平泉澄は「先哲を仰ぐ」平泉澄(錦正社)の中の「十五 松下村塾記講義」で、先哲として、山鹿素行、山崎闇齋、藤田東湖、橋本景岳、吉田松陰、佐久良東雄、大橋訥菴、眞木和泉守などの名前を上げています。
そして、「今あげました数多くの諸先生の中に於て、吉田松陰はひときわ秀れたお方であります」として、吉田松陰の「松下村塾の記」を取り上げ、「文章はわりに短いものでありますが、亦一段と光り輝くものでありまして、明治維新がいかなる精神によって指導されたかといふことは、之を拝見しますれば明瞭であります。一応文字を追ひまして解釈いたします」として、当時の状況をふまえ、自身の考えを加えながら、「松下村塾記」の解釈を詳述しています。下記資料1がその文章の一部です。これは、昭和三十五年八月、存道館において青年有志に講義されたものだということです。
戦前・戦中、大学における講義のみならず、学内の組織「朱光会」や、学外の組織「青々塾」で、また、海軍大学校や陸軍士官学校などで講義・講演を繰り返し、昭和天皇や秩父宮などに「進講」もして、皇国史観の教祖といわれる活躍をした歴史家・平泉澄の「皇国史観」の考え方は、敗戦後も少しも変わらなかったことがわかります。
そして、見逃すことができないのが、平泉澄の著書や講演速記録、講義のなかから自らが感銘を受け、若い学生に推奨したい論説を選んで編集し「先哲を仰ぐ」と題して一冊にまとめ上げたという市村真一教授(経済学)の、解説文です。下記資料2に抜粋したように、
”…日本の伝統的道徳律を、もっとも直截簡明に述べられたものとしては、「教育勅語」にまさるものはないと思ふ。…”と言っているのです。
さらに、
”道徳は、時として命をさゝげることを要求する。”
とも言っているのです。その文章には、平成十年七月十五日とあるのです。
それを、「松下村塾記講義」の中の、下記、平泉澄の文章と合わせ考えると、「教育勅語の内容の中には、夫婦相和し、あるいは朋友相信じなど、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれている」と言って、「こうした内容に着目して適切な配慮のもとに活用していくことは差し支えない」などと、その活用を認める主張が、実は再び神道に基づく「皇国」を復活さをようとする思想を背景にしているのではないかと疑われます。
”「抑人の最も重しとする所は君臣の義なり。国の最も大なりとする所は華夷の弁なり」 人に於て最も大なりとする所は君臣の道義であります。いろいろその他道徳として考へられるものはございませう。友人の間の道徳がありませう。兄弟の間の道徳がありませう。夫婦の間の道徳がありませう。親子の間の道徳がありませう。然し最も重大であって、根本にあってこれあって世の中が確立するといふものは、君臣の大義であります。「国の最も重しとする所は華夷の弁なり」即ち自分の国の本質がどういふものであるか、外国とどういふ点がちがふのであるか、外国にくらべて我国が如何に尊い国であるかといふことを明白に弁別すること、これが最も重大であります”
教育勅語の核の部分は、間違いなく「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」ということであり、日本国憲法の国民主権や基本的人権、平和主義などの考え方とは相容れないと思います。(下記抜粋文の旧字体の漢字は、新字体に変更しました。)
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十五 松下村塾記講義
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そこで、私が申しますに、学問とは人たる所以を学ぶのであります。学問の本質とは何であるかと云へば、人たる所以を学ぶ、それを知らないでは人と云へないといふ、人としてぎりぎりの所を教へる、それが学問であります。片々たる知識を云ふのではない。この点をはずせば人でないぞといふぎりぎりのことを教へるのが学問でありませう。塾が松下村塾といって村の名前をとってをられるのであれば、「誠に一邑の人をして」、この松下村の人全部をして、「入りては則ち孝悌、出でては則ち忠信ならしめば」、家庭に於ては孝悌、よく親に仕へ、よく兄姉に仕へるといふにあらしめる。外に出ては忠信であらしめる。家庭に於ては孝悌、 外に於て忠信といふ、かういふことでありますならば道徳的であらしめることができますならば、村の名前をとって松下村塾といはれましても、それは辱かしくありますまい。もしさうでないといふならば、もしあるひはひょっとして、さうでないといふことでありますれば村の辱ではありませんか。そこで松下村塾は何を教へるかといふことをしっかり考へなければならん。「抑人の最も重しとする所は君臣の義なり。国の最も大なりとする所は華夷の弁なり」 人に於て最も大なりとする所は君臣の道義であります。いろいろその他道徳として考へられるものはございませう。友人の間の道徳がありませう。兄弟の間の道徳がありませう。夫婦の間の道徳がありませう。親子の間の道徳がありませう。然し最も重大であって、根本にあってこれあって世の中が確立するといふものは、君臣の大義であります。「国の最も重しとする所は華夷の弁なり」即ち自分の国の本質がどういふものであるか、外国とどういふ点がちがふのであるか、外国にくらべて我国が如何に尊い国であるかといふことを明白に弁別すること、これが最も重大であります。ところが「今天下如何なる時ぞや」今日の時勢をどう考へられますか。「君臣の義講ぜざること六百余年」、君臣の間の道義道徳が講明せられないこと、之が充分に研究せられず、明らかにされないでおりますことは、六百余年であります。これ鎌倉幕府以来をさゝれるのであります。政権鎌倉幕府に移りましてこゝに六百余年、その間君臣の義はわけが判らなくなりました。将軍あることを知って天子のおはすことを知らぬといふことが世間一般のならはしであります。「近時に至り華夷の弁を合わせて又之を失ふ」、このごろになりますと、又外国と日本との区別が判らなくなってをる。外国がいかにも偉い国で、日本といふ国はまことにつまらぬ国であるといふ風に、自らの本質を見失ってをる者が多いのであります。そこで大変な問題が出てくるのでありますが、さうであるにかゝはらず、「天下の人方且(マサ)に安然計を得たりとなす」、のんきにかまへて、これでよいとしております。「神州の地に生れて皇室の恩を蒙り」、これは「蒙り」と読みましたが、意味から云ひますと「蒙りながら」の意味なんです。神州の地に生れて皇室の恩を蒙りながら、「内には君臣の義を失ひ、外には華夷の弁を遺る」、内に於て君臣の大義を忘れ、外に対しては日本の国体が判らなくなって外国の方が偉いやうに考へてをるといふことでありましては、学問をするといひましたところが、「学の学たる所以、人の人たる所以、其れ安くにありや」、学問をしたといひ、俺は立派な人だと云ってところが、それは人ではないではありませんか。学問でもないではありませんか。学問とか人とか云ったところが、その一番大事なところが抜けてゐるではありませんか。この点を二人の先生、父方の叔父、母方の叔父お二人が深く心配せられまして、そこでこの塾を指導してこられたのでありますし、又私がその松下村塾の記を作らねばならないやうになりましたのも、又実にこの点にあるのであります。あゝ、叔父上が誠に能くこの村の子弟を教誨して、君臣の義を明らかにし、華夷の弁を立て、「下又孝悌忠信失はず」、といふことでありまして、さて然る後に非常の人物が出て、この方針に従って、「以て山川忿惋の気を一変し邦家休美の盛を馴致せば」、之が非常の大事業をなして、この土地にみなぎってをる昔からの忿り惋みといふものを一変して、国家に大貢献をするといふのでありますならば、萩の城下町が本当に天下に名を顕すのはこゝに於て行はれるでありませう。萩といふ所は長門の国で注意すべき一つの都会だといふやうな程度ではごいますまい。日本の重大なる一つの元気発祥の地となるでありませう。…
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資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「先哲を仰ぐ」解説
市村真一
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最後に一言したいことがある。それは、道徳には単純に万国共通とはいかない二つの側面があるといふことである。第一は、こっかの構造との関係であり、第二は、宗教とのかゝはりの側面である。道徳には、五倫(君臣の義、父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)五常(仁、義、礼、智、信)といはれるやうに、我々が自分自身を律することと、日常において接する家族、隣人、社会、及び国家との関係において守るべき規範といふ側面である。これが第一の側面である。この点について、日本の伝統的道徳律を、もっとも直截簡明に述べられたものとしては、「教育勅語」にまさるものはないと思ふ。この側面において、日本と米国とが国家構造で根本的に異なってゐることを知らねばならない。米国は、大統領制をとる共和政治の国であり、日本は、天皇をいただく君主制の国である。今の日本国憲法にいくたの不備があるにせよ、この差は明白である。イギリス、オランダ、北欧諸国等々、立憲君主制を取る国は、世界になお多い。日本国民の道徳教育において、天皇への尊敬心を教へねばならないのは、この故である。この点については、本書の読者に、欧米の学者の説もふまえて論じた拙論「君主制の擁護」(拙著『教育の正常化を願って』)創文社刊、増補版平成二年所収)を読まれることを希望する。今日の教育現場において、特に日教組の指導力の強いところで、問題が起こってゐるのは、この点をしかと認識しないからである。
しかし道徳を教へるには、それだけでは足りない。道徳は、時として命をさゝげることを要求する。従って、我々の生と死の問題をどう考えるか、が関係する。ここに宗教がかゝはりを持つ。これには太古以来の日本人の宗教観、生命観、「かみ」と人との関係についての考へが、ふかく関係してくる。多くの日本人は神道と仏教をゆるやかに融和させた信仰をもってゐる。しかし日本仏教の宗派の大半は、その自然観、生命観、神についての考へ方において、決してインドにおける本来の仏教と同じものではない。これ等の点で、わが国の神道は独自の風光をもってゐる日本人の宗教観を反映してをり、日本仏教もそれを反映して本来の姿を変容してゐる。またキリスト教徒の関係についても、まだまだ考へねばならない問題が多い。一神教であるキリスト教や回教と、日本人の考へ方をどう融和させて行くかは今後の日本人と内外のキリスト教徒、回教徒にとっての長い長い課題であろう。この点については、拙論「君主制と神道」(上掲書所収)を参照にしてほしい。日本人は、その独自の信仰があるが故に、独自の文明を持ち、其れによって日本人として世界に貢献できるのである。
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