真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

「従軍慰安婦」問題 資料NO2 日本政府の発表

2012年05月29日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』から
Ⅳとして『「従軍慰安婦」にさせられた人々』
     (1995年 10月25日発行 アジア女性基金パンフレットより)
Ⅴとして元従軍慰安婦の人たちに送られた「内閣総理大臣の手紙」
Ⅵとして同じように元従軍慰安婦の人たちに送られた
     「女性のためのアジア平和国民基金理事長の手紙」
を入れた。いずれも、日本国として「従軍慰安婦」問題における軍や政府の関与を認めた文書である。

 特に、Ⅳにある「最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした」の記述に注目したい。
 なぜなら、日本国内から、戦地の慰安所に「慰安婦」を送る場合は、内務省警保局長が各庁府県長官宛(除東京府知事)に発した「支那渡航婦女ノ取扱ニ関スル件」の文書で
 1、醜業ヲ目的トスル婦女ノ渡航ハ、現在内地ニ於テ娼妓其ノ他、事実上醜業ヲ営ミ、満21歳以上、且ツ花柳病其ノ他、伝染性疾患ナキ者ニシテ、北支、中支方面ニ向フ者ニ限リ、当分ノ間、之ヲ黙認スルコトトシ……外務次官通牒ニ依ル身分証明書ヲ発給スルコト
など、国際法に則って7つの制限項目を設けていたからである(この文書の全文は「325「従軍慰安婦」問題 資料NO3 内務省と軍の文書」のⅩに入れた)。
 朝鮮からの「慰安婦」に「16、7歳の少女もふくまれる若い女性たち」がいたという事実は、それが守られていなかった証拠であり、「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」の調印時に日本がつけた留保宣言、『下記署名ノ日本「国」代表者ハ政府ノ名ニ於テ本条約第5条ノ確認ヲ延期スルノ権利ヲ留保シ且其ノ署名ハ朝鮮、台湾及関東租借地ヲ包含セサルコトヲ宣言ス』を適用した差別政策、すなわち「二重基準」の政策の結果なのである(同条約は「326<従軍慰安婦>問題 資料NO4 婦女売買関係条約と報道」ⅩⅡに入れた)。      
Ⅳ--------------------------------
                 政府・基金公表文書

 「従軍慰安婦」にさせられた人々

    ──1995年 10月25日発行 アジア女性基金パンフレットより──

 「従軍慰安婦」とは、かつての戦争の時代に、日本軍の慰安所で将兵に性的な奉仕を強いられた女性のことです。
 慰安所の開設が、日本軍当局の要請によってはじめておこなわれたのは、中国での戦争の過程でのことです。1931年(昭和6年)満州事変がはじまると、翌年には戦火は上海に拡大されます。この第1次上海事変によって派遣された日本の陸海軍が、最初の慰安所を上海に開設させました。慰安所の数は、1937年(昭和12年)の日中戦争開始以後、戦線の拡大とともに大きく増加します。

 当時の軍の当局は、占領地で頻発した日本軍人による中国人女性レイプ事件によって、中国人の反日感情がさらに強まることをおそれて、防止策をとることを考えました。また、将兵が性病にかかり、兵力が低下することをも防止しようと考えました。中国人の女性との接触から軍の機密がもれることもおそれられました。
 岡部直三郎北支那方面軍参謀長は1938年(昭和13年)6月に出した通牒で、次のように述べています。


「諸情報ニヨルニ、………強烈ナル反日意識ヲ激成セシメシ原因ハ………日本軍人ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ………深刻ナル反日感情ヲ醸成セルニ在リト謂フ」「軍人個人ノ行為ヲ厳重ニ取締ルト共ニ、一面成ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整ヘ、設備ノナキタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムルヲ緊要トス」
 このような判断に立って、当時の軍は慰安所の設置を要請したのです。

 慰安所の多くは民間の業者によって経営されましたが、軍が直接経営したケースもありました。民間業者が経営する場合でも、日本軍は慰安所の設置や管理、女性の募集について関与し、「統制」を行いました。日本国内からの女性の募集について、1938年3月4日に出された中央の陸軍省副官の通牒には次のようにあります。
 「支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為、内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故ニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ、為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ、且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ、或ハ………募集方法誘拐ニ類シ、警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等、注意ヲ要スルモノ少ナカラザルニ就テハ、将来是等ノ募集ニ当タリテハ、派遣軍ニ於テ統制シ、之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ、其ノ実施ニ当リテハ、関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連繋ヲ密ニシ、以テ軍ノ威信保持上、並ニ社会問題上、遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス」


