東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長が、女性蔑視発言で辞任に追い込まれました。そうした女性差別に関わって、今なお日本社会に存在する深刻な女性差別の実態を明らかにしたり、見過ごされがちな差別意識に関する鋭い指摘をいくつか目にし耳にしました。でも、残念ながら、それを戦争を支えた皇国史観と関連させて論じている主張には触れることができませんでした。
私は、森氏が、かつて内閣総理大臣のときに、神道政治連盟国会議員懇談会において、”日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、そのために我々が頑張って来た”という発言をしたこととの関連を見逃すことができません。
森氏は、戦前・戦中の戦争指導層の考え方である皇国史観を受け継いでいるのだと思います。したがって、女性蔑視発言の謝罪はしましたが、それは言葉だけの謝罪であったと思いますし、現にその謝罪会見で、質問した記者に「面白くしたいから聞いてんだろ!」と言い放ちました。だから、多くの人が”反省の気持ちが微塵も感じられませんでした”というような感想を語る会見になってしまったのだと思います。
でも、森氏自身は、女性を蔑視したつもりはないのだと思います。考え方が古く、戦前のままの森氏にとっては、あの発言は差別ではなく、常識的なものであり、そうした常識でムラ社会的な日本の政治に関わり、実力者となって活躍されてきたのだと思います。それは、 森氏が後任を、個人的に日本サッカー協会相談役の川淵三郎氏(84)依頼し、川淵氏が引き受ける姿勢を表明していたことでも分かります。実力者の一存で、大事な事が決定していくムラ社会では、ムラ社会とあまり関わりのない一女性の発言など、受け付けない体質があるのだろうと思います。
また、私が見逃すことができないのは、今回の蔑視発言が、夫婦別姓の民法改正要求に反対して、”夫婦同姓は日本の伝統である”とか、”別姓を認めると家族の一体感が損なわれる”という自民党政権中枢の主張と深いところでつながっていると思われることです。こうした主張も、天下を大きな一つの「家」のように考える皇国史観と無関係ではないと思います。そしてそれは、「皇位は,皇統に属する男系の男子たる皇族が,これを継承する」という考え方や、「男は仕事、女は家庭」という考え方の家族観と一体なのだと思います。自民党政権中枢は、いまだこうした男性中心社会を乗り越えていないばかりではなく、乗り越えようとする意識に欠けているのだと、私は思います。
現在、法律婚の条件に同姓であることを強要している国がほかにあるでしょうか。日本は遅れているのではないでしょうか。世界ジェンダー・ギャップ報告書対象の世界153カ国中、日本が121位という数字に、それはあらわれていると思います。日本はG7の中で圧倒的に最下位なのです。
そしてその原因は、日本国憲法は「押し付け憲法」だとか「マッカーサー憲法」だと言って「憲法改正」を訴え続けている自民党政権中枢に、戦後の日本を受け入れようとせず、様々な面で戦前の日本を復活させようとする姿勢があるからだと思います。日本国憲法に基づく戦後日本の考え方を、「自虐史観」として否定し、”日本を取り戻す”などと言っていては、現在の若者や国際社会の感覚とますます乖離していくことになると、私は思います。
戦前の日本を復活させようとする姿勢は、第一次安倍内閣法務大臣・長勢甚遠氏が、「創生「日本」東京研修会第三回」の席で、”国民主権、基本的人権、平和主義(中略)この三つを無くさなければ本当の自主憲法にならないんですよ”と語ったことで明らかだと思います。だから、現代的な性別役割分担意識を乗り越えようとする姿勢に欠けているのだと思います。特に日本の自民党政権の組織は、長老や実力者に忖度するムラ社会的体制で成り立っており、森氏には、女性の当然の発言が、そうした今までの組織の運営や在り方の常識と相容れないものだったのだろうと思います。
また、麻生太郎副総理兼財務相も同じような感覚なのだろうと思います。麻生氏はかつて、閣議後記者の会見で、”日本は2000年にわたって同じ民族、一つの王朝が続いている”と発言して批判されたとき、”誤解が生じているなら、おわびの上、訂正する”と述べました。でも、麻生発言は、明らかに歴史認識の誤りであり、発言に対する批判は、誤解などではなかったと思います。”一つの王朝が続いている”という発言も、政権中枢にいまだ根強く残っている皇国史観に影響された発言だったのだと、私は思います。
そしてそれは、「自由と繫栄の弧」麻生太郎(幻冬舎)の「靖国に弥栄あれ」の文章にもあらわれているように思います。
麻生氏は、”靖国神社に関わる議論が盛んで”あるが、”私は靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬように心がけて参りました”と書いています。でも、靖国問題がどういう問題であるかということの理解が、私は歪んでいると思います。意図的かどうかは知りませんが、一番大切な問題をはぐらかしているように思います。
皇學館大學の新田均教授が、「首相が靖国参拝してどこが悪い」という本を出していることや、その記述の問題については、すでに取り上げましたが、靖国に公式参拝する閣僚や日本の戦争を正当化する人たちに共通するのは、考え方を異にする人たちの主張に、誠意を持って耳を傾ける姿勢に欠けるということではないかと思います。麻生氏は、自分勝手に靖国神社の問題を、政教分離の問題に矮小化してしまっていると思います。もちろん 靖国神社の問題は、政教分離の問題でもありますが、その前に、日本の戦争をどのように考えるのかという重大な問題があるのだと思います。それを抜きに靖国を論じても、靖国問題は解決しないと思います。
日本の首相が公式に靖国神社を参拝するときに問われるのは、日本の戦争は侵略戦争ではなかったのかどうか、また、A級戦犯として処刑された人たちは戦争犯罪者ではなかったのかどうか、ということだと思います。
”靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊(ミタマ)とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です”などと言って、戦争犯罪者として処刑されたA級戦犯が祀られた神社に、無条件降伏した日本の首相や閣僚が公式に参拝することが許されるでしょうか。
日本から遠く離れた戦地で、弾薬や食糧の補給が全くなされなかったため、一発の銃弾さえ放つことができず、餓死したり、病死した将兵と、そうした戦いを強いてA級戦犯として処刑された人たちを、ともに、”国家のために戦いに命を投げ出した尊い御霊”とすることができるのでしょうか。
また、日本の侵略戦争の犠牲となったアジアの人たちは、日本軍国主義の象徴であるA級戦犯が祀られた靖国神社に、行政の最高責任者である首相や閣僚が、公式に参拝することを受け入れることができるでしょうか。
日本は、1933年2月の国際連盟総会において、42カ国が賛成したリットン調査団報告書に、日本のみであったにもかかわらず反対し、翌月には、国際連盟脱退しました。
再び、いろいろな意味で世界中が批判的な、閣僚の靖国神社公式参拝を続けることは断念すべきではないでしょうか。
麻生氏の提起する「国立追悼施設靖国社(招魂社)」も、考慮されてよいとは思いますが、自分たちのことだけではなく、より多くの人たちの声に真摯に耳を傾け、世界中の人たちが受け入れてくれるようなあり方を検討すべきではないかと思います。
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靖国に弥栄あれ
靖国神社に関わる議論が盛んです。特定の人物を挙げ、「分祀」の必要を言う人があります。国会議員にそれを主張する人が少なくありません。私に言わせれば、これは根や幹から問題を見ようとしない、倒錯した発想によるものです。
私は靖国神社についてものを言う場合、常に物事の本質、原点を忘れぬように心がけて参りました。
それでは靖国問題で発言しようとするとき、忘れてはならない根と幹とは、何でしょうか。
大事な順番に、箇条書きにしてみます。
(1) 靖国神社が、喧しい議論の対象になったり、いわんや政治的取引材料になったりすることは、絶対にあってはならないことです。靖国は、戦いに命を投げ出した尊い御霊(ミタマ)とご遺族にとって、とこしえの安息の場所です。厳かで静かな、安らぎの杜(モリ)です。そのような場所で、靖国はあらねばなりません。
