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「今日は何の日~毎日が記念日~」によれば、3月5日の今日は、「鳩ぽっぽ」など幼稚園唱歌の作詞者・東くめ(教育家)の1969(昭和44)年の忌日だそうである。
ポッポッポ、
ハト ポッポ、
マメガ ホシイカ、
ソラ ヤルゾ。
ミンナデ イッシヨニ
タベニ 來イ。
1941(昭和16)年、文部省唱歌「ハト ポッポ」
私達が幼稚園の頃に覚えた唱歌「ハト ポッポ」。今の時代に、家庭や幼稚園などで、どの程度、このような唱歌が歌われているのかは、知らないがが、この歌の元歌(「鳩ぽっぽ」)を作詞したのが東くめ(ひがしくめ)であり、曲をつけたのが滝廉太郎である(ここ参照)。滝は、東京音楽学校(現東京藝術大学)専修部予科に入学したのは、1894(明治27)9月15歳のときであった。数々の演奏会に出演、ピアニストとしての地位を確立していった。そして、1901(明治34)年留学生としてドイツに渡るが、結核におかされ帰国、大分で療養中の1903(明治36)年、23歳で短い生涯を閉じた。 彼が集中して代表的な作品を書いたのは、留学前の1900(明治33)年~1901(明治34)年にかけてである。その滝のことは以前に、6月29日「廉太郎忌」作曲家・滝廉太郎の忌日で書いたので、そちらで見て欲しい。
現在にいう唱歌がその進む道を明確にしたのは、1879(明治12)年10月、学校教材用の歌(唱歌)の作成・編さんと教師の養成機関として「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」が文部省内に設置されてからであり、1881(明治14)年から1884(明治17)年〔初編(明治14年)、第二編(明治16年)、第三編(明治17年)〕にかけて,小学校の音楽教材として『小学唱歌集』が「文部省音楽取調掛」(現在の東京芸大)によって編集された。内容等は、以下参考に記載の「明治の唱歌」 の「小学唱歌集(初編・第二編・第三編)を参照。
しかし、これらの歌は、幼稚園児が歌うのには難ししすぎた。東くめ(ひがしくめ)は、以下参考に記載の「和歌山県情報館」の「童謡作詞家東 くめ」の記載によると、1877(明治10)年紀伊新宮藩家老由比甚五郎の長女として生まれ、1888(明治21)年11歳で大阪ウイルミナ女学校(現・大阪女学院)に入学し、音楽の道を志すようになり、東京音楽学校専科に入学。作詞の才能を発揮するようになったという。明治30年東京府高等女学校の音楽教諭を経た後、明治32年東京女子高等師範(現御茶ノ水女子大学)の教授で、同郷の東基吉と結婚したという。基吉は、附属幼稚園の改革を行う中で、幼児の歌いやすい口語体の歌『幼稚園唱歌』を作りたいと考え、そのことを、くめの音楽学校の2年後輩にあたる滝廉太郎に依頼、滝も、「くめさんが歌詞をつくってくださったら、わたしが、それに合うようなたのしい曲をつくりましょう」ということになったようで、1901(明治34)年4月の渡欧直前に出来たという。従って、曲集は東基吉、東くめ、鈴木穀一、滝廉太郎の企画編集であるが、全20曲の殆どは、滝廉太郎作曲(17曲)で歌詞の大部分を、東くめが担当しているが、瀧自身4曲作詞している。この時、幼児にもわかりやすく口語体の歌詞を初めて採用し、簡単な伴奏も付けられている。幼児の唱歌集に伴奏が付いたのもこれが最初で、「鳩ぽっぽ」「鯉幟(こいのぼり)」「お正月」「桃太郎」など、現在もよく歌われている。以下参考に記載の「あそびの音楽館」のなかに瀧 廉太郎(滝 廉太郎)作曲の「幼稚園唱歌」17曲掲載されている。いずれも、曲が聴けるよ。
瀧 廉太郎/幼稚園唱歌集
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Kindergarten.htm
例えば、冒頭の1941(昭和16)年、文部省唱歌「ハト ポッポ」は、1901(明治34)年の東くめ作詞、滝廉太郎作曲による幼稚園児用の唱歌「鳩ぽっぽ」では、歌詞も「鳩ぽっぽ、はとぽっぽ、ぽっぽぽっぽと、飛んで来い、お寺の屋根からおりてこい~」となっていたようで、当然、曲も今聴く曲と少し違うので聞いてみると良い。昭和7年(1932年)『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』では、1番の最後が「ミンナデ イッシヨニタベニ 來イ」は、「みんなで仲善く食べに來い。」2番の最後「ミンナデ ナカヨクアソバウヨ」は「一度にそろつて飛んで行け」となっていたらしい。又、タイトルもタダの「鳩」だったらしい。(下参考に記載の「d-score 唱歌 楽譜 年表 -」)。時代によって、少しづつ変化してるようだね。
