「朝鮮戦争 金日成とマッカーサーの陰謀」萩原遼(文藝春秋)は衝撃的な一冊である。著者の萩原遼は、1977年から情報公開法に基づいて一般公開されている「北朝鮮からの奪取文書」が入っている公文書館規格ボックス1300箱をすべて開き、2年半の歳月をかけて通覧したという。多数の極秘文書を含む、北朝鮮側の内部文書(およそ160万ページ)をもとに書き上げたというこの1冊は、今までベールにつつまれていた数々な疑惑を白日のもとに晒している。「朝鮮戦争は米韓の侵略戦争であった」という北朝鮮側の主張に反する事実が、皮肉にも様々な北朝鮮側文書で明らかにされているのである。様々なところへ取材にでかけ、確認する作業もなされており説得力がある。
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第1章 世紀のすりかえ劇
ソ連軍の北朝鮮占領
・・・
チスチャコフ司令官は平壌入城後ただちにつぎのような布告をだした。
朝鮮人民よ! ソ連軍と同盟国軍隊は朝鮮から日本掠奪者を駆逐した。朝鮮は自由の国となった。しかし、これはただ新朝鮮の歴史の1ページにすぎない。華麗なる果樹園は人々の努力と苦心の結果である。(中略)
朝鮮人たちよ! 幸福はあなたがたの手中にある。あなたがたは自由と独立を求めたが、いまはすべてのものがあなたがたのものとなった。ソ連軍隊は、朝鮮人民が自由に創造的努力を始めるに十分な条件をつくりあたえた。朝鮮人民じたいがかならずみずからの幸福を創造する者とならなければならない。(以下略)
(北朝鮮人民委員会外務局・朝ソ文化協会中央本部共同編纂『人民の国──ソ連』27ページ。1948年、平壌・朝ソ文化協会中央部発行)
美しいことばである。ソ連軍による解放とはこうした気高い精神でおこなわれたのだと、御用文筆家たちはこぞって書きたてた。
・・・
だが、ソ連は1946年のはじめから占領目的をはっきりとさせてくる。スターリンの意図が貫徹しはじめるのである。その意図とは──。
南朝鮮に反動勢力がいるかぎり朝鮮にはすぐに独立をあたえない、あたえれば朝鮮はふたたび極東における戦争の火種となる。朝鮮が真に民主主義国家になることはソ連にとって死活的利害をもっている──。
1946年6月3日付のソ連共産党機関誌プラウダの論説はこうのべていたのである。
朝鮮をソ連にとって安心できる国につくりかえること、つまりソ連の衛星国にするまでは独立はあたえない、というのがかれらの占領政策の本音であったのだ。北朝鮮民衆の不幸のはじまりであった。
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第2章 ソ連軍政下の北朝鮮
ワシントンにあった1冊の本
朝鮮の統一をたなあげして北側に先に単独政権をつくる政策は「民主基地」路線とよばれている。統一に先だってまず北を民主主義の基地とし、その力で南に北からの風をふかせて北主導の統一を実現するという政策である。この路線の必然的な帰結として1950年6月25日の北側からの武力南進が行われた。その結果、惨憺たる失敗によって南北分断は決定的となった。
南北分断の起源となったこの「民主基地」路線が、ソ連と金日成によっていつからとられたかということは朝鮮現代史をみるうえできわめて重要な問題である。これまで研究者は一様にその時期を1945年12月17日の北部朝鮮分局第三次拡大執行委員会としている。だが、これは事実誤認である。
なぜ、研究者が皆そろって誤認したのか? 金日成による党決議の改ざんがみぬけなかったからである。研究者や朝鮮現代史家が依拠するのは、第三次拡大執行委での金日成の報告「われわれの課題」の冒頭部分である。
現段階において北朝鮮におけるわが党の政治的総路線と実際の活動は、すべての民主主義諸政党、大衆団体との広範な連合の基礎のうえにわが国に統一民主主義政権を樹立し、北朝鮮を統一的民主独立国家建設のための強力な政治、経済、文化的民主基地とすることにあります。そのためにわれわれは、一方では北朝鮮の政治、経済、文化生活を急速に正常化するための闘争に都市と農村の勤労大衆を決起させつつ他方では民主主義政党、大衆団体との統一戦線をあらゆる面から強化しなければなりません。
(『金日成選集』1954年版第1巻 19~20ページ 朝鮮労働党出版発行)
このなかに重大な改ざんがおこなわれていたのである。もとの金日成報告はつぎのようになっている。
現段階において北朝鮮共産党の全般政治および実地活動は、あらゆる反日民主主義諸党と政治的諸団体の幅広い連合の基礎のうえにブルジョア民主主義政権を樹立することに援助をあたえなければならない。北朝鮮の政治および経済活動をすみやかに整頓する課題の実行へと都市と農村大衆の実地活動を向けながら反日民主主義党と諸団体との統一戦線をあらゆる面から強化しなければならない。
(『党の政治路線および党活動の総括と決定』党文献集(一) 9ページ。1946年8月13日、正路社出版部発行)
みられるように、54年版の金日成報告にはもとの文章にない「北朝鮮を統一的民主独立国家建設のための強力な政治、経済、文化的民主基地とすることにあります」がつけ加えられている。「「ブルジョア民主主義政権を樹立する」が「統一民主主義政権を樹立」に書き替えられてもいる。