 最初は日本国内から集められた女性が多かったのですが、やがて当時日本が植民地として支配していた朝鮮半島から集められた女性がふえました。その人たちの多くは、16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちで、性的奉仕をさせられるということを知らされずに、集められた人でした。

 1941年(昭和16年)12月8日、日本は米英オランダに宣戦布告し、(太平洋戦争)、戦線は東南アジアに広がりました。それとともに慰安所も中国から東南アジア全域に拡大しました。そのほとんどの地域に朝鮮半島、さらには中国、台湾からも、多くの女性が送られました。旧日本軍は彼女たちに特別軍属に準じた扱いをおこない、渡航申請に許可をあたえ、日本政府は身分証明書の発給をおこなうなどしました。それと同時にフィリピン、インドネシアなど占領地の女性やオランダ女性が慰安所に集められました。この場合軍人が強制的手段をふくめ、直接関与したケースも認められます。


 慰安所では、女性たちは多数の将兵に性的な奉仕をさせられ、人間としての尊厳をふみにじられました。さらに、戦況の悪化とともに、生活はますます悲惨の度をくわえました。戦地では常時、軍とともに行動させられ、まったく自由のない生活でした。
 日本軍が東南アジアで敗走しはじめると、慰安所の女性たちは現地に置き去りされるか、敗走する軍と運命をともにすることになりました。

 一体どれほどの数の女性たちが日本軍の慰安所に集められたのか、今日でも事実調査は十分に「はできていません。1939年(昭和14年)広東周辺に駐屯していた第23軍司令部の報告では、警備隊長と憲兵隊監督のもとにつくられた慰安所にいる「従業婦女ノ数ハ概ネ千名内外ニシテ軍ノ統制セルモノ約850名、各部隊郷土ヨリ呼ビタルモノ約150名ト推定ス」とあります。第23軍だけで一千人だというのですから、日本軍全体では相当多数の女性がこの制度の犠牲者となったことはまちがいないでしょう。現在研究者の間では、5万人とか、20万人とかの推計がだされています。


 1945年(昭和20年)8月15日戦争が終わりました。だが、平和がきても、生き残った被害者たちにはやすらぎは訪れませんでした。ある人々は自分の境遇を恥じて、帰国することをあきらめ、異郷に漂い、そこで生涯を終えました。帰国した人々も傷ついた身体と残酷な過去の記憶をかかえ、苦しい生活を送りました。多くの人が結婚もできず、自分の子供を生むことも考えられませんでした。家庭ができても、自分の過去をかくさねばならず、心の中の苦しみを他人に訴えることができないということが、この人々の身体と精神をもっとも痛めつけたことでした。
 軍の慰安所で過ごした数年の経験の苦しみにおとらない苦しみの中に、この人々の戦後の半世紀を生きてきたのです。

 現在韓国では、政府に届けでた犠牲者は162名とのことです。フィリピン、インドネシア、台湾、オランダ、朝鮮民主主義共和国、中国などの国や地域からも名乗りでている方々がいます。しかし、いずれにしても多くの人がこの世を去ったか、名乗りでることをのぞんでおられないのです。このことも忘れてはならないでしょう。


Ⅴ--------------------------------
               内閣総理大臣の手紙

拝啓
 このたび、政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々へのわが国の国民的な償いが行われるに際し、私の気持ちを表明させていただきます。
 いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として、改めて、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
 我々は、過去の重みからも未来の責任からも逃げるわけにはまいりません。わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。
 末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなものとなりますよう、心からお祈りしております。
                       平成8(1996)年    
                       日本国内閣総理大臣  橋本龍太郎

Ⅵ-------------------------------
         女性のためのアジア平和国民基金 理事長の手紙

 謹啓
 日本国政府と国民の協力によって生まれた「女性のためのアジア平和国民基金」は、かつて「従軍慰安婦」にさせられて、癒しがたい苦しみを経験された貴方に対して、ここに日本国民の償いの気持ちをお届けいたします。

 かつて戦争の時代に、旧日本軍の関与のもと、多数の慰安所が開設され、そこに多くの女性が集められ、将兵に対する「慰安婦」にさせられました。16、7歳の少女もふくまれる若い女性たちが、そうとも知らされずに集められたり、占領下では直接強制的な手段が用いられることもありました。貴方はそのような犠牲者のお一人だとうかがっています。
 