1881(明治14)年に出来あがった日本初、つまり、第1号の官製唱歌集『小学唱歌集』には、明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができていたが、日本語訳詞を“無理にはめこんだ”ぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていた。瀧は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えるだろう。『お正月』、『鳩ぽっぽ』、『雪やこんこ』などは、日本生まれの最も古い童謡作品ということになるらしい。これらは1900年に編纂された「幼稚園唱歌」に収められ、1887(明治20年)に文部省音楽取調掛により,「幼稚園唱歌集」が初めて刊行された。それ以前1877(明治10)年に東京女子師範学校(御茶ノ水大学の前身)の依頼を受けて宮内省式部寮雅楽課の伶人(れいじん)達が作曲した『保育唱歌』約100曲があるが、手書きのままで出版はされなかったそうだ。日本初の官製『幼稚園唱歌集』がどんなものであったかは、以下参考に記載の「明治の唱歌」の{宮内省雅楽部の作った『保育唱歌』 }のところで、また、その原本は、以下参考に記載の「近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館」で見れる。
このような唱歌は次の世代へと伝えてゆきたいものだよね。
(画像は『幼稚園唱歌』明治16年7月。近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館より)
滝廉太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E
和歌山県情報館・童謡作詞家東 くめ(ひがしくめ)
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/senjin/higashi.html
明治の唱歌(Moto Saitoh's Home Page)
http://www.geocities.jp/saitohmoto/hobby/music/music.html
d-score 唱歌 楽譜 年表 -
http://www.d-score.com/db/syouka
「あそびの音楽館」
http://a-babe.plala.jp/comm/index.html
童謡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E8%AC%A1
あそびの音楽館
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/index.html
瀧 廉太郎/幼稚園唱歌集
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Kindergarten.htm
近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40073829&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0
童謡・唱歌の世界
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/
今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/03/05.html
【Ⅰ】東くめ及び東基吉
http://www.city.shingu.wakayama.jp/contents/7d590d0d281f2de/7d590d0d281f2de3.htm
ポッポッポ、
ハト ポッポ、
マメガ ホシイカ、
ソラ ヤルゾ。
ミンナデ イッシヨニ
タベニ 來イ。
1941(昭和16)年、文部省唱歌「ハト ポッポ」
私達が幼稚園の頃に覚えた唱歌「ハト ポッポ」。今の時代に、家庭や幼稚園などで、どの程度、このような唱歌が歌われているのかは、知らないがが、この歌の元歌(「鳩ぽっぽ」)を作詞したのが東くめ(ひがしくめ)であり、曲をつけたのが滝廉太郎である(ここ参照)。滝は、東京音楽学校(現東京藝術大学)専修部予科に入学したのは、1894(明治27)9月15歳のときであった。数々の演奏会に出演、ピアニストとしての地位を確立していった。そして、1901(明治34)年留学生としてドイツに渡るが、結核におかされ帰国、大分で療養中の1903(明治36)年、23歳で短い生涯を閉じた。 彼が集中して代表的な作品を書いたのは、留学前の1900(明治33)年~1901(明治34)年にかけてである。その滝のことは以前に、6月29日「廉太郎忌」作曲家・滝廉太郎の忌日で書いたので、そちらで見て欲しい。
現在にいう唱歌がその進む道を明確にしたのは、1879(明治12)年10月、学校教材用の歌(唱歌)の作成・編さんと教師の養成機関として「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」が文部省内に設置されてからであり、1881(明治14)年から1884(明治17)年〔初編(明治14年)、第二編(明治16年)、第三編(明治17年)〕にかけて,小学校の音楽教材として『小学唱歌集』が「文部省音楽取調掛」(現在の東京芸大)によって編集された。内容等は、以下参考に記載の「明治の唱歌」 の「小学唱歌集(初編・第二編・第三編)を参照。
しかし、これらの歌は、幼稚園児が歌うのには難ししすぎた。東くめ(ひがしくめ)は、以下参考に記載の「和歌山県情報館」の「童謡作詞家東 くめ」の記載によると、1877(明治10)年紀伊新宮藩家老由比甚五郎の長女として生まれ、1888(明治21)年11歳で大阪ウイルミナ女学校(現・大阪女学院)に入学し、音楽の道を志すようになり、東京音楽学校専科に入学。作詞の才能を発揮するようになったという。明治30年東京府高等女学校の音楽教諭を経た後、明治32年東京女子高等師範(現御茶ノ水女子大学)の教授で、同郷の東基吉と結婚したという。基吉は、附属幼稚園の改革を行う中で、幼児の歌いやすい口語体の歌『幼稚園唱歌』を作りたいと考え、そのことを、くめの音楽学校の2年後輩にあたる滝廉太郎に依頼、滝も、「くめさんが歌詞をつくってくださったら、わたしが、それに合うようなたのしい曲をつくりましょう」ということになったようで、1901(明治34)年4月の渡欧直前に出来たという。従って、曲集は東基吉、東くめ、鈴木穀一、滝廉太郎の企画編集であるが、全20曲の殆どは、滝廉太郎作曲(17曲)で歌詞の大部分を、東くめが担当しているが、瀧自身4曲作詞している。この時、幼児にもわかりやすく口語体の歌詞を初めて採用し、簡単な伴奏も付けられている。幼児の唱歌集に伴奏が付いたのもこれが最初で、「鳩ぽっぽ」「鯉幟(こいのぼり)」「お正月」「桃太郎」など、現在もよく歌われている。以下参考に記載の「あそびの音楽館」のなかに瀧 廉太郎(滝 廉太郎)作曲の「幼稚園唱歌」17曲掲載されている。いずれも、曲が聴けるよ。
瀧 廉太郎/幼稚園唱歌集
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Kindergarten.htm
例えば、冒頭の1941(昭和16)年、文部省唱歌「ハト ポッポ」は、1901(明治34)年の東くめ作詞、滝廉太郎作曲による幼稚園児用の唱歌「鳩ぽっぽ」では、歌詞も「鳩ぽっぽ、はとぽっぽ、ぽっぽぽっぽと、飛んで来い、お寺の屋根からおりてこい~」となっていたようで、当然、曲も今聴く曲と少し違うので聞いてみると良い。昭和7年(1932年)『新訂尋常小学唱歌 第一学年用』では、1番の最後が「ミンナデ イッシヨニタベニ 來イ」は、「みんなで仲善く食べに來い。」2番の最後「ミンナデ ナカヨクアソバウヨ」は「一度にそろつて飛んで行け」となっていたらしい。又、タイトルもタダの「鳩」だったらしい。(下参考に記載の「d-score 唱歌 楽譜 年表 -」)。時代によって、少しづつ変化してるようだね。
1881(明治14)年に出来あがった日本初、つまり、第1号の官製唱歌集『小学唱歌集』には、明治時代の前半に多くの翻訳唱歌ができていたが、日本語訳詞を“無理にはめこんだ”ぎこちない歌が多く、日本人作曲家によるオリジナルの歌を望む声が高まっていた。瀧は最も早く、その要望に応えた作曲家と言えるだろう。『お正月』、『鳩ぽっぽ』、『雪やこんこ』などは、日本生まれの最も古い童謡作品ということになるらしい。これらは1900年に編纂された「幼稚園唱歌」に収められ、1887(明治20年)に文部省音楽取調掛により,「幼稚園唱歌集」が初めて刊行された。それ以前1877(明治10)年に東京女子師範学校(御茶ノ水大学の前身)の依頼を受けて宮内省式部寮雅楽課の伶人(れいじん)達が作曲した『保育唱歌』約100曲があるが、手書きのままで出版はされなかったそうだ。日本初の官製『幼稚園唱歌集』がどんなものであったかは、以下参考に記載の「明治の唱歌」の{宮内省雅楽部の作った『保育唱歌』 }のところで、また、その原本は、以下参考に記載の「近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館」で見れる。
