下記の、「新日本の対象と教育方針」の著者、佐藤正は、衆議院議員総選挙に4回連続当選を果たし、岡田内閣で拓務参与官を務めた人物です。東北帝国大学講師や宮城県立工業学校講師、教育新聞社社長、日本社会教育協会専務理事等を務め活躍していたといいます。
その佐藤正の”敵国外患の意識”による”戦闘中心の国家建設”では、”一切の施設の中心、教育の眼目、総ての戦闘中心主義と云ふ事になる。此の思想は取りも直さず、武断政治、軍閥中心主義と云ふ事になる。最早斯る思想の存在の許す可からざるは何人も了解する処であろうと思ふ”という主張は、当時の世の中を大局的に見た当然の主張であったと思います。
そして、”台湾の領土たらず、朝鮮の併合なかりし時代の”「教育勅語」の”「爾祖先の遺風を顕彰するに足らむ」と云ふが如きを其儘踏襲して朝鮮の子弟に臨むが如き、若くは一度発せられたる勅語は如何にしても改廃改訂を許さゞる如く考ふる頑迷者は真実の意味に於て、日本を愛さざる反叛者(逆徒)である”という主張も、否定しようのない正論だったと思います。
また、帝国大学日本人初の哲学の教授であり、新体詩運動の先駆者でもあるという、井上哲次郎の、”国是”すなわち「教育勅語」に関する次の指摘は、当然考慮されなければならなかったことだと思います。
”国是の修正である。修正して新付の民族に与へる事である。斯くして日本の国家、国民性、国情等を、彼等に理解せしめる様にしなれば、新付の民族を同化出来ないばかりでなく、教育する事は出来ないと思ふ”
”異民族の同化”という考え方には、抵抗を感じますが、「教育勅語」そのままの教育には無理があるという指摘は当然だと思います。
にもかかわらず、いわゆる大和民族(和人)の神話的国体観に基づく「教育勅語」が、何の修正や改訂なく、そのまま台湾や朝鮮にもたらされ、”教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルコトヲ本義トス”と定められてしまったのです。
まさに、佐藤正の指摘した”武断政治、軍閥中心主義”の考え方で突っ走ったということだと思います。
「教育勅語」にある、”我カ皇祖皇宗國ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ”という言葉が、台湾や朝鮮を含むものでないことは明らかであり、その「教育勅語」によって、台湾や朝鮮で”忠良ナル国民ヲ育成スルコト”はできるはずがないと思います。教育の面で、大変な無理を押し通したと思います。
だから私は、こういうところにも”戦闘中心の国家建設”と、それを土台とした日本の戦争の強引な一面があらわれているように思います。
下記は、「続・現代史資料(8) 教育 御真影と教育勅語 Ⅰ」(みすず書房)から抜萃しました。
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五 動揺と補強
(一) 改訂・廃止・追加の試みと意見
5 井上哲次郎と植民地教育をめぐる教育勅語改訂論
井上哲次郎「教育勅語に修正を加へよ」ほか 『教育新聞』第60号(大正八年五月五日発行)
言論 新日本の対象と教育方針
主幹 佐藤 正
一
『世界改造』と云ふ事が昨年を中心として頻に唱へられた。高唱する者も、聞く者も『世界改造』に関して、内容の説明を求められたならば、なんと答ふるか。恐らくは明確なる概念は形ち造られて居なからうと思ふ。
曠古(コウコ=未曽有)の大戦乱で随分多数各国の民衆が異常なる「激異の情」に打たれた事は言ふ迄もない。就中、ゼルマン民族の最近四五年の経験、ラテン民族特にフランス人、アングロサクソン民族のイギリス、アメリカの民衆、スラブ民族の大部分等は、時を同じうして、激変と、激異と、激動、との渦中に四年乃至五年を経過した。中にもスラブ民族は尚未だ此の驚異の域から去らない。我等は日本民族として、独逸の同盟側を敵として立ったのであるが、此の大戦乱を惹起した責任者が何れに在るかは、他の人々の研究に俟つとして、此の「驚異」から救われた、民衆の帰趨は如何に成り往くか。而して其の間に、生存権を成る可く優越に確保して往かねばならぬ。我が国民の歩む可き途は如何なる途であらうか。教育家が指示す可き途、進み行く到達点の目標は何んであらねばならぬか。政治家も財政家も、共に共に、其対象を定めておかねばならぬ。「敵国外患なきものは亡ぶ」と言つた古へ人は、未た狭い国内よりも外、見得なかった。実際に於て、敵国外患ある事は、或特定の国家、社会の努力の源泉となる事はあり得る。併し乍ら支那の戦国時代、我が国の封建時代の国家組織に於ては、仮想敵国を以て(或は真の敵国)、封土、国家等の向上勇往の源泉たらしめた事は端的に概念を得しむる上から、又事実として、さる時代なりしを以て、必要なりしならんも、現代に於て此の概念を許し得るや否や、我等は断乎として否定せんとする者である。
敵国外患の意識は戦闘を予想して準備行為にのみ行為すると云ふ事であらねばならぬ。戦闘中心の国家建設である。一切の施設の中心、教育の眼目、総ての戦闘中心主義と云ふ事になる。此の思想は取りも直さず、武断政治、軍閥中心主義と云ふ事になる。最早斯る思想の存在の許す可からざるは何人も了解する処であろうと思ふ。然らば如何なる点に目標を置く可きであるか、我曹(ガソウ)は先づ国に国民の概念を検討し見て然る後ち、中心に触れようと欲する者である。
ニ
国民とは英語のNation であり、独逸語のVolk である。民族とは英語のpeople であり、フランス語のNation である。即ち国民とは一国内に団結して、同一政治の支配の下にある人類を云ひ、民族とは単に共通の精神的同一の起源を有する人類を以て起り、必ずしも一国家の人類たるを須(モチ)ゐない。時としては同一民族も全く、別個の政体国家に属する事がある。斯の如く民族と国民とは、その概念に於て大なる異なる所あるを以て、思想の混同を避けなければならなぬ。中世紀に於ける、日耳曼人(ゲルマン人)は民族即国民であったが、後来其の帝国瓦解するに及んで一国民なる、日耳曼(ゲルマン)族は岐れて数国民となった。即ち日耳曼民族は民族としては一なりと雖も国民としては数個に分かれたのである。後代又分裂したる日耳曼民族は再び結合して現今の独逸帝国を為すに到った。上の如く民族は必ずしも同一国民に非らざるが如く、国民も亦必ずしも同一民族なるを必要条件としない。支那は少なくとも二種の民族である。満人漢人是れである。此二民族は実に風俗、習慣等種々なる点に於て、異なるを見るのである。惟ふに今や我が帝国過去における(意識的と言はず)民族主義を抛(ナゲウ)ちて帝国主義を採るに到つたのである。大和民族即ち日本国民の立場を去りて、単に大和民族のみ帝国民でない、台湾に於ける漢民族朝鮮に於ける韓民族等合して以て日本帝国を組織するに到った。而して其の組織は日耳曼帝国の如く各民族有意的に結合して成れるものでもない。即ち各民族が各自の努力によって帝国を形成するに到りしものでなくして、優等人種が此等人種(相対的にして絶対的でない)を征服したる事に依つて成れりと見るべきである。(拙著日本人長所短所論…)
三
此の意味から出発して、総ての施設の基礎を定めねばならぬ。教育勅語を発布せられた当年(明治廿三年)の我が国と現代の我が国の、国家組織は如上の意味から全く一変したものと言はねばならない。
台湾の領土たらず、朝鮮の併合なかりし時代の、其の実際より結論せられたる総てのものは一切改廃せられねばならぬは極めて明瞭なる事である。
教育勅語の「爾祖先の遺風を顕彰するに足らむ」と云ふが如きを其儘踏襲して朝鮮の子弟に臨むが如き、若くは一度発せられたる勅語は如何にしても改廃改訂を許さゞる如く考ふる頑迷者は真実の意味に於て、日本を愛さざる反叛者(逆徒)である。我等は断言する、真理の変化は(時所位に依つて)認識議論上許されねばならぬ原理である。況んや政治に於ておや、政策に於ておや、而して新時代の国民の帰趨、教育の精神は一に「戦闘」を対象とするものであつてはならない。永久の平和の為の戦闘は許容するけれども、飽迄も人道上の平和主義と社会的向上を教育主義の眼目とせねばならぬ。之れ実に世界人類の尊き使命であらねばならない、日本民族として執らねばならぬ途である。(八・四・七二)
植民地、異民族の同化及教育
朝鮮の暴動は、其の因つて来りし所必らずや一にして止まるまい。又我が国の植民地政策の確立と言ふ大局から見て、今回の朝鮮の運動が絶対的悪なりとも断言し得ない。植民地の統治には殆んど無経験だと云つて良い我が国民に早く覚醒せしめ警告を与へたと云ふ事から言へば、今回の暴動は好個の指導と暗示とをえ与へたものと云はねばならぬ。我等は単に教育上の問題とは言はず、我が国のあらゆる階級の人々が真面目に考究せねばならぬ緊急にして重大なる問題と信ずる。国民外交の問題と関連して国民的同化政策に向つて民衆の覚醒を促さねば、永遠に同化の実を挙ぐる事可能ない。而して当面に改革の実を為さねばならぬ問題は何か。朝鮮台湾等に施さんとする、教育中心の確立である。総督府制度の改廃と同時に自治制の施行である。宗教的教化の努力である。文化事業の促進であらねばならぬ。 ─── 編輯局
教育勅語に修正を加へよ
文学博士 井上哲次郎
最近朝鮮から帰った人が、余の処を訪づれた、朝鮮国民の教育に就いての一つの矛盾を語った。それは畏れ多き事であるが、明治天皇から賜わった教育勅語の或個所が、如何にしても、朝鮮民族に理解できなと云ふのである。勿論全体としては、其主旨なり、結構なりは非常に立派なものである。唯或個所、例へば、「先祖の遺風」云々、又は「祖先を尊ぶ」云々と云ふ言葉などは、民族を異にした朝鮮人には理解できないと云ふのである。故に何等かの異なった方法を以つて、朝鮮民族を教育しなければならない。されば如何なる方法に依るべきであるか? 其人の云はんとした主旨は此点であった。
余の一個の考へから見て、本希望を述ぶれば何より先に朝鮮民族(其他台湾)を民族的に同化せしめなければならないと思ふ。別言すれば、日本の国民性なり、国法なりを理解せしめ、純然たる日本人たらしめねばならないと云ふのである。勿論民族化すると云ふ事は、単に外形や理解以上に、換言すればより内容的により精神的に、同化せしめると云ふ意義でなくてはならない。斯くの如きは、短日月には容易に出来難き事ではあるが、長き年月の後には、必ず同化せしめ得ると思はれる。
今一つの適例を挙ぐれば、我国にあつても、彼の種子島、又は薩摩隼人などは、歴史的に此れを見れば、日本人として、少くとも日本人に近き民族として取り扱はれ、又成り来つたのは奈良朝時代、平安朝時代からである。今は此等の民族と、我日本民族との間には、さしたる人種的相違がない。彼の安部宗任、宗任などであつても、歴史的に之れを見るも、少しも日本人に相違して居ないばかりでなく、立派なる日本人として取扱はれてゐる。
斯かる点より見ても、人種的に同化するにはさして至難な事ではあるまいと考へられる。斯くの如く人種的に民族的に同化すれば勿論今の教育勅語を持って教育する事も初めて有意義になるのである。而し現在の如く、未だ民族的に少しも同化せず、我国体が如何なるものであるかと云ふ事を理解しない朝鮮台湾などで、現今の教育勅語を基として教育するには、無盾した結果を生む事は、言はゞ当然の事と云はなければならない。とは言へ余輩は教育勅語を非難しやうとするものではない。教育勅語は現今のまゝであっても、立派なものであり、結構なものであると信じて居る。が、それは日本人を教育する場合のみである。明治天皇から現今の教育勅語を賜った頃には、日本は現今の如き幾多の民族を所有しては居なかった。故に此教育勅語を以て教育すれば少しの矛盾も感じなかった。が現今の如く、新付の民族をも、共に教育するとすれば、教育勅語の全体は従来のまゝで結構であるとして、或は個所、例へば前述べし如き点は修正さるべきではあるまいかと思ふ。
ニ
前述の如く従来の教育勅語を以つて、新附の民族──朝鮮、台湾の如き──を教育する事は誤りであると思う。教育勅語を教えられる毎に、彼等に奇異の感じを抱かしむるのは、理の当然である。されば如何にすべきと云ふに、余輩の考ふる処を述べれば、勿論希望ではあるが、──明治天皇より賜わった教育勅語に、今上陛下が或個所を修正せられて、新付の民族に賜わる様にすればよくはないかと考へるのである。勿論余輩一個の希望であるから、斯かる事が出来るものか叶うかは知らない。もし斯かる事が出来得るものとすれば、必ずや現今の如き矛盾は一掃せられるであらうと思ふ。
右の如く新しい教育勅語が此等新付の民族に賜はれば、彼等は知らず、知らずの中に、日本の国体を、国民性を理解し、何時かは民族的に同化するであらうと思ふ。斯かる方法以外に新付の民族を教育すべき方法はないと思はれる。
明治天皇より賜わつた教育勅語は前にも述べし如く、未だ新付の民族と云ふものを予想されない時代のものである。故に現今の如き時代にあつては、現今の時代に適応する様に修正せられるのが、当然のことであるまいかと考へる。
民族を同化しても、朝鮮、台湾の如き殊に朝鮮の如き比較的文化の発達した国民であれば、仲々至難な事である。北海のアイヌの如き民族であれば、文化の程度から云うふも、将た国民の能力から見るも、さしたる困難は感じないであらう。が朝鮮のごとき国民は、よほど慎重なる態度をとらなければ、非常に困難である。
三
故に如上の点より思惟するも、目下の最も良き方法は、国是の修正である。修正して新付の民族に与へる事である。斯くして日本の国家、国民性、国情等を、彼等に理解せしめる様にしなれば、新付の民族を同化出来ないばかりでなく、教育する事は出来ないと思ふ。兎に角問題は非常に重大である。目下の処、朝鮮民族を日本化する事が何よりの急務であり、何よりなされなければならない問題である。