沖縄の基地の問題をポツダム宣言にまで遡って、子どもにも理解できるように、きちんと説明できるだろうか。ポツダム宣言の第12条には「前記諸目的ガ達成セラレ且日本国国民ノ自由ニ表明セル意思ニ従ヒ平和的傾向ヲ有シ且責任アル政府ガ樹立セラルルニ於テハ聯合国ノ占領軍ハ直ニ日本国ヨリ撤収セラルベシ」とある(東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室『世界と日本』国際関係データベースより)。にもかかわらず、戦後65年を経た今も米軍基地が日本に存在する根拠は何なのか。自衛隊が組織され、防衛庁が防衛省になってもなお、莫大な予算が駐留米軍のために支出され続けている理由は何なのか。そして、さらにその米軍専用施設面積の約75%が沖縄に存在するのはどうしてなのか。「昭和天皇五つの決断」秦郁彦(文藝春秋)から、子どもには説明のできないような政治的駆け引きによって、事態が進んだことを示す部分、すなわち、昭和天皇の「沖縄メッセージ」に関連する部分を抜粋する。数え切れない「皇軍兵士」が、「鬼畜米英を撃滅すべく」命を投げ出して戦ったのではなかったのか、との思いがこみ上げてくる。
後半部分は、「昭和天皇独白録ー寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋)から、昭和22年9月19日(金)に、御用掛の寺崎が、天皇のメッセージを総司令部政治顧問シーボルトに伝えたことに関する<注>の抜粋である。
また、資料として寺崎英成が訪ねたシーボルトのワシントン国務長官宛てと連合国最高司令官総司令部のマッカーサー宛ての文書を添付する。
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第5章 裕仁天皇退位せず
────このあとに何が起こるか予見できない
天皇メッセ-ジと沖縄
・・・
そのなかで、天皇も政府も前年から伝えられていた対日早期講和の動きに不安を高めていた。講和が成立して米軍が撤退すれば、非武装日本の安全は誰が保障するのか。第9条を盛りこんだ新憲法草案が審議されていた段階で想定されていた国際連合への「バラ色の期待」は、すでに米ソ冷戦の進行で色あせていた。
22年9月、片山内閣の芦田均外相は、特別協定を結んで、日本の安全保障をアメリカへ依存する代わりに、駐留米軍へ基地を提供し、日本も警察力を増強するという、のちの日米安保条約に近い方式を考案して、一時帰国する第8軍司令官アイケルバーガー中将に託した(前掲『日本再軍備』)。
第9条の生みの親を自任していたマッカーサーは、とても受けつけてくれる気配がないので、反ソ・反共論者のアイケルバーガーを通じて、ワシントンへ訴える形をとったのである。
前後して、宮内府御用掛の寺崎が、総司令部外交局に「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」として、シーボルトを訪ね「天皇は、アメリカが沖縄をふくむ琉球の他の島々を、軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を護ることになる……」
と語ったのち、軍事占領の具体的形態として天皇が考えているのは、「日本に主権を残す形で、25年から50年あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)という擬制」であり、「この方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させるだろう」と説明した。
寺崎はさらに、私見として軍事基地権の獲得は、日米二国間条約で処理されるべきだ、と付け加えたが、シーボルトはすぐにこの会談の要旨をマッカーサーに報告し、本国に伝えている(昭和22年9月22日付シーボルト発マーシャル国務長官宛)。添付資料
さて芦田メモと天皇メッセージはどう関連しあっていたのだろうか。
両者を比較してみると、軍事基地提供という基本的性格は変わらないが、前者が日本全土を想定しているのに対し、後者は長期貸与ながら、対象を沖縄に限定しているから、相互補完というよりも、次元を異にした発想と見た方が妥当だろう。
社会党政権の時代だったことを思いあわせれば、天皇は芦田メモの構想に不満で、独自の提案を別ルートで試みた可能性が高い。
では米側は、2つの提案のいずれに感応したのか。ざっと比較すると、芦田メモの方が米側に有利な条件と見えるが、実は進藤栄一が指摘するように、天皇メッセージは「はるかにワシントンの動向と波長の合うもの」(「分割された領土」 『世界』昭和54年4月号)だった。
この頃、アメリカの外交・軍事当局は、対ソ戦略の観点から日本の新たな位置づけを検討しつつあり、沖縄はアメリカを施政権者とする戦略的信託統治下に置く方針へ傾いていた。
