「マッカーサー回想記(下)」マッカーサー著:津島一夫訳(朝日新聞社)には、訳者あとがきに『しかし、本書は著者自身が完全な「歴史」とは考えていなかったものであり、読む方でも「歴史」として受け取るべきではない、ということを指摘せねばならない』とある。その通りであろうと思う。
さらにいえば、自分自身(マッカーサー)に対するに感謝の言葉や讃辞を並べ、その感謝の言葉や讃辞の由って来る所以を事細かに説明し、証明するために過去をふり返って書かれた回想記である、といっても言い過ぎではないように思う。また、この「回想記」によって、さらなる讃辞を得ようとするかのごとき姿勢さえ感じることがあった。
この回想記を読めば、戦後日本の占領政策や朝鮮戦争における数々の疑惑について、何か分かることがあるのではないかという期待は、全くの期待はずれに終わった。下記のように、都合の悪いことは知らなかったことになっている。ただし、一日本人として読むと、疑わしい文章の中にも、一部見過ごしてはならない真実が含くまれている部分もあるように思われた。
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第5部 日本占領
廃墟の日本
1 終戦
敵に対して使用される最初の原子爆弾が8月6日、「スーパーフォートレス」型米機によって軍事都市広島に投下され、かつてみたことのない恐るべき爆発力を発揮した。広島市はほとんどあますところなく、一面の廃墟と化した。このような核兵器が開発されていることは、広島攻撃の直前まで私には知らされていなかった。
・・・(以下略)
占領の課題
4 天皇との会見
私が東京に着いて間もないころ、私の幕僚たちは、権力をしめすために、天皇を総司令部に招き寄せてはどうかと、私に強くすすめた。私はそういった申出をしりぞけた。「そんなことをすれば、日本の国民感情をふみにじり、天皇を国民の目に殉教者に仕立てあげることになる。いや、私は待とう。そのうちには、天皇が自発的に私に会いに来るだろう。いまの場合は西洋のせっかちよりは、東洋のしん
ぼう強さの方が、われわれの目的にいちばんかなっている」というのが私の説明だった。
実際に、天皇は間もなく会見を求めてこられた。モーニングにシマのズボン、トップ・ハットという姿で、裕仁天皇は御用車のダイムラーに宮内大臣と向い合せに乗って、大使館に到着した。私は占領当初から、天皇の扱いを粗末にしてはならないと命令し、君主にふさわしい、あらゆる礼遇をささげることを求めていた。私は丁重に出迎え、日露戦争終結の際、私は一度天皇の父君に拝謁したことがある
という思い出話をしてさしあげた。
天皇は落着きがなく、それまでの幾月かの緊張を、はっきりおもてに現していた。天皇の通訳官以外は、全部退席させたあと、私たちは長い迎賓館の端にある暖炉の前にすわった。
私が米国製のタバコを差出すと、天皇は礼をいって受取られた。そのタバコに火をつけてさしあげた時、私は天皇の手がふるえているのに気がついた。私はできるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私にはよくわかっていた。
私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動がいかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。
ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いないと私はみていた。けっきょく天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。
しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の決裁にゆだねるためおたずねした」
私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。
天皇が去ったあと、私はその風貌を妻に話そうとしかけたが、妻はくつくつと笑ってそれをとめ「ええ、私も拝見しましたのよ。アーサー(マッカーサー夫妻の令息)と私は赤いカーテンのかげからのぞいていましたの」といった。まことに珍しいことの起る世界ではある。しかし、どう見ても、ほほえましい世界であることは間違いない。
天皇との初対面以後、私はしばしば天皇の訪問を受け、世界のほとんどの問題について話合った。私はいつも、占領政策の背後にあるいろいろな理由を注意深く説明したが、天皇は私が話合ったほとんど、どの日本人よりも民主的な考え方をしっかり身につけていた。天皇は日本の精神的復活に大きい役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところがきわめて大きかった。
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第6部 朝鮮戦争
2 戦乱突発
1950年(昭和25年)6月25日、日曜日の早朝、東京米大使館の私の寝室で電話のベルが鳴った。その響きは、暗く静まりかえった部屋で鳴る電話の音特有のけたたましさだった。電話をかけてきたのは、総司令部の当直将校で「将軍、いまソウルからの電報で、けさ4時に北朝鮮の大部隊が38度線を越えて南へ攻撃してきた、と知らせてきました」といった。
何万という北朝鮮軍がなだれをうって国境を越え、韓国軍の前線拠点を押しつぶし、立ち向かうもの一切をはらいのけるほどのスピードと兵力で、南へ向かって進撃しはじめたのだ。私は悪夢を見ているような奇妙な気分になった。ちょうど9年前のやはり日曜日の同じ時刻に、私はマニラ・ホテルの屋上の家で、これと同じけたたましい電話の音に起こされた。あの時の悲痛な戦いの声が、またもや私の耳にひびいている。
そんなはずはない、と私は自分にいい聞かせた。私はまだ眠って夢をみているに違いない。二度あるはずがない。しかし、その時、私の優秀な参謀長ネッド・アーモンドのきびきびしたさわやかな声がひびいてきた──「将軍、何か命令は?」
事態がこんな悲劇にまで発展するのを、米国はどうして許したのだろう、と私は自問した。
・・・
ダレス(トルーマン大統領特使)は東京に帰り、国務長官へ次のような電報を送った。
「韓国が自力で攻撃を阻止ないし撃退できない場合、ソ連の反発をひき起こす危険をおかしても米軍を使用すべきだと考える。韓国が理由のない武力攻撃で席巻されるのを見過ごせば、世界大戦が起こることになる」
・・・(以下略)
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さらにいえば、自分自身(マッカーサー)に対するに感謝の言葉や讃辞を並べ、その感謝の言葉や讃辞の由って来る所以を事細かに説明し、証明するために過去をふり返って書かれた回想記である、といっても言い過ぎではないように思う。また、この「回想記」によって、さらなる讃辞を得ようとするかのごとき姿勢さえ感じることがあった。
この回想記を読めば、戦後日本の占領政策や朝鮮戦争における数々の疑惑について、何か分かることがあるのではないかという期待は、全くの期待はずれに終わった。下記のように、都合の悪いことは知らなかったことになっている。ただし、一日本人として読むと、疑わしい文章の中にも、一部見過ごしてはならない真実が含くまれている部分もあるように思われた。
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第5部 日本占領
廃墟の日本
1 終戦
敵に対して使用される最初の原子爆弾が8月6日、「スーパーフォートレス」型米機によって軍事都市広島に投下され、かつてみたことのない恐るべき爆発力を発揮した。広島市はほとんどあますところなく、一面の廃墟と化した。このような核兵器が開発されていることは、広島攻撃の直前まで私には知らされていなかった。
・・・(以下略)
占領の課題
4 天皇との会見
私が東京に着いて間もないころ、私の幕僚たちは、権力をしめすために、天皇を総司令部に招き寄せてはどうかと、私に強くすすめた。私はそういった申出をしりぞけた。「そんなことをすれば、日本の国民感情をふみにじり、天皇を国民の目に殉教者に仕立てあげることになる。いや、私は待とう。そのうちには、天皇が自発的に私に会いに来るだろう。いまの場合は西洋のせっかちよりは、東洋のしん
ぼう強さの方が、われわれの目的にいちばんかなっている」というのが私の説明だった。
実際に、天皇は間もなく会見を求めてこられた。モーニングにシマのズボン、トップ・ハットという姿で、裕仁天皇は御用車のダイムラーに宮内大臣と向い合せに乗って、大使館に到着した。私は占領当初から、天皇の扱いを粗末にしてはならないと命令し、君主にふさわしい、あらゆる礼遇をささげることを求めていた。私は丁重に出迎え、日露戦争終結の際、私は一度天皇の父君に拝謁したことがある
という思い出話をしてさしあげた。
天皇は落着きがなく、それまでの幾月かの緊張を、はっきりおもてに現していた。天皇の通訳官以外は、全部退席させたあと、私たちは長い迎賓館の端にある暖炉の前にすわった。
私が米国製のタバコを差出すと、天皇は礼をいって受取られた。そのタバコに火をつけてさしあげた時、私は天皇の手がふるえているのに気がついた。私はできるだけ天皇のご気分を楽にすることにつとめたが、天皇の感じている屈辱の苦しみが、いかに深いものであるかが、私にはよくわかっていた。
私は天皇が、戦争犯罪者として起訴されないよう、自分の立場を訴えはじめるのではないか、という不安を感じた。連合国の一部、ことにソ連と英国からは、天皇を戦争犯罪者に含めろという声がかなり強くあがっていた。現に、これらの国が提出した最初の戦犯リストには、天皇が筆頭に記されていたのだ。私は、そのような不公正な行動がいかに悲劇的な結果を招くことになるかが、よくわかっていたので、そういった動きには強力に抵抗した。
ワシントンが英国の見解に傾きそうになった時には、私は、もしそんなことをすれば、少なくとも百万の将兵が必要になると警告した。天皇が戦争犯罪者として起訴され、おそらく絞首刑に処せられることにでもなれば、日本中に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いないと私はみていた。けっきょく天皇の名は、リストからはずされたのだが、こういったいきさつを、天皇は少しも知っていなかったのである。
しかし、この私の不安は根拠のないものだった。天皇の口から出たのは、次のような言葉だった。
「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の決裁にゆだねるためおたずねした」
私は大きい感動にゆすぶられた。死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、明らかに天皇に帰すべきではない責任を引受けようとする、この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした。私はその瞬間、私の前にいる天皇が、個人の資格においても日本の最上の紳士であることを感じとったのである。
天皇が去ったあと、私はその風貌を妻に話そうとしかけたが、妻はくつくつと笑ってそれをとめ「ええ、私も拝見しましたのよ。アーサー(マッカーサー夫妻の令息)と私は赤いカーテンのかげからのぞいていましたの」といった。まことに珍しいことの起る世界ではある。しかし、どう見ても、ほほえましい世界であることは間違いない。
天皇との初対面以後、私はしばしば天皇の訪問を受け、世界のほとんどの問題について話合った。私はいつも、占領政策の背後にあるいろいろな理由を注意深く説明したが、天皇は私が話合ったほとんど、どの日本人よりも民主的な考え方をしっかり身につけていた。天皇は日本の精神的復活に大きい役割を演じ、占領の成功は天皇の誠実な協力と影響力に負うところがきわめて大きかった。
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第6部 朝鮮戦争
2 戦乱突発
1950年(昭和25年)6月25日、日曜日の早朝、東京米大使館の私の寝室で電話のベルが鳴った。その響きは、暗く静まりかえった部屋で鳴る電話の音特有のけたたましさだった。電話をかけてきたのは、総司令部の当直将校で「将軍、いまソウルからの電報で、けさ4時に北朝鮮の大部隊が38度線を越えて南へ攻撃してきた、と知らせてきました」といった。
何万という北朝鮮軍がなだれをうって国境を越え、韓国軍の前線拠点を押しつぶし、立ち向かうもの一切をはらいのけるほどのスピードと兵力で、南へ向かって進撃しはじめたのだ。私は悪夢を見ているような奇妙な気分になった。ちょうど9年前のやはり日曜日の同じ時刻に、私はマニラ・ホテルの屋上の家で、これと同じけたたましい電話の音に起こされた。あの時の悲痛な戦いの声が、またもや私の耳にひびいている。
そんなはずはない、と私は自分にいい聞かせた。私はまだ眠って夢をみているに違いない。二度あるはずがない。しかし、その時、私の優秀な参謀長ネッド・アーモンドのきびきびしたさわやかな声がひびいてきた──「将軍、何か命令は?」
事態がこんな悲劇にまで発展するのを、米国はどうして許したのだろう、と私は自問した。
・・・
ダレス(トルーマン大統領特使)は東京に帰り、国務長官へ次のような電報を送った。
「韓国が自力で攻撃を阻止ないし撃退できない場合、ソ連の反発をひき起こす危険をおかしても米軍を使用すべきだと考える。韓国が理由のない武力攻撃で席巻されるのを見過ごせば、世界大戦が起こることになる」
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。