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真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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南京事件 『ラーベの日記』 No3

2015年12月02日 | 国際・政治

                              「南京の人口20万人」について No3

 南京市の人口が20万人、という下記のような主張の三つ目の問題を考えたいと思います。それは、「南京市」の地理的範囲の問題です。

 ”南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう。しかも日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです。もし「虐殺」があったのなら、人々が戻ってきたりするでしょうか。

  ”12月18日には、南京国際委員会(南京の住民が集まっていた安全区を管轄する委員会)が人口「20万人」と発表しています。

 この「南京市の人口は、日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした」というときの「20万」は、ラーベを長とする南京安全区国際委員会が安全区で保護しようとした難民の数です。「南京市」の人口ではないということです。ラーベが使っていない「南京市」という言葉を使い、「20万」を「人口」と解釈することには、問題があると言わざるをえません。ラーベは日記の11月25日に、ジーメンス社との電報のやり取りを下記のように書いています。

”上海の中国本社からドイツ大使館に私あての電報が届いていた。
「ジーメンス・南京へ。ジーメンス・上海より告ぐ。南京を発ってよし。身の危険を避けるため、漢口へ移るように勧める。そちらの予定を電報で告げよ」
私は大使館を通じて返事をした。
「ジーメンス上海へ。ラーベより。11月25日の電報、ありがたく拝受。しかしながら、当方南京残留を決意。20万をこす非戦闘員の保護のため、国際委員会の代表を引き受けました」

  「20万をこす非戦闘員の保護のため」というような文章中の数字を、南京市の人口に読みかえてはいけないと思うのです。11月22日の国際委員会の会議で「代表」に選ばれて以来、ラーベはこの「20万をこす非戦闘員の保護のため」に様々な取り組みをしたのです。11月24日には、次のような記述があります。

ロイター通信社がはやくも国際委員会の計画について報じた。すでにきのうの昼、ローゼン(駐華ドイツ大使館書記官)も、ラジオで聞いたという。それによると、東京で抗議の動きがあるとのこと。とっくに南京から逃げ出したくせになんでアメリカがでしゃばるのか、ということらしい。それを受けてローゼンは上海のドイツ総領事館あてにこんな電報を打った。いつものようにアメリカ海軍の仲介だ。

 当地の国際委員会、ドイツ・ジーメンス社のラーベ代表に、イギリス人、アメリカ人、デンマーク人、ドイツ人の各委員は、中国および日本に、南京に直接戦闘行為が及んだ場合の一般市民安全区の設置を求めております。アメリカ大使は総領事館を通じ、この件を上海の日本大使と東京へ伝えました。この保護区は一朝有事の際に、非戦闘員にのみ安全な避難先を提供するものです。
 ドイツ人の代表に免じ、この人道的な提言に対する、非公式の、とはいえ公式の場合に劣らない温かいご支援を乞う次第です。
 私の手元にはザッツブーフしかありません。よってこれを東京に転送し、米海軍を介してドイツ総領事館および日本当局の返信を頂きたいと思います。
 
 この「非戦闘員にのみ安全な避難先を提供する」という「非戦闘員」の人数を「20万」と想定したのだと思います。

 ところが、ラーベや南京安全区国際委員会は、想定した「20万」という数字の根拠は示していません。また、「南京」についても、その範囲については、何も語っていません。
 したがって、「南京市」の地理的範囲は、中国の行政区画が日本の行政区画と異なることを踏まえて理解されなければなりません。
 行政区としての南京は、「南京特別市」と呼ばれるようですが、近郊6県(六合県 江浦県、江寧県、句容県、漂水県、高淳県)を含みかなり広範囲です。その広さは、東京都、埼玉県、神奈川県を合わせた面積に匹敵するといいます。「南京特別市」の場合、市の中に県を含むのです。

 南京市の人口を問題にするのであれば、日本軍と戦う中国軍が「清野作戦」を展開したため、街道沿いや城壁周辺の住民が多数難民となり、南京城内に避難してきたのに加えて、日本軍の南京進撃戦から逃れるために、広大な地域の県城からも難民が移動してきたことを無視してはいけないと思います。だから「20万」という数字は「30万」虐殺否定の根拠にはできないと思うのです。
 また、捕虜や投降兵や市民の虐殺は、南京城内だけではなく、南京攻略に向かった時点からの南京行政区を対象に考えるべきではないかと思います。「南京戦」ということで南京城区に範囲を限定するのはいかがなものかと思うのです。中国軍は南京城を防衛するために郊外にもあちこちに陣地を作って日本軍と戦いました。したがって、戦闘や虐殺も郊外が多かったのです。
 捕虜の虐殺と考えられる第16師団第9連隊第3大隊片桐部隊の向井少尉と野田少尉の「百人斬り競争」も、「無錫」からはじめて、それぞれ無名や横林鎮、威関鎮、常州駅などで百人斬り競争を進めたといいます。そして、向井少尉が「この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ」と言ったことが大阪毎日新聞の記事になっているのです。「無錫」は南京城からはかなり離れており、どちらかというと南京条よりも上海に近いのではないかと思います。

 笠原教授は、大本営が南京攻略戦を下命した時の日本軍の侵攻地点をもとに、地理的範囲を南京行政区とされています。それは、集団虐殺が長江沿い、紫金山山麓、水西門外などに集中していること、投降兵あるいは便衣兵容疑の者が城内より城外へ連行され殺害されたこと、日本軍の包囲殲滅戦によって近郊農村にいた多数の市民が巻き添えとなっていることなどを根拠にされています。
 
 洞富雄教授は『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社)の中で、中国兵の虐殺については、行政区としての南京市全域を考えるべきで、この場合、被虐殺者はとうてい「数千名」程度ではなかった、と書いています。そして、明らかにされている日本側の戦闘詳報や陣中日誌、陣中日記、手記など信憑性の高い同時代資料のほぼ全てを列挙し、それらを合計して、捕虜と連行された「便衣兵」の虐殺約10万3700人、掃蕩戦で殲滅された投降兵3万600人、合わせておよそ13万4300人の中国兵が虐殺されたとしています。これらの数字の中には誇張されたものも含まれているであろうが、逆に、信憑性が疑われ、これに含めなかった虐殺や、こうした資料の残されていない虐殺も相当数あったはずだとして、「これはおどろくべき数字であることは事実だ」と書いています。日本側の資料だけで、13万4300人の中国兵虐殺の記述が確認できるというのです。一般民間人の殺害・虐殺に関しては、日本側にはほとんど資料がないことも考慮しなければならないと思います。

  中国で日本軍について取材を重ねた本多勝一氏は、第10軍と上海派遣軍が南京へ向けて進撃をはじめた時から残虐行為が始まっており、残虐行為の質は上海から南京まで変わらなかったとして、杭州湾・上海近郊から南京までの南京攻略戦の過程すべてを「南京大虐殺」の地理的範囲とされています。

 そう考えると「20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう」というような主張は、全く的外れで、意味がないということになります。当時、人口はきわめて流動的であったということや、虐殺は南京城内だけではなかったということを無視してはならないということです。

 また、「日本軍の南京占領後、南京市民の多くは平和が回復した南京に戻ってきて、1ヶ月後に人口は約25万人に増えているのです」ということが、根拠のない勝手な推察であることを、洞富雄教授は『南京大虐殺の証明』(朝日新聞社)『第三章「南京大虐殺の数字的研究」の非論理』中で指摘しています。
 「ラーベの日記」や「南京安全区国際委員会」の文書の中に、そうした記述が見当たらないだけではなく、逆に、日本軍の南京占領後、下記のような被害に関する記述や抗議、要請の記述があることを見逃してはならないと思います。

 例えば、南京入城式(12月17日)の翌日、11月18日の「ラーベの日記」には、

最高司令官がくれば治安はよくなるかもしれない。そんな期待を抱いていたが、残念ながらはずれたようだ。それどころかますます悪くなっている。塀を乗り越えてやってきた兵士たちを、朝っぱらから追い払わなければならない有様だ。なかの一人が銃剣を抜いて向かってきたが、私を見るとすぐさやにおさめた。
 私が家にいるかぎりは、問題はなかった。やつらはヨーロッパ人に対してはまだいくらか敬意を抱いている。だが、中国人に対してはそうではなかった。…”

とあります。

 NO1~NO3をまとめると、「日本軍の南京への攻撃開始前に約20万人でした。20万人しかいない所で、どうやって30万人を殺せるでしょう」という「20万」は南京安全区国際委員会の難民の想定数であって、南京の人口ではないということ、また、その「20万」は「非戦闘員」であり、城外で虐殺された多数の捕虜や投降兵が含まれていないということ、さらに、南京の人口は、南京城内の人口に限定すべきではないということです。

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