沖縄について何も触れていない芦田メモに比べると、天皇の提案はストレートに米側の要請を満たすものであり、しかも潜在主権は、信託統治よりもさらに有利な条件であった。
逆に天皇メッセージは、日本本土の軍事基地化について触れていないだけに、非武装中立論に固執するマッカーサーの支持を得られやすかった。実際にマッカーサーは、翌年3月に来日したケナン国務省政策企画部長に、沖縄の基地を開発して有力な空軍を常駐させ、その傘で日本を防衛する構想を語り、朝鮮戦争が起こるまで、くり返しこの持論を説くようになる。
昭和23年10月、国家安全保障会議(NSC)は対日政策の全面的転換を打ちだしたNSC13/2を採択した。骨子はケナン報告を基調としたもので、対日講和条約は無期延期され、米軍は少なくともその時点まで日本に駐留することになった。
NSCー13/2の副産物のひとつは、沖縄の長期保有と基地開発を規定した第5項であった。それまで沖縄は少数の米陸軍が駐留するだけで、ほとんど見捨てられていた形であったが、これを契機に息を吹き返すことになり、翌年から巨額の工事予算を投じた基地拡張が開始され、今もアメリカのアジアにおける最大の軍事基地として不動の地位を占めつづけている。
天皇の提案は、本土の代わりに沖縄を犠牲にしたという一面を免れないが、それから20数年後に沖縄は全面的に日本へ返還されることになった。軍事基地だけは実質的に長期リースの形態を残して。
・・・
シーボルトは寺崎の言い出した大胆な提言をもう一度かみしめながら、要は中国本土を放棄して、新たな外郭防衛戦でソ連の侵攻と浸透を強力に阻止せよという示唆だな、と理解した。
寺崎が帰ると、会談内容はすぐにタイプされ、ワシントンの国務長官あてに発信されたが、最後にシーボルトの解釈が付け加えられている。
「寺崎は個人的見解だと念を押したが、以上は天皇を含む宮中高官の見解だと信ずべき理由がある。更に、この意見には日本の利己的立場──すなわち占領が長引いてもよいからアメリカが日本をソ連から守ってもらいたいという強い要請、更に隣国の中国が日本に強い態度をとれないような弱体のまま推移するのを望むという──が反映しているかもしれない」
おそらく寺崎と天皇の合作と思われる、この外郭防衛戦戦略がワシントンに受け入れられなかったのは、その後の歴史をみると明白である。
それから2年近くのち、25年1月12日、アチソン米国務長官は、「アチソン声明」として知られる有名な演説の中で、極東におけるアメリカ外郭防衛戦に触れ、南朝鮮と台湾が除外されていることを公表した。それが共産陣営の誤解を招き、半年後の朝鮮戦争を誘発したというのは、今や外交史学界の定説となっており、アメリカ国務省の研修で、外交官のおかしてはならぬ失策の好例として引用されている
と聞く。
23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断を示した天皇の洞察力には脱帽のほかないが、一面から言えば、それは日中戦争と太平洋戦争で日本が血で購(あがな)って得た教訓でもあった。
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寺崎英成御用掛日記
9月19日(金)
<注>22年9月、芦田均外相は特別協定を結んで、日本の安全保障をアメリカに依存するかわりに、米軍へ日本本土のどこかに基地を提供し、日本も警察力を増強するという案を、一時帰国する第8軍司令官アイケルバーガー中将に託した。マッカーサーがこれを受けつけてくれる気配がないので、反ソ・反共の中将を通してワシントンへの直訴を試みたのである。
ところがこの日、寺崎は重要な天皇の意見をシーボルトに伝えている。それは9月22日付のマーシャル国務長官あての手紙として残されている。(添付資料)
「天皇は、アメリカが沖縄をふくむ琉球列島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる」
つまり、具体的な軍事占領の形態として天皇が考えているのは、日本に主権を残す形で、沖縄の利用をやむなく許すということである。「この方式は、アメリカが琉球列島に恒久的な占領意図をもたないことで、日本国民を納得させることができよう」
これが、寺崎日記の内容であると思われる。軍事基地提供という点は同じとしても、芦田の日本本土を想定しているのにたいして、天皇は対象を沖縄に限定する。結果論的になるが、アメリカは沖縄限定策のほうに動いた。天皇の卓抜な政略観にびっくりさせられる。
資料-------------------------------
"Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"
Tokyo, September 22, 1947
UNITED STATES POLITICAL ADVISER FOR JAPAN
Tokyo, September 22, 1947.