この改ざんにだまされて「民主基地」路線が第三次拡大執行委員会ではじめて登場したとみな思ったわけだ。そのために朝鮮現代史のもっとも重要な問題について不正確に理解し、混乱をきたしている。
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
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第1章 世紀のすりかえ劇
ソ連軍の北朝鮮占領
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チスチャコフ司令官は平壌入城後ただちにつぎのような布告をだした。
朝鮮人民よ! ソ連軍と同盟国軍隊は朝鮮から日本掠奪者を駆逐した。朝鮮は自由の国となった。しかし、これはただ新朝鮮の歴史の1ページにすぎない。華麗なる果樹園は人々の努力と苦心の結果である。(中略)
朝鮮人たちよ! 幸福はあなたがたの手中にある。あなたがたは自由と独立を求めたが、いまはすべてのものがあなたがたのものとなった。ソ連軍隊は、朝鮮人民が自由に創造的努力を始めるに十分な条件をつくりあたえた。朝鮮人民じたいがかならずみずからの幸福を創造する者とならなければならない。(以下略)
(北朝鮮人民委員会外務局・朝ソ文化協会中央本部共同編纂『人民の国──ソ連』27ページ。1948年、平壌・朝ソ文化協会中央部発行)
美しいことばである。ソ連軍による解放とはこうした気高い精神でおこなわれたのだと、御用文筆家たちはこぞって書きたてた。
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だが、ソ連は1946年のはじめから占領目的をはっきりとさせてくる。スターリンの意図が貫徹しはじめるのである。その意図とは──。
南朝鮮に反動勢力がいるかぎり朝鮮にはすぐに独立をあたえない、あたえれば朝鮮はふたたび極東における戦争の火種となる。朝鮮が真に民主主義国家になることはソ連にとって死活的利害をもっている──。
1946年6月3日付のソ連共産党機関誌プラウダの論説はこうのべていたのである。
朝鮮をソ連にとって安心できる国につくりかえること、つまりソ連の衛星国にするまでは独立はあたえない、というのがかれらの占領政策の本音であったのだ。北朝鮮民衆の不幸のはじまりであった。
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第2章 ソ連軍政下の北朝鮮
ワシントンにあった1冊の本
朝鮮の統一をたなあげして北側に先に単独政権をつくる政策は「民主基地」路線とよばれている。統一に先だってまず北を民主主義の基地とし、その力で南に北からの風をふかせて北主導の統一を実現するという政策である。この路線の必然的な帰結として1950年6月25日の北側からの武力南進が行われた。その結果、惨憺たる失敗によって南北分断は決定的となった。
南北分断の起源となったこの「民主基地」路線が、ソ連と金日成によっていつからとられたかということは朝鮮現代史をみるうえできわめて重要な問題である。これまで研究者は一様にその時期を1945年12月17日の北部朝鮮分局第三次拡大執行委員会としている。だが、これは事実誤認である。
なぜ、研究者が皆そろって誤認したのか? 金日成による党決議の改ざんがみぬけなかったからである。研究者や朝鮮現代史家が依拠するのは、第三次拡大執行委での金日成の報告「われわれの課題」の冒頭部分である。
現段階において北朝鮮におけるわが党の政治的総路線と実際の活動は、すべての民主主義諸政党、大衆団体との広範な連合の基礎のうえにわが国に統一民主主義政権を樹立し、北朝鮮を統一的民主独立国家建設のための強力な政治、経済、文化的民主基地とすることにあります。そのためにわれわれは、一方では北朝鮮の政治、経済、文化生活を急速に正常化するための闘争に都市と農村の勤労大衆を決起させつつ他方では民主主義政党、大衆団体との統一戦線をあらゆる面から強化しなければなりません。
(『金日成選集』1954年版第1巻 19~20ページ 朝鮮労働党出版発行)
このなかに重大な改ざんがおこなわれていたのである。もとの金日成報告はつぎのようになっている。
現段階において北朝鮮共産党の全般政治および実地活動は、あらゆる反日民主主義諸党と政治的諸団体の幅広い連合の基礎のうえにブルジョア民主主義政権を樹立することに援助をあたえなければならない。北朝鮮の政治および経済活動をすみやかに整頓する課題の実行へと都市と農村大衆の実地活動を向けながら反日民主主義党と諸団体との統一戦線をあらゆる面から強化しなければならない。
(『党の政治路線および党活動の総括と決定』党文献集(一) 9ページ。1946年8月13日、正路社出版部発行)
みられるように、54年版の金日成報告にはもとの文章にない「北朝鮮を統一的民主独立国家建設のための強力な政治、経済、文化的民主基地とすることにあります」がつけ加えられている。「「ブルジョア民主主義政権を樹立する」が「統一民主主義政権を樹立」に書き替えられてもいる。
この改ざんにだまされて「民主基地」路線が第三次拡大執行委員会ではじめて登場したとみな思ったわけだ。そのために朝鮮現代史のもっとも重要な問題について不正確に理解し、混乱をきたしている。
・・・(以下略)
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