 これは、まことに女性の根源的な尊厳を踏みにじる残酷な行為でありました。貴女に加えられたこの行為に対する道義的な責任は、総理の手紙にも認められている通り、現在の政府と国民も負っております。われわれも貴女に対してこころからお詫び申し上げる次第です。
 貴女は、戦争中に耐え難い苦しみを受けただけでなく、戦後も50年の長きにわたり、傷ついた身体と残酷な記憶をかかえて、苦しい生活を送ってこられたと拝察いたします。
 
 このような認識のもとに、「女性のためのアジア平和国民基金」は、政府とともに、国民に募金を呼びかけてきました。こころあるい国民が積極的にわれわれの呼びかけに応え、拠金してくれました。そうした拠金とともに送られてきた手紙は、日本国民の心からの謝罪と償いの気持ちを表しております。

 もとより謝罪の言葉や金銭的な支払によって、貴女の生涯の苦しみが償えるものとは毛頭思いません。しかしながら、このようなことを二度とくりかえさないという国民の決意の徴(シルシ)として、この償い金を受けとめて下さるようにお願いをいたします。
 「女性のためのアジア平和国民基金」はひきつづき日本政府とともに道義的責任を果たす「償いの事業」のひとつとして医療福祉支援事業の実施に着手いたします。さらに、「慰安婦」問題の真実を明かにし、歴史の教訓とするための資料調査研究事業も実施てまいります。

 貴女が申し出てくださり、私たちはあらためて過去について目をひらかれました。貴女の苦しみと貴女の勇気を日本国民は忘れません。貴女のこれからの人生がいくらかでも安らかなものになるようにお祈り申し上げます。
                                       敬具
  平成8(1996)年
                    財団法人 女性のためのアジア平和国民基金
                                    理事長  原 文兵衛


一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「従軍慰安婦」問題 資料NO1 日本政府の発表

2012年05月29日 | 国際・政治
 ここには、『「慰安婦」問題 櫻井よしこの「直言!」に対する5つの疑問』で論じたことに関わる資料を、『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成(財)女性のためのアジア平和国民基金編』からとり
Ⅰとして「政府・基金公表文書」「1、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題      について」
Ⅱとして「いわゆる従軍慰安婦問題について」
     平成5年8月4日内閣官房内閣外政審議会室の文書を
Ⅲとして「慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話」 
     平成5年8月4日
の3つを入れた。
 特に、Ⅰの調査の期間や方法とともに、Ⅱの「調査の経緯」の記述が見逃せないものであると考える。”まだ不十分だ”という声も聞かれるが、幅広い調査が行われことが分かる。また、櫻井氏が批判した河野官房長官談話が、この政府の「慰安婦関係調査結果」の発表と同時に行われていることも踏まえる必要があると思う。謝罪は、こうした政府の「慰安婦関係調査結果」をもとにしたものであり、個人的見解によるものではないからである。

Ⅰ-------------------------------
                  政府・基金公表文書

1、朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦問題について 

 政府としては、12月より朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に政府が関与していたかどうかについて、関係資料が保管されている可能性のある省庁において関連資料の調査を行っていたところであるが、現在までの調査結果を下記の通りまとめたので発表する。なお、政府としては、今後とも新たな資料が発見された場合には、これを公表してまいりたい。


                     記
1 調査期間

 平成3年12月~平成4年6月

2、調査を行った省庁と調査方法 
  警察庁…①警察庁所管資料を調査。
      ②各都道府県の本部長に対して調査を依頼。
  防衛庁…防衛研究所を始め、陸上、海上及び航空の各自衛隊、防衛大学校等の防衛庁関係の各機関において戦史資料を中心に調査。
  外務省…外交史料館等において、外交資料を中心に調査。
  文部省…①各国公私立大学附属図書館に対し調査を依頼。
      ②各都道府県教育委員会(公立図書館関係)及び私立図書館に対し調        査を依頼。
  厚生省…復員関係資料及び軍人・軍属名簿を中心に調査
  労働省…本省関係部局及び関係機関並びに地方職業安定期間に「おいて調         査。

