アメリカが、自国の兵士の流血を防止し、戦闘継続よる莫大な費用を投ずることなく、占領業務を円滑に遂行するために、「天皇の存在を利用する」ことを決して以降、日本人の間でも、表立って天皇の戦争責任を追求する声が大きくなることはなかった。しかしながら、敗戦間もない頃はいろいろ議論があったようである。「側近日誌」木下道雄(文藝春秋)から抜粋した部分は、天皇の侍従武官を務めた中村俊久海軍中将の考えが、内輪話の中で正直に語られたものであり興味深い。まさに「内話」であるために、世論を誘導する目的で論理的に語られたものではないことが、逆に、実態に即した常識的判断を表出させている面があり、注目に値すると思うのである。彼は海軍の軍人として様々な作戦に関わった立場で、艦隊の作戦行動に関する天皇の戦争責任を中心に語っている。己の与り知らぬことにはあまり触れていないことも、彼の言葉が説得力を持つ所以であると思う。
「天皇と戦争責任」児島襄(文藝春秋 文春文庫)からは、鈴木貫太郎内閣書記官長迫水久常や文相安部能成の述懐を含んだ部分を抜粋した。敗戦直後は「天皇も無責任ではあり得ない」という空気があったことが分かる。また、日本人自身が考える「天皇の戦争責任」と連合国側が考える「天皇の戦争責任」には、ニュアンスの違いがあるということも、ふまえておきたいことである。
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11月8日(木)
朝食の時、中村武官より内話を聴く。
陛下の戦争責任について
1 戦争準備
2 艦隊の展開
3 艦隊の任務
4 外交交渉成立の場合、艦隊の引き上げ
5 開戦の時期
6 実戦に先だち宣戦のこと
1~5については御命令もあり、これを御承知になり居たるも、6については実戦に遅るること40分、これは打電翻訳に時間を要したによる。要するに戦争について御責任はあり。則ち一国の統治者として、国家の戦争につきロボットにあらざる限り御責任あることは明らかなり。ただし、真珠湾攻撃については、則ち実戦をもって宣戦に先だつことについては、御承知なきこと、予期もし給わぬことなりと。
9時12分東宮、義宮、赤坂離宮より吹上文庫に御参。北入口にて御迎えす。両陛下に一年余の御対面なり。
・・・以下略
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第一部 天皇と戦争責任
30
・・・
天皇の戦争責任問題は、米国政府がうちきったあとも日本の内外でくすぶりつづけた。
もっとも、天皇の戦争責任を論議する場合、日本の内と外とではニュアンスの違いがみうけられる。
「天皇も無責任ではあり得ない。せめて、退位されるくらいのことは考えねばならぬ。そういう空気が、いまは故人になった政治家、現存している政治家の口から漏れていた」
とは、終戦時の鈴木貫太郎内閣の書記官長迫水久常(さこみずひさつね)の述懐である。
幣原喜重郎内閣で憲法改正問題が討議されたさい、文相安部能成(よししげ)が述べたことがある。
「天皇は無答責というが、道徳的にも責任を負わないという意味なのか……承詔必謹といって国民に服従の義務を負わせながら、本体たる天皇が無責任であるというのは、矛盾であると思う」
安部文相が指摘し、また迫水書記官長もいう天皇の戦争にたいする責任は、いわば敗戦にたいする道義的責任であろう。もし、そうであれば、その点にかんしては、天皇自身も感得しておられたといえよう。
「このさい私としてなすべきことがあれば、何でもいとわない」と、天皇は終戦のさいに述べ、既述したように、戦争犯罪人問題について、自身の退位で回避できないか、との趣旨を木戸内大臣に語っているからである。
これにたいして、連合国側が指摘する天皇の戦争責任は、開戦責任である。
戦争犯罪といい、戦争責任というのも、つまりは連合国とくに米国が第二次大戦末期に主唱した「侵略戦争犯罪論」にもとづく。
第二次大戦開始前には一般化されていなかった考え方である。
単純化していえば、戦争を仕かけるのが侵略であり、自衛または報復のための戦争は侵略戦争ではない。侵略戦争は平和にたいする犯罪だから、その国家の指導者は戦争犯罪人であり、開戦の責任者は戦争責任者だというのである。
天皇は、大日本帝国の元首であり、帝国陸海軍の大元帥であった。開戦の詔勅にも終戦の詔勅署名している。
ゆえに天皇は戦争責任者だ、という主張が、米国および連合国にも一般的であったことは既に既述したが、「東京裁判」においても、おりにふれてその点が問題になりそうになっては消えていった。
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
「天皇と戦争責任」児島襄(文藝春秋 文春文庫)からは、鈴木貫太郎内閣書記官長迫水久常や文相安部能成の述懐を含んだ部分を抜粋した。敗戦直後は「天皇も無責任ではあり得ない」という空気があったことが分かる。また、日本人自身が考える「天皇の戦争責任」と連合国側が考える「天皇の戦争責任」には、ニュアンスの違いがあるということも、ふまえておきたいことである。
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11月8日(木)
朝食の時、中村武官より内話を聴く。
陛下の戦争責任について
1 戦争準備
2 艦隊の展開
3 艦隊の任務
4 外交交渉成立の場合、艦隊の引き上げ
5 開戦の時期
6 実戦に先だち宣戦のこと
1~5については御命令もあり、これを御承知になり居たるも、6については実戦に遅るること40分、これは打電翻訳に時間を要したによる。要するに戦争について御責任はあり。則ち一国の統治者として、国家の戦争につきロボットにあらざる限り御責任あることは明らかなり。ただし、真珠湾攻撃については、則ち実戦をもって宣戦に先だつことについては、御承知なきこと、予期もし給わぬことなりと。
9時12分東宮、義宮、赤坂離宮より吹上文庫に御参。北入口にて御迎えす。両陛下に一年余の御対面なり。
・・・以下略
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第一部 天皇と戦争責任
30
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天皇の戦争責任問題は、米国政府がうちきったあとも日本の内外でくすぶりつづけた。
もっとも、天皇の戦争責任を論議する場合、日本の内と外とではニュアンスの違いがみうけられる。
「天皇も無責任ではあり得ない。せめて、退位されるくらいのことは考えねばならぬ。そういう空気が、いまは故人になった政治家、現存している政治家の口から漏れていた」
とは、終戦時の鈴木貫太郎内閣の書記官長迫水久常(さこみずひさつね)の述懐である。
幣原喜重郎内閣で憲法改正問題が討議されたさい、文相安部能成(よししげ)が述べたことがある。
「天皇は無答責というが、道徳的にも責任を負わないという意味なのか……承詔必謹といって国民に服従の義務を負わせながら、本体たる天皇が無責任であるというのは、矛盾であると思う」
安部文相が指摘し、また迫水書記官長もいう天皇の戦争にたいする責任は、いわば敗戦にたいする道義的責任であろう。もし、そうであれば、その点にかんしては、天皇自身も感得しておられたといえよう。
「このさい私としてなすべきことがあれば、何でもいとわない」と、天皇は終戦のさいに述べ、既述したように、戦争犯罪人問題について、自身の退位で回避できないか、との趣旨を木戸内大臣に語っているからである。
これにたいして、連合国側が指摘する天皇の戦争責任は、開戦責任である。
戦争犯罪といい、戦争責任というのも、つまりは連合国とくに米国が第二次大戦末期に主唱した「侵略戦争犯罪論」にもとづく。
第二次大戦開始前には一般化されていなかった考え方である。
単純化していえば、戦争を仕かけるのが侵略であり、自衛または報復のための戦争は侵略戦争ではない。侵略戦争は平和にたいする犯罪だから、その国家の指導者は戦争犯罪人であり、開戦の責任者は戦争責任者だというのである。
天皇は、大日本帝国の元首であり、帝国陸海軍の大元帥であった。開戦の詔勅にも終戦の詔勅署名している。
ゆえに天皇は戦争責任者だ、という主張が、米国および連合国にも一般的であったことは既に既述したが、「東京裁判」においても、おりにふれてその点が問題になりそうになっては消えていった。
・・・(以下略)
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/ に投稿記事一覧表および一覧表とリンクさせた記事全文があります。一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。旧字体は新字体に変えています。青字が書名や抜粋部分です。赤字は特に記憶したい部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。