「みんなのうた」は、日本放送協会 (NHK) がテレビとラジオの各チャンネル(国外向けを含む)にて放送している、5分間の音楽番組であり、「おかあさんといっしょ」「きょうの料理」「きょうの健康」などとともにNHKを代表する長寿番組として広く親しまれている。
ファミリーソングを目指して誕生した「みんなのうた」の放送が開始されたのは、1961(昭和36)の今日・4月3日であるため、今年・2011(平成23)年で50周年を迎えた。これまでに1300曲近くもの国民的愛唱歌を時代とともに生み出してきた(※1参照)。
1953(昭和28)年に、日本テレビが開局し、時代は一挙にテレビの時代へと突入するが、そんな日本のテレビ時代の幕開けだった1960年代、氾濫する歌謡曲やCMソングを口ずさむ子どもたちの姿に危惧し、局内で“子ども向き歌番組を”という声が上がったという。そして、最初は学校唱歌的な歌を流すことが期待されていたが、“それではテレビでやる意味がない”と思った初代ディレクター・後藤田純生(以下参考の※2参照)は、外国曲の導入を思いつく。こうして「おお牧場はみどり」を筆頭に「クラリネットをこわしちゃった」「大きな古時計」などの名曲が世に送り出されることとなった(以下参考の※:「みんなのうた缶」の収集・みんなのうた関連記事参照)。
本来は未就学児から10代の視聴者層を想定したいたことから、初期は既存の童謡や、外国の民謡を日本語に解釈させた作品が多かったが、1970年代後半頃からは「みんなのうた」のために書き下ろされたオリジナル曲が中心となっている。
放送開始当時は、毎回放送される“月の歌”(1曲)と、曜日ごとに替わる“曜日の歌”(5曲)との組み合わせで放送されていたようだが、翌年からは、“月の歌”が月ごとに替わるようになった。今は、月曜日から土曜日までほぼ毎日、それも2か月間繰り返し同じ曲(1曲あるいは2曲)が放送されている。
スタート時、つまり、1961(昭和36)年4・5月(2ヶ月)に放送された6曲は、以下のようであり、正に、ファミリーソングのイメージが浮かぶ(以下参考の※3:「みんなのうた缶」参照)。
月の歌
おお牧場はみどり(外国民謡)、唄:東京少年合唱隊 、(毎回)
あわて床屋(童謡)、唄:ボニージャックス、(月曜)
どじょっこふなっこ(わらべうた)、唄:中村浩子、(火曜)
誰も知らない (新作)、唄、楠トシエ、(水曜)
カナダ旅行(シャンソン)、芦野宏、スリーグレイセス 、(木曜)
登山電車=フニクリ フニクラ(カンツォーネ)、 デューク・エイセス、(金曜)
上述のように、1961(昭和36)年4月3日、最初に放送されたのが、「おお牧場はみどり」と「誰も知らない」であった。
「みんなのうた」で、4・5月の2ヶ月にわたって東京少年合唱隊(現:東京少年少女合唱隊。以下参考の※4 、※5 参照)によって毎回歌われた外国の民謡「おお牧場はみどり」は、もともとはチェコスロバキアのボヘミア地方の民謡であるが、本国ではあまり歌われてないようである。
ボヘミア地方は、16~18世紀の間オーストリア=ハンガリー帝国の支配化にあり、農民たち」は、事実上オーストリアの植民地に押し込められていた。
原曲の歌詞は、このような時代に、封建領主が、好きな狩猟にかこつけて若い娘を召し上げようとすることを風刺した一種のバラッド(物語や寓意のある歌)であったようである。以下参考の※6:「世界の民謡。童謡;おお牧場はみどり」に原曲の歌詞が掲載されている。
19世紀末、貧困に追いたてられて故郷の地を離れ、アメリカに移住するものが増えた。これら移民たちが故郷を想いながら歌っていたもの一つがこの曲で、原曲はやや哀調を帯びたメロディーだったそうだが、この歌をアメリカ風に明るく英訳してレクリエーション・ソングとして歌われるようになったものが日本のYMCA(キリスト教青年会)の歌集に紹介された。この時、牧師であり教会音楽の第一人者であった中田 羽後が日本語詞をつけたものが今広く歌われている歌のようだ。
アメリカのレクリエーション・ソングだったときの歌詞がいったいどんなものだったかは知らないが、以下参考の※7:「池田小百合:なっとく童謡・唱歌」には、中田が英語を訳したときのもではないかと思われるものが、今広く唄われている歌と共に掲載されている。英語の歌詞の1番は日本語の「おお牧場はみどり」に近い内容であるが、2番3番は内容がかなり違う。1番は訳詞といってもよいが、2番3番は中田が子供にも向くように作詞したのだろう。
尚、この歌は「みんなのうた」ではじめて歌われた訳ではなく、1955(昭和30)年3月、関鑑子編『青年歌集(四)』(音楽センター刊)に発表され、「うたごえ運動」によって歌い広められていった。
そういえば、私が社会人になった昭和30年代初頭全国各地に「うたごえ喫茶」があり、会社の同僚や学生時代の友人と一緒に良く歌いに行ったが、この歌も良く唄ったのを思い出したよ。リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を唄うのだが、伴奏はピアノやアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。今の時代のようにマイクを使わず、皆で一緒に腹の底から声を出して唄えるので気持ちが良かったな~。
又、1956(昭和31)年の8月にNHKのラジオ歌謡でも歌われている(以下参考の※8参照)。
1961(昭和36)年の第1回NHK「みんなのうた」では、1番の歌詞が繰り返し歌われたそうだ。1番の英語版は、以下参考に記載の※9:「歌声入りの童謡・唱歌・演歌・歌謡曲・民謡・外国曲」のここで聴ける。
また、1961(昭和36)4月3日、第1回NHK「みんなのうた」で外国民謡の「おお牧場はみどり」と共に最初に歌われた楠トシエの「誰も知らない」は、谷川 俊太郎作詞、中田喜直作曲による新作ものであった。
楠 トシエ(本名:楠山敏江)は、1949(昭和24)年、21歳のとき、角筈(現在の西新宿)のムーランルージュ新宿座へ歌手として入団。1951(昭和26)年のムーラン解散前後から、以前より付き合いのあった三木鶏郎の誘いでNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」に出演し、一躍全国区の歌手となり、1953(昭和28)年、25歳のとき、「NHK専属タレント第1号」となっていた(※10:kotobank参照)。
そして、1957(昭和32)年第8回から連続してNHK紅白歌合戦に出場(1963年、第14回)まで7回)。又、清酒黄桜の「かっぱの唄」(以下参考の※11 :「黄桜のサイトCM」参照)などCMソングの歌手としても活躍し、元祖「コマーシャルソングの女王」と呼ばれていた。
楠が「みんなのうた」で歌った「誰も知らない」が、どんな曲かは残念ながら当時の歌を聞いたことがないので私は知らないが、歌詞とそのMIDIは以下で聞ける。
誰もしらない(MIDI)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/daremoshiranai.html
これは谷川の童謡を詩にしたものらしいが、日常の中でふっと起こった「誰も知らない、ここだけの話」を短い言葉で表したもので、合間に入る「おこそとの・ほ」とか「いきしちに・ひ」といった言葉遊びも楽しいが、この谷川の原曲の4番にあたる「うしろを見たら ひとくい土人(どじん) わらって立ってた 」の「ひとくい土人」の部分が、「みんなのうた」では「大きな象」に差し替えられているものもあるようだ。これは、「ひとくい(人喰い)土人」が、いわゆる差別用語にあたり、放送には適さないということのようだ(以下参考の※12参照)が、1961(昭和36)年放送の「みんなのうた」で最初に歌われたものが、どのようなものであったかは定かではないが、LP等収録バージョンでは、“ひとくい土人”と原詩通り歌われているようだ。しかし、「でたらめのことば ひとりごと言って うしろを見たら ひとくい土人 わらって立ってた 」というのは、子供にはちょっと恐い話だよね~。
余談だが、谷川の童謡に林光が曲をつけたものに、「ひとくいどじんのサムサム」というものもある。以下参照。
ひとくいどじんのサムサム(MIDI)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hitokuidojinno.html
YouTube-ひとくいどじんのサムサム
http://www.youtube.com/watch?v=c-ctneSZMJs
この童謡について、谷川は『谷川俊太郎《詩》を語る』(澪標)で次のような発言をしているそうだ。
“「ひとくいどじんのサムサム」という童謡のようなものを書いたことがあって、今は「人食い土人」は差別用語とされているそうで困るんですが、林光さんが作曲してくれました。人食い土人がいて、お腹がすいたのでまず亀の子たわしを食べて、次に隣りに住んでいる自分の友だちを食べて、最後に自分を食べて、とうとう「ひとくいどじんのサムサムはいなくなった」というのをコミカルなファンタジーだと思ってぼくは書いたんですが、ある批評家の方が「これは核時代に滅びゆく人類の比喩である」と言われて、それで僕は初めて「すごくいい詩なんだなあ」とわかって(笑)、感激したことがあります」”・・・と(以下参考の※13:「教育言誤学」参照)。
ただ、私のような感性の低い者には難しくって、この童謡が谷川の言うようなコミカルなファンタジーだかどうかはよく分らないが、逆に、背に腹は変えられないと友達まで喰ってしまって最後は1人になり自分まで食べて死んでゆく人食い土人は、確かに、ある批評家の言っているような「核時代に滅びゆく人類の比喩」のような気がするよ。
今年の3月11日、三陸沖で発生した東北地方太平洋沖地震によって簡単に、福島第一原子力発電所における原子力事故などが起こってしまったが、飽くなき人間の欲求を満たすために、たとえ平和利用とはいってもの、このような危険な核エネルギーに頼らなくてはままならなくなってしまったのだが、これから先将来には、いずれ、SF漫画や映画などで見るような、核爆発や核戦争などによって地球が滅びてしまうのかもしれないな~。
この「みんなのうた」からは「山口さんちのツトム君」(1976年、唄:川橋啓史〔NHK東京児童合唱団〕)、「切手のないおくりもの」(1977年、歌:チューリップ)、「ビューティフル・ネーム」(1979年、歌:ゴダイゴ)、「一円玉の旅がらす」(1989年、唄:晴山 さおり)、「WAになっておどろう 〜イレアイエ〜」(1997年、唄:AGHARTA)、「おしりかじり虫」(2007年、うるまでるびが手掛けたアニメの歌)といったヒット曲も生まれた。
また、「大きな古時計」(1962年、保富康午:訳詞、唄:立川澄人)も2002(平成14)年に平井堅にカバーされて広く知られるようになり、「北風小僧の寒太郎」(1974年、唄:堺正章)は、1981(昭和56)年には北島三郎の歌で放送され、「さとうきび畑」(1975年、ちあきなおみ)の歌は、1~3番と最終部だけという超ショートバージョンであったが、1997(平成9年)年には森山良子によって、ちあきのバージョンとは異なる形のショートバージョンを「みんなのうたバージョン」として放送された。又、「WAになっておどろう」は長野オリンピックのイメージソングにも抜擢され話題となった。
他にも色々良い曲があり、私も大好きな番組であるが、このような番組を見ていると、やはり、民放にはないNHKの良さを感じるよね~。ま、ちゃんと、お金を払ってみているのだから、民法にはないNHKらしい番組つくりに励んで欲しいよね。
最後に、私の大好きな歌手であったちあきなおみバージョンの「さとうきび畑」を聞いて、このブログを終わることにしよう。
YouTube-さとうきび畑」(唄:ちあきなおみ)
http://www.youtube.com/watch?v=AEMJjO7rKos
(画像は、決定盤!!「NHKみんなのうた」ベスト。
参考:
1:NHKみんなのうた
http://www.nhk.or.jp/minna/
※2:後藤田純生氏死去 元NHKプロデューサー
http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031101000702.html
※3 :みんなのうた缶-NHKみんなのうた非公式サイト
http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/
※4 :東京少年合唱隊とは
http://www.mars.dti.ne.jp/~ethereal/LSOT/about.html
※5:東京少年少女合唱隊
http://www.lsot.jp/
※6:世界の民謡。童謡;おお牧場はみどり
http://www.worldfolksong.com/songbook/others/makiba-midori.htm
※7:池田小百合:なっとく童謡・唱歌
http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00sengo.htm#oomakiba
※ 8:日本ラジオ歌謡研究会
http://www.rajiokayou.net/index.html
※9:歌声入りの童謡・唱歌・演歌・歌謡曲・民謡・外国曲
http://14.studio-web.net/~yamahisa/index.html
※10:kotobank.jp
http://kotobank.jp/
※11:黄桜のサイトCM
http://kizakura.co.jp/ja/gallery/jidai/cm.html
※12:放送禁止用語(差別用語) 人種差別
http://www.jiko.tv/housoukinshi/sabetsu2.html
※13:教育言誤学
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/education/gengogaku5.html
元祖コマソンの女王"楠トシエ大全
http://joshinweb.jp/dp/4988003348991.html
60年代 懐かしの宝箱
http://homepage2.nifty.com/mtomisan/index.html
アカイさんノート
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/2010/02/post_102.html
みんなのうた - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%9F
ファミリーソングを目指して誕生した「みんなのうた」の放送が開始されたのは、1961(昭和36)の今日・4月3日であるため、今年・2011(平成23)年で50周年を迎えた。これまでに1300曲近くもの国民的愛唱歌を時代とともに生み出してきた(※1参照)。
1953(昭和28)年に、日本テレビが開局し、時代は一挙にテレビの時代へと突入するが、そんな日本のテレビ時代の幕開けだった1960年代、氾濫する歌謡曲やCMソングを口ずさむ子どもたちの姿に危惧し、局内で“子ども向き歌番組を”という声が上がったという。そして、最初は学校唱歌的な歌を流すことが期待されていたが、“それではテレビでやる意味がない”と思った初代ディレクター・後藤田純生(以下参考の※2参照)は、外国曲の導入を思いつく。こうして「おお牧場はみどり」を筆頭に「クラリネットをこわしちゃった」「大きな古時計」などの名曲が世に送り出されることとなった(以下参考の※:「みんなのうた缶」の収集・みんなのうた関連記事参照)。
本来は未就学児から10代の視聴者層を想定したいたことから、初期は既存の童謡や、外国の民謡を日本語に解釈させた作品が多かったが、1970年代後半頃からは「みんなのうた」のために書き下ろされたオリジナル曲が中心となっている。
放送開始当時は、毎回放送される“月の歌”(1曲)と、曜日ごとに替わる“曜日の歌”(5曲)との組み合わせで放送されていたようだが、翌年からは、“月の歌”が月ごとに替わるようになった。今は、月曜日から土曜日までほぼ毎日、それも2か月間繰り返し同じ曲(1曲あるいは2曲)が放送されている。
スタート時、つまり、1961(昭和36)年4・5月(2ヶ月)に放送された6曲は、以下のようであり、正に、ファミリーソングのイメージが浮かぶ(以下参考の※3:「みんなのうた缶」参照)。
月の歌
おお牧場はみどり(外国民謡)、唄:東京少年合唱隊 、(毎回)
あわて床屋(童謡)、唄:ボニージャックス、(月曜)
どじょっこふなっこ(わらべうた)、唄:中村浩子、(火曜)
誰も知らない (新作)、唄、楠トシエ、(水曜)
カナダ旅行(シャンソン)、芦野宏、スリーグレイセス 、(木曜)
登山電車=フニクリ フニクラ(カンツォーネ)、 デューク・エイセス、(金曜)
上述のように、1961(昭和36)年4月3日、最初に放送されたのが、「おお牧場はみどり」と「誰も知らない」であった。
「みんなのうた」で、4・5月の2ヶ月にわたって東京少年合唱隊(現:東京少年少女合唱隊。以下参考の※4 、※5 参照)によって毎回歌われた外国の民謡「おお牧場はみどり」は、もともとはチェコスロバキアのボヘミア地方の民謡であるが、本国ではあまり歌われてないようである。
ボヘミア地方は、16~18世紀の間オーストリア=ハンガリー帝国の支配化にあり、農民たち」は、事実上オーストリアの植民地に押し込められていた。
原曲の歌詞は、このような時代に、封建領主が、好きな狩猟にかこつけて若い娘を召し上げようとすることを風刺した一種のバラッド(物語や寓意のある歌)であったようである。以下参考の※6:「世界の民謡。童謡;おお牧場はみどり」に原曲の歌詞が掲載されている。
19世紀末、貧困に追いたてられて故郷の地を離れ、アメリカに移住するものが増えた。これら移民たちが故郷を想いながら歌っていたもの一つがこの曲で、原曲はやや哀調を帯びたメロディーだったそうだが、この歌をアメリカ風に明るく英訳してレクリエーション・ソングとして歌われるようになったものが日本のYMCA(キリスト教青年会)の歌集に紹介された。この時、牧師であり教会音楽の第一人者であった中田 羽後が日本語詞をつけたものが今広く歌われている歌のようだ。
アメリカのレクリエーション・ソングだったときの歌詞がいったいどんなものだったかは知らないが、以下参考の※7:「池田小百合:なっとく童謡・唱歌」には、中田が英語を訳したときのもではないかと思われるものが、今広く唄われている歌と共に掲載されている。英語の歌詞の1番は日本語の「おお牧場はみどり」に近い内容であるが、2番3番は内容がかなり違う。1番は訳詞といってもよいが、2番3番は中田が子供にも向くように作詞したのだろう。
尚、この歌は「みんなのうた」ではじめて歌われた訳ではなく、1955(昭和30)年3月、関鑑子編『青年歌集(四)』(音楽センター刊)に発表され、「うたごえ運動」によって歌い広められていった。
そういえば、私が社会人になった昭和30年代初頭全国各地に「うたごえ喫茶」があり、会社の同僚や学生時代の友人と一緒に良く歌いに行ったが、この歌も良く唄ったのを思い出したよ。リーダーの音頭のもと、店内の客が一緒に歌を唄うのだが、伴奏はピアノやアコーディオンのほか、大きな店では生バンドも入っていた。今の時代のようにマイクを使わず、皆で一緒に腹の底から声を出して唄えるので気持ちが良かったな~。
又、1956(昭和31)年の8月にNHKのラジオ歌謡でも歌われている(以下参考の※8参照)。
1961(昭和36)年の第1回NHK「みんなのうた」では、1番の歌詞が繰り返し歌われたそうだ。1番の英語版は、以下参考に記載の※9:「歌声入りの童謡・唱歌・演歌・歌謡曲・民謡・外国曲」のここで聴ける。
また、1961(昭和36)4月3日、第1回NHK「みんなのうた」で外国民謡の「おお牧場はみどり」と共に最初に歌われた楠トシエの「誰も知らない」は、谷川 俊太郎作詞、中田喜直作曲による新作ものであった。
楠 トシエ(本名:楠山敏江)は、1949(昭和24)年、21歳のとき、角筈(現在の西新宿)のムーランルージュ新宿座へ歌手として入団。1951(昭和26)年のムーラン解散前後から、以前より付き合いのあった三木鶏郎の誘いでNHKのラジオ番組「日曜娯楽版」に出演し、一躍全国区の歌手となり、1953(昭和28)年、25歳のとき、「NHK専属タレント第1号」となっていた(※10:kotobank参照)。
そして、1957(昭和32)年第8回から連続してNHK紅白歌合戦に出場(1963年、第14回)まで7回)。又、清酒黄桜の「かっぱの唄」(以下参考の※11 :「黄桜のサイトCM」参照)などCMソングの歌手としても活躍し、元祖「コマーシャルソングの女王」と呼ばれていた。
楠が「みんなのうた」で歌った「誰も知らない」が、どんな曲かは残念ながら当時の歌を聞いたことがないので私は知らないが、歌詞とそのMIDIは以下で聞ける。
誰もしらない(MIDI)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/daremoshiranai.html
これは谷川の童謡を詩にしたものらしいが、日常の中でふっと起こった「誰も知らない、ここだけの話」を短い言葉で表したもので、合間に入る「おこそとの・ほ」とか「いきしちに・ひ」といった言葉遊びも楽しいが、この谷川の原曲の4番にあたる「うしろを見たら ひとくい土人(どじん) わらって立ってた 」の「ひとくい土人」の部分が、「みんなのうた」では「大きな象」に差し替えられているものもあるようだ。これは、「ひとくい(人喰い)土人」が、いわゆる差別用語にあたり、放送には適さないということのようだ(以下参考の※12参照)が、1961(昭和36)年放送の「みんなのうた」で最初に歌われたものが、どのようなものであったかは定かではないが、LP等収録バージョンでは、“ひとくい土人”と原詩通り歌われているようだ。しかし、「でたらめのことば ひとりごと言って うしろを見たら ひとくい土人 わらって立ってた 」というのは、子供にはちょっと恐い話だよね~。
余談だが、谷川の童謡に林光が曲をつけたものに、「ひとくいどじんのサムサム」というものもある。以下参照。
ひとくいどじんのサムサム(MIDI)
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/hitokuidojinno.html
YouTube-ひとくいどじんのサムサム
http://www.youtube.com/watch?v=c-ctneSZMJs
この童謡について、谷川は『谷川俊太郎《詩》を語る』(澪標)で次のような発言をしているそうだ。
“「ひとくいどじんのサムサム」という童謡のようなものを書いたことがあって、今は「人食い土人」は差別用語とされているそうで困るんですが、林光さんが作曲してくれました。人食い土人がいて、お腹がすいたのでまず亀の子たわしを食べて、次に隣りに住んでいる自分の友だちを食べて、最後に自分を食べて、とうとう「ひとくいどじんのサムサムはいなくなった」というのをコミカルなファンタジーだと思ってぼくは書いたんですが、ある批評家の方が「これは核時代に滅びゆく人類の比喩である」と言われて、それで僕は初めて「すごくいい詩なんだなあ」とわかって(笑)、感激したことがあります」”・・・と(以下参考の※13:「教育言誤学」参照)。
ただ、私のような感性の低い者には難しくって、この童謡が谷川の言うようなコミカルなファンタジーだかどうかはよく分らないが、逆に、背に腹は変えられないと友達まで喰ってしまって最後は1人になり自分まで食べて死んでゆく人食い土人は、確かに、ある批評家の言っているような「核時代に滅びゆく人類の比喩」のような気がするよ。
今年の3月11日、三陸沖で発生した東北地方太平洋沖地震によって簡単に、福島第一原子力発電所における原子力事故などが起こってしまったが、飽くなき人間の欲求を満たすために、たとえ平和利用とはいってもの、このような危険な核エネルギーに頼らなくてはままならなくなってしまったのだが、これから先将来には、いずれ、SF漫画や映画などで見るような、核爆発や核戦争などによって地球が滅びてしまうのかもしれないな~。
この「みんなのうた」からは「山口さんちのツトム君」(1976年、唄:川橋啓史〔NHK東京児童合唱団〕)、「切手のないおくりもの」(1977年、歌:チューリップ)、「ビューティフル・ネーム」(1979年、歌:ゴダイゴ)、「一円玉の旅がらす」(1989年、唄:晴山 さおり)、「WAになっておどろう 〜イレアイエ〜」(1997年、唄:AGHARTA)、「おしりかじり虫」(2007年、うるまでるびが手掛けたアニメの歌)といったヒット曲も生まれた。
また、「大きな古時計」(1962年、保富康午:訳詞、唄:立川澄人)も2002(平成14)年に平井堅にカバーされて広く知られるようになり、「北風小僧の寒太郎」(1974年、唄:堺正章)は、1981(昭和56)年には北島三郎の歌で放送され、「さとうきび畑」(1975年、ちあきなおみ)の歌は、1~3番と最終部だけという超ショートバージョンであったが、1997(平成9年)年には森山良子によって、ちあきのバージョンとは異なる形のショートバージョンを「みんなのうたバージョン」として放送された。又、「WAになっておどろう」は長野オリンピックのイメージソングにも抜擢され話題となった。
他にも色々良い曲があり、私も大好きな番組であるが、このような番組を見ていると、やはり、民放にはないNHKの良さを感じるよね~。ま、ちゃんと、お金を払ってみているのだから、民法にはないNHKらしい番組つくりに励んで欲しいよね。
最後に、私の大好きな歌手であったちあきなおみバージョンの「さとうきび畑」を聞いて、このブログを終わることにしよう。
YouTube-さとうきび畑」(唄:ちあきなおみ)
http://www.youtube.com/watch?v=AEMJjO7rKos
(画像は、決定盤!!「NHKみんなのうた」ベスト。
参考:
1:NHKみんなのうた
http://www.nhk.or.jp/minna/
※2:後藤田純生氏死去 元NHKプロデューサー
http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031101000702.html
※3 :みんなのうた缶-NHKみんなのうた非公式サイト
http://www.interq.or.jp/orange/mitumi/utakan/
※4 :東京少年合唱隊とは
http://www.mars.dti.ne.jp/~ethereal/LSOT/about.html
※5:東京少年少女合唱隊
http://www.lsot.jp/
※6:世界の民謡。童謡;おお牧場はみどり
http://www.worldfolksong.com/songbook/others/makiba-midori.htm
※7:池田小百合:なっとく童謡・唱歌
http://www.ne.jp/asahi/sayuri/home/doyobook/doyo00sengo.htm#oomakiba
※ 8:日本ラジオ歌謡研究会
http://www.rajiokayou.net/index.html
※9:歌声入りの童謡・唱歌・演歌・歌謡曲・民謡・外国曲
http://14.studio-web.net/~yamahisa/index.html
※10:kotobank.jp
http://kotobank.jp/
※11:黄桜のサイトCM
http://kizakura.co.jp/ja/gallery/jidai/cm.html
※12:放送禁止用語(差別用語) 人種差別
http://www.jiko.tv/housoukinshi/sabetsu2.html
※13:教育言誤学
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/education/gengogaku5.html
元祖コマソンの女王"楠トシエ大全
http://joshinweb.jp/dp/4988003348991.html
60年代 懐かしの宝箱
http://homepage2.nifty.com/mtomisan/index.html
アカイさんノート
http://www.nhk.or.jp/archives-blog/2010/02/post_102.html
みんなのうた - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%9F