3、調査結果 

(1) 各省庁から発見された資料の件数 

警察庁……0件   防衛庁……70件   外務省……52件   厚生省……4件労働省……0件

(2) 今回の調査で発見された資料を整理すると、次のとおり。(詳細は別紙のとお   り、括弧内の件数は重複しているものもある。)
 ①慰安所の設置に関するもの(4件) 
 ②慰安婦の募集に当たる者の取締りに関するもの(4件) 
 ③慰安施設の築造・増強に関するもの(9件)
 ④慰安所の経営・監督に関するもの(35件)
 ⑤慰安所・慰安婦の衛生管理にお関するもの(24件)
 ⑥慰安所関係者への身分証明書等の発給に関するもの(28件)
 ⑦その他(慰安所、慰安婦に関する記述一般等)(34件) 

(3) 今回発見された資料の主な記述を上記分野に従って整理すると次の通り
 ①慰安所の設置については、当時の前線における軍占領地域内の日本軍人による住民に対する強姦等の不法な行為により反日感情が醸成され、治安回復が進まないため、軍人個人の行為を厳重に取り締まるとともに、速やかに慰安設備を整える必要があるとの趣旨の通牒の発出があったこと、また、慰安施設は士気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に対する影響が大きいため、慰安の諸施設に留意する必要があるとの趣旨の教育指導参考資料の送付が軍内部であったこと。


 ②慰安婦の募集に当たる者の取締りについては、軍の威信を保持し、社会問題を惹起させないために、慰安婦の募集に当たる者の人選を適切に行うようにとの趣旨の通牒の発出が軍内部であったこと。

 ③慰安施設の築造・増強については、慰安施設の築造・増強のために兵員を差し出すようにとの趣旨の命令の発出があったこと。

 ④慰安所の経営・監督については、部隊毎の慰安所利用日時の指定、慰安所利用料金、慰安所利用にあたっての注意事項等を規定した「慰安所規定」が作成されていたこと。

 ⑤慰安所・慰安婦の衛生管理については、「慰安所規定」に慰安所利用の際は避妊具を使用することを規定したり、慰安所で働く従業婦性病検査を軍医等が定期的に行い、不健康な従業具においては就業させることを禁じる等の措置があったこと。

 ⑥慰安所関係者への身分証明等の発給については、慰安所開設のため渡航する者に対しては軍の証明書により渡航させる必要があるとする文書の発出があったこと

 ⑦その他、業者が内地で準備した女子が船舶で輸送される予定であることを通知する電報の発出があったこと。


以上のようにいわゆる従軍慰安婦問題に政府の関与があったことが認められた。   
Ⅱ-------------------------------
2 いわゆる「従軍慰安婦問題について
                                平成5年8月4日
                              内閣官房内閣外政審議会室
1 調査の経緯

 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者による我が国における訴訟の提起、我が国国会における議論等を通じ、内外の注目を集めて来た。また、この問題は、昨年1月宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。

 このような状況の下、政府は、平成3年12月より関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広い聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の過程において、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別添えのである。


 調査対象機関  警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、            国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館
 関係者からの聞き取り
         元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、         慰安所付近の居住者、歴史研究家等
 参考とした国内外文書及び出版物
         韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、
         太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体が作成した元慰安婦の証         言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いが          そのほぼすべてを渉猟した。
  本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査もふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下に発表することにした。


2、いわゆる従軍慰安婦問題の実態について

 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。
(1) 慰安所設置の経緯
  各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領地内において日本  軍人が住民に対し強姦の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要があったこと、性病等の病気による兵  力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。
(2) 慰安所が設置された時期
  昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安  所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。
(3) 慰安所が存在していた地域
  今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、、ビルマ (当時)ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。
(4) 慰安婦の総数
  発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難  である。しかし、上記のように、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。
(5) 慰安婦の出身地
  今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア、及びオラ  ンダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、日本人を除けば朝鮮半島出身者が多い。
(6) 慰安所の経営及び管理  慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営した場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の私設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
 
  慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない痛ましい生活を強いられことは明らかである。

(7) 慰安婦の募集 
  慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。

(8) 慰安婦の輸送等
  慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輌によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。


Ⅲ--------------------------------
3、慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話
                                 平成5年8月4日
 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、1昨年12月より調査を進めてきたが、今般その結果がまとまったので発表することにした。
 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦としての数多くの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からのお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。
 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間研究を含め、十分に関心を払って参りたい。
 

一部漢数字をアラビア数字に換えたり、読点を省略または追加したりしています。また、ところどころに空行を挿入しています。青字が書名や抜粋部分です。「・・・」は段落全体の省略を「……」は、文の一部省略を示します。
資料順次アップ予定。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする