不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

HPは hide20.web.fc2.com
ツイッターは HAYASHISYUNREI

福沢諭吉と朝鮮 時事新報社説記事 NO3

2018年04月06日 | 国際・政治

 名古屋大学の安川寿之輔名誉教授は、著書「福沢諭吉の戦争論と天皇制論 新たな福沢美化論を批判する」(高文研)のなかで、福沢諭吉が日清戦争を鼓舞・激励・支援したなどとして、福沢諭吉を肯定的に評価するいろいろな研究者を批判しています。それは、福沢諭吉のみならず、明治という時代をどうとらえるか、ということや、無条件降伏にいたる明治以後の日本の戦争をどう理解するか、ということと関連して重要な問題であると、私は思います。

 だから、引き続き「福沢諭吉と朝鮮 時事新報社説を中心に」杵淵信雄(彩流社)から、当時の時事新報の気になる社説記事を抜粋しました。当時の状況や記事の背景について、著者は分析や考察を加えながら記事を引いているのですが、今まで同様それらをすべてはぶき、私自身が気になったことや感想を、私なりにまとめ残すことにしました

12の「改革の勧告果たして効を奏するや否や」の記事も過激です。朝鮮の内閣を”無知無識の巣窟”といい、政府の内部を”化物屋敷”とまで書いています。だから、”政府枢要の地位に日本人を入れて実権を執らしめ、武備警察より会計、地方の施政に至るまで一切実行し…”ということも正当化できるということなのかも知れません。でも私は、ほんとうは話しが逆なのではないかと思います。正当化するために酷評しているのではないか、ということです。

13の「朝鮮の改革に外国の意向を憚る勿れ」には驚くことに、
他国の主権を蹂躙するは宜しからずの議論もあれど、主権云々は純然たる独立国の議論にして朝鮮には適用せず
とあります。朝鮮は「不始末国」なので、主権は蹂躙してもよいという恐るべき主張ではないかと思います。そして、”朝鮮を併呑”しようとする明治政府の本心を隠し、朝鮮の主権蹂躙を”毫も憚る所なし”などと言って、実際は、政府の韓国併合の取り組みを後押ししたのだと思います。

14の「義侠に非ず自利の為めなり」の記事における”助力の報酬を収得するの決心なかる可らず”は、理解できます。でも、”報酬とは朝鮮の土地の譲受や保護国化にも非ず”というのは、当時の日本政府の意図を隠し、国民を欺瞞するための記事だったのではないか、という気がします。

15の「外国人の評判」には、”一時の悪評は意に介するに足らず”ということを強調するため、
過般の旅順云々の風聞も一時は非常な評判にして、条約改正の進行にさへ懸念ありしが、風聞暫時の間にして、爾来全く跡を断ちたるのみか、却て我が国の為めに無根を弁ずる者多きに至れり
と「旅順虐殺事件」の風聞を持ち出しています。でも、旅順虐殺事件に関しては、自然に”風聞暫時の間にして、爾来全く跡を断ちたる”わけではなく、各国に駐在する日本人公使が、外務大臣陸奥宗光と連携し、”風聞”を抑えるために様々な工作活動を展開した事実を見逃すことができません。時事新報の記事は、そうした工作活動の事実には触れていませんが、何か意図的な気がします。

16の「平和談判の結局に就て」には、

我が政府は無法の要求で相手を苦しめるものに非ず。本来日本人の支那帝国を視るは第二の朝鮮にして、「頑迷界」より導きて「文明境」に誘ふ外に他念なし。”

と言っておきながら、その後で、”和約の条件に土地割譲あるなれど…”と国土が割譲されることを認めています。今までの記事の内容とも矛盾するのではないかと思います。朝鮮については、文明の開進を意図しているだけで、日本は政治的野心や国土併呑の野心を持って関わっているのではないとくり返していた福沢諭吉も、台湾の割譲については、違うというのでしょうか。また、”償金皆済まで抵当として占領する土地”などということが合意されていたとは思えませんし、現に、日本の敗戦まで、台湾は日本の植民地だったことを見逃してはならないと思います。

17の「発行停止」に書かれていることは重要な告白と言えるように思います。「時事新報」は、まさに明治政府と一体となって、朝鮮や中国にのぞんでいたということです。

18の「言行不一致」の記事にも驚きます。
外交の伎倆とは言行相反するに妙巧なるを云ふべし。斯る世の中に処して怒りを発し、他を恐れて謀りを空しうするは、心術の未熟を示すものなり
と書いていますが、”言行相反する”明治政府と一体となって、朝鮮や中国に対処しようとする「時事新報」は、結果的に、読者・国民を欺瞞する記事も書く、ということになるのではないかと思います。

19の「朝鮮問題」は、めずらしく、三国干渉以後の日本政府の方針に反発した社説です。この記事は、当時の「時事新報」が、政府以上に侵略主義であることを示しているように思います。まず、”日本は隣国の自立を助けんと戦争したるに…”と日清戦争を正当化し、支那の朝鮮政策を”支那は老大国の腐敗物を注ぎ中毒の悪症を重くしたるに過ぎず”と批判する一方、日本の朝鮮政策については”朝鮮は四肢麻痺せる病人にして、日本人は施療の医師なり”と正当化しています。朝鮮の主権を無視した勝手な議論だと思います。そして何より、その後日本は朝鮮の自立を助けるどころか、併合して強制的に日本化政策(皇民化政策)を進めたことを考えると、この記事も、読者・国民を欺瞞するものであったと言わざるを得ないと思います。

20の「朝鮮の独立ますます扶植す可し」も、”他国人”の”異議”など気にせず、日本政府は朝鮮支配を継続すべし、という明治政府以上に過激な主張ではないかと思います。他国の異議に配慮して、日本政府が”朝鮮の助力を止めることは”責任を放棄”するものだというのですが、実態は”助力”などではなく支配だったと思うのです。
 また、”朝鮮の後見者を選びて野心なき国は日本を置いてなし”ということも事実に反し、読者や国民を欺瞞するものであったことは、その後の展開から明らかではないかと思います。
12ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
             「改革の勧告果たして効を奏するや否や」(明治二十八年一月四日)

 井上公使の勧告したる改革の条項は要を得たるものなれど、目下の要務はその外に出づ。処方は適切なれど、処方を実行する彼の内閣は無知無識の巣窟にして、心中不服、事情止むを得ず表面の柔順を装うのみ。今度朴徐も入閣したれど、格別の相違を見ず。二人は果して全力を伸ばすに足る地位を占めたるや。大院君は政治の外に退き、宮中の改革を誓いたるも、このまま退隠して手を収むるや。腐敗の源たる宮中の閔妃の挙動は旧に異ならず。政府の内部は「化物屋敷」なり。彼の東学党の蜂起も畢竟(ヒッキョウ)化物屋敷のからくりに出てたる悪戯なりと云ふ。騒動たとひ鎮定するも化物退治なき限り、何れの辺にか後尾を現わさん。彼の国の現状は中央政府腐敗の極に達し威信なきのみか、地方の腐敗なほ甚だし。我輩をして処置を云はしむれば、独立国の体面はしばらく宜しとして、実際は征服したると見なし、政府枢要の地位に日本人を入れて実権を執らしめ、武備警察より会計、地方の施政に至るまで一切実行し、やや時事に通ずる朝鮮人を採用して政事を習練せしむ可し。目下の焦眉は会計にして、貧乏なること一私人の赤貧に異ならず。急を救ふて一国経済の基本を立てんとする資本は、行掛り上日本より貸与の外なし。されど今に至るまでの事実に徴して朝鮮人の不信なる、金を貸す可らず。金を貸さざれば自滅す。されば金を貸すは自滅を防ぐことなれば、会計の金権をわが手に握るを豪(ゴウ)も憚(ハバカ)るに足りず。
13ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
            「朝鮮の改革に外国の意向を憚る勿れ」(明治二十八年一月五日 時事)

 他国の主権を蹂躙するは宜しからずの議論もあれど、主権云々は純然たる独立国の議論にして朝鮮には適用せず。改革の措置は彼を独立せしめんが為めにして、独立に干渉するものに非ず。朝鮮の如き「不始末国」が欧州に介在せば、火事の季節に茅屋に隣する危険と等しく見なし、国土を分割して禍根を断つか、合力して干渉し国事を改革する外に手段なし。日本の国力で朝鮮を併呑するは容易なれど、併呑は他を苦しめ我に利少なき故に見合わせ、独立せしめて、政略上に商売上に我が用に供せんとする。公明正大、毫も憚る所なし。況や朝鮮改革の一事で支那と戦争せしに、改革の途中で他の意向を云々して躊躇しては、世界の物笑ならん
14ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
              「義侠に非ず自利の為めなり」(明治二十八年三月十二日)

