)年6月に入団したそうだ。
当時の巨人外野陣には青田昇・与那嶺要・南村侑広・岩本尭らがおり、控えに回ることが多く、やがて代打の切り札として存在感を高めていったという。
1956 (昭和31)年の今日・史上初の代打逆転満塁サヨナラホームランを放った翌・1957(昭和32)年に現役を引退したらしい。この瞬間は本人にとっても、生涯最も輝いた一瞬だったろう。
1956 (昭和31)年3月25日の劇的な試合のことについては、以下参考に記載の※:「雑記録・Data021 樋笠の代打逆転満塁サヨナラ本塁打」が詳しく書いているので見られると良い。ここでは、この試合での本塁打を「「釣り銭なし代打逆転満塁サヨナラ本塁打」と呼んでいる。”釣り銭なしとは、3点差をぴたり逆転したという意味で、同じ代打逆転満塁サヨナラ本塁打を打った藤村富美男(阪神・56年、0 ―1のとき)、広野功(巨人・71年、3 ―5 )、柳原隆弘(近鉄・84年、1―2)、藤田浩雅(阪急・88年、6―7)の4人は、ぴたりではない。”ことから、画期的なものだとしている。確かにドラマチックな出来事だと言えるだろう。やはり、野球でのホームランの魅力は大きいね~。
よく野球は、ドラマだ。9回までは序章に過ぎない、9回の幕が下りたときどのような結末が待っているか。最後の最後に、1発のホームラン、いや、1発のヒットでも、はたまた、エラーなどが、劇的な結末を作り出す・・・。だから、新しいスポーツが次々と現れても根強い人気があるのだろう。
特に、私は、高校野球はただの野球ではなく、ドラマ・・・それも感動のドラマ!だと思っている。高校野球は、負ければ終わりのトーナメント・ゲーム。1915(大正4)年に第1回大会が開かれて94年、73校だった参加校は「2009年 夏の甲子園」(第91回全国高等学校野球選手権大会)の場合4,041校にもなっている。 甲子園へ出場するためにはその前に地方大会を勝ち抜いてこなければならないが、私のいる兵庫県の場合兵庫予選への参加校は164校もある。その中を勝ち抜いてきて、やっと、本番の甲子園での全国大会に出場が出来る。
高校野球は、チームとチームの戦いと言うよりも、県対抗の要素が強く、県選出の代表校には出場校からの応援だけではなく出場県の県民の期待がぐっと背にかかってくる。勝ち進めば勝ち進むほどに期待は大きくなり、選手へのプレッシャーも重くなるだろう。各チームともに投手など、プロ野球のように交代要員が十分に居ないため、試合数が進むにつれ、疲労困憊、技術もさることながらただただ精神力の戦いとなり、終盤はまさに修羅場とも化す。甲子園まで勝ち進む投手は"投球過多"となりがちであることから、1993(平成5)年から投手の肩・ひじ診断が実施されるようになった。その波瀾に富んだ試合の幕切れは劇的である。冒頭掲載の画像は、1933(昭和8)年8月19日に行われた第19回全国中等学校優勝野球大会(今の高校野球)準決勝で、中京商業と明石中学が延長25回に及ぶ熱戦を繰り広げ、延長25回裏、中京商業が無死満塁から大野木が2塁ゴロ、本塁への返球がやや高く3塁走者が生還、1-0で、サヨナラ勝ちした場面である。中京・吉田投手は336球、明石・中田投手は247球を投げた。今も球史に残るドラマチックなゲームであった。勝った中京は翌日の決勝戦で平安中学を2-1で破って優勝している。(画像は、アサヒクロニクル「週間20世紀」より)。
これは、4年に1回開催されるオリンピック大会などでも同じと・・・言うよりも、桁違いに大変なことだろう。一部の競技を除き殆どの競技は毎年行なわれる世界選手権大会などと違って、4年に1度開催されるオリンピック大会は、各選手が鍛えた技を競うために参加する事に意義のある競技会と言うよりも、国家の名誉と威信を賭けた国対国の競技会といったようなものになっている。今や、オリンピックへ出場するような選手には、相当な強化費用を国が支援したり、オリンピックの成果に応じてそれ相応の報酬や年金、その他経済面での待遇をしている国が多くなってきているようだ。要するに、国の名誉と威信の為に国を挙げて選手の強化をしているのである。しかし、日本の国では、スポーツはスポーツとしての理想論のもと、これら出場選手にたいして、強化費用などへのろくな支援もしておらず、選手たちは家族や個人的な支援者の協力に頼らざるを得ない環境の中で、中にはアルバイトをしながら生活面で相当な負担を負いながら、メダルを目指して4年間その日の為に切磋琢磨している。そのような中でも、出場する選手には、メダルへの過大な期待が寄せられる。
物凄いプレッシャーの中で、大会で行なわれるたった1度の競技で、4年間の努力と苦労が報われるか否か・・・? 大会本番になれば、もう、偶然はない。4年間この日のために練習してきた成果を出し切るのみ、正に、技術力以上に精神力と精神力の戦いが繰り広げられる。そこに起きる悲喜劇は・・・。正にドラマチック(劇的。波瀾に富んだ)な舞台(競技)が、見ているものの感動を呼ぶ。
今年2月に「バンクーバーオリンピック」がカナダで開催された。この大会でのフィギュアスケートの女子シングルスでは、韓国の金 姸兒(キム・ヨナ)と日本の浅田 真央は、年令も同じ19歳、実力も伯仲した良きライバル。しかし、両名ともに国民からは、ただのメダルではなく金メダルの獲得を期待された者同士の対決となるだけに、他の選手以上にプレッシャーを受けただろう。ショートプログラム(SP)では、日本の浅田が五輪のSPで史上初となるトリプルアクセル(3回点半)ジャンプを成功させ、何のミスもなく演技を終了し、今期自己最高の73、78点を獲得。これで、SPは浅田がトップだろうと思っていると、浅田の直後に滑った、金がトリプルアクセルはやらなかったが、3回転トーループの2連続ジャンプなどを完璧に決め、自身がもつ世界歴代最高を更新する78,50点を出し首位に立った。浅田も金もミスはなく。フリーを得意とする浅田は、今までもSPでは差をつけていた金の完璧な演技に4,72の点差をつけられてはいたものの、これくらいの差はフリーが得意の浅田にとって、逆転の可能性は大であった。フリーの演技に期待が高まったが、フリーの滑走順は、SPとは逆で、先に金が滑り、その直後に浅田が演技した。
フリーの演技でも金は、SP同様失敗の確率の高いトリプルアクセルは避け、表現力に重点を置きミスのない完璧な演技を終了した。得点は金本人も驚く、フリーの自己ベスト133,95点をはるかに上回る150,06 点を獲得。その直後に浅田が演技。「鐘」の重厚な調べにあわせ、最初のトリプルアクセルは綺麗に成功、続いて跳んだアクセルは2回転ジャンプを後ろにつける連続ジャンプ、これも見事に決めた。この2つのジャンプを決めれば後は要素をこなして行けば順調に最後まで行けると誰しも思った。
だが、その後の3回転ー2回転―2回転の3連続ジャンプの1つ目のジャンプが回転不足と判定。リンクの中央で跳ぶはずだった3回転ローループは跳ぶ直前にエッジ(刃)が乱れ中途半端な1回転ジャンプになってしまった。その後の演技は無難にこなしたが、結局金の得点を上回れず、2位となってしまった。3回転トーループは普通だったらなんなく跳べたはずのものが、後半になって足に疲れが出てきて飛べなかったと後で述べている。豊富な練習をこなしてきた彼女が疲れを感じるのは極めて珍しいことだが、本人も後半になって緊張が出てきたようで・・悔しい・・・と涙を流した。
フィギュアスケートで、芸術性を訴える上においては、演技のための選曲が重要だという。金選手は、曲に乗ってミュージカル的な動きの出来る軽快で踊りやすい曲を選んだのに対して、浅田が選んだのは、ロシアの作曲家・セルゲイ・ラフマニノフの前奏曲「鐘」であった。東京交響楽団の正指揮者である飯森範親さんはこの曲を「全体が響き」を主にした重厚な音楽で、「こうした音楽に動きを付けて踊るのは、表現力がよほどないと対応できない。浅田選手の内面性がアピールできる曲だと思う」と述べていたよう(2月26日朝日新聞)だが、関係の中には、曲が暗過ぎること、五輪開催地の北米ではあまり理解されないと危惧する人達も多くいたようだ。不振だった1昨年のフランス杯(2位)と昨年のロシア杯(5位)を終え、浅田の名コーチであるタチアナ・タラソワも、昨季から温めていたもう1つの候補曲・フランツ・リスト作曲の「愛の夢」に変えようかと迷ったらしい。この曲は、優しい曲であるが、生まれつきの負けず嫌い浅田は、どうしても「鐘」のままいきたとやる気に火が付いたという。浅田は昨年12月の全日本選手権まではジャンプが跳べスランプに陥っていた。そんな、浅田は、バンクーバーの舞台で、オリンピックでは誰も跳んでいないトリプルアクセル(3回点半)を決め、あえて、難しいといわれる「鐘」で演技し、栄光の「鐘」を鳴らしたかったのであろう。
浅田自身も個々の細かい技術力では金が、勝っていることを認めており、試合後の表彰台ではライバルの金を讃え、抱き合う姿(冒頭右画像。2月27日朝日新聞より)が美しい。
バンクーバー・オリンピックでは、金が敢えて高難度のジャンプのリスクををさけて、無難に演技全体の完成度を高めて点数を稼いだのに対して、女子ではオリンピック史上初となるトリプルアクセルジャンプに、挑戦しSP、フリーで3度も成功させた浅田の快挙は、今後も歴史に残ることだろう。また、フリーでは、軽快で踊り安い曲を選ばず、敢えて踊るのには難しい曲を選び芸術性の高い演技で挑戦した根性も立派なものであり、勝負には負けたといってもこれは大いに評価した。まだ、19歳と若く次のオリンピックに期待したいところだ。
しかし、今年のフィギュアアスケートの採点を見ていて気に成る事がある。男子フィギュアでもそうであったが、敢えて難しいジャンプを跳んで勝負するよりも、無難なジャンプで演技力で勝負したエバン・ライサチェック(米)が高得点を得て、金を獲得しているが、4回転ジャンプを軸にした演技で金を狙ったエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)もこれが余り評価されず2位(銀メダル)となったが、彼が、「4回転を跳ばないのは男子フィギュアーじゃない。」といっているように、このような採点基準は、今後のフィギュアスケートの演技に随分と影響を及ぼすことになるかもしれない。フィギュアーがスポーツであるにもかかわらず、今回のように、難易度の高い演技への挑戦が余り評価をされないようであれば、どの選手も、難易度の高いジャンプへの挑戦を控え、無難なジャンプの完成度を高めることに取り組むようになり、フィギュアスケートが、スポーツとしてよりも、氷上での演技力を競うショー的なものになってしまわないかと心配されるのだが・・・。国際スケート連盟(ISU)も技術力と演技力の採点基準の見直し等も考えていると聞くが、よく検討して欲しいものだ。
兎に角、冬のオリンピックの花とも言えるフィギュアで、日本勢は男子3名、女子3名、全員が入賞するといった快挙を成し遂げた。本当に素晴らしい競技を見せてくれた彼・彼女等にに感謝したい。
(冒頭の画像左は、1933(昭和8)年8月19日に行われた第19回全国中等学校優勝野球大会の延長25回裏、中京商業勝利の瞬間。アサヒクロニクル「週間20世紀」より。右は、バンクーバーオリンピック、フィギュアの表彰台でライバルの金と抱き合う姿浅田。2月27日朝日新聞より)
参考:
雑記録・Data021 樋笠の代打逆転満塁サヨナラ本塁打
http://www.yomiuri.co.jp/adv/giants_server/thats/data021.htm
激闘の記録と栄光の記録
http://www.fanxfan.jp/bb/
高校野球-info - 高校野球情報サイト
http://kousien.info/
樋笠一夫-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E7%AC%A0%E4%B8%80%E5%A4%AB
冬季オリンピック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E5%AD%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
鐘 (ラフマニノフ)-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%90%98_(%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%8E%E3%83%95)
フランツ・リスト - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html