引き続き、「福沢諭吉と朝鮮 時事新報社説を中心に」杵淵信雄(彩流社)から、当時の時事新報の気になる社説記事を抜粋しました。当時の状況や記事の背景について、著者は分析や考察を加えながら記事を引いているのですが、前回同様それらをすべてはぶき、私自身が気になったことや感想を、私なりにまとめました。
杉田聡氏は『天は人の下に人を造る 「福沢諭吉神話」を超えて』(インパクト出版会)のなかで、
”福沢の議論はなぜこれほど変わるのか。それに答えるのは比較的容易である。福沢は経世家であっても思想家ではない。思想家は、刻々と変わる社会の現状やそれに対する利害から身を引き離して、現実を解釈しつつ、その基底を分析し、それを通じてまとまった世界像をつくるものだが(s安川①14)、福沢は、刻々と変わる政治的・経済的その他の情勢に応じて、刻々と断片的な文章を書いて公表していたにすぎない。”
と書いているのですが、時事新報の記事を読んでいくと、確かにそういう感じがします。”刻々と変わる政治的・経済的その他の情勢”に対応して文章を書いていますが、その歴史的背景や社会科学的な必然性はほとんど読み取れません。伝わってくるのは日本の利害、日本の発展を追求しようとする姿勢です。したがって、読むにしたがって、明治の文明開化を先導者した、慶應義塾の創設者福沢諭吉の今までのイメージがしだいに崩れて、戦争へ向かう皇国日本の先導者のひとり、というイメージに変わって行くような気がしました。
7の「朝鮮の改革」には、
”我輩の多年の実験を以てすれば、すべて無責任無節操の軟弱男子のみ。之を相手に国事の改革を謀るは絶望の次第なれども、金朴徐の一類は、人物の如何に拘らず、多年の来歴より日本国人に背く可らず、他国人に依る可らざる身分故に、先ず彼らを信用し事を与にし、…”
などとありますが、極めて政治的な文章だと思います。こうした文章は、まさに政治家や活動家のもので、思想家や歴史家のものではないと思います。
8のには「破壊は建築の手始めなり」には
”日本国の力で開進を促し、従わざれば鞭撻し、脅迫教育の主義に依る外なし。力で文明を脅迫するは穏やかならざるに似たれど、一時の方便にして、我が本心に愧(ハ)じる所なき限りは断じて行ふ可きのみ。”
とか、
”脅迫と決したる上は国務の実権を握り、韓人は事の執行に当たらしめるのみ。開進中に大に不平を唱へる者あらんも恐れるに足らず。眼中朝鮮人なし、ただ朝鮮国の文明開進あるのみと覚悟し、一日片時も速に着手して新面目を開く可し。”
と書かれていますが、朝鮮の人たちの主権や人権を否定し、武力によって日本の主張を通そうとしていることが分かります。”侵略を肯定する議論”と言っても過言ではないような気がします。福沢諭吉がこうしたことを書いていることを知って驚きました。そして、最終的に韓国併合に至るわけですから、”一時の方便にして…”というのは、誤魔化しであり、欺瞞だと思います。
9の「朝鮮の改革その機会に後るゝ勿れ」にも
”他国の内政に干渉するは国交際の法に非ずと云ふ者あれば、躊躇の情なきに非ざれど、干渉の是非は相手による可し。この方に国土併呑の野心なく誠を尽すときは、彼らも発明する日もある可し。”
などとありますが、この文章も、読者を欺くものではないかと思います。何の根拠も示さず”国土併呑の野心なく”と書き、”在韓の外国人にして云々する者あらば、彼らの独発の議論に非ず”と断定するにいたっては、正当な議論を封じようとする意図さえ感じます。
10の「旅順の殺戮無稽の流言」は、いわゆる「旅順虐殺事件」の完全否定です。
”我輩の視察し得た所では我が軍人が無辜の支那人を屠戮したる如きは跡形もなき誤報なり。日本人は日本の利益の為めに言を左右するなど邪推する者もあらんなれど、事実は事実にして争ふ可らず。”
と書いています。でも、当時の外務大臣陸奥宗光の「蹇蹇録(ケンケンロク)」には
”旅順口の一件は風説ほどに夸大ならずといえども、多少無益の殺戮ありしならん。しかれども帝国の兵士が他の所においての挙動は到る処常に称誉を博したり。今回の事は何か憤激を起すべき原因ありしことならんと信ず”
とあり”跡形もなき誤報なり”ではないことが窺われます。そして、陸奥宗光は事実の報道が広がり、深まることを抑制するために各国の日本公使と連絡を密にし、日夜奮闘したことも書いています。
また、井上晴樹氏は「旅順虐殺事件」(筑摩書房)で、様々な事実を明らかにしています。日清戦争当時の海外報道記事のみならず、日本兵の「従軍日記」・「手記」も「旅順虐殺事件」の事実を明らかにしていると思いますが、「萬忠墓」の石碑の歴史や大山巌の「清国商船入港拒否」の事実なども、「旅順虐殺事件」が否定しようのない事実であることを示しているのではないかと思います。
さらに、事件を目撃した外国人記者が一人ではなかったということも見逃すことができません。特に、軍の許可を得て第二軍に従軍したアメリカ人記者たちが、日本に好意的で、日米の条約締結が間近に迫っていた時期に、すべてをひっくり返すような記事をでっち上げることはあり得ないだろうと、私は思います。
11の「我が軍隊の挙動に関する外人の批評」も旅順虐殺事件を否定する記事です。文中に
”欧米の凡俗社会には未だ日本を知らざる者多く、年来盲信したる劣等国が俄(ニワカ))に全盛に赴くを見て心ひそかに悦ばざる私情あり。”
とあります。あり得ることだとは思いますが、残念ながら、証拠づけることは何も書かれていません。他国の新聞が日本軍の所業として書いた記事を全面否定するのであれば、何かしらその根拠を示す必要があるのではないかと思います。福沢諭吉が”経世家であって、思想家ではない”という杉田聡氏の言葉がを思い出されます。
7ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「朝鮮の改革」(明治二十七年十一月十一日 時事)
君の天子英邁(エイマイ)にして経綸の伎倆乏しからず、地位名望は全国を圧倒し、宮中を随意に処理するは君に限ることなれば、内外の都合妙なりと、大院君に重きを置く者あり。蓋し君の才と名望を知るのみにして、君の心事を知らざる者なり。君主専制国の国大公の地位に居り多少の才力あれば名望は当然にして、また君の英邁は東洋流に過ぎず。一歩心事を叩けば純然たる「腐儒国普通の頑固翁」なるのみ。二十余年前、国政を専らにし一新面目を開きたりと自負するなれど、暴威を以て人民を脅迫し、収斂以て王家の辺幅を張り、工業興らず、農事振はず、八道の生民を塗炭に苦しめながら、鎖国攘夷を首唱し、世界ただ中華の尊厳神聖あるを知るのみ。日本の軍艦が始めて訪問したるときに、東夷海賊の名を下したる翁なり。平壌の落城まで支那の必勝を期し、ひそかに東学党と気脈を通じて日本兵を挟打ちにするの目論見ありとの風聞も、無限なりと断ず可らず。されど大院君の頑固はなほ恕(ユル)すべし。いかに文明を敵視すれど国家の大切さを忘れたる者に非ず。国の為めには老余の身を顧みざるの赤心なる故に、頑愚愛すべきものあれど、政界全体を見れば一人として一定の主義を守る者なく、昨日の開明、今日の頑固、前月は支那に拝し、今は日本に佞し、小者も禍を察すれば老成を気取り、老人も時勢に可なれば劇論を絶叫す。反復常なく、一身ありて国あるを知らず。彼らは弁舌巧みに文思に乏しからざる故に、個々に面接して語り文章を見れば、一通りの人物なる如く、正邪を弁ず可らず。誰か鳥の雌雄を知らん。我輩の多年の実験を以てすれば、すべて無責任無節操の軟弱男子のみ。之を相手に国事の改革を謀るは絶望の次第なれども、金朴徐の一類は、人物の如何に拘らず、多年の来歴より日本国人に背く可らず、他国人に依る可らざる身分故に、先ず彼らを信用し事を与にし、政権を授けざるも近親して、他の人物を鑑識しても、やや安全にして大いなる過を免かる可し。我輩が毎度この一類を入るゝを説く所以なり。
8ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「破壊は建築の手始めなり」(明治二十七年十一月十七日 時事)
例へば日本にても明治政府の今日を致したるは、廃藩置県の大事より武家の廃刀、市民同等の主義で社会全般の旧組織を転覆したるが故なり。幸ひ我が国は朝野の上流に文明の主義を解する者少なからず、下流社会を風靡して故障なかりしが、朝鮮は腐儒の巣窟、上に磊落果断の士人なく、国民は奴隷の境遇にあり、上下文明の何物たるを解せざる者のみ。日本の先例を標準とする可らず。我輩の所見を以てすれば、日本国の力で開進を促し、従わざれば鞭撻し、脅迫教育の主義に依る外なし。力で文明を脅迫するは穏やかならざるに似たれど、一時の方便にして、我が本心に愧(ハ)じる所なき限りは断じて行ふ可きのみ。朝鮮人の頑陋愚鈍なるも自国の利害を知らざる理なし。丁寧反復すれば、自ら発明して文明の門に入ることもあらんと、説諭を試みる者あるよしなれど、彼らの国益を重んずるの念は私利に掩(オオ)われて発動せず。彼の閔族が一時支那の歓心を失ひ、或る強国と秘密条約を結び、一族の禍を免れんと企てたる如く、家を知りて国を知らず。日本人の心を以て朝鮮人を推量するのは大間違ひの沙汰なりと毎度語りしは、我輩の多年の実験で彼の国人の根性を観察して得たることあればなり。脅迫と決したる上は国務の実権を握り、韓人は事の執行に当たらしめるのみ。開進中に大に不平を唱へる者あらんも恐れるに足らず。眼中朝鮮人なし、ただ朝鮮国の文明開進あるのみと覚悟し、一日片時も速に着手して新面目を開く可し。
9ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「朝鮮の改革その機会に後るゝ勿れ」(明治二十七年十一月二十日)
我が軍隊は支那方面に進撃し、諸外国は局外に中立し、朝鮮の内地に屯在する兵も少なからず、戦勝の勢いは八道の人心を戦慄せしめ、朝鮮は我が手中にあり。この勢いに乗じて改革を促せば、数ヶ月を出でずして大体の方向は定まる可し。右顧左眄(ウコサベン)して、行路の円滑を謀り、時日を空費する内に、支那征伐も終局し、屯在する兵も減ずれば、頑民の横着心を生じて、日本の言を重んぜず百事因循に流れる可し。他国の内政に干渉するは国交際の法に非ずと云ふ者あれば、躊躇の情なきに非ざれど、干渉の是非は相手による可し。この方に国土併呑の野心なく誠を尽すときは、彼らも発明する日もある可し。我が国が万事控え目にするは、欧米諸外国の公評に遠慮したるなれど、既に日韓の関係を詳らかにし、対韓政略を知らざる者なし。在韓の外国人にして云々する者あらば、彼らの独発の議論に非ず。韓庭は群小の党派に分かれ、外交に就ても露党、英党、米党、独党ありて、親しむ外国人に内情を密告し、不平論を誘発せしむるに過ぎず。
10ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「旅順の殺戮無稽の流言」(明治二十七年十二月十四日 時事)
我が旅順の大勝に外国人の中に殺戮の多きを聞て往々説をなす者あり。日本人の勇武、作戦を誤らず、堅固な要塞を数時間にして陥れたる手際は感嘆の外なけれど、勝に乗じて多数の支那人をしたるは世の譏(ソシリ)を免れず。戦勝の名誉を抹殺するに足るなどと論評す。勿々見聞して勿々判断する外人なら無理からねど、当局者たる日本人は軍隊の挙動に漫然看過するを得ず。我輩の視察し得た所では我が軍人が無辜の支那人を屠戮したる如きは跡形もなき誤報なり。日本人は日本の利益の為めに言を左右するなど邪推する者もあらんなれど、事実は事実にして争ふ可らず。日本の軍隊は文明の軍隊にして、例へば牙山(アサン)、平壌(ピョンヤン)の如き、軍門に降伏せる者は国内安全の地に移送し、負傷者は病院に入れ、自国の兵士に遇するに異ならず。旅順に限り屠戮(トリク)したると云ふか。されど旅順の戦争に敵の死の多かりしは事実なり。砲台を守りたる支那兵一万五、六千にして、多数は逃れて四散し、逃遅れた者は市街の民家で衣服を盗み、普通の市民を装ひて潜伏し、我が兵に発砲せり。甚だ危険なるより止むを得ず家屋内を捜索して変装の兵士を殺戮に及びたるなり。牙山の敵兵を戦闘力を失ひたれば見逃したるに、平壌に走りて再び抵抗せり。平壌の役にも白旗を掲げて休戦を乞ひたる敵兵、兵器の取纏めを口実に城明渡しを引延し夜中に遁去り、九連城でまたもや戦ひたり。破廉恥不信不義にして我を欺きたるは一再ならず。日本の軍隊寛大なるも詐欺手段に罹(カカ)る愚をなす可らず。武器を隠して抵抗する者を殺したるは正当の処置なり。中には兵士に非ずして人民も多しとの説もあれど、我輩は事実無根を断言して躊躇せず。我が軍の上陸より要塞攻撃まで一カ月を要し、難を避ける猶予は充分なり。旅順の道台龍某(龔照璵-コンツアオユ)=旅順ドックの長官として司令長官も務めた)の如きは家財を片付けて何処かに逃れたるに非ずや。人民保護の職にある長官さへかかる始末なれば、満市街の男女前後して逃去りたるは疑いなし。一、二の市民逃げ遅れて流丸殺傷せられたるも、戦争の場合に普通の談なり。新聞紙の通信が斯る談を見聞し、旅順市街の死者に無辜の人民多しと速了するは、全くの創造説なり。
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「我が軍隊の挙動に関する外人の批評」(明治二十七年十二月三十日)
旅順口を攻め落としたる我が軍隊の挙動に非難がましき論評を試みる外国人あり。殊に米国にては紐育(ニューヨーク)ウォールド新聞が他に率先して「旅順口の虐殺」などと題したる針小棒大の通信を掲げたる為め著しく世人の注意を惹起したり。天然の要害と砲塁を落とすにはニ、三カ月を要すべしと欧米は予想したるに、我が軍隊は数回の突貫僅か二十余時間であらゆる砲台を奪いたれば、戦闘の激烈なるは察するに余りあり。されば敵兵の死者多かるは怪しむに足りず。被害者の多数が無辜の市民なりとは全くの虚言にして、外衣こそ常人の服なれど、下着、靴などはみな支那兵が平素用る所なれば、一見して軍人と知れり。我が軍隊は公明正大なるに、事情を解せざる外国人が無礼な評論を加へ、日本は文明の外皮を脱して野蛮の正体を現したりなどと公言するは片腹痛し。いづれ真相を聞知して説を改むることなれど、この度「旅順虐殺」云々の談を耳にしたるを機会に、我が軍隊に堪忍の一事を勧告す。敵の残忍無情許し難き場合も、踏止まり、復讐などす可らず。欧米の凡俗社会には未だ日本を知らざる者多く、年来盲信したる劣等国が俄(ニワカ))に全盛に赴くを見て心ひそかに悦ばざる私情あり。我が国の瑕瑾を(カキン)を見れば、攻撃非難の声は四方に起り日本国の名誉に影響する恐れあり。根性悪き姑が日夜新婦を詮索する如し。されば海外で日本を代表する遠征軍は挙動を謹み、非難の口実なからしむるに勉むべし。今西洋人の云ふ所は世界の与論にして、彼らの悪評は国の名誉実益を損する少なからず。我が軍人は修羅戦場にあるも、文明人道の主義を忘るゝことなく、心底より心服せしむる覚悟なかる可らず。成らぬ堪忍を堪忍するとは此の事なり。
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