今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

初めて『軍艦マーチ』が演奏された日

2006-04-30 | 歴史
1900(明治33)年 の今日(4月30日)は、神戸沖の観艦式で初めて『軍艦マーチ』が演奏された 。
この日、明治天皇を招き神戸沖でおこなわれた海軍初の大演習観艦式で、初演奏された通称『軍艦マーチ』の正式名称は「軍艦行進曲」であり、その名の通り軍艦の艦上で演奏された。
「守るも攻むるもくろがねの・・・」
この勇ましい曲、戦後は、パチンコ屋などでよく聞かれた軍艦マーチこと『軍艦行進曲」』は、「旧友」(ドイツ)、「星条旗よ永遠なれ」(米国)とともに世界三大行進曲の一つとして知られており、現在の海上自衛隊でも、観艦式などで使用されている。
この曲は、1893(明治26)年発行の「小学校唱歌」で発表された「軍艦」という唱歌(作詞鳥山啓/作曲山田源一郎:元のメロディは3拍子の全く違う曲)の歌詞に、1897(明治30)年、軍楽師の瀬戸口藤吉が軽快な2拍子のメロディをつけたものだそうだ。しかし海軍から、1900(明治33)年に行われる観艦式用の楽曲として使いたいとの要請があり、瀬戸口は吹奏楽用の勇ましい行進曲として再編曲。さらに間奏部分に、当時唱歌として親しまれていた東儀季芳作曲の「海ゆかば」を導入し、軍艦行進曲として完成させたという。
瀬戸口藤吉(せとぐちとうきち、1868年~1941年)は、現・鹿児島県垂水市出身の音楽家の一人で旧海軍軍楽隊長をしていた。他にも「愛国行進曲 」など数々の行進曲が作られている。又、余談だが、唱歌「軍艦」の作詞者鳥山啓(とりやまひらく)は、田辺の大庄屋の次男で和歌山師範学校教員のち、和歌中学教員となり、理化学、博物、作文など教えたが百科に通じ地理、洋楽にもすぐれていたそうで、和歌山中学に入学した南方熊楠の貪欲な才能と知識欲を愛した鳥山は熊楠に博物学の手ほどきと、採集の方法、分類、記録、標本づくりを指導し、ときには新刊の動・植物学の原書を貸し与えたりしたという。熊楠が生涯にただひとり、「先生」と呼んだ人だといわれている。
観艦式(かんかんしき)というのは、軍事パレードのひとつであり、艦艇を並べて壮行する式のこと。観艦式の起源は、1341年、英仏の百年戦争の最中に、イングランドの王、エドワード3世が自軍艦隊の威容を観閲したことに始まるそうで、現在各国で行なわれている観艦式の様式は、1897(明治30)年、イギリスのビクトリア女王即位60年祝賀の際に挙行されたものが基となっているという。
我が国では、1868年4月18日(慶応4=明治元年3月26日)、明治天皇を迎えて大阪・天保山沖で実施された「海軍天覧」が日本で初めての観艦式であるが、1890年(明治23年)に神戸沖で実施された「海軍観兵式」が近代海軍としての観艦式の始まりである。名称としての「観艦式」という言葉が最初に使われたのは、、第4回目に当たる1900(明治33)年の今日、神戸沖で行われた「大演習観艦式」からである。公式な観艦式は、1868(明治元)年に天保山沖で行なわれたものから18回行われており、内6回神戸沖で行われているが、明治時代に実施された6回中4回は、神戸沖で行われている。特に、1905(明治38)年の日露戦争凱旋観艦式と、1928年(昭和3年)の昭和天皇即位の大礼に伴う観艦式は、外国の軍艦も参加する盛大なものであったという。また、旧海軍最後の第18回観艦式は、1940(昭和15)年横浜沖において実施された紀元2600年記念特別観艦式であり、これも盛大に行われている。
かつては、味方の艦隊を天皇陛下が観閲することにより、軍の士気を高め、国民や友好勢力には、精強さをアピールすると共に、敵勢力に対する示威行為とすることであったが、現在では、国家の祝典の際や、自国の国民の海軍に対する理解を深めることを主要な目的としてほぼ3年おきに海上自衛隊が行っている。1989年(平成元年)からは、一般市民も公募で見学できるようになった。
最近のものでは、海上自衛隊は、2002(平成14)年 10月、創設50周年にあたって、多国間安全保障対話として第8回西太平洋海軍シンポジウムを、多国間共同訓練として多国間捜索救難訓練を主催するとともに、また、国際観艦式を行っている。国際観艦式とは、通常、国家的な節目となる記念日などに多数の外国海軍艦艇の参加を得て行われるものであり、このときには、11か国17隻の外国海軍艦艇の参加を得て、海上自衛隊艦艇24隻を合わせた41隻の艦艇で、晴天の下、東京湾で行われている。
『軍艦マーチ』で思い出されるのが、名匠小津安二郎監督 の映画「秋刀魚の味」(1962年)。共に暮らす娘の婚期を気にかけながら生きる元海軍将校のサラリーマン(笠智衆)は、やがて娘を嫁がせることになる・・・秋刀魚の味という題目の通り、娘を嫁に出す心境に至るまでの父親のほろ苦い心情変化がよく描かれた映画であるが、ラストシーン、娘の結婚式の夜、岸田今日子のいる飲み屋で『軍艦マーチ』を聞きながら、海軍時代駆逐艦「あさかぜ」の艦長であった笠がその部下であった加藤大介と敬礼を交わし続けるせつないシーンが印象的であった。加藤大介の「ねぇ艦長、どうして日本負けたんですかね?」に始まる会話。境遇こそ違え、敗戦を体験し、戦後苦労をして現在の地位を築いた男達が、過ぎ去った日々を振り返りながら酒を飲む。そして「戦争に負けてよかったじゃないか」と言う。戦争の記憶がまだ新しい時代、戦争体験と云うものに対する日本人のメンタリティをなにげなく描いた名場面でもある。1937(昭和12)年9月~1939(昭和14年)年7月、一下士官として中国大陸で従軍。1943(昭和18)年6月には軍報道部映画班としてシンガポールに赴任、終戦の日を同地で迎えた小津安二郎監督 は、映画「東京物語」でも旧友再会シーンで『軍艦マーチ』を使っているが、この「秋刀魚の味」でも戦友再会シーンで『軍艦マーチ』が流れる。このシーンのユーモラスでありながら哀切極まりない情緒こそ小津自身の戦友たちへの鎮魂なのだろう。私が社会に出て、居酒屋あたりで飲んでいた昭和30年代初期にはまだ、大勢の人たちが『軍艦マーチ』を歌っていた。この曲をを聴いて、パチンコ屋ではなく、あの苦い戦争を思い出す人は、もう、我々ぐらいの年代ぐらいまでだろうな~。戦争を思い出しながら、一曲歌いますか!!
MIDI「軍艦行進曲 」(天翔艦隊)
(画像は「2002年国際観艦式記念」80円郵便切手。2002年10月1日発行。)
参考:
観艦式 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E8%89%A6%E5%BC%8F
観艦式の歴史
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/JmsdfRv.html
軍艦行進曲 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E8%89%A6%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%81
軍艦マーチの碑
http://www.kkr.mlit.go.jp/kinan/kosaka/kosaka_027.html
おんがく日めくり | YAMAHA
http://www.yamaha.co.jp/himekuri/view.php?ymd=19990430
百年戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89
秋刀魚の味 - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD20891/?flash=1
ダイスポシネマ館
http://www.daispo.com/othercolumn/sanma.htm
小津安二郎と戦争
http://www.msz.co.jp/titles/06000_07999/ISBN4-622-07148-7.html
小津安二郎 (東京物語)
http://www3.ocn.ne.jp/~zip2000/ozu-yasujirou.htm
天翔艦隊
http://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/tensyofleet.htm
解説 国際観艦式
http://jda-clearing.jda.go.jp/hakusho_data/2003/2003/html/1545c100.html



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