いかにすれば靖国を慰霊と安息の場として、静謐な祈りの場として、保っていくことができるか。言い換えれば、時の政治から、無限に遠ざけることができるか──。
靖国にまつわるすべての議論は、いつもこの原点から出発するものでなければならないと考えます。議論が紛糾したり、立場の違いが鋭く露呈したような場合には、常にこの原点に立ち戻って考え直さなくてはなりません。
(2)靖国神社のとって、「代替施設」はあり得ません。
このことは、靖国に「ないもの」と「あるもの」を考えることで、理解することができます。靖国には、遺灰とか遺骨といった、物理的な何かはありません。あるのは御霊という、スピリチュアルな、抽象的なものです。いやもっと言うと、そういうものが靖国にあるのだと思ってずっと生きてきた、日本人の「集合的記憶」です。
記憶には、誇るべきものがある半面、胸を張れないものもあることでしょう。しかし死者にまつわるものであるからには、総じて辛い、哀しいものです。それらすべて、一切合財を含む記憶の集積を、明治以来日本人は、靖国に見出してきました。これを引っこ抜いてよそへ持って行ったり、新しい場所に「存在するつもり」にしたりできないものです。つまり靖国には、代替施設はつくれません。
高浜虚子の有名な句に「去年今年 貫く棒の 如きもの」があります。この句に言う「棒の 如きもの」が、靖国にはあるのだと思っています。これを無くしたり、むげにしていると、ちょうど記憶を喪失した人が自分とは何ものなのか分からなくなってしまうものと同じように、日本という国が、自分を見失い、碇を無くした船さながら、漂流してしまうと思います。
(3)右の(1)と(2)の土台にあるのは、国家のために尊い命を投げ出した人々に対し、国家は最高の栄誉をもって祀られねばならない、という普遍的な原則です。「普遍的な」というのは、これが国と国民の約束事として、世界中どこでも認められていることだからです。
国家とは、国民を戦場へ連れ出し、命を投げ出させる権力をもつ存在でした。だとすれば、国家の命に応じてかけがえのない命を捧げた人を、当の国家が最高の栄誉をもって祀らなければならないのは、最低限の約束事であり、自明の理です。戦後の我々には、この当たり前の理屈がピンと来なくなっているかもしれません。何度でも強調しないといけないゆえんです。
(4)「天皇陛下、万歳」と叫んで死んだ幾万の将兵は、その言葉に万感の思いを託したことでしょう。天皇陛下の名にこと寄せつつ、実際には故郷の山河を思い起こし、妻や子を、親や兄弟を思っていたかもしれません。しかし確かなこととして、明治以来の日本人には、右の(3)で言った国家の約束事を、天皇陛下との約束事として理解し、戦場で死に就いてきた経緯があります。
ですから私は、靖国に天皇陛下のご親拝あれかしと、強く念じているのです。
それでは今、何をなすべきか。
この問いに対する答えは、もう明らかだと思います。靖国神社を可能な限り政治から遠ざけ(「非政治化」し、)、静謐な、祈りの場所として、未来永劫保っていくことにほかなりません。私の立場は、靖国にその本来の姿へ復していただき、いつまでも栄えてほしいと考えるものです。世間の議論には、靖国を当座の政治目的にとって障害であるかに見て、何とか差し障りのないものにしようとする傾向が感じられます。悲しいことですし、私として与(クミ)することのできないものです。
ところが靖国を元の姿に戻そうとすると、たちまち問題点にぶつかります。それは煎(セン)じ詰めると、靖国神社が宗教法人であるという点にかかわってきます。少し説明してみます。
(1)政教分離原則との関係
靖国が宗教法人であり続ける限り、政教分離原則との関係が常に問題となります。実は政治家である私がこのように靖国について議論することさえ、厳密に言うとこの原則との関係で問題なしとしません。まして政治家が靖国に祀られた誰彼を「分祀すべし」と言うなど、宗教法人に対する介入として厳に謹むべきことです。
靖国神社が宗教法人である限り、総理や閣僚が参拝するたびに、「公人・政治家としての訪問か、私的な個人としての参拝か」という、例の問いを投げかけられます。政教分離原則との関係を問われ、その結果、本来鎮魂の行為であるものが、新聞の見出しになってしまいます。つまり靖国がその志しに反し、やかましい、それ自体政治的な場所となってしまった理由の過半は、靖国神社が宗教法人だというところに求められるのです。
これでは、靖国はいつまでたっても静かな安息と慰霊の場所になることができません。このような状態に最も悲しんでいるのは靖国に祀られた戦死者でしょうし、そのご遺族であることでしょう。そして靖国をそんな状態に長らく放置した政治家の責任こそは、厳しく問われなければならないと思います。
(2) 戦死者慰霊を「民営化」した弊害
本来国家がなすべき戦死者慰霊という仕事を、戦後日本は靖国神社という一宗教法人に、いわば丸投げしてしまいました。宗教法人とはすなわち民間団体ですから、「民営化」(プライバタイゼーション)したのだと言うことができます。
その結果、靖国神社は会社や学校と同じ運命をたどらざるを得ないことになっています。顧客や学生が減ると、企業や大学は経営が苦しくなりますが、それと同じことが、靖国神社にも起きつつあるのです。
靖国神社にとっての「カスタマー(話を通りやすくするため、不謹慎のそしりを恐れずビジネス用語を使ってみます)」とは誰かというに、第一にはご遺族でしょう。それから戦友です。
ご遺族のうち戦争で夫を亡くされた寡婦の方々は、今日、平均年齢で八十六・八歳になります。女性の平均寿命(八十三歳)を超えてしまいました。また「公務扶助料」という、遺族に対する給付を受けている人(寡婦の方が大半)の数は、1982年(昭和五十七年)当時百五十四万人を数えました。それが2005年には十五万人と、十分の一以下になっています。
戦友の方たちの人口は、恩給受給者の数からわかります。こちらも、ピークだった1969年に283万人を数えたものが、2005年には121万人と、半分以下になっています。
靖国神社は、「氏子」という、代を継いで続いていく支持母体をもちません。「カスタマー」はご遺族、戦友とその近親者や知友だけですから、平和な時代が続けば続くほど、細っていく運命にあります。ここが一般の神社との大きな違いの一つです。
靖国は個人や法人からの奉賛金(寄附金)を主な財源にしていますが、以上のような状況を正確に反映し、現在の年予算は二十年ほど前に比較し三分の一程度に減ってしまっていると聞きます。
戦後、日本国家は、戦死者の慰霊という国家の担うべき事業を民営化した結果、その事業自体をいわば自然消滅させる路線に放置したのだと言って過言ではありません。政府は無責任のそしりを免れないでしょう。
このことを、靖国神社の立場に立って考えるとどう言えるでしょうか。「カスタマー」が減り続け、「ジリ貧」となるのは明々白々ですから、「生き残り」を賭けた「ターンアラウンド」(事業再生)が必要だということになりはしないでしょうか。
以上の述べたところから明らかなように、山積する問題解決のためにまず必要なのは、宗教法人でない靖国になることです。ただしその前に二点、触れておかねばなりません。
(1)「招魂社」と「神社」
靖国神社は創立当初、「招魂社」といいました。創設の推進者だった長州藩の木戸孝允は、「招魂場」と呼んだそうです。「長州藩に蛤御門の戦いの直後から藩内に殉難者のための招魂場が次々につくられ、最終的にはその数が二十二に達した」(村松剛「靖国神社を宗教機関といえるか」)といいます。
このような経緯に明らかなとおり、靖国神社は、「古事記」や「日本書紀」に出てくる伝承の神々を祀る本来の神社ではありません。いま靖国神社の変遷や歴史に触れるゆとりはありませんが、設立趣旨、経緯から、靖国神社は神社本庁に属したことがありません。伊勢神宮以下、全国に約八万を数える神社を束ねるのが神社本庁です。靖国はこれに属さないどころか、戦前は陸海軍省が共同で管理する施設でした。また靖国の宮司も、いわゆる神官ではありません。
(2)護国神社と靖国神社
第二に触れておかねばならないのは、上のような設立の経緯、施設の性格、またこれまで述べてきた現状の問題点を含め、護国神社には靖国神社とまったく同じものがあるということです。靖国神社が変わろうとする場合、全国に五十二社を数える護国神社と一体で行うことが、論理的にも実際的にも適当です。
(3)任意解散から
