戦争放棄・戦力の不保持をうたった日本国憲法は、GHQの占領下、1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された。その日本国憲法が、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発によって、いとも簡単に踏みにじられることになった。戦力としての日本軍4個師団の編制が、警察予備隊としてカムフラージュされスタートしたのである。GHQ民事局長シェパード少将の下で、在日米軍事顧問団幕僚長として日本軍4個師団の編制を担当した著者のコワルスキーは、日本再軍備の動機や経過を米軍自らの対応の拙さも含め、正直かつ正確に書き記している。「シリーズー戦後史の証言ー占領と講話ー⑧ 日本再軍備 米軍事顧問団幕僚長の記録」フランク・コワルスキー、勝山金次郎訳(中公文庫)からの抜粋である。
下段は、マカーサー元帥名の「日本警察力の増強に関する吉田首相への書簡」(1950年7月8日付)を「自衛隊の歴史」前田哲男(ちくま学芸文庫)から抜粋したものであるが、朝鮮に出動した米軍4個師団に取って代わる警察予備隊を装った日本軍4個師団の編制を「許可する」というかたちで、命令しているものである。
1--------------------------------
第1部 かくて再軍備は始まったーその動機と構想
第1章 天恵と朝鮮動乱
対日占領政策
・・・
これらの指令や政策(連合国極東委員会から連合軍最高司令官マッカーサーに伝送されたもの)は、部分的には異常にきびしくまた制約的なところもあるが、総じて言えば、進歩的な近代民主主義国家を設立することを目的としており、これに基づいて、連合軍最高司令官マッカーサー元帥は世界史上未曾有の平時大革命を実行したのである。
まず日本を完全に武装解除し、天皇を除く戦争責任者および戦争支持者を容赦なくパージした。パージリスト(追放者名簿)には、すべての正規軍人将校および戦時中強い影響力をふるい、勢力を誇った政界・財界・実業界の指導者の名が含まれていた。また天皇を神格より格に引きおろし、婦人に参政権を与え、軍隊および戦力保持を永久に禁ずる超民主的な憲法を無理押しに制定発布させた。
・・・(以下略)
マッカーサー元帥の決断
・・・
……こうして朝鮮戦争勃発より3週間後には日本国内に残されていたのは第7師団と若干の陸軍管理部隊と空軍部隊のみとなり、その第7師団も出動態勢をとるよう指令されていた。
この危機に臨み、アメリカは共産軍の侵略を阻止するに必要な兵力はもはや日本には存在しないと認識した。更にいろいろ検討を加えた結果、本国からの増援は少なくともここ数ヶ月は期待できないことが分かった。われわれには原子爆弾はあったが、地上予備軍はなかったのである。第7師団が朝鮮に出動すれば、海外からの攻撃は言うに及ばず、国内の反乱からも日本政府やわれわれの基地を守ってくれる地上部隊はいなくなってしまう。9000万の日本はその時までには完全に武装解除を終わっていた。その時持っていた軍艦、航空機、戦車、軍用車、火砲、機関銃、小銃などはすべて屑山と化した。日本将校の身につけていた軍刀までも米国へ帰る米軍人・軍属などが記念品として荷物の中に入れて運び去ってしまっていた。日本は完全な無防備状態にあった。
・・・
彼(マッカーサー)はポツダムにおける国際協定に反し、極東委員会よりの訓令を冒し、日本国憲法にうたわせた崇高な精神をほごにし、本国政府よりほとんど助力を得ずして日本再軍備に踏み切ったのである。
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第3章 忍び足の再軍備
開戦下の総司令部
・・・
オフィスに入ると彼は(GHQ民事局局長シェパード少将)、「ドアを閉めてかけたまえ」と命令した。私は胸の鼓動を感じながら、いわれる通り彼と向かい合ってすわった。少将は手を組み合わせて机の上に置き、深刻な面持ちで語り始めた。
「フランク、きみが連隊長の職を望む気持ちはよく分かるが、きみは朝鮮へは行けないよ。わしがきみを放せないんだ。2人で日本でしなければならぬ大役があるのだ。わしはマッカーサー元帥から、警察予備隊を組織する大役を仰せつかったんだ。警察予備隊というのは、さしあたり4個師団編制で、定員75,000の日本防衛隊のことだが、将来の日本陸軍の基礎になるものだ。きみはわしの幕僚長になるのだ。だから、朝鮮はあきらめろ」
私の頭は少将の今言った事柄のもつ重大な意味をはかり知ろうとして渦を巻いている間に、彼は手さげ鞄をあけて、中から極秘の書類を取り出して私に渡しながら、「これが基本計画だ。きみは全文を暗記するまで何度も繰り返して読みたまえ」と命じた。私が日本軍隊のバイブルともなるべき「基本計画」をめくっているのを横目で身ながら、少将は話しを続けた。
「朝鮮のみならず日本の事態も予断を許さないのだ。日本列島に配置してあるわれわれの4個師団は全部朝鮮へ出動する。2,3週間のちには、空軍部隊および少数の陸軍管理部隊を除いて、日本にいる米軍部隊はなくなる。われわれはこれら米軍部隊にとってかわる日本の4個師団を編制し訓練する仕事を与えられた。きみも知っている通り、日本には大部分女子供の25万の在留同胞がいるのだ」
---------------------------------
第7章 指揮する米軍顧問団
やりがいのある仕事
・・・
「そこでだね、スティーブンス少佐(総司令部の命でコワルスキーのもとに来た少佐)」話はこれからが大切だと、私は語気を強めて言った。
「ここできみにやって貰わなくてはならん仕事はなまやさしいことではないんだよ。おそらくきみが陸軍に入隊以来、今までにやったことのないような、困難でスリルに満ちたほんとうの意味でやりがいのある仕事になるんじゃないかと思うんだ。
きみは 日本の新しい軍隊の父になるんだ。日本の新陸軍の最初の歩兵大隊を編成し、収容し、管理し、装備し、訓練するんだ。しかもそれらの日本人将兵には、自分たちは警察大隊以外の何物でもないのだというふうに思い込ませるなければいけないんだよ」
・・・
「きみのキャンプの中で、いや、そのキャンプのある地方全域において、人多しといえどもきみが歩兵大隊を編制していることを知っているのはきみだけだよ。ほかのものはもちろん疑いはするだろうが、知らせてはBならない。たとえ県知事、警官、あるいは予備隊員であろうとすべて日本人が知るかぎりにおいては、きみは警察の予備隊を編制することになっているのだ。
日本の憲法は軍隊を持つことを禁止している。したがってきみは兵を兵隊と呼んだり、士官を軍隊の階級で呼んだりしてはならないのだ。兵は警査と呼び、士官は警察士とか警察正とか呼ぶのだ。もし戦車が見えたら、それは戦車ではなく特車だというのだ。トラックはトラックでよいがね。ぼくのい言わんとしているところが分かるかね」
「はい、分かります」
・・・
焦点・北海道
予備隊キャンプがつぎつぎに設置されていた頃、一方では米軍が急テンポで日本を離れていた。1950年7月以後は第7師団を残すのみとなり、それも朝鮮増援に赴くことを切望されていた。しかしわれわれが予備隊を編制し配置するまでは、第7師団は動けなっかった。
朝鮮における戦況が悪化するに従い、第7師団への要求は高まり、ついに同師団が9月10日に離日することが約束された。この9月10日は予備隊にとっては遅れることの許されぬ絶対的な期限であり、われわれ顧問団はおかげで夜もろくろく眠れなかった。第7師団が離日したあとには、主として婦女子からなる留守家族など25万の在留米人は無防備状態におかれることになる。
それよりも、もっとわれわれの心胆を寒からしめたことは、北海道の北端より目と鼻の先にあるソ連占領下の樺太には、日本人共産主義者によって編制された2個師団が展開されているという、恐ろしいうわさであった。
これらのうわさの真偽のほどは、今になっても明らかにされていないが、当時はいろいろな情報がさかんに入ってきており、それによると、アジア大陸には、第2次大戦中の日本人捕虜を交えた数個師団のソ連軍が、配置されているということであった。樺太に配置されている部隊は装備もよく整い、完全に共産主義の洗脳をうけており、彼らの任務は、第7師団が朝鮮に向け出発した直後、北海道に侵入しこれを攻略することにあった。
これらのうわさを額面通り受け取らない人も一部にはあったが、相手がソ連のことではあるし、やろうと思えば北海道くらいは簡単に攻略する能力を持っていることを十分知っているので、われわれはうわさだからと言って、むげにこれを無視することはできなかった。
2--------------------------------
Ⅰ 草創 1950~1954
1 「日本再軍備」命令
・・・
この良好な状態を持続し、法の違反や平和をみだすことを常習とする不法な少数者によって乗じられるすきを与えないような対策を確保するために、日本の警察組織は民主主義社会で公安維持に必要とされる限度において、警察力を増大強化すべき段階に達したものと私は確信する。
従って私は日本政府に対して7,500人からなる国家警察予備隊を設置するとともに、海上保安庁の現有海上保安力に8,000名を増員するよう必要な措置を講ずることを許可する」
と、「国家警察予備隊」の設立を命じていた。……願い出もしない「許可」を吉田内閣は与えられたのである。
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下段は、マカーサー元帥名の「日本警察力の増強に関する吉田首相への書簡」(1950年7月8日付)を「自衛隊の歴史」前田哲男(ちくま学芸文庫)から抜粋したものであるが、朝鮮に出動した米軍4個師団に取って代わる警察予備隊を装った日本軍4個師団の編制を「許可する」というかたちで、命令しているものである。
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第1部 かくて再軍備は始まったーその動機と構想
第1章 天恵と朝鮮動乱
対日占領政策
・・・
これらの指令や政策(連合国極東委員会から連合軍最高司令官マッカーサーに伝送されたもの)は、部分的には異常にきびしくまた制約的なところもあるが、総じて言えば、進歩的な近代民主主義国家を設立することを目的としており、これに基づいて、連合軍最高司令官マッカーサー元帥は世界史上未曾有の平時大革命を実行したのである。
まず日本を完全に武装解除し、天皇を除く戦争責任者および戦争支持者を容赦なくパージした。パージリスト(追放者名簿)には、すべての正規軍人将校および戦時中強い影響力をふるい、勢力を誇った政界・財界・実業界の指導者の名が含まれていた。また天皇を神格より格に引きおろし、婦人に参政権を与え、軍隊および戦力保持を永久に禁ずる超民主的な憲法を無理押しに制定発布させた。
・・・(以下略)
マッカーサー元帥の決断
・・・
……こうして朝鮮戦争勃発より3週間後には日本国内に残されていたのは第7師団と若干の陸軍管理部隊と空軍部隊のみとなり、その第7師団も出動態勢をとるよう指令されていた。
この危機に臨み、アメリカは共産軍の侵略を阻止するに必要な兵力はもはや日本には存在しないと認識した。更にいろいろ検討を加えた結果、本国からの増援は少なくともここ数ヶ月は期待できないことが分かった。われわれには原子爆弾はあったが、地上予備軍はなかったのである。第7師団が朝鮮に出動すれば、海外からの攻撃は言うに及ばず、国内の反乱からも日本政府やわれわれの基地を守ってくれる地上部隊はいなくなってしまう。9000万の日本はその時までには完全に武装解除を終わっていた。その時持っていた軍艦、航空機、戦車、軍用車、火砲、機関銃、小銃などはすべて屑山と化した。日本将校の身につけていた軍刀までも米国へ帰る米軍人・軍属などが記念品として荷物の中に入れて運び去ってしまっていた。日本は完全な無防備状態にあった。
・・・
彼(マッカーサー)はポツダムにおける国際協定に反し、極東委員会よりの訓令を冒し、日本国憲法にうたわせた崇高な精神をほごにし、本国政府よりほとんど助力を得ずして日本再軍備に踏み切ったのである。
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第3章 忍び足の再軍備
開戦下の総司令部
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オフィスに入ると彼は(GHQ民事局局長シェパード少将)、「ドアを閉めてかけたまえ」と命令した。私は胸の鼓動を感じながら、いわれる通り彼と向かい合ってすわった。少将は手を組み合わせて机の上に置き、深刻な面持ちで語り始めた。
「フランク、きみが連隊長の職を望む気持ちはよく分かるが、きみは朝鮮へは行けないよ。わしがきみを放せないんだ。2人で日本でしなければならぬ大役があるのだ。わしはマッカーサー元帥から、警察予備隊を組織する大役を仰せつかったんだ。警察予備隊というのは、さしあたり4個師団編制で、定員75,000の日本防衛隊のことだが、将来の日本陸軍の基礎になるものだ。きみはわしの幕僚長になるのだ。だから、朝鮮はあきらめろ」
私の頭は少将の今言った事柄のもつ重大な意味をはかり知ろうとして渦を巻いている間に、彼は手さげ鞄をあけて、中から極秘の書類を取り出して私に渡しながら、「これが基本計画だ。きみは全文を暗記するまで何度も繰り返して読みたまえ」と命じた。私が日本軍隊のバイブルともなるべき「基本計画」をめくっているのを横目で身ながら、少将は話しを続けた。
「朝鮮のみならず日本の事態も予断を許さないのだ。日本列島に配置してあるわれわれの4個師団は全部朝鮮へ出動する。2,3週間のちには、空軍部隊および少数の陸軍管理部隊を除いて、日本にいる米軍部隊はなくなる。われわれはこれら米軍部隊にとってかわる日本の4個師団を編制し訓練する仕事を与えられた。きみも知っている通り、日本には大部分女子供の25万の在留同胞がいるのだ」
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第7章 指揮する米軍顧問団
やりがいのある仕事
・・・
「そこでだね、スティーブンス少佐(総司令部の命でコワルスキーのもとに来た少佐)」話はこれからが大切だと、私は語気を強めて言った。
「ここできみにやって貰わなくてはならん仕事はなまやさしいことではないんだよ。おそらくきみが陸軍に入隊以来、今までにやったことのないような、困難でスリルに満ちたほんとうの意味でやりがいのある仕事になるんじゃないかと思うんだ。
きみは 日本の新しい軍隊の父になるんだ。日本の新陸軍の最初の歩兵大隊を編成し、収容し、管理し、装備し、訓練するんだ。しかもそれらの日本人将兵には、自分たちは警察大隊以外の何物でもないのだというふうに思い込ませるなければいけないんだよ」
・・・
「きみのキャンプの中で、いや、そのキャンプのある地方全域において、人多しといえどもきみが歩兵大隊を編制していることを知っているのはきみだけだよ。ほかのものはもちろん疑いはするだろうが、知らせてはBならない。たとえ県知事、警官、あるいは予備隊員であろうとすべて日本人が知るかぎりにおいては、きみは警察の予備隊を編制することになっているのだ。
日本の憲法は軍隊を持つことを禁止している。したがってきみは兵を兵隊と呼んだり、士官を軍隊の階級で呼んだりしてはならないのだ。兵は警査と呼び、士官は警察士とか警察正とか呼ぶのだ。もし戦車が見えたら、それは戦車ではなく特車だというのだ。トラックはトラックでよいがね。ぼくのい言わんとしているところが分かるかね」
「はい、分かります」
・・・
焦点・北海道
予備隊キャンプがつぎつぎに設置されていた頃、一方では米軍が急テンポで日本を離れていた。1950年7月以後は第7師団を残すのみとなり、それも朝鮮増援に赴くことを切望されていた。しかしわれわれが予備隊を編制し配置するまでは、第7師団は動けなっかった。
朝鮮における戦況が悪化するに従い、第7師団への要求は高まり、ついに同師団が9月10日に離日することが約束された。この9月10日は予備隊にとっては遅れることの許されぬ絶対的な期限であり、われわれ顧問団はおかげで夜もろくろく眠れなかった。第7師団が離日したあとには、主として婦女子からなる留守家族など25万の在留米人は無防備状態におかれることになる。
それよりも、もっとわれわれの心胆を寒からしめたことは、北海道の北端より目と鼻の先にあるソ連占領下の樺太には、日本人共産主義者によって編制された2個師団が展開されているという、恐ろしいうわさであった。
これらのうわさの真偽のほどは、今になっても明らかにされていないが、当時はいろいろな情報がさかんに入ってきており、それによると、アジア大陸には、第2次大戦中の日本人捕虜を交えた数個師団のソ連軍が、配置されているということであった。樺太に配置されている部隊は装備もよく整い、完全に共産主義の洗脳をうけており、彼らの任務は、第7師団が朝鮮に向け出発した直後、北海道に侵入しこれを攻略することにあった。
これらのうわさを額面通り受け取らない人も一部にはあったが、相手がソ連のことではあるし、やろうと思えば北海道くらいは簡単に攻略する能力を持っていることを十分知っているので、われわれはうわさだからと言って、むげにこれを無視することはできなかった。
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Ⅰ 草創 1950~1954
1 「日本再軍備」命令
・・・
この良好な状態を持続し、法の違反や平和をみだすことを常習とする不法な少数者によって乗じられるすきを与えないような対策を確保するために、日本の警察組織は民主主義社会で公安維持に必要とされる限度において、警察力を増大強化すべき段階に達したものと私は確信する。
従って私は日本政府に対して7,500人からなる国家警察予備隊を設置するとともに、海上保安庁の現有海上保安力に8,000名を増員するよう必要な措置を講ずることを許可する」
と、「国家警察予備隊」の設立を命じていた。……願い出もしない「許可」を吉田内閣は与えられたのである。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」や「……」は、文の省略を示します。