今日のことあれこれと・・・

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五輪旗が制定された日

2006-06-14 | 歴史
1914(大正3)年の今日(6月14日)は、 パリで開催されたオリンピック委員会で、世界の5大陸がオリンピック精神の下に交わることを象徴する『五輪旗』が制定された日。
近代オリンピックの象徴でもある五輪のマーク(オリンピック・シンボル)は、クーベルタン男爵が考案し、世界5大陸(ヨーロッパ・アジア・アフリカ・オセアニア・アメリカ)と五つの自然現象(火・水・木の緑・土の黒・砂の黄色)とスポーツの5大鉄則(情熱・水分・体力・技術・栄養)を、原色5色(および単色でも可)と5つの重なり合う輪で表現したもの。(左から青・黄・黒・緑・赤の5つの輪が「W」になるように組み合わせたもの)。5つの重なり合う輪はまた、平和への発展を願ったものである。
この五輪マークは、1914(大正3)年に、国際オリンピック委員会 (IOC)の創設20周年記念式典で披露され、1920(大正20)年のアントワープ大会から使用されているが、木綿で作られた五輪旗は一度盗まれ、1992(平成4)年のバルセロナ夏季大会から合成樹脂の五輪旗が使われているそうだ。
開会式では、『オリンピック賛歌』を合唱する事と、五輪旗・開催国旗掲揚、開催国の国歌斉唱、最終聖火ランナーによるトーチ点灯、そして平和の象徴の鳩が飛ばされることになっている(動物愛護協会の反対もあり、1998(平成10)年の長野大会からはモニター映像による鳩飛ばしが恒例になった)。(フリー百科事典『ウィキペディア』)
大空と大地に 生気あふれて 不滅の栄光に輝く
高貴と真実と 美をば創りし 古代の御霊を崇めよ
すべての競技に 奮い立てよ
緑の枝の栄冠を 目指してここに戦うものに
鉄の力と新たなる精神を与えよ
野山も海原も 今こそきらめく
真紅と純白の神殿に
世界の国民(くにたみ)
四方(よも)の国より
聖なる園に 集い来(きた)るは 古き昔の
永遠(とわ)なる精神の 御前(みまえ)にひれ伏すためぞ
『オリンピック賛歌』日本語歌詞・訳詞: 野上彰 。
『オリンピック賛歌( Olympic Anthem)』(作詞:コスティス・パロマ、作曲:スピロ・サマラ)は、1896(明治29)年4月6日(グレゴリオ暦)、第1回夏季・アテネ大会の開会式において演奏された。その後、オリンピックでは賛歌が演奏されなかったり、別の賛歌が演奏されたりして、この曲は忘れ去られていたが、たまたま、賛歌の古い楽譜がギリシャで見つかり、NHK交響楽団が、あらためて採譜、編曲して、1958(昭和33)年5月、東京で開かれた第55次IOC総会の開会式で演奏、披露したそうだ。IOCは日本の善意と曲の素晴らしさに感激、以後この曲を公式に認定し今日に至っているのだという。
4年に1回、IOC が開催する近代の世界的なスポーツ大会「オリンピック」は、日本ではそのシンボルマークから五輪とも呼称されている。古代ギリシアのオリンピアの祭典をヒントにクーベルタン男爵によって発想されたもので、「オリンピック」はゼウスの神殿のあったオリュンポス(オリンピア)の名前を冠しており、IOCなどでは、オリンピアを真実の女神と神格化しているという。しかし、現在の五輪が、古代五輪の慣行を模倣しようとしていまだ果たせないことがあり、それは五輪停戦である。
古代ギリシャでは4年に一度、五輪開催に先だち、オリンピアから各都市国家に、オリーブの輪をいただいた五輪停戦布告の使者がたち、五輪の前後3か月間(当初は1か月)、五輪に参加する都市国家と植民地はすべて、武器を取ることを放棄すべしとした。そしてこの五輪停戦は守られたという。では、なぜ停戦が奏を功したのかというと、違反した場合の高額の罰金もあったろうが、それ以上に、最高神ゼウスにささげる五輪祭典の性格上、「神の怒りを恐れた」というのが本当のところだっただろうという。ただし停戦には抜け穴があって、協定に縛られたのは五輪に参加する古代ギリシャ国家だけで、ギリシャ外に起因する戦争は、この限りではなかったという。ペルシャ戦争や、ローマ帝国支配下での内戦では、応戦したり金銭を積んだりと、五輪開催を保証するため苦労した痕跡も見え、五輪停戦は、同じ神を奉じ、五輪の重要性を共有した古代ギリシャ文化圏内でのみ可能だったようだ。
近代のオリンピックでは、世界の殆どの国が参加し、理念としては、古代の平和の祭典の復興を目指してはいるが、二度の世界大戦や、ミュンヘン大会におけるテロ事件、冷戦下でのアフガニスタン戦争に伴う東西のボイコット合戦など、時々の国際政治の影響を大きく受けているのが現実である。
又、千百年以上も続いた古代五輪の終焉の直接の原因は、ローマ皇帝テオドシウスによる、キリスト教以外を認めない異教禁止令だったという。しかし、内部から五輪存続をむしばんだ、もう一つの理由があり、それは「理念の喪失」だったという。神に対して、神に近づくための人間の努力をささげる。その鍛錬をめでて、神が勝利を与える。古代五輪の初期、「なぜ走るのか」への答えは、「そこに神がいるから」とでもなった。しかし、神に感謝をささげていた優勝者が、三百年余りで、自分の銅像に自分の名前を彫り込むようになる。このような勝利の栄誉と報酬が、個人や都市国家に属し始めたのが「変質」の兆しだったという。
近代オリンピックも、大会の大規模化とともに開催に伴う開催都市負担が問題となり、五輪は聖なる祭典ではなく、単なるショー化し、大会ごとに企業にオリンピックマークの独占的な使用をスポンサードとともに許可するなど、商業化されるようになった。又、オリンピックは発足当初からアマチュア選手のみに参加資格を限ってきたものが、旧共産圏のステートアマ問題などもあり、プロ選手の参加が段階的に解禁されるようになった。そして、競技の公平さも、肉体の健全さも無視する不正審判やドーピング問題も後を絶たない。ロサンゼルス大会のころからサマランチ会長のもと商業主義が加速したといわれ、近年は誘致活動にIOC委員への賄賂が提供されたことなどが問題にもなった。
”五輪憲章は、近代五輪の理念を「スポーツを通じた青少年の教育によって、体、精神、心のバランスが取れた健全な人間と、人間の尊厳を守る平和な社会を作ること」だとうたう。圧倒的な商業主義の嵐の中で、五輪は理念の灯を、額に入った言葉ではなく、真の存在意義として、いつまで掲げていけるだろうか・・・”。そのようなことを案じて、以下参考の「オリンピック物語(YOL=読売新聞)」では、オリンピックの様々な問題を採りあげ特集を組んでいる。興味のある方は、是非、御覧あれ・・・。
又、今日は、「フラッグデー (アメリカ合衆国)」、つまり、1777年、「星条旗」を正式にアメリカ合衆国の国旗と定めた日でもある。この「フラッグデー」についても、前に、私のブログで採りあげたので、良かったら見てください。→今日(6月14日)は、「フラッグデー (アメリカ合衆国)」
(画像は、「五輪旗」)
参考:
JOC - 日本オリンピック委員会
http://www.joc.or.jp/
近代オリンピック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF
オリンピック物語(YOL=読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/athe2004/special/monogatari/


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