先だって、新松下村塾塾長(=濤川平成塾)・濤川栄太氏の「今こそ日本人が見直すべき 教育勅語 戦後日本人はなぜ”道義”を忘れたのか」(ごま書房)を読んで考えさせられたことを「今こそ日本人が見直すべき教育勅語?」と「教育勅語には普遍性がある?」と題して、まとめました。濤川栄太氏は、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長として活躍された方であり、多方面に影響力があったのではないか、と思ってのことでした。
今回は、千葉大名誉教授であり、理学博士で、様々な国の審議会の委員などを勤められた清水馨八郎教授の「『教育勅語』のすすめ」(日新報道)を読んで考えさせられたこともまとめることにしたのですが、二人の考え方はとてもよく似ています。
清水教授は、”「教育勅語」が日本民族の精神的バックボーン、人間教育、人間形成の目標が此処にある”といいます。濤川氏も、”かつての教育には、今の教育にはない「教育勅語」というバックボーンがあった”と書いていました。戦前・戦中、「教育勅語」が、戦争と深く結びつき、戦うための教えであったことを考えると、そういうとらえ方や評価でよいとは思えません。
清水馨八郎教授の著書の各章のタイトルの下に括弧書きしたのが、濤川栄太氏の著書にある似たような内容のタイトルです。社会的に大きな影響力を発揮したと思われる二人が、戦後日本の教育荒廃を理由に、戦前・戦中の「神話的国体観」に基づく「教育勅語」の復活を意図するようなことを書いているのです。
第一章 米国による戦後教育の意図的、計画的改悪
(教育勅語を葬り去った、GHQの巧妙な手口)
第二章 日教組の革命教育と教育崩壊
(大人に「教育の理念」が失われたところから、教育の荒廃は始まった)
(「奉公」のたいせつさを忘れさせた戦後教育)
第三章 明治維新は教育国家日本の成果であり勝利だ
(日本の再構築には、百年遡って歴史を解明しなければならない)
(明治時代の人たちに比べ、危機感の薄い現代人)
第四章 教育勅語の正文と口語訳
(教育勅語・現代語訳)
第五省 教育勅語の逐語訳と簡単な解説
第六章 神の国──日本文化のルーツは神道にあり
(徳治政治だったからこそ、天皇制度は二千年以上続いた)
(「天壌無窮の国運」に込められた無限の思い )
第七章 天皇の国・日本
(無私の人だった明治天皇)
(天皇は、日本人の精神文化の中心的存在)
こうしたタイトルの文章を書く二人の活躍は、日本の民主化・非軍事化を進めたGHQが、二・一ゼネストに対し中止命令を出したのをきっかけに、いわゆる「逆コース」と言われる対日占領政策の転換にふみ切った結果だと思います。かつての戦争指導層が、再び戦後日本の指導層として甦ったので、二人はその流れを受け継いだのだと思うのです。
清水教授は”日本という国は、神代が歴史に繋がり、それがそのまま現在に繋がっている世界に比類のない聖なる国家なのである”というのですが、それは「神話」であり、創作されたお話です。だから、”私が常に感動するのは前文の僅か数行の中に日本国の成り立ちと精華が、つまり国体の本質が簡潔にまとめられていることである”などということは、現在は通用しない歴史観だと思います。
また、そういう考えを主張するのであれば、戦前発禁処分とされた津田左右吉の『古事記及び日本書紀の研究』や『神代史の研究』、『日本上代史研究』、『上代日本の社会及思想』などのどこが間違っているのか、きちんと指摘し、社会科学的に論証をするべきだと思います。津田左右吉はあくまでも学者らしく近世徳川時代の学者の記紀研究を土台とし、欧米の先進的な種々の学問も踏まえて科学的研究を重ね、新たな記紀神話の研究書を世に出したのです。そして、『記・紀』の神代の物語には、天皇の地位の正当性を説明するため、多くの作為が含まれていることを具体的に明らかにしているのです。
そうした津田左右吉等の研究を無視し、きちんと社会科学的に論証することなく、神話を史実とすることは許されないと思います。皇紀二千六百八十年を世界に通用するように科学的に明らかにした歴史家や研究者がいるでしょうか。それとも、史実はどうでもよいということでしょうか。
”日本という国は、神代が歴史に繋がり、それがそのまま現在に繋がっている世界に比類のない聖なる国家なのである”というような文章を読むと、天皇の「人間宣言」と言われる「新日本建設に関する詔書」を思い出します。
”朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。…”
私は、”天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”が、日本の戦争の背景にあったことを忘れてはならないと思います。「教育勅語」はそうした観念を国民に植えつけるものであったのだと思います。
また、天皇を現御神として礼拝の対象にしたのみならず、「御真影」や「教育勅語」さえも「神」のように礼拝の対象として、きわめて専制主義的な政治を行い、日本の戦争を支えた事実も忘れてはならないと思います。
人ではなく、「御真影」や「教育勅語」を守るために、命を落とした人たちがいたことも、戦前・戦中の日本が、どんなに厳しい統制のもとにあったかを教えてくれると思います。それは、「御真影」や「教育勅語」が、徳目の教化のためというより、むしろ強力な奉安、奉護、奉体のシステムによって、国民を専制主義的に統制することに利用されたことを意味しているのだと思います。「教育勅語」が強い影響力を持ったのは、こうしたシステムによる強制力が働いたことを見逃してはならないと思うのです。
「続・現代史資料 教育 御真影と教育勅語 Ⅰ」(みすず書房)には、下記のような事実が取り上げられています。その一部抜粋です。
岩手県上閉伊郡箱崎尋常小学校訓導
明治二十九年六月十七日 栃 内 泰 吉
五十五歳
三陸大海嘯(カイショウ:=潮津波)ニ襲はれ御真影ヲ奉遷セントシ避難ノ機ヲ逸シ之レヲ奉持セルマゝ怒涛ニ打上ゲラレ殉職ス
御真影ハ絶命スル迄身辺ヨリ放タズ奉護シ為メニ御真影ハ安全ナルヲ得タリ
仙台第一中学校書記
明治四十年一月二十四日 大 友 元 吉
安政二年六月二日生
校舎火災ニ罹リタル際御真影ヲ奉遷セントシテ火災ニ包マレテ焼死殉職ス
・・・
兵庫県養父郡小佐尋常高等小学校訓導
昭和二年ニ月一日 井 村 毅
明治三十九年三月二十八日生
学校火災ニ際シ御真影ヲ奉持セシママ火中ニ殉職ス
・・・
石川県能美郡丸山尋常小学校代用教員
壬 生 米 吉 大正四、七、一七
丸山尋常小学校、出授業所勤務中ノ処、大正四年七月十七日午前一時出火同所ニ宿泊中ノ児童ヲ救出シ勅語奉戴避難セントシ窓際ニ至リ焼死ス
私は、清水教授と正反対ですが、”山で道に迷ったら振り出しに戻れ”ということで、「教育勅語」の古い教えに戻るのではなく、最新の学問を総動員して乗り越えることを考えるべきだと思います。また、明治維新が王政復古によってなしとげられたことが、日本の敗戦に至る過ちの始まりであったと思っています。
下記は、「『教育勅語』のすすめ」清水馨八郎(日新報道)の「まえがき」です。
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まえがき
最近の日本は非常識を通り越して、亡国の瀬戸際に立っている。政治と社会が狂い、学校が狂い教育崩壊が始まっている。それは勝ち誇った敵のGHQが、日本が再び立ち上がれないように毒入りの憲法と毒入りの教育基本法を強制し、これを愚かにも後生大事に守ってきた当然の帰結であった。米国は日本の復讐、仇討ちを極度に恐れ、大人たちに戦争犯罪贖罪意識をつぎ込み謝罪憲法を、さらに子供たちが大人になっても復讐できないように教育基本法の反日思想教育で、日本人としての魂を抜いてしまった。次代まで読んだ、敵ながら見事な恐るべき占領政策であった。