Subject: Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.
The Honorable, The Secretary of State, Washington.
Sir:
I have the honor to enclose copy of a self-explanatory memorandum for GeneralMacArthur, September 20, 1947, containing the gist of a conversation withMr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, who called at this Officeat his own request.
It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United Stateswill continue the military occupation of Okinawa and other islands of theRyukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.The Emperor also envisages a continuation of United States military occupationof these islands through the medium of a long-term lease. In his opinion,the Japanese people would thereby be convinced that the United States hasno ulterior motives and would welcome United States occupation for militarypurposes.
Respectfully yours,
W. J. Sebald
Counselor of Mission
---------------------------------
Enclosure to Dispatch No. 1293 dated September 22, 1947, from the UnitedStates Political Adviser for Japan, Tokyo, on the subject "Emperorof Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"
General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers
Diplomatic Section
20 September, 1947
Memorandum For: General MacArthur
Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointmentfor the purpose of conveying to me the Emperor's ideas concerning the futureof Okinawa.
Mr. Terasaki stated that the Emperor hopes that the United States willcontinue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus.In the Emperor's opinion, such occupation would benefit the United Statesand a1so provide protection for Japan. The Emperor feels that such a movewould meet with widespread approval among the Japanese people who fearnot only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, thegrowth of rightist and leftist groups which might give rise to an "incident"which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.
The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa(and such other islands as may be required) should be based upon the fictionof a long-term lease -- 25 to 50 years or more -- with sovereignty retainedin Japan. According to the Emperor, this method of occupation would convincethe Japanese people that the United States has no permanent designs onthe Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China,would thereby be stopped from demanding similar rights.
As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of "militarybase rights" (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) shouldbe by bilateral treaty between the United States and Japan rather thanform part of the Allied peace treaty with Japan. The latter method, accordingto Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might inthe future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people.
W. J. Sebald
(http://hakusanjin.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/201011-60c4.htmlより)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
後半部分は、「昭和天皇独白録ー寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋)から、昭和22年9月19日(金)に、御用掛の寺崎が、天皇のメッセージを総司令部政治顧問シーボルトに伝えたことに関する<注>の抜粋である。
また、資料として寺崎英成が訪ねたシーボルトのワシントン国務長官宛てと連合国最高司令官総司令部のマッカーサー宛ての文書を添付する。
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第5章 裕仁天皇退位せず
────このあとに何が起こるか予見できない
天皇メッセ-ジと沖縄
・・・
そのなかで、天皇も政府も前年から伝えられていた対日早期講和の動きに不安を高めていた。講和が成立して米軍が撤退すれば、非武装日本の安全は誰が保障するのか。第9条を盛りこんだ新憲法草案が審議されていた段階で想定されていた国際連合への「バラ色の期待」は、すでに米ソ冷戦の進行で色あせていた。
22年9月、片山内閣の芦田均外相は、特別協定を結んで、日本の安全保障をアメリカへ依存する代わりに、駐留米軍へ基地を提供し、日本も警察力を増強するという、のちの日米安保条約に近い方式を考案して、一時帰国する第8軍司令官アイケルバーガー中将に託した(前掲『日本再軍備』)。
第9条の生みの親を自任していたマッカーサーは、とても受けつけてくれる気配がないので、反ソ・反共論者のアイケルバーガーを通じて、ワシントンへ訴える形をとったのである。
前後して、宮内府御用掛の寺崎が、総司令部外交局に「沖縄の将来に関する天皇の考えを伝えるため」として、シーボルトを訪ね「天皇は、アメリカが沖縄をふくむ琉球の他の島々を、軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を護ることになる……」
と語ったのち、軍事占領の具体的形態として天皇が考えているのは、「日本に主権を残す形で、25年から50年あるいはそれ以上にわたる長期の貸与(リース)という擬制」であり、「この方式は、アメリカが琉球列島に恒久的意図を持たないことを日本国民に納得させるだろう」と説明した。
寺崎はさらに、私見として軍事基地権の獲得は、日米二国間条約で処理されるべきだ、と付け加えたが、シーボルトはすぐにこの会談の要旨をマッカーサーに報告し、本国に伝えている(昭和22年9月22日付シーボルト発マーシャル国務長官宛)。添付資料
さて芦田メモと天皇メッセージはどう関連しあっていたのだろうか。
両者を比較してみると、軍事基地提供という基本的性格は変わらないが、前者が日本全土を想定しているのに対し、後者は長期貸与ながら、対象を沖縄に限定しているから、相互補完というよりも、次元を異にした発想と見た方が妥当だろう。
社会党政権の時代だったことを思いあわせれば、天皇は芦田メモの構想に不満で、独自の提案を別ルートで試みた可能性が高い。
では米側は、2つの提案のいずれに感応したのか。ざっと比較すると、芦田メモの方が米側に有利な条件と見えるが、実は進藤栄一が指摘するように、天皇メッセージは「はるかにワシントンの動向と波長の合うもの」(「分割された領土」 『世界』昭和54年4月号)だった。
この頃、アメリカの外交・軍事当局は、対ソ戦略の観点から日本の新たな位置づけを検討しつつあり、沖縄はアメリカを施政権者とする戦略的信託統治下に置く方針へ傾いていた。
沖縄について何も触れていない芦田メモに比べると、天皇の提案はストレートに米側の要請を満たすものであり、しかも潜在主権は、信託統治よりもさらに有利な条件であった。
逆に天皇メッセージは、日本本土の軍事基地化について触れていないだけに、非武装中立論に固執するマッカーサーの支持を得られやすかった。実際にマッカーサーは、翌年3月に来日したケナン国務省政策企画部長に、沖縄の基地を開発して有力な空軍を常駐させ、その傘で日本を防衛する構想を語り、朝鮮戦争が起こるまで、くり返しこの持論を説くようになる。
昭和23年10月、国家安全保障会議(NSC)は対日政策の全面的転換を打ちだしたNSC13/2を採択した。骨子はケナン報告を基調としたもので、対日講和条約は無期延期され、米軍は少なくともその時点まで日本に駐留することになった。
NSCー13/2の副産物のひとつは、沖縄の長期保有と基地開発を規定した第5項であった。それまで沖縄は少数の米陸軍が駐留するだけで、ほとんど見捨てられていた形であったが、これを契機に息を吹き返すことになり、翌年から巨額の工事予算を投じた基地拡張が開始され、今もアメリカのアジアにおける最大の軍事基地として不動の地位を占めつづけている。
天皇の提案は、本土の代わりに沖縄を犠牲にしたという一面を免れないが、それから20数年後に沖縄は全面的に日本へ返還されることになった。軍事基地だけは実質的に長期リースの形態を残して。
・・・
シーボルトは寺崎の言い出した大胆な提言をもう一度かみしめながら、要は中国本土を放棄して、新たな外郭防衛戦でソ連の侵攻と浸透を強力に阻止せよという示唆だな、と理解した。
寺崎が帰ると、会談内容はすぐにタイプされ、ワシントンの国務長官あてに発信されたが、最後にシーボルトの解釈が付け加えられている。
「寺崎は個人的見解だと念を押したが、以上は天皇を含む宮中高官の見解だと信ずべき理由がある。更に、この意見には日本の利己的立場──すなわち占領が長引いてもよいからアメリカが日本をソ連から守ってもらいたいという強い要請、更に隣国の中国が日本に強い態度をとれないような弱体のまま推移するのを望むという──が反映しているかもしれない」
おそらく寺崎と天皇の合作と思われる、この外郭防衛戦戦略がワシントンに受け入れられなかったのは、その後の歴史をみると明白である。
それから2年近くのち、25年1月12日、アチソン米国務長官は、「アチソン声明」として知られる有名な演説の中で、極東におけるアメリカ外郭防衛戦に触れ、南朝鮮と台湾が除外されていることを公表した。それが共産陣営の誤解を招き、半年後の朝鮮戦争を誘発したというのは、今や外交史学界の定説となっており、アメリカ国務省の研修で、外交官のおかしてはならぬ失策の好例として引用されている
と聞く。
23年早々という早い時点で、アメリカのアジア戦略の動向を正確に探知して、適切な情勢判断を示した天皇の洞察力には脱帽のほかないが、一面から言えば、それは日中戦争と太平洋戦争で日本が血で購(あがな)って得た教訓でもあった。
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寺崎英成御用掛日記
9月19日(金)
<注>22年9月、芦田均外相は特別協定を結んで、日本の安全保障をアメリカに依存するかわりに、米軍へ日本本土のどこかに基地を提供し、日本も警察力を増強するという案を、一時帰国する第8軍司令官アイケルバーガー中将に託した。マッカーサーがこれを受けつけてくれる気配がないので、反ソ・反共の中将を通してワシントンへの直訴を試みたのである。
ところがこの日、寺崎は重要な天皇の意見をシーボルトに伝えている。それは9月22日付のマーシャル国務長官あての手紙として残されている。(添付資料)
「天皇は、アメリカが沖縄をふくむ琉球列島を軍事占領しつづけることを希望している。天皇の意見によると、その占領はアメリカの利益になるし、日本を守ることになる」
つまり、具体的な軍事占領の形態として天皇が考えているのは、日本に主権を残す形で、沖縄の利用をやむなく許すということである。「この方式は、アメリカが琉球列島に恒久的な占領意図をもたないことで、日本国民を納得させることができよう」
これが、寺崎日記の内容であると思われる。軍事基地提供という点は同じとしても、芦田の日本本土を想定しているのにたいして、天皇は対象を沖縄に限定する。結果論的になるが、アメリカは沖縄限定策のほうに動いた。天皇の卓抜な政略観にびっくりさせられる。
資料-------------------------------
"Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"
Tokyo, September 22, 1947
UNITED STATES POLITICAL ADVISER FOR JAPAN