 文明競争の世界に無欲淡泊なる義侠国の評判を博したとて、吾々が辛苦経営せる労の充分なる報酬となさず。我輩の毎度云ふ如く、利欲一遍の世界に、義名の外に望なしと唱ふるは、迂闊(ウカツ)の嘲を免れず。我が国民は恩恵の挙となさず、助力の報酬を収得するの決心なかる可らず。報酬とは朝鮮の土地の譲受や保護国化にも非ず。目下日韓貿易は微々たるものなれど、第一の望は商売上の利益なり。弊政改革の実を得れば、資源は開発され、人民の購買力は増加し、鶏林(朝鮮)半島は一時に日本の好市場なるを疑ひなし。日韓相互の利益にして欧米諸国の貿易も香ばしき影響を及ぼすに相違なし。世人利を云ふを好まず、国利を知らず、義侠心より朝鮮を助くと言ひ噺す者ある故、外国人は却て不審に思ひ、日本の野心を疑懼(ギク)するの情あり。
15ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                「外国人の評判」(明治二十八年四月九日 時事)

 外国人が他の一挙一動を気軽に批評し、忽ちに貶(ハン)し忽ちに賛するは、彼らの批評評判に我が心を動かす可らざるを証するに足るものなり。過般の旅順云々の風聞も一時は非常な評判にして、条約改正の進行にさへ懸念ありしが、風聞暫時の間にして、爾来全く跡を断ちたるのみか、却て我が国の為めに無根を弁ずる者多きに至れり。今回の事件も同様にして、開戦以来今日までの関係を知る者は、決してこの一事で我が国全体を非難するものなかる可し。一時の悪評は意に介するに足らず。好評の如きも喜ぶに足らず。要するに外国人の批判は善悪とも眼前の一部局を喋々したるのみ。彼らは元来公平着実にして事の真相を知れば、常に正当の判断を下すなれば、一時の評判に喜憂するは国事の為めに取らざる所なり。
16ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
              「平和談判の結局に就て」(明治二十八年四月十七日 時事)

 昨日の号外で報じた如く、馬関の談判は穏に纏まりたる模様にて、調印は昨今の中なる可し。講和の条件は発表の後に非ざれば知るを得ざれど、我が政府は無法の要求で相手を苦しめるものに非ず。本来日本人の支那帝国を視るは第二の朝鮮にして、「頑迷界」より導きて「文明境」に誘ふ外に他念なし。ただ掛念するは李鴻章が目出度く条約に調印して帰国する暁に、北京の官人歓迎するやなり。もし売国の奸臣斬るべしなどと議論傾けば、和約なれども批准されざる間に運命覚束なし。和約の条件に土地割譲あるなれど、掛念するは無法無規律な支那兵を相手とする引渡しなり。償金皆済まで抵当として占領する土地と周囲の支那兵との紛議の恐れもあり。されば償金払渡しの何ヶ月何ヶ年の間、一回の軍事衝突を見ず、我が兵を引揚ぐるまではなほ不安心と覚悟す可し。
17-------------------------------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー----------
                  「発行停止」(明治二十八年四月二十九日)
 …日清開戦以来、新報の主張は政府の行動に先んじて、些かも政府の方針に悖(モト)らざりしに、今回の措置に驚きたれど、何か特別に「重大なる機密」に関する事なるべし。
18------ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー-----------------------------------
                   「言行不一致」(明治二十八年五月四日)