敵は地理・歴史・修身の日本人になるための基礎知識と、守るべき道徳を抹消させた。道徳なき国家は亡びる。日本民族道徳教育の基本である「教育勅語」を、当時の国会まで、マッカーサーに媚びを売って、「教育勅語」の排除・失効を決議してしまった。一人として反対し教育を守る議員がいなかったとは何たる腰抜け、屈辱か。
本書は先ず戦後教育頽廃の過程を詳述し、翻って明治維新の成功が日本的教育の成果であり勝利であったことを述べ、明治の精神の基礎を創られた明治天皇の「五箇条の御誓文」と、「教育勅語発布」に至る大御心(オオミココロ)を述べている。
「教育勅語」の正文は戦前の子供たちは誰でも諳んじ親しむことができたが、戦後の青少年にはあまりにも格調高い漢文調で馴染まないので、これに現代口語訳をつけた。さらに深く学ぶために逐語訳を加えて解説することにした。
「教育勅語」は前文、主文(徳目)、後文の三部からなっている。前文では日本の国柄の本質の国体の精華を、主文で国民が守るべき十五の徳目を、後文でこの道のいわれと正しさと決意が述べられている。
私が常に感動するのは前文の僅か数行の中に日本国の成り立ちと精華が、つまり国体の本質が簡潔にまとめられていることである。
それはわが国は遠い遠い昔に皇室の御先祖が遠大な計画の下に、わが国を建設進歩発展を見事に成しとげた。これが国体の精華であると。
してみると、国民が国体を守るべき徳目の中心は忠孝精神に要約することができる。このうち孝は子が親に感謝しその恩に報いようとする心で、動物にない人間だけの特性で、東洋人にも西洋人にもある普遍的な徳目である。だが「忠」は西洋にもなく、東洋の儒教精神の義礼智信のどこにも出てこない日本だけの神ながらの思想なのである。忠とは「公」と「私」の関係で、私を公の為に捧げて、時には生命まで捧げて公を守る精神である。この「忠」という奉公精神こそ、古代からの蒙古の来襲のような国難に対しても、近代の西洋列強の侵略に対しても独立を保ちえて、現在、近代国家日本を創った原動力になった精神である。公のために生命を捨てても守る心は単に武士階級だけではなく、一般国民も己が仕える主人に対しても「丁稚奉公」の言葉があるように、公のために生きる忠義の心は民族を貫く尊い精神となってきたのである。
毎年繰り返し上演される歌舞伎の当り狂言は「忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」などすべて忠義の物語で、これに触れると国民は無性に感動し涙を流すのである。中でも「忠臣蔵」はその忠義の臣が大石内蔵助以下四十七士も、蔵のように詰まった物語だから断然人気があるのである。
「教育勅語」では最初に皇祖皇宗が国を始められたとある。皇祖とは神話時代の神々の事を指し、皇宗とは初代神武天皇以来の歴代の天皇を意味している。日本という国は、神代が歴史に繋がり、それがそのまま現在に繋がっている世界に比類のない聖なる国家なのである。日本独自の神道も天皇制も、他国から学んだものでなく、遠い昔からこの国に自然に生まれた古い道、即ち神ながらの道ということができる。日本精神のナゾが秘められている。この二つが分かれば日本が分かるといわれるのはこのためである。本書が最後の章に神道論と天皇論をつけ加えたのはこのためである。
山で道に迷ったら振り出しに戻れと教えられた。現代社会と教育の混乱、方向を失った時こそ、「教育勅語」の原点に戻って考える時である。明治維新も王政復古でなしとげたように。
平成十二年一月吉日
清水馨八郎