真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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日本国憲法押し付け論と自由主義史観

2018年01月23日 | 国際・政治

 私は、自由主義史観の提唱者藤岡信勝氏の「日本国憲法」に対する考え方にとても疑問を感じます。大事なことは、戦後、「国民は圧倒的に新憲法を支持」したという事実だと思います。なぜその制定過程にこだわるのか、不可解です。本当は、「押しつけ」を理由に、圧倒的支持を得た日本国憲法を都合よく変えようとする意図があるのではないか、とさえ思います。

 下記に抜粋した「日本国憲法の成立」の文章の中にあるように、藤岡氏は
日本国憲法は、形式上、日本の国会の審議による明治憲法の改正という手続きをとってはいるものの、アメリカ占領軍が六日六晩で起草し、これを日本側に押し付けたものである。占領下におけるこのような憲法の改正はハーグ陸戦条約に規定された国際法の違反である
と書いていますが、私は、この”国際法の違反”の主張は間違っていると思います。日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏したことを考慮していないのではないかと思うのです。ポツダム宣言には

六 吾等ハ無責任ナル軍國主義ガ世界ヨリ驅逐セラルルニ至ル迄ハ平和、安全及正義ノ新秩序ガ生ジ得ザルコトヲ主張スルモノナルヲ以テ日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ
とあり、また、
十 吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ

とあります。こうした内容の「ポツダム宣言」を、現実のものとするための「日本国憲法」が、ハーグ陸戦条約に規定された”国際法違反”であり、”押しつけ”だというのは、どういうことでしょうか。日本国憲法の内容に、何か戦勝国(連合国)を利するような不平等な条文や、他国の憲法に比して不当な条文があるでしょうか。特に問題とされるような条文はなく、圧倒的に支持されたのであれば、国際法違反は当たらないと思います。
 さらに、”国際法違反”という主張は、日本がポツダム宣言を受諾し無条件降伏したことに加えて、当時の日本の状況も無視していると思います。戦後の日本には、ポツダム宣言受諾に反対して反米や抗米を主張し、ポツダム宣言を受諾した関係機関や占領軍に武力的抵抗を繰り返すような組織や団体はなかったのではないかと思います。したがって、「占領下におけるこのような憲法の改正」は、国際法違反であるという主張は、当たらないと思うのです。こうした主張は、当時の日本の戦争指導層の主張であって、一般国民の主張ではないと思います。

 さらに言えば、藤岡氏は

GHQは自ら憲法を起草した事実をひたかくしにし、そのために占領下で発行されるすべての印刷・出版物の厳密な事前検閲を行った。”とか、”こうした事前検閲が行われていること自体を絶対の秘密とした。言論の自由を保障することをうたった憲法が言論の自由のまったくないない状況下で作成されたことはまことに皮肉である

と書いていますが、こうした受け止め方も、事実に反するのではないかと思います。
 GHQの占領政策は、ポツダム宣言にあるように、日本國國民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ擧ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ”に基づくもので、憲法の起草をひたかくしにしたり、出版物の事前検閲を絶対の秘密にしたりしなければならないようなものではなかったと思います。GHQの内部組織である民政局(Government Section、通称:GS)が、軍閥や財閥の解体、軍国主義集団の摘発・解散、軍国主義思想の無効化遂行の任務をになったことは、よく知られており、公然の事実だったのではないでしょうか。

 一例をあげれば、戦時中、皇国史観を代表する歴史家で、皇国史観の教祖とか、皇国史観の総本山とさえいわれ、学者でありながら、国粋主義的活動を扇動し、海軍大学校や陸軍士官学校で講義・講演を繰り返し、皇族にも「日本と支那及西洋諸国との国体及び道義の根本的差異に関する講話」などを進講したといわれる平泉澄は、戦後、公職を追放されますが、追放を解除されると、また、戦時中の考え方で講演活動などを再開しています。なかには、公職追放を逃れた軍や政権中枢の関係者もいます。そういう状況を踏まえれば、”言論の自由を保障することをうたった憲法が言論の自由のまったくないない状況下…”というのは的外れではないかと思います。日本国憲法は、戦時中の軍や政府の指導層の影響を排除しなければならなかったのであり、それができなければ、日本の民主化ができないことになるわけで、日本国憲法を”国際法違反”であり、押しつけだというのは、公職追放などで排除された戦争指導層の主張ではないかと思うのです。戦後の日本を、”論の自由のまったくないない状況”などと受け止めたのは、軍国主義的な戦争指導層で、一般国民ではないと思います。

 藤岡氏のいうような意味で問題にすべきは、日本国憲法の制定過程ではなく、GHQが当初の日本の民主化・非軍事化の政策を転換し、社会主義運動を取締まるような方向に進んだ「逆コース」と言わる占領政策、およびその後のアメリカの対日政策だと思います。日本の再軍備や公職追放解除、日米安全保障条約締結の問題、また、日米安全保障条約に関わる日米地位協定や沖縄返還協定に関わる密約の問題などなど、様々なものがあると思います。それら、国民には真実が知らされず進められた多くの政策を問題にすることなく、日本国憲法の制定過程ばかりを問題にされるのは、やはり、何か意図があるのではないかと疑わざるを得ません。

 藤岡氏は日本国憲法にかかわる教科書の記述をあれこれ問題にされていますが、教科書会社や教科書の記述を担当した歴史家などに、藤岡氏のいうような特別な意図はない、と私は思います。また、”一体「国民」が批判の声を出したというが、それは何パーセントの国民の声なのか。”などという文章もありますが、いかがなものかと思います。政府側が用意し憲法草案「乙案」に対して、直接批判の声をあげた人がたとえ少数であったとしても、それが国民の声を代表していることが明白であれば、教科書のような記述に何ら問題はないと思います。大事なのは直接声をあげた人の数ではなくて、国民の「思い」であり、「声」であると思います。圧倒的多数の国民が新憲法を支持した事実をしっかり受け止めて、教科書の記述を受け止めてほしいと思います。

下記は、「汚辱の近現代史 いま克服のとき」藤岡信勝(徳間書店)から抜粋しました。

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                     Ⅱ 戦後史記述の何が問題か
「日本国憲法の成立」
 占領期の文書の公開により、1980年代以降憲法制定過程の実証的研究は著しく進展した。日本国憲法は、形式上、日本の国会の審議による明治憲法の改正という手続きをとってはいるものの、アメリカ占領軍が六日六晩で起草し、これを日本側に押し付けたものである。占領下におけるこのような憲法の改正はハーグ陸戦条約に規定された国際法の違反である。

 アメリカ占領軍はそのことをよく知っていた。だからこそ、GHQは自ら憲法を起草した事実をひたかくしにし、そのために占領下で発行されるすべての印刷・出版物の厳密な事前検閲を行った。そのやり方は、戦前の日本で左翼文献などに対してなされた伏字のような拙劣なものではなく、新聞であろうと雑誌であろうと検閲の痕跡をまったく残らないように、削除したページ分の記事を作り差し替えるという、巧妙・徹底したものであった。もちろん、こうした事前検閲が行われていること自体を絶対の秘密とした。言論の自由を保障することをうたった憲法が言論の自由のまったくないない状況下で作成されたことはまことに皮肉である(江藤淳『一九四六年憲法-その拘束』文藝春秋、1988年)。
 ただし、このような憲法制定の経過から、直ちに憲法の内容の是非が決まるというものではない。制定過程と内容の評価はまったく関係ないとは言えないが、一応区別されるべき問題である。だから、教科書としては、新しい研究成果を反映させて、現行憲法の評価とは別に、その制定過程とそれが含む問題点をハッキリさせなければならない。
 ところが、教科書の記述は、相変わらずその点を曖昧にし、日本の国会が自主的に制定したかのようなフィクションに頼っている。その点で最も著しいのは、次の記述である。

 国会は、新しい日本国憲法草案について六ヶ月にわたり慎重に審議し、いくつかの修正後可決した。憲法草案は総司令部が作成したものであるが、憲法研究会案などを参考にしていた。

 第一文は、日本の「国会」を主語にして、憲法がその国会の自発的作為として作成されたかのように言う。そのため、1946年4月の衆院議員総選挙の記述のすぐあとにこの憲法制定の記述をもってくるという「工夫」をしている。ただし、その憲法草案はGHQが作成し日本政府に与えたものであることを言わないとあまりにも事実に反することになる。そこで、そのことを述べる代わりに、今度は、GHQ案そのものは日本の民間側の案を参考にして作成されたものであることを強調する。そうすることで、憲法のアイデアが基本的には日本人に由来するものであるという印象を作り出そうとしているのである。
 このことをさらに強調するために、上記<日書>の教科書は「歴史を考える-三つの憲法草案」という一ページ分の特別記事を設けている。その中には、次の記述もある。

 すでに二月一日、乙案が一新聞社にもれてけいさいされた、これに対して国民から帝国憲法と同じで非民主的だという批判の声が出ていた。(日書)

 ここで「乙案」とは、政府側が用意していた二つの案のうちの一つを指す。一体「国民」が批判の声を出したというが、それは何パーセントの国民の声なのか。残念ながら、食うや食わずの当時の国民大衆には憲法草案についてハッキリした見解を持つ余裕などなかったとおいうのが正直な実態ではなかろうか。「批判」した人はもちろんいたに違いないが、それをもってこのような記述が許されるとすれば、どんなに一部の意見でも「国民」の名のもとに紹介されてよいことになる。これは、憲法制定過程の問題に限らない。教科書記述の一般的な原則の問題でもある。
 私は、この教科書を使う教師には、それが憲法制定過程に関する「一つの」見解であることを生徒に伝え、それと対立する見解とディベートさせるような扱いを求めたいと思う。
 <帝国>には、憲法原本の写真に付して、次の解説がある。

 日本国憲法 一部には「総司令部のおしつけ」と受け取られましたが、国民は圧倒的に新憲法を支持し…(帝国)

 この教科書も問題を混同している。国民が圧倒的に新憲法を支持したことと、それが「総司令部のおしつけ」であったかどうかは別のことである。新憲法発表当時は国民はそれがどのような経過でつくられたのかまったく知らなかったから、上記のような書き方はそもそも不適切なのだが、そのことは不問に付すとしても、国民が新憲法を支持したことによって制定過程の法的問題点が解消するわけではないのである。
 憲法制定過程で最大のポイントは、さきに述べたように、それが「検閲」下でおこなわれたとおいうことである。ところが、この検閲の事実にふれた教科書は次の一種類しかない。

 占領政策のさまたげにならないかぎり、言論・出版・結社の自由が認められた。(東書)

 これは、逆に言えば、占領政策の「さまたげになる」言論・出版・結社は禁止されたことを意味する。この記述は、右の教科書の中では憲法制定過程の記述とはかけ離れた位置におかれている。だから、この記述が憲法と関係があるとは読めないようになっている。
 占領下の検閲について正面から書いてある教科書がないか調べた。やっと見つかった。あの悪名高い(?)高校日本史教科書『新編・日本史』(原書房)に「占領軍の検閲」と題する囲み記事があった。予断と偏見で教科書を評価することはきわめて危険であることをこの例は示している。
 なお、最近、憲法制定の過程と憲法解釈の変遷を戦後の憲法教育史と関連させて究明した研究が書が出た。(小山常美『戦後教育と「日本国憲法」』1993年、日本図書センター)。著者は、「民定憲法として『日本国憲法』は有効なのだという戦後の定説は、完全に崩壊する」とし、このような結論になることは、著者にとって研究着手の時点では思いよらなかったことであった、と述べている。一読を勧める。

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