真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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選択的夫婦別姓問題と伝統的家族観

2021年04月24日 | 国際・政治

 先日(4月21日)の朝日新聞に、選択的夫婦別姓問題にかかわる裁判の記事が出ていました。
 それは、1997年米で婚姻し、それぞれの姓で約二十年暮らしてきた夫婦が、2018年に東京都千代田区に別姓で婚姻届を出したら受理されなかったので、別姓のまま婚姻関係にあることを国に求めた訴訟に関するものです。
 米国で二十年間それぞれそれぞれの姓で活動して来たのに、日本に帰って来たら、どちらかが姓を変えなければ、婚姻関係が法的に認められなくなるということは、夫婦別姓での婚姻関係を戸籍に記載できる規定がない日本の戸籍法には不備があるなどと訴えていたのですが、東京地裁は夫婦の請求を退けたということです。日本国憲法を軽視する判断ではないかと思いました。
 
 明治の民法は、第746条で”戸主及ヒ家族ハ其家ノ氏ヲ称ス”と定め、第788条で”妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル”と定めて、結婚すれば女性が氏を変えることを法的に義務づけていました。戦後 日本では、その明治民法を改正して、第750条で”夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する”としました。なぜ、このとき夫婦別姓の条文にしなかったのかは、私にはよく分かりません。戦前の家族制度の温存のために、「一家一氏一籍」の原則を維持しようとしたのか、それとも、”夫又は妻の氏”と選べるようにすることによって、公平性が保たれると考え、現在のように、女性の96%以上が氏を変えるという現実を想定しなかったのか。
 いずれにしても、夫婦別姓(別氏)の選択肢が追加されなければ、上記の夫婦のような問題は解決しないと思います。
 また、民法750条は、戦後の日本国憲法第13条”すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする”や、第24条”婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない”や、さらに、戦後改正された民法第2条”この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない”と矛盾するものを含んでいると思います。
 だから、裁判所は、法の矛盾を考慮して、夫婦の訴えを受け入れ、民法第50条の改正を提案することは可能だったのではないかと思います。
 でも、日本ではいまだ自民党政権中枢が、”夫婦同姓は、日本の伝統的な家族観に基づいており、社会に広く受け入れられている。制度を変える必要はない”などと主張しているので、裁判所も無視できないのだろうと私は思います。自民党政権中枢が、日本の伝統的な家族観を守ろうとしていることは、先だって自民党の国会議員有志50人が連名で、選択的夫婦別姓制度導入に反対する文書を地方議員に送っていた問題でも明らかだと思います。選択的夫婦別姓制度導入を認めれば、日本国憲法の考え方が一層深まり、伝統的家族観が失われて、”日本をとりもどす”ことが難しくなるということではないかと思います。
 でも、日本の伝統的家族観を守ろうとする人たちは、その伝統的家族観について、詳しくは語りません。私は、それを語ると憲法違反を指摘され、政権の座が危うくなる恐れがあるからではないかと想像しています。

 だからこそ、この「伝統的家族観」なるものをしっかりとらえようと、戦前の文献にも当ったりしているのですが、この「伝統的家族観」は、実は、明治以前の政治的支配層の血縁・系譜重視の伝統が、明治政府の神話的国体観によって一般庶民に広げられ、政治的意図をもってもたらされた家族観で、皇国日本の忠孝を道徳の柱とする思想と一体のものであったと思います。
  
 明治民法の考え方を主導した穂積八束博士は、”我千古ノ国体ハ家制ニ則ル、家ヲ大ニスレハ国ヲ成シ国ヲ小ニスレハ家ヲナス”と述べています。そして、国家を統治する天皇は、皇統に属する男系の男子がこれを継承し、家族を支配し統率する戸主は、原則として長男が継承するというかたちで、皇祖皇宗や祖先崇拝を重視するのが、「伝統的家族観」であり、「家族国家観」といわれるものなのだと思います。だから、その考え方は、”個人の尊厳と両性の本質的平等”を規定した日本国憲法や夫婦別姓の考え方とは相容れないものがあると思います。
 
 「家族主義の教育」新見吉治著(東京育芳社)を読むと 「伝統的家族観」がどういうものであるかがわかるように思います。新見吉治博士(広島文理科大学教授文学博士)は、同書の「」や「緒言」、「家族制度の根本義」に、下記のように書いています。
 
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                 家族主義の教育
  序
 本書題して家族主義の教育といふ。著者が温故知新の史僻から家族制度の歴史を検討し、教育の向ふべきところを考究した小篇を輯(アツ)めたもので、家族生活の改善に関心を有つ応用史学の一端たるに過ぎない。
 個人主義に行き詰った西洋諸国の中、イタリアやドイツに於ては、家族を典型とする全体主義を唱へ滅私奉公を以て国家改造のための国民教育指導精神とするに至った。我が国家族生活の現状は、よし西洋個人主義の影響を受けたものが少なくないとはいへ、なほこの新思想の先駆をなし、実践の範を垂るゝものが多い。とくに今次の支那事変に際し、外征将兵の忠勇義烈、銃後国民の同心協力、とりどりの美談は、何れも伝統的家族主義思想の昂揚発揮によりて織り成されてゐることを見聞する時、我等は永くこの尊き伝統思想の維持培養に努めなければならぬことを痛感するのである。
                   昭和十二年十月二十四日
                        国威発揚広島県民大会に参列して
                                  新見吉治  識
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                  家族主義の教育
                              文学博士 新見吉治 著
                 (一)家族制度
   緒言
 近頃西洋個人主義の思想が我国に拡がり、家族制度が破壊せられんとする形勢になったといふので、学者教育者はしきりに家族制度維持を説く。又近くは(大正三年)帝国議会に於て相続税法改正問題に就いて家族制度維持の声が盛んであった。家族制度維持の論拠は我国体が族父的君主国であるから、
家族制度の破壊は国体の破壊を意味し、国家を危うくするものである、といふにある。而して家族制度維持のためには、祖先崇拝の習俗を尊重するべきであると説かれて居る。たとひ個人主義に利があることを認めて居る人でも、極端に個人主義を唱ふるは少なく、家族制度に個人主義を加味せよといふ折衷説に傾いて居るものが多い。
 吾輩は亦家族主義者である。併し同じく家族制度といふても、其内容は時代により変遷すべきであると信ずる。然るに如何なる形の家族制度が我国の将来に適応すべきか、といふことについては、世論が未だに定まって居ないやうに見える。吾輩は法律学にも暗く、倫理学、教育学にも疎いものであるが、国家社会の組織の上にも亦個人の生活の上にも、関係の大なる問題の事であるから、敢て、常識論を試みることを無益でないと信じ、此一篇を草した次第である。冀くは識者の是正を賜わらんことを。
ーーー      
               (九)家族制度の根本義
 家族制度は段々崩壊すべきといふ論がある。家族が戸主の下に共同生活を営むことは、今日の経済生活では出来なくなった。天人の多い官公吏や、会社員は、どうしても戸主や他の家族員と同居することが出来ず、別居しなければならぬことが起る。別居の家族には世帯主といふがあり、法律上にも独立が認められて来た。従って家族制度を称して封建制度の遺風であるいふ人があるがそれは誤った説で、家族同居といふことは、封建制度とは関係のないことである。江戸幕府は大名の妻子を江戸に置いて人質同様にし、諸侯には江戸と領地とに變る變る在住せしめて諸侯及び家中の藩士の夫婦同棲を妨げたではないか。夫婦は同棲すべきものであるが、配偶者の職業その他の関係から永年同棲の出来ぬ場合がある。この場合夫婦関係は解けてしまうものかどうか。アメリカ合衆国では一年間同棲せぬ場合には遺棄の理由で離縁の訴訟を提出することを認めて居る州もある様子であるが、玉椿の八千代までもと約束した結婚当時の心に變りなき以上、たとひ同棲しなくとも、夫婦の縁は二世も三世も切れるものではない。況んや血縁の親子兄弟の関係が別居によって切れるものと思ふは大なる間違いである。
 我が国の家族制度の特質の一は血縁のつゞきを重んずるといふ点である。決して大家族の同居といふことを意味しては居ない。大家族の同居といふよりも血縁を忘れないこと同族のよしみを忘れないといふ心理が、我が家族制度の根本義である。親子夫婦血縁の親疎によって家族団結となり国民の団結となる。家に家長あり氏に氏の上あり、国に君主がある。御歴代の聖天子は義に於ては君臣、情に於ては父子といふ思召で、人民を治め玉ふが、我が国体の精華なる点である。
 
 今日では親族の団結といふものは、法律上では親族会議といふものが認められて居る位のことであるが、実際上は未だ親類附き合ひといふことが、我が国に於ては外国に行はれるよりも親密に行はれて居る。本家分家の関係が絶たれないのである。畏れ多いが皇室を国民の総本家と考へ、国民は皆その分家であると考えへる思想、国民が一家族であるといふ思想、一家族の各員は一体分身である、何処に離れてゐようが一体であるといふ意識が失はれず、その家名を重んじ、その職を分けて、世のため人の為めに尽くしたならば、自分の為にも、家の為にもなるとの思想、それが我が国の家族制度の根本義である。
 ・・・
 長子がこの特権をもってゐる事が、日本の家族制度の特色であると説かれるが、それは江戸時代以後の事であって、大化改新では、相続財産は諸子均分制度を採りその以後文字通りの均分制は行はれぬけれども、江戸時代までは少なくとも今日のやうな長子の優越権は認められなかった。それであるから、わが国の家族制度の根本義として家督相続といふことは挙げられない。
 ・・・(以下略)

 

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