それでは靖国神社が宗教法人でなくなるために、まず何をすべきでしょうか。これには任意解散手続き以外にあり得ません。既述のとおり、宗教法人に対しては外部の人が何かを強制することなどできないからです。また任意解散手続きは、護国神社と一体である必要があります。
言うまでもなくこのプロセスは、靖国神社(と各地護国神社)の自発性のみによって進められるものです。
(4)最終的には設置法に基づく特殊法人に
その後の移行過程には、いったん「財団法人」の形態を採るなどいくつかの方法があり得ます。ここは今後、議論を要する点ですが、最終的には設置法をつくり、それに基づく特殊法人とすることとします。
名称は、例えば「国立追悼施設靖国社(招魂社)」。このようにして非宗教法化した靖国は、今までの比喩を使うなら、戦死者追悼事業を再び「国営化」した姿になります。宗教法人から特殊法人へという変化に実質をもたせるため、祭式を非宗教的・伝統的なものにします。これは実質上、靖国神社が「招魂社」といった本来の姿に回帰することにほかなりません。各地の護国神社は、靖国神社の支部として再出発することになります。
なお設置法には、組織目的(慰霊対象)、自主性の尊重(次項参照)、寄付行為に対する税制上の特例などを含める必要があるでしょう。
(5)赤十字が参考に
この際参考になるのが、日本赤十字社の前例です。日赤は靖国神社と動揺、戦時中に陸海軍省の共管下にありました。母子保護・伝染病予防といった平時の事業は脇に置かれ、戦時救済事業を旨としました。講和条約調印後に改めて立法措置(日赤法)をとり、元の姿に戻すとともに、「自主性の尊重」が条文(第三条)に盛り込まれた経緯があります。
(6)財源には利用できるものあり
併せて靖国神社の財源を安定させる必要があります。このため利用できるのが、例えば独立行政法人・平和祈念事業特別基金のうち、国庫返納分として議論されている分です。
平和祈念事業特別基金とは、「「旧軍人軍属であって年金たる恩給又は旧軍人軍属としての在職に関連する年金たる給付を受ける権利を有しない方」や、旧ソ連によって強制抑留され帰還した方などの労苦を偲ぶためなどを目的とし、新宿住友ビルにある「平和祈念展示資料館」の運営や、関係者の慰労を事業とするため、国が四百億円を出資し1988年に設けたものです。資本金のうち半分に当たる
二百億円は、国庫に返納されることが議論されています。
これを全部、まあたは半分程度靖国社の財産とすることで、靖国の財政を安定させることができるでしょう。また靖国を支えてきた「公益財団法人」として公益性を認め、これらの基盤も安定を図ります。直接の支持母体である「靖国神社崇敬奉賛会」は、そのまま存続させればいいと思います。
(7)慰霊対象と遊就館
それではいったい、どういう人々を慰霊対象とすべきなのか。周知のとおり、ここは靖国を現在もっぱら政治化している論点にかかわります。だからこそ、あいまいな決着は望ましくありません。「靖国を非政治化し、静謐な鎮魂の場とする」という原則に照らし、靖国社設置法を論じる国会が、国民の代表としての責任にかけて論議を尽くしたうえ、決断すべきものと考えます。
注意していただきたいのは、この時点で、宗教法人としての靖国神社はすでに任意解散を終えているか、その手続きの途上であるか、あるいはまた過渡期の形態として、財団法人になっているかしていることです。すなわち慰霊対象の特定、再認定に当り、「教義」はすでに唯一の判断基準ではなくなっています。
さらに靖国神社付設の「遊就館」は、その性質などに鑑み行政府内に、その管理と運営を移すべきだと思います。その後の展示方法をどうすべきかなど論点は、繰り返しますがこのページの最初に述べた「原点」に立ち戻りつつ、かんあげられるべきです。
ここまでを整えるのに、何年も費やすべきではありません。このペーパーで述べてきた諸般の事情から、靖国神社は極めて政治化された場所となってしまっており、靖国に祀られた二百四十六万六千人余の御霊とそのご遺族にとって一日とて休まる日はないからです。
政治の責任として以上の手続きを踏んだ暁、天皇陛下には心安らかに、お参りをしていただけることでしょう。英霊は、そのとき初めて安堵の息をつくことができます。
中国や韓国を含め、諸外国首脳の方々にとっても、もはや参拝を拒まなければならない理由はなくなっています。ぜひ靖国へお越しいただき、変転常なかった近代をともに偲んでもらいたいものです。