このような唱歌は次の世代へと伝えてゆきたいものだよね。
(画像は『幼稚園唱歌』明治16年7月。近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館より)
滝廉太郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%BB%89%E5%A4%AA%E9%83%8E
和歌山県情報館・童謡作詞家東 くめ(ひがしくめ)
http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/senjin/higashi.html
明治の唱歌(Moto Saitoh's Home Page)
http://www.geocities.jp/saitohmoto/hobby/music/music.html
d-score 唱歌 楽譜 年表 -
http://www.d-score.com/db/syouka
「あそびの音楽館」
http://a-babe.plala.jp/comm/index.html
童謡 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%A5%E8%AC%A1
あそびの音楽館
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/index.html
瀧 廉太郎/幼稚園唱歌集
http://a-babe.plala.jp/~jun-t/Kindergarten.htm
近代デジタルライブラリー『幼稚園唱歌集』/国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40073829&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0
童謡・唱歌の世界
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/douyou-syouka/
今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/03/05.html
【Ⅰ】東くめ及び東基吉
http://www.city.shingu.wakayama.jp/contents/7d590d0d281f2de/7d590d0d281f2de3.htm
幼稚園で歌った鳩の歌にはこのほかに♪ポッポのおうちは四角なおうち、四角なおうち・・っていうのがありました。昔はお宮さんの鳩も愛される存在だったのですが、今は鳩は毛嫌いされる鳥になっています。確かに公害だと僕も思います。
鳩はキリスト教のノアの箱舟の中にでてきて平和のシンボルのようになりますが、人間にとって余り益はなく害が多いようですね。スズメなど害鳥のように言われ人間に食べられていますが、スズメは害虫を食べてくれるし、今では益鳥ではないでしょうかね~。もし、どちらが食べられるべきかと言うと鳩のような気がすんるのですが・・・。
自分も最近知ったばかりですが。
たぶん、別物だろうと。
でも、どちらもいい歌ですよね。
ぽっぽっぽ、
鳩ぽっぽ
・・・文部省唱歌のこの歌の曲名は『鳩』(はと)で作詞、作曲ともに不詳らしい。1941年の国民学校用の教科書『ウタノホン』では曲名が『ハトポッポ』に変更された。この方が小さな子供には親しみやすいからだろう。当時カナはひらがなではなくカタカナが使用されていた。
東くめ作詞、滝廉太郎作曲の童謡は「鳩ぽっぽ」。だから、このブログでは、『ハトポッポ』”の歌の元歌を作詞したのが東くめであり、曲をつけたのが滝廉太郎である”・・とした。
歌の説明のことは後段の方で説明しているつもりだが、ご指摘のように読み直すとこの談だけ読むとちょっと説明不足で、わかりにくく、錯覚をしそうなので、とりあえず、今日、上段の文中の「この歌の元歌を」のところを、「この歌の元歌(「鳩ぽっぽ」)を」とし、その文末に(ここ参照)と歌の説明の箇所へのリンクを付け足しておきました。