今日(3月10日)は、萬屋錦之介 (俳優) の1997(平成 9)年 の忌日。<64歳>
俳優・萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ)の本名は、小川錦一。1932(昭和 7)年11月20日東京生まれ。父は歌舞伎の三世中村時蔵。彼もまた歌舞伎俳優として中村錦之助の芸名で1936(昭和11)年、「厳島招檜扇」で初舞台を踏んでいる。以下のブログにその初舞台のことが詳しく書かれており、当時の写真も見れる。
昭和11年 萬屋錦之介初舞台- 心にうつりゆくよしなし日記 -
http://blogs.yahoo.co.jp/c_taixian/44723830.html
錦之助は、可憐な女形を務めていたが兄2人の下で端役に回ることが多く歌舞伎に失望し、当時人気絶頂であった美空ひばりから相手役にと誘われ、父の猛反対を振り切って好きな映画の世界へ転身し、1954(昭和29)年美空ひばり主演の「ひよどり草紙」( goo 映画参照)で映画デビューを果たした。人気が高まるのは、新東宝( 「花吹雪御存じ七人男」(>goo 映画参照)に出演を経て東映に移籍し、中篇娯楽時代劇『笛吹童子』に出演してからのことである。
♪ヒャラリヒャラリコ ヒャリコヒャラレロ
誰が吹くのか ふしぎな笛だ
という福田蘭童作曲の「笛吹童子」のメロディーと共に、全国の子供たちの人気をさらった北村寿夫のNHK連続ドラマ「新諸国物語」の『笛吹童子』が東映で週がわりの3部作として映画化され、公開されたのは、1954(昭和29)年の4月末ゴールデンウイークに入る直前のことだった。そう、チャンバラ好きの私がまだ中学生の頃である。
戦国時代、城を則られ、非業の死を遂げた父親の復讐を果たすため、萩丸・菊丸の兄弟が波乱に、満ちた運命をたどる奇想天外な時代劇である。主演の東千代之介(萩丸)と中村錦之助(菊丸)の2人はたちまち子供たちのアイドルとなった。この笛吹き同時は、次作の『紅孔雀』とともに、中篇シリーズとして2本立て興業の添え物だったが、その大ヒットでその後の東映時代劇黄金時代を築く出発点ともなった作品である。
以下参考に記載の「【なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡】で、福田蘭童作曲の「笛吹童子」「まだ見ぬ国(「紅孔雀」主題歌)」のMIDIが聞ける。歌詞も付いているよ)
又『笛吹童子』はなかったが以下では、テレビ『紅孔雀』のタイトル部分が見れる。ここではなつかしい主題歌も聞けるよ。
「YouTube - 新諸国物語 紅孔雀-OP」
http://jp.youtube.com/watch?v=rN46ZjiJrq0
以来錦之助は、大川橋蔵や東千代之介らと共に東映時代劇映画の看板スターとなり、日本映画界の全盛期を支えた大スターの一員となった。凛々しい前髪姿の青年美剣士から二枚目的な 一心太助から『瞼の母』、『関の弥太っぺ』などの股旅物(各地を渡り歩く博徒・侠客を主人公とした時代劇、「千利休 本覺坊遺文」や「日蓮」などの文学物から『宮本武蔵』や『徳川家康』などの歴史物等さまざまなジャンルの時代劇作品に出演した。多い時は年間22本の出演記録を持ち、154日間連続で彼の作品が上映されたこともあったという(朝日「グラフ別冊日本映画100年」)。
しかし、昭和30年代後半、テレビに人気を奪われ、映画産業が徐々に斜陽化の様相を呈するようになった頃から、東映は時代劇から任侠路線(ヤクザ映画参照)への転換を計るが、正統時代劇に固執する錦之助は東映との間に出演作品の企画をめぐって意見が対立するようになる。そのような東映に対する抵抗が功を奏してか、1963(昭和38)年には今井正監督『武士道残酷物語』(goo-映画参照)や加藤泰監督「真田風雲録」、山下耕作監督「関の彌太ッペ」、今井監督「仇討」など彼の演技欲を満足させるような企画が相次ぎ、「武士道残酷物語」ではブルーリボン主演男優賞を受賞しているが、1966(昭和41)年には東映内部の労働争議に巻き込まれたこともあって東映を退社。1968(昭和43)年に「中村プロダクション」を設立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得た。
実はこの東映内部の労働争議が起こった頃、錦之介の奮闘努力により、つくられた貴重な自主映画が1本ある。それは、1968(昭和43)年、日本映画復興協会(代表:中村錦之助)の名の下につくられた「祇園祭」( goo 映画参照)である。この映画は西口克巳の小説『祇園祭』(中央公論社,1961年)を映画化したものであるという。私は、映画は見ていないのだが、小説の方は読んだ記憶がある。当時私は大阪で商社に勤めていたが、その本社ビルの1階に本屋さんがあった。店頭で販売よりも、周りの会社関係からの注文が多かったようであるが、御主人はなかなかのインテリである。本が好きな私は良くその店で本を買っていたが、ご主人から、どうせ読むなら良い本を読んだほうが良いといって、ご主人がこれは良いという本をいつも紹介してくれていた。その中にこの本があった。 詳しいことは忘れたが、毎年夏になると華麗、豪壮に繰り広げられる京都の祇園祭の本源は、大都市住民が恐ろしい疫病罹災から免れるために催した祇園御霊会である。現在の祭りの中心は、町々の山鉾巡行に移っているが、この山車や山鉾は行疫神(ぎょうやくじん=疫病神)を楽しませるための出し物である。また、行疫神の厄を分散させるという意味もある。八坂神社を出発して、町の御旅所に遊幸する神輿渡御も重要である。二つの祭りが付かず離れず別個に進行する特異な祭りの成立と変遷をたどり、貴賤(身分の高い人と低い人。貴いことと卑しいこと。)が参加し、都市の共同体を結成する人々の主体性が作り上げてきた信仰と祭りの事績を綴っている。
この映画の概要は以下参考に記載のgoo-映画「祇園祭」で、又、映画が出来た経緯などは以下参考に記載の「エッセイ-祇園祭」を見られると良い。
革新系の蜷川虎三知事のもと府政百年事業の一つとして京都府が全面的にバックアップして制作されたものである。映画は、応仁の乱後、京都の町衆たちが室町幕府権力に抗して自治体制を築き、その象徴としての「祇園祭」を再興させる姿を描いたもの。先ずは、配役陣を見られたい。中村錦之助や三船敏郎、高倉健、岩下志麻、美空ひばりら当時の東映・東宝・松竹などのスターが総出演している。こんな豪華な俳優陣なのに時代劇の好きな私がこの映画を見ていないのは時代劇でありながらチャンバラ物ではなかったからだろうか。当時は、余り、七面倒な内容の映画は好きではなかったから・・。でも、今になれば、是非見たい映画である。この後、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得る。この頃の出演ドラマ『子連れ狼 (萬屋錦之介版)』や「破れ傘刀舟悪人狩り」、「破れ奉行」、「長崎犯科帳」、「破れ新九郎」等など非常に面白かった。その後、時代劇ブームが去った後の1972(昭和47)年に芸名を萬屋錦之介と改名した。
中村錦之介か萬屋錦之介か、どちらの名前を強く記憶しているかで、その人の年代がわかるという。私などは、子供の頃に見た「笛吹童子」以来の錦之介ファンなので当然中村錦之介の名が強く記憶に残っている。中村錦之介の「笛吹童子」、萬屋錦之介の「子連れ狼 」。どちらのテーマー曲も良かったしドラマも面白かった。梨園育ちで、若い頃から演技の勘は備わっていた。映画界入りして数年後から演技への意欲をもやした。内田吐夢監督「宮本武蔵」五部作もその1つである。絶賛された作品は他にもあるが、やはり、彼の魅力は、芸術よりも大衆が好む講談調の映画だろう。荒唐無稽、奇想天外、威勢のよさ、そうした役を演じきるには理屈抜きの庶民性がいる。観客を異次元の世界へ誘うには華やかさがいる。庶民性にしても華やかさにしても、修行をしたからと言ってなかなか得られるものではない。錦之介にはそれがあった。日本映画の絶頂期のスタート呼べる人が次々と亡くなっていった。低迷だった映画も最近復興の兆しがあるとはいえ、今の時代、かってのようなスターとしての華やかさを備えた俳優が見当たらない。最近、若手の現役歌舞伎役者が出演している映画もあるが、かっての錦之介らが活躍していた時代の若手の俳優のような華やかさが感じられない。それは映画の内容などにもよるのだろうが、娯楽としての映画にはスター達の華やかさとその脇を固める役者の渋さが必要。今は、そのどちらもいなくなってしまったようだ。何か、映画を理屈だけで見せようとしている気がする。
最後に、映画界入り以降も東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。東映所属でありながら、東映歌舞伎へは出演せず、東京での舞台は(1960年の明治座を除いて)いずれも松竹の興行であった。又、歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であった。本人も歌舞伎界を出た以上、古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなかったようで「(重の井)子別れなんてできねェよ」と言っていたという。恋女房染分手綱十段目「重の井子別れ」は女形の活躍する演目の1つ(以下参考に記載の「文化デジタルライブラリー 歌舞伎編・その三女形の活躍する演目」参照)。錦之介は幼少の頃可憐な女形を務めていたのだよね~。なにか、錦之助の気骨を感じるよ。
付け足し:俳優の中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)は弟、同じく俳優の中村獅童 (2代目)は甥にあたる。女優の有馬稲子、淡路恵子は元妻である。
(画像は、映画ポスター「笛吹童子第一部」1954年。中央主演の中村錦之助、向かって左下笛を吹いているのが東千代之助。アサヒグラフ増刊・追悼「萬屋錦之介 」挿入写真より)
参考:
Wikipedia - 萬屋錦之介
http://ja.wikipedia.org/wiki/萬屋錦之介
中村錦之助 (ナカムラキンノスケ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/103352/
萬屋錦之介 (ヨロズヤキンノスケ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86563/
花吹雪御存じ七人男(1954) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24005/index.html
美空ひばり (ミソラヒバリ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/100105/index.html
【なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡】
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
北村寿夫 (キタムラトシオ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/108029/
『笛吹童子』(その1) - 錦之助ざんまい
http://blog.goo.ne.jp/sesamefujii/e/f91fcff5464b1883cc13a92e736a1343
祇園祭 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22564/
祇園信仰 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E4%BF%A1%E4%BB%B0
西口克己 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8F%A3%E5%85%8B%E5%B7%B1
祭事・年中行事~神輿渡御~ 八坂神社
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/schedule/03.html
エッセイ-祇園祭
http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/cinema/essay/essay03/gionnmatsuri.htm
祇園祭|日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/A06_festival/01_gionmatsuri.html
竹中労 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8A%B4
文化デジタルライブラリー 歌舞伎編・その三女形の活躍する演目
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc3/scene_4/enmoku/jidai_7.html
花も実もある錦かな
http://homepage2.nifty.com/nisiki52/index.htm
俳優・萬屋錦之介(よろずや・きんのすけ)の本名は、小川錦一。1932(昭和 7)年11月20日東京生まれ。父は歌舞伎の三世中村時蔵。彼もまた歌舞伎俳優として中村錦之助の芸名で1936(昭和11)年、「厳島招檜扇」で初舞台を踏んでいる。以下のブログにその初舞台のことが詳しく書かれており、当時の写真も見れる。
昭和11年 萬屋錦之介初舞台- 心にうつりゆくよしなし日記 -
http://blogs.yahoo.co.jp/c_taixian/44723830.html
錦之助は、可憐な女形を務めていたが兄2人の下で端役に回ることが多く歌舞伎に失望し、当時人気絶頂であった美空ひばりから相手役にと誘われ、父の猛反対を振り切って好きな映画の世界へ転身し、1954(昭和29)年美空ひばり主演の「ひよどり草紙」( goo 映画参照)で映画デビューを果たした。人気が高まるのは、新東宝( 「花吹雪御存じ七人男」(>goo 映画参照)に出演を経て東映に移籍し、中篇娯楽時代劇『笛吹童子』に出演してからのことである。
♪ヒャラリヒャラリコ ヒャリコヒャラレロ
誰が吹くのか ふしぎな笛だ
という福田蘭童作曲の「笛吹童子」のメロディーと共に、全国の子供たちの人気をさらった北村寿夫のNHK連続ドラマ「新諸国物語」の『笛吹童子』が東映で週がわりの3部作として映画化され、公開されたのは、1954(昭和29)年の4月末ゴールデンウイークに入る直前のことだった。そう、チャンバラ好きの私がまだ中学生の頃である。
戦国時代、城を則られ、非業の死を遂げた父親の復讐を果たすため、萩丸・菊丸の兄弟が波乱に、満ちた運命をたどる奇想天外な時代劇である。主演の東千代之介(萩丸)と中村錦之助(菊丸)の2人はたちまち子供たちのアイドルとなった。この笛吹き同時は、次作の『紅孔雀』とともに、中篇シリーズとして2本立て興業の添え物だったが、その大ヒットでその後の東映時代劇黄金時代を築く出発点ともなった作品である。
以下参考に記載の「【なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡】で、福田蘭童作曲の「笛吹童子」「まだ見ぬ国(「紅孔雀」主題歌)」のMIDIが聞ける。歌詞も付いているよ)
又『笛吹童子』はなかったが以下では、テレビ『紅孔雀』のタイトル部分が見れる。ここではなつかしい主題歌も聞けるよ。
「YouTube - 新諸国物語 紅孔雀-OP」
http://jp.youtube.com/watch?v=rN46ZjiJrq0
以来錦之助は、大川橋蔵や東千代之介らと共に東映時代劇映画の看板スターとなり、日本映画界の全盛期を支えた大スターの一員となった。凛々しい前髪姿の青年美剣士から二枚目的な 一心太助から『瞼の母』、『関の弥太っぺ』などの股旅物(各地を渡り歩く博徒・侠客を主人公とした時代劇、「千利休 本覺坊遺文」や「日蓮」などの文学物から『宮本武蔵』や『徳川家康』などの歴史物等さまざまなジャンルの時代劇作品に出演した。多い時は年間22本の出演記録を持ち、154日間連続で彼の作品が上映されたこともあったという(朝日「グラフ別冊日本映画100年」)。
しかし、昭和30年代後半、テレビに人気を奪われ、映画産業が徐々に斜陽化の様相を呈するようになった頃から、東映は時代劇から任侠路線(ヤクザ映画参照)への転換を計るが、正統時代劇に固執する錦之助は東映との間に出演作品の企画をめぐって意見が対立するようになる。そのような東映に対する抵抗が功を奏してか、1963(昭和38)年には今井正監督『武士道残酷物語』(goo-映画参照)や加藤泰監督「真田風雲録」、山下耕作監督「関の彌太ッペ」、今井監督「仇討」など彼の演技欲を満足させるような企画が相次ぎ、「武士道残酷物語」ではブルーリボン主演男優賞を受賞しているが、1966(昭和41)年には東映内部の労働争議に巻き込まれたこともあって東映を退社。1968(昭和43)年に「中村プロダクション」を設立し、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得た。
実はこの東映内部の労働争議が起こった頃、錦之介の奮闘努力により、つくられた貴重な自主映画が1本ある。それは、1968(昭和43)年、日本映画復興協会(代表:中村錦之助)の名の下につくられた「祇園祭」( goo 映画参照)である。この映画は西口克巳の小説『祇園祭』(中央公論社,1961年)を映画化したものであるという。私は、映画は見ていないのだが、小説の方は読んだ記憶がある。当時私は大阪で商社に勤めていたが、その本社ビルの1階に本屋さんがあった。店頭で販売よりも、周りの会社関係からの注文が多かったようであるが、御主人はなかなかのインテリである。本が好きな私は良くその店で本を買っていたが、ご主人から、どうせ読むなら良い本を読んだほうが良いといって、ご主人がこれは良いという本をいつも紹介してくれていた。その中にこの本があった。 詳しいことは忘れたが、毎年夏になると華麗、豪壮に繰り広げられる京都の祇園祭の本源は、大都市住民が恐ろしい疫病罹災から免れるために催した祇園御霊会である。現在の祭りの中心は、町々の山鉾巡行に移っているが、この山車や山鉾は行疫神(ぎょうやくじん=疫病神)を楽しませるための出し物である。また、行疫神の厄を分散させるという意味もある。八坂神社を出発して、町の御旅所に遊幸する神輿渡御も重要である。二つの祭りが付かず離れず別個に進行する特異な祭りの成立と変遷をたどり、貴賤(身分の高い人と低い人。貴いことと卑しいこと。)が参加し、都市の共同体を結成する人々の主体性が作り上げてきた信仰と祭りの事績を綴っている。
この映画の概要は以下参考に記載のgoo-映画「祇園祭」で、又、映画が出来た経緯などは以下参考に記載の「エッセイ-祇園祭」を見られると良い。
革新系の蜷川虎三知事のもと府政百年事業の一つとして京都府が全面的にバックアップして制作されたものである。映画は、応仁の乱後、京都の町衆たちが室町幕府権力に抗して自治体制を築き、その象徴としての「祇園祭」を再興させる姿を描いたもの。先ずは、配役陣を見られたい。中村錦之助や三船敏郎、高倉健、岩下志麻、美空ひばりら当時の東映・東宝・松竹などのスターが総出演している。こんな豪華な俳優陣なのに時代劇の好きな私がこの映画を見ていないのは時代劇でありながらチャンバラ物ではなかったからだろうか。当時は、余り、七面倒な内容の映画は好きではなかったから・・。でも、今になれば、是非見たい映画である。この後、本格的にテレビ時代劇の世界に進出し、高い評価を得る。この頃の出演ドラマ『子連れ狼 (萬屋錦之介版)』や「破れ傘刀舟悪人狩り」、「破れ奉行」、「長崎犯科帳」、「破れ新九郎」等など非常に面白かった。その後、時代劇ブームが去った後の1972(昭和47)年に芸名を萬屋錦之介と改名した。
中村錦之介か萬屋錦之介か、どちらの名前を強く記憶しているかで、その人の年代がわかるという。私などは、子供の頃に見た「笛吹童子」以来の錦之介ファンなので当然中村錦之介の名が強く記憶に残っている。中村錦之介の「笛吹童子」、萬屋錦之介の「子連れ狼 」。どちらのテーマー曲も良かったしドラマも面白かった。梨園育ちで、若い頃から演技の勘は備わっていた。映画界入りして数年後から演技への意欲をもやした。内田吐夢監督「宮本武蔵」五部作もその1つである。絶賛された作品は他にもあるが、やはり、彼の魅力は、芸術よりも大衆が好む講談調の映画だろう。荒唐無稽、奇想天外、威勢のよさ、そうした役を演じきるには理屈抜きの庶民性がいる。観客を異次元の世界へ誘うには華やかさがいる。庶民性にしても華やかさにしても、修行をしたからと言ってなかなか得られるものではない。錦之介にはそれがあった。日本映画の絶頂期のスタート呼べる人が次々と亡くなっていった。低迷だった映画も最近復興の兆しがあるとはいえ、今の時代、かってのようなスターとしての華やかさを備えた俳優が見当たらない。最近、若手の現役歌舞伎役者が出演している映画もあるが、かっての錦之介らが活躍していた時代の若手の俳優のような華やかさが感じられない。それは映画の内容などにもよるのだろうが、娯楽としての映画にはスター達の華やかさとその脇を固める役者の渋さが必要。今は、そのどちらもいなくなってしまったようだ。何か、映画を理屈だけで見せようとしている気がする。
最後に、映画界入り以降も東京・歌舞伎座で定期興行を打っていた。東映所属でありながら、東映歌舞伎へは出演せず、東京での舞台は(1960年の明治座を除いて)いずれも松竹の興行であった。又、歌舞伎座での興行でありながら、錦之助の演目はほとんどが歌舞伎ではない新作時代劇であった。本人も歌舞伎界を出た以上、古典・伝統歌舞伎をやるつもりはなかったようで「(重の井)子別れなんてできねェよ」と言っていたという。恋女房染分手綱十段目「重の井子別れ」は女形の活躍する演目の1つ(以下参考に記載の「文化デジタルライブラリー 歌舞伎編・その三女形の活躍する演目」参照)。錦之介は幼少の頃可憐な女形を務めていたのだよね~。なにか、錦之助の気骨を感じるよ。
付け足し:俳優の中村賀津雄(現・中村嘉葎雄)は弟、同じく俳優の中村獅童 (2代目)は甥にあたる。女優の有馬稲子、淡路恵子は元妻である。
(画像は、映画ポスター「笛吹童子第一部」1954年。中央主演の中村錦之助、向かって左下笛を吹いているのが東千代之助。アサヒグラフ増刊・追悼「萬屋錦之介 」挿入写真より)
参考:
Wikipedia - 萬屋錦之介
http://ja.wikipedia.org/wiki/萬屋錦之介
中村錦之助 (ナカムラキンノスケ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/103352/
萬屋錦之介 (ヨロズヤキンノスケ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/86563/
花吹雪御存じ七人男(1954) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24005/index.html
美空ひばり (ミソラヒバリ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/100105/index.html
【なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡】
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
北村寿夫 (キタムラトシオ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/108029/
『笛吹童子』(その1) - 錦之助ざんまい
http://blog.goo.ne.jp/sesamefujii/e/f91fcff5464b1883cc13a92e736a1343
祇園祭 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22564/
祇園信仰 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E4%BF%A1%E4%BB%B0
西口克己 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8F%A3%E5%85%8B%E5%B7%B1
祭事・年中行事~神輿渡御~ 八坂神社
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/schedule/03.html
エッセイ-祇園祭
http://www.occn.zaq.ne.jp/momokun/cinema/essay/essay03/gionnmatsuri.htm
祇園祭|日本文化いろは事典
http://iroha-japan.net/iroha/A06_festival/01_gionmatsuri.html
竹中労 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8A%B4
文化デジタルライブラリー 歌舞伎編・その三女形の活躍する演目
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/edc3/scene_4/enmoku/jidai_7.html
花も実もある錦かな
http://homepage2.nifty.com/nisiki52/index.htm
僕もチャンバラが好きでした。嵐寛寿郎、長谷川一夫、市川歌右衛門、大河内伝次郎、片岡千恵蔵、月形龍之介、大谷友右衛門、市川雷蔵、中村錦之助、東千代之介、大友柳太郎、大川橋蔵などの華麗なチャンバラをよく真似をしました。それが三船敏郎の用心棒あたりからリアルなチャンバラになりましたね。
形を大切にした時代からリアルなものになりましたが、黒澤監督など優れた監督がいたから、そんなリアルなチャンバラもいやみがなく見れました。
剣で切って血が噴出すようなリアルなチャンバラを能力のない監督が撮るともう、グロだけになってしまいます。
私は、現代物と違って時代劇などは、少々芝居がかっているけれども昔の形を大切にしていた綺麗なものの方が好きです。
どうも最近は、若者のスタイルを見てもどこかの漫画チックでそれも、とげとげしい劇画から飛び出してきたような姿は好きではありません。
それだけ時代がずれているのか知れませんが、今の時代の服装や化粧法・話し方や行動など何かすさんだ感じでどれもこれも好きになれません。