 口に言ふと行ふ所の一致せざるは人間処世の常態なり。商売人は商売の秘密を懇意の間にも語らざれど、義理人情を欠く動物に非ず。商売は公の業務なり。交際は私の情誼なり。情宜を拡めて業務を左右せんとして、意の如くならんを怒るは短気なり。これ商売のみに限らず社会全般に経験する所なり。然るに日本人は動(ヤヤ)もすれば他の不義理不人情を咎めて立腹する事多し。言行一致の古訓に迷ふて自らの経験を知らざる者なり。古来の歴史を見れば、家康の小牧の戦を義戦などと称する者あれど、軍国の政略上豊公と争ふ必要を感じ織田の遺児信雄を助けんは口実に過ぎず。豊公とて徳川と戦を開く方便として信雄を苦しめたるに外ならず。越後の謙信敵国に塩を贈りたる美談も。実際は塩を断ちても甲斐の人民餓死せず、塩を贈りても戦闘力を増すにも非ず。支那の先哲は春秋に義戦なしと嘆息したけれど、義戦なきは春秋のみならんや。世界古今を通じて一つとして義戦の名を下すものある可らず。戦争は人間が自利の為めに運動したると知る可し。今の社会に義理人情を重んじて言行の一致を保証するを得ず。況や利害の関係鋭敏なる国と国との交際に於ておや。利益の為めには昨日までの同情を表しながら俄(ニワカ)に反対に立つことあり、思はぬ国と結んで友邦を売るものもある可し。外交の伎倆とは言行相反するに妙巧なるを云ふべし。斯る世の中に処して怒りを発し、他を恐れて謀りを空しうするは、心術の未熟を示すものなり。日本人の最も注意すべき弱点なり。我輩は国民が短気に迫らず、外交官は大胆に虚実の間に決するを冀望(キボウ)する者なり。
19ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                  「朝鮮問題」(明治二十八年六月十四日 時事)
 外戦は三国の忠告で目出度く終局したけれど、内外説をなす者あり。朝鮮に利害を持つ最強国は自から立言をなす。日本は隣国の自立を助けんと戦争したるに、束縛すること支那政府より甚だし、約束に背くものなり。日本答へるの辞なければ干渉を弛め撤兵の外なしと。我輩の所見では日本の国事干渉は公明正大、陰険の業に非ず。文明強国にして是認せざる理由なし。もし質問攻撃する者あらば一言で論破せん。即ち朝鮮の国事人事の腐敗は数百年の旧痾にして、一朝夕にして治す可らず。在朝鮮の我が外交官、顧問は文明の教師たるに過ぎず。朝鮮は四肢麻痺せる病人にして、日本人は施療の医師なり。医師とあらば病人の身辺に近づくは勿論にして、病人医命に背けばす譴責す。朝鮮の如き大病国文明を注入せんに、干渉の譏(ソシリ)を憚(ハバカ)り遠方より傍観するは、俗に二階からの目薬なり。支那の干渉より甚だしとする攻撃も 事物の形のみを見た痴言なり。支那は老大国の腐敗物を注ぎ中毒の悪症を重くしたるに過ぎず。日本は解毒回生の処方なり。干渉の外形は似たれど精神は相反す。然りと雖(イエド)も干渉の性質を問はず、日本は独立を奪ひたりと言はんか。無稽の立言なり。病人に苦薬を飲ますは服薬を廃せんが為めと同様、干渉の甚だしきは干渉の手を引かん為めなり。されど奏功の遅速を明言す可き限りに非ず。日本は青天白日の干渉にして、西洋諸国人も疑ふ者なし。もし日本の勢力を殺(ソ)ぐが為め、干渉に干渉する者あらば、主治医の治療に第二の医師が口を出す如し。無下に謝絶するは殺風景なれば、療法を説明して更に有効なる医案あるやを問ひて論結せん。新来の医師暴論を募らば、第三者に訴える道もあり。欧州一、二の強国が我が干渉を弛めんとするは、裏面に日本に代らんの意図明白なれど、諸国の利害は一ならず、我が国に提携する者もあれば、緩急に応じて国権を維持する外交手段もある可し。いづれにせよ日本は朝鮮の国事に深入りしたれば今更手を引く可らず。世界の外交法は他国に手を出す口実なきに苦しむに、日本は手を引く口実なきを憂る者なり。百事甲斐なき朝鮮人を相手に畢竟(ヒッキョウ)無益なりと竊(ヒソカ)に声言する者あるよしなれど、改革の徒労云々を奇貨として予め退歩論の下地を作るに非ずやと邪推せざるを得ず。
20ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                    「朝鮮の独立ますます扶植す可し」

 日本政府は朝鮮の助力を止めることに決心し、井上公使の帰朝もその為めなりと伝ふる者あれど、斉州(中国)野人の語にして取るに足らず。彼の国勢は我が助力に安定を保つなれば、一旦放棄すれば無政府の暗黒となり、半島の人民塗炭に苦しむのみならず、東洋の平和妨げられ、四隣の迷惑を如何せん。戦敗の支那は余力なく他の国事は思寄らざれば、差向き事に当るは露国なるべし。一旦朝鮮の国事に関係し鶏林八道に勢力を及ぼせば、日本の危険のみならず、東洋全体の均勢に偏重を生ぜん。日本の遼東領有不可なれば、露が朝鮮に勢力を及ぼすは更に不可なり。世界の公論の認めざる所なり。朝鮮の後見者を選びて野心なき国は日本を置いてなし。我が国は自衛の為め朝鮮独立を助け、寸毫も他志あらざるは、媾和条約の第一条に朝鮮独立を明記せり。他国人に異議を生ぜんなどの疑心より、責任を放棄するが如きは、断じて我が政府の行はざる所、国民の許さざる所なり。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

”http://hide20.web.fc2.com” に それぞれの記事にリンクさせた、投稿記事一覧表があります。青字が書名や抜粋部分です。ところどころ空行を挿入しています。漢数字はその一部を算用数字に 変更しています。記号の一部を変更しています。「・・・」は段落の省略、「…」は文の省略を示しています。(HAYASHI SYUNREI) (アクセスカウンター0から再スタート:503801) twitter → https://twitter.com/HAYASHISYUNREI

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする