当然のことながら、朝鮮戦争開戦の原因については、南北それぞれ相手側の侵略で始まったと主張し対立しているわけであるが、すでに公表されている下記のようなアメリカの外交文書(生々しい公電・訓電のやり取り)を読むと、ある程度その真実に近づけるように思われる。もちろん、韓国の李承晩政権を”アメリカの傀儡政権”と位置づけていた北朝鮮の主張についてもいろいろな面から検討しなければならないと思う。しかし、開戦の原因やその状況についてまとめた北朝鮮側の書物を探しているが、残念ながら未だ手に入れることができない。(北朝鮮におけるアメリカ軍や国連軍の残虐行為については、すでに三つの調査団の報告を抜粋した)朝鮮戦争開戦に関わるアメリカの外交文書については「朝鮮戦争の六日間<国連安保理と舞台裏>」瀬田宏(六興出版)からところどころを抜粋した。
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公電(925号・926号)訓電(612号・613号)と開戦の原因
開戦の第一報は、ワシントン時間(米東部夏時間)6月24日、土曜日の午後9時26分、受信されている。北朝鮮軍が火ぶたを切ってから約6時間半後である。この公電925号の発信者は、ジョン・J・ムチオ駐韓米大使。受取人はW・ディーン・アチソン国務長官であった。「コンフィデンシャル(極秘)」となっていた。内容は以下の通りである。
「韓国軍の報告──その一部は在韓米軍事顧問団の報告によって確認されている──によると、北朝鮮軍はけさ(韓国時間6月25日朝)数地点で韓国領内に侵入した。作戦行動は午前4時(米東部夏時間6月24日午後3時)ごろ開始され、甕津が北朝鮮軍の砲撃を受けた。6時頃、北朝鮮軍が甕津地区、開城地区、春川地区で38度線を越えたほか、東海岸のの江陵南方で上陸作戦が行われたと伝えられる。開城は、戦車約10両の加わった北朝鮮軍に午前9時占領されたと伝えられる。戦車を先頭にした北朝鮮軍は春川に接近中と伝えられる。江陵地区では、北朝鮮軍は国道を分断したようだが、戦闘の詳細は不明である。けさ、在韓米軍顧問、韓国当局者(いずれも複数)と協議中。開始された攻撃の性格と方法からみて韓国に対する全面攻勢と思われる。
ムチオ」
ワシントンでは、ムチオ大使からの公電と入れ違いに、アチソン国務長官が在韓米大使館あてに短い訓電612号を送っていた。発信時間は米東部夏時間6月24日午後10時。
「UP(現在のUPI)至急報は今夜(米東部夏時間24日夜)北朝鮮軍が境界線を越えて全面攻撃を開始したと報じている。戦車多数が使われている。(韓国)陸軍第1師団は敗退中と伝えられる。ジャック・ジェームス(UP韓国特派員)の記事。至急協議せよ。
アチソン」
国務省が、安保理開催に向けてフル回転し始めて間もなく、ムチオ大使から2本目の公電926号が入ってきた。宛先はアチソン長官。受信時間は米東部夏時間6月24日午後11時47分。在韓米軍事顧問団の放送「WVTP」を通じて行われた。戦争発生と、その後の戦況などについてのムチオ大使の米軍要員向け発表を報告してきたものであった。開戦直後の緊迫した空気が文面にあふれていた。
「本日(韓国時間25日)午後1時軍事顧問団放送を通じて以下の発表が行われつつある。
『特別発表があるのでまってほしい。
WVTPは、次の発表を行うことを大使から認められた。
けさ4時、北朝鮮軍部隊が北緯38度線ぞいの数カ所で韓国の防衛地点に対して、いわれのない攻撃を開始した。現在、戦闘が38度線ぞいの数地点で進行中である。
韓国国防軍は用意された陣地につき、北側の侵略に抵抗しつつある。韓国政府と軍は、いずれも情勢を冷静に処理中である。しかし、今のところ、北側の共産主義者が全面戦争への突入を意図しているかどうか分からない。新しい情勢は、この放送局を通じて定期的にお伝えする。ダイヤルを引き続きWVTPに合わせておいてほしい。
軍要員は、必要なもの以外、旅行はできるだけ控えるようにおすすめする。大使は軍要員に対し、自宅か自分の部署にとどまるよう要求している。次の発表は午後3時に放送する』
ムチオ」
午前2時、今度はワシントンからソウルに訓電613号が飛んだ。「コンフィデンシャル」扱いである。
「6月25日付至急電925号、同926号受信。国連安保理の行動を計画中。引き続き細大漏らさず報告の要あり。米政府全機関は警戒態勢に入った。
アチソン」
今でこそ、韓国軍は陸、海、空、海兵隊四軍合わせて正規軍の兵力60万1千人、このほか正規軍予備役152万2千人、現役除隊者による郷土予備軍330万人と、自由世界アジアでは、最大の勢力を誇り、装備も戦車、ミサイル、戦闘機など、近代兵器を持っているが、36年前はその日の食糧にもこと欠く状態だった。北朝鮮軍が越境してきた6月25日は、前にも述べたように日曜日で、兵舎はもぬけのカラだったという。皆週末を家族と過ごすため、営外宿泊を認めていたからだった。韓国軍首脳部は、不足する食糧を少しでも節約しようと、苦肉の策を講じたのである。
無論、こうした慣行は北朝鮮側に筒抜けになっていたに違いない。日曜日の朝を選んで攻撃を開始したのも、韓国軍の防衛ラインが手薄になるの知っていたからだろう。韓国軍側は、北朝鮮の侵攻など、夢にも考えていなかった。北朝鮮軍が大兵力を集結しているとの情報を事前につかんでいたら、兵舎を空にするようなことはしなかったはずである。常に有事に備えていなければならない最前線の指揮官、白善燁陸軍大佐でさえ、北朝鮮軍の南下を全く予期せず、部下が息せき切って敵軍の接近を知らせてきた時、前夜、景気よくあおった焼酎のおかげで、頭も上がらぬ二日酔い状態だったという。
……北朝鮮軍は開戦4日目の6月28日ソウルを占領した。38度線からソウルまでは直線距離で約45キロしかないが、ヒトラーの電撃戦に匹敵するスピードであった。
北朝鮮軍の南進がスターリン書記長の意思によるものであったかどうかは別として、北側に南への侵攻を決意させる誘因が、確かに存在していた。その一つは、米国の韓国向け援助の内容である。そのころ、米国の援助は、日本に対すると同様に、食糧に重点がおかれていた。軍事援助はタカが知れていた。米国議会は韓国向け援助には関心が薄く、特に下院外交委員会は、軍事援助に難色を示した。それは、米軍部が、韓国を防衛することはできないとの見方を持ち、議会でそう証言していたからでもあった。北から本格的な攻撃が行われた場合、朝鮮半島は戦略的に防衛不能であるというのである。このため、韓国国民に向けたさまざまな形の援助が大量に注ぎ込まれていたが、韓国軍に対しては、小火器と防衛用システムが供与されただけで、北朝鮮軍の航空機や戦車と対抗できる兵器は、何もあたえられなかった。こうした韓国軍の弱体ぶりは、北朝鮮軍は十分に承知していたし北朝鮮軍を南進に駆り立てる誘因の一つとなったとされている。
韓国側も米国に対して、防衛兵器を供与するよう特に強い要求は持ち出さなかった。「自由で独立した統一朝鮮の実現」というのが米国の政策であったし、李承晩大統領は、北朝鮮の国民が自分の到着を待ち望んであり、北に行けば熱狂的な歓迎を受け、朝鮮は統一されると信じ込んでいたという。朝鮮戦争に先立ち、38度線ぞいに頻発していた南北間の衝突について、米側では、韓国軍が北進するのではないかと、警戒さえしていた。
北朝鮮軍南進の誘因となったと見られるもう一つの要素は、1950年1月12日のアチソン国務長官の演説があげられている。アチソン長官はこの日、ワシントンのナショナル・プレスクラブで、米国のアジア政策全般について、その方針をあきらかにしたもので、太平洋における米国の防衛圏内に韓国と台湾は入らないことを示唆していた。全文ざっと7千語、おそらく1時間はたっぷりかかったと思われる長い演説の中から、問題の箇所をを取り出してみよう。
「太平洋地域の軍事的安全保障についての情勢はどうなっているか。また、この点に関するわれわれの政策はどうなっているか。第一に、日本の敗北と武装解除によって、われわれの安全保障のために、全太平洋地域の安全保障のために、特に、日本の安全保障のために必要とされる限り、米国が日本の軍事的防衛を引き受けなければならなくなった。私は、日本の防衛を放棄するとか、弱めるとかするつもりは毛頭ないこと、防衛は続けなければならないし、また続けられるであろうことを保証する」
「この防衛圏は、アリューシャン列島から日本へ達し、次いで琉球諸島に伸びている。われわれは琉球諸島に重要な防衛陣地を維持しており、引き続き維持する。琉球諸島の住民のために、われわれはこれらの諸島を国連の信託統治の下におくよう適当な時期に提案するつもりである。しかし、これらの諸島は太平洋防衛圏の極めて重要な部分であり、これら諸島はいじされなければならないし、維持されるであろう」
「この防衛圏は、琉球諸島からフィリピン群島に到達している。フィリピンとわれわれの関係、われわれの防衛に関する関係は、両国の諸取り決めの中に含まれている」
アチソン長官が、「米国の防衛圏」について述べた部分には「韓国」も「台湾」も出てこない。……
もっとも、アチソン長官はその後で「日本に対しては、われわれは直接責任を負っており、機会があれば直ちに行動する。韓国についても、より小さい度合いで同様のことが言える」と明言しているが、こうした表現では、韓国は米国の太平洋防衛圏内に入っていないと受け止める方が自然であろう。スターリン書記長は、この演説について知らされ、朝鮮半島で事を起こしても、米国は介入しないと判断したのではなかろうか。
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アチソン長官の演説で「韓国」が「米国の防衛圏」入っていないことを知ったスターリンが、米国は介入しないと判断し、北朝鮮(金日成)に38度線を越えて南進することを許可したのではないかと考えられているのである。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。
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公電(925号・926号)訓電(612号・613号)と開戦の原因
開戦の第一報は、ワシントン時間(米東部夏時間)6月24日、土曜日の午後9時26分、受信されている。北朝鮮軍が火ぶたを切ってから約6時間半後である。この公電925号の発信者は、ジョン・J・ムチオ駐韓米大使。受取人はW・ディーン・アチソン国務長官であった。「コンフィデンシャル(極秘)」となっていた。内容は以下の通りである。
「韓国軍の報告──その一部は在韓米軍事顧問団の報告によって確認されている──によると、北朝鮮軍はけさ(韓国時間6月25日朝)数地点で韓国領内に侵入した。作戦行動は午前4時(米東部夏時間6月24日午後3時)ごろ開始され、甕津が北朝鮮軍の砲撃を受けた。6時頃、北朝鮮軍が甕津地区、開城地区、春川地区で38度線を越えたほか、東海岸のの江陵南方で上陸作戦が行われたと伝えられる。開城は、戦車約10両の加わった北朝鮮軍に午前9時占領されたと伝えられる。戦車を先頭にした北朝鮮軍は春川に接近中と伝えられる。江陵地区では、北朝鮮軍は国道を分断したようだが、戦闘の詳細は不明である。けさ、在韓米軍顧問、韓国当局者(いずれも複数)と協議中。開始された攻撃の性格と方法からみて韓国に対する全面攻勢と思われる。
ムチオ」
ワシントンでは、ムチオ大使からの公電と入れ違いに、アチソン国務長官が在韓米大使館あてに短い訓電612号を送っていた。発信時間は米東部夏時間6月24日午後10時。
「UP(現在のUPI)至急報は今夜(米東部夏時間24日夜)北朝鮮軍が境界線を越えて全面攻撃を開始したと報じている。戦車多数が使われている。(韓国)陸軍第1師団は敗退中と伝えられる。ジャック・ジェームス(UP韓国特派員)の記事。至急協議せよ。
アチソン」
国務省が、安保理開催に向けてフル回転し始めて間もなく、ムチオ大使から2本目の公電926号が入ってきた。宛先はアチソン長官。受信時間は米東部夏時間6月24日午後11時47分。在韓米軍事顧問団の放送「WVTP」を通じて行われた。戦争発生と、その後の戦況などについてのムチオ大使の米軍要員向け発表を報告してきたものであった。開戦直後の緊迫した空気が文面にあふれていた。
「本日(韓国時間25日)午後1時軍事顧問団放送を通じて以下の発表が行われつつある。
『特別発表があるのでまってほしい。
WVTPは、次の発表を行うことを大使から認められた。
けさ4時、北朝鮮軍部隊が北緯38度線ぞいの数カ所で韓国の防衛地点に対して、いわれのない攻撃を開始した。現在、戦闘が38度線ぞいの数地点で進行中である。
韓国国防軍は用意された陣地につき、北側の侵略に抵抗しつつある。韓国政府と軍は、いずれも情勢を冷静に処理中である。しかし、今のところ、北側の共産主義者が全面戦争への突入を意図しているかどうか分からない。新しい情勢は、この放送局を通じて定期的にお伝えする。ダイヤルを引き続きWVTPに合わせておいてほしい。
軍要員は、必要なもの以外、旅行はできるだけ控えるようにおすすめする。大使は軍要員に対し、自宅か自分の部署にとどまるよう要求している。次の発表は午後3時に放送する』
ムチオ」
午前2時、今度はワシントンからソウルに訓電613号が飛んだ。「コンフィデンシャル」扱いである。
「6月25日付至急電925号、同926号受信。国連安保理の行動を計画中。引き続き細大漏らさず報告の要あり。米政府全機関は警戒態勢に入った。
アチソン」
今でこそ、韓国軍は陸、海、空、海兵隊四軍合わせて正規軍の兵力60万1千人、このほか正規軍予備役152万2千人、現役除隊者による郷土予備軍330万人と、自由世界アジアでは、最大の勢力を誇り、装備も戦車、ミサイル、戦闘機など、近代兵器を持っているが、36年前はその日の食糧にもこと欠く状態だった。北朝鮮軍が越境してきた6月25日は、前にも述べたように日曜日で、兵舎はもぬけのカラだったという。皆週末を家族と過ごすため、営外宿泊を認めていたからだった。韓国軍首脳部は、不足する食糧を少しでも節約しようと、苦肉の策を講じたのである。
無論、こうした慣行は北朝鮮側に筒抜けになっていたに違いない。日曜日の朝を選んで攻撃を開始したのも、韓国軍の防衛ラインが手薄になるの知っていたからだろう。韓国軍側は、北朝鮮の侵攻など、夢にも考えていなかった。北朝鮮軍が大兵力を集結しているとの情報を事前につかんでいたら、兵舎を空にするようなことはしなかったはずである。常に有事に備えていなければならない最前線の指揮官、白善燁陸軍大佐でさえ、北朝鮮軍の南下を全く予期せず、部下が息せき切って敵軍の接近を知らせてきた時、前夜、景気よくあおった焼酎のおかげで、頭も上がらぬ二日酔い状態だったという。
……北朝鮮軍は開戦4日目の6月28日ソウルを占領した。38度線からソウルまでは直線距離で約45キロしかないが、ヒトラーの電撃戦に匹敵するスピードであった。
北朝鮮軍の南進がスターリン書記長の意思によるものであったかどうかは別として、北側に南への侵攻を決意させる誘因が、確かに存在していた。その一つは、米国の韓国向け援助の内容である。そのころ、米国の援助は、日本に対すると同様に、食糧に重点がおかれていた。軍事援助はタカが知れていた。米国議会は韓国向け援助には関心が薄く、特に下院外交委員会は、軍事援助に難色を示した。それは、米軍部が、韓国を防衛することはできないとの見方を持ち、議会でそう証言していたからでもあった。北から本格的な攻撃が行われた場合、朝鮮半島は戦略的に防衛不能であるというのである。このため、韓国国民に向けたさまざまな形の援助が大量に注ぎ込まれていたが、韓国軍に対しては、小火器と防衛用システムが供与されただけで、北朝鮮軍の航空機や戦車と対抗できる兵器は、何もあたえられなかった。こうした韓国軍の弱体ぶりは、北朝鮮軍は十分に承知していたし北朝鮮軍を南進に駆り立てる誘因の一つとなったとされている。
韓国側も米国に対して、防衛兵器を供与するよう特に強い要求は持ち出さなかった。「自由で独立した統一朝鮮の実現」というのが米国の政策であったし、李承晩大統領は、北朝鮮の国民が自分の到着を待ち望んであり、北に行けば熱狂的な歓迎を受け、朝鮮は統一されると信じ込んでいたという。朝鮮戦争に先立ち、38度線ぞいに頻発していた南北間の衝突について、米側では、韓国軍が北進するのではないかと、警戒さえしていた。
北朝鮮軍南進の誘因となったと見られるもう一つの要素は、1950年1月12日のアチソン国務長官の演説があげられている。アチソン長官はこの日、ワシントンのナショナル・プレスクラブで、米国のアジア政策全般について、その方針をあきらかにしたもので、太平洋における米国の防衛圏内に韓国と台湾は入らないことを示唆していた。全文ざっと7千語、おそらく1時間はたっぷりかかったと思われる長い演説の中から、問題の箇所をを取り出してみよう。
「太平洋地域の軍事的安全保障についての情勢はどうなっているか。また、この点に関するわれわれの政策はどうなっているか。第一に、日本の敗北と武装解除によって、われわれの安全保障のために、全太平洋地域の安全保障のために、特に、日本の安全保障のために必要とされる限り、米国が日本の軍事的防衛を引き受けなければならなくなった。私は、日本の防衛を放棄するとか、弱めるとかするつもりは毛頭ないこと、防衛は続けなければならないし、また続けられるであろうことを保証する」
「この防衛圏は、アリューシャン列島から日本へ達し、次いで琉球諸島に伸びている。われわれは琉球諸島に重要な防衛陣地を維持しており、引き続き維持する。琉球諸島の住民のために、われわれはこれらの諸島を国連の信託統治の下におくよう適当な時期に提案するつもりである。しかし、これらの諸島は太平洋防衛圏の極めて重要な部分であり、これら諸島はいじされなければならないし、維持されるであろう」
「この防衛圏は、琉球諸島からフィリピン群島に到達している。フィリピンとわれわれの関係、われわれの防衛に関する関係は、両国の諸取り決めの中に含まれている」
アチソン長官が、「米国の防衛圏」について述べた部分には「韓国」も「台湾」も出てこない。……
もっとも、アチソン長官はその後で「日本に対しては、われわれは直接責任を負っており、機会があれば直ちに行動する。韓国についても、より小さい度合いで同様のことが言える」と明言しているが、こうした表現では、韓国は米国の太平洋防衛圏内に入っていないと受け止める方が自然であろう。スターリン書記長は、この演説について知らされ、朝鮮半島で事を起こしても、米国は介入しないと判断したのではなかろうか。
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アチソン長官の演説で「韓国」が「米国の防衛圏」入っていないことを知ったスターリンが、米国は介入しないと判断し、北朝鮮(金日成)に38度線を越えて南進することを許可したのではないかと考えられているのである。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表があります。
一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。