Tokyo, September 22, 1947.
Subject: Emperor of Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands.
The Honorable, The Secretary of State, Washington.
Sir:
I have the honor to enclose copy of a self-explanatory memorandum for GeneralMacArthur, September 20, 1947, containing the gist of a conversation withMr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, who called at this Officeat his own request.
It will be noted that the Emperor of Japan hopes that the United Stateswill continue the military occupation of Okinawa and other islands of theRyukyus, a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.The Emperor also envisages a continuation of United States military occupationof these islands through the medium of a long-term lease. In his opinion,the Japanese people would thereby be convinced that the United States hasno ulterior motives and would welcome United States occupation for militarypurposes.
Respectfully yours,
W. J. Sebald
Counselor of Mission
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Enclosure to Dispatch No. 1293 dated September 22, 1947, from the UnitedStates Political Adviser for Japan, Tokyo, on the subject "Emperorof Japan's Opinion Concerning the Future of the Ryukyu Islands"
General Headquarters, Supreme Commander for the Allied Powers
Diplomatic Section
20 September, 1947
Memorandum For: General MacArthur
Mr. Hidenari Terasaki, an adviser to the Emperor, called by appointmentfor the purpose of conveying to me the Emperor's ideas concerning the futureof Okinawa.
Mr. Terasaki stated that the Emperor hopes that the United States willcontinue the military occupation of Okinawa and other islands of the Ryukyus.In the Emperor's opinion, such occupation would benefit the United Statesand a1so provide protection for Japan. The Emperor feels that such a movewould meet with widespread approval among the Japanese people who fearnot only the menace of Russia, but after the Occupation has ended, thegrowth of rightist and leftist groups which might give rise to an "incident"which Russia could use as a basis for interfering internally in Japan.
The Emperor further feels that United States military occupation of Okinawa(and such other islands as may be required) should be based upon the fictionof a long-term lease -- 25 to 50 years or more -- with sovereignty retainedin Japan. According to the Emperor, this method of occupation would convincethe Japanese people that the United States has no permanent designs onthe Ryukyu Islands, and other nations, particularly Soviet Russia and China,would thereby be stopped from demanding similar rights.
As to procedure, Mr. Terasaki felt that the acquisition of "militarybase rights" (of Okinawa and other islands in the Ryukyus) shouldbe by bilateral treaty between the United States and Japan rather thanform part of the Allied peace treaty with Japan. The latter method, accordingto Mr. Terasaki, would savor too much of a dictated peace and might inthe future endanger the sympathetic understanding of the Japanese people.
W. J. Sebald
(http://hakusanjin.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/201011-60c4.htmlより)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/"に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に変えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。