これまで、何度も取り上げてきたのですが、昭和21年1月1日の官報号外に掲載された「詔書」、いわゆる天皇の「人間宣言」のなかに下記のような一節があります。
”惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。 ”
これは、日本の戦争が、”天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”に基づくものであったということだと思います。どういう経緯で、こうした内容の「証書」が出されるに至ったかは分かりませんが、この内容に間違いはないと思います。
にもかかわらず、自民党政権中枢は、戦後の日本を受け入れようとせず、「日本国憲法」を「押し付け憲法」として改定し、「世界人権宣言」に基づく国際社会の歩みとは違った道を進もうと意図しているように思います。
それは、「日本国憲法改正草案Q&A増補版」のなかの「5国民の権利及び義務」に、下記のようにあることで察せられます。
”権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。”
でも、「天賦人権説」を含めた「自然権思想」は、あらゆる国の歴史、文化、伝統を踏まえた普遍的なものだと思います。だから、憲法改正草案は、そうしたことを踏まえ、日本国憲法と比較してみていく必要があると思います。
日本国憲法第86条には
”内閣は、毎会計年度の予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。”
とあります。
自民党憲法改正草案第86条は
”内閣は、毎会計年度の予算案を作成し、国会に提出して、その審議を受け、議決を経なければならない。
2 内閣は、毎会計年度中において、予算を補正するための予算案を提出することができる。
3 内閣は、当該会計年度開始前に第一項の議決を得られる見込みがないと認めるときは、暫定期間に係る予算案を提出しなければならない。
4 毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。”
となっています。特に問題だと思うのは、4の”毎会計年度の予算は、法律の定めるところにより、国会の議決を経て、翌年度以降の年度においても支出することができる。”という条文です。
国の予算は原則として「単年度主義」です。この「単年度主義」は、毎年度の予算に対する国会の審議権を確保するために欠かせないものだと思います。しかしながら、最近、この予算の単年度主義の例外である「継続費」や「国庫債務負担行為」が増え、歳出の複数年度化が進んでいるといわれています。そして、歳出の複数年度化は、後年度の歳出の硬直化や国会審議の空洞化をもたらすので、問題があると指摘されているのです。また、それらが主に防衛予算と関わり、護衛艦や潜水艦の建造に用いられている現実を見逃すことが出来ません。防衛予算の特別扱いが進んでいるということだと思います。それを憲法で正当化するような改定は、国会の審議を軽視するもので、重大な問題だと思います。一度決めたら変えられないというような国家予算の会計年度をこえた支出の仕方は、憲法に定めるべきではないと思います。
日本国憲法第89条には、
”公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。”
とあります。
自民党憲法改正草案第89条は、
”公金その他の公の財産は、第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き、宗教的活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。
2 公金その他の公の財産は、国若しくは地方自治体その他の公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。”
となっています。” 第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き”の部分が問題なのです。”社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないもの”は別だという理由で、「神道」を特別扱いすることになると思われるからです。なぜなら、全国にある護国神社や靖国神社が、戦前の日本人の生活と深く結びつけられていたので、それらに関わる行事などが、社会的儀礼又は習俗的行為として復活し、財政的に支えられることになると思うのです。
日本国憲法第92条には,
”地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。”
とあるのですが、自民党憲法改正草案では、これが第93条になり第92条は、
”地方自治は、住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を自主的、自立的かつ総合的に実施することを旨として行う。
2 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う。”
と新しく追加された条文になっています。私は、地方自治を、この”住民に身近な行政”に限定することに大きな問題があると思います。
例えば、沖縄に米軍基地が集中し、現実に生起している諸問題で、沖縄県民の切実な要望を受けた沖縄県の県政が、国政と対立していることに関し、地方自治体は国政に口を出すな、と抑え込むために利用されることになるのではないかと思います。国政と地方自治が政策的に対立する難しい問題は、いろいろあると思います。それを、地方自治は”住民に身近な行政”ということで、地方自治体が国政に抵抗することを、憲法で封じるような条文は、日本国憲法の精神、すなわち「地方自治の本旨」に反するものだと思います。
また、 ”住民は、…その負担を公平に分担する義務を負う”と、あります。国政や地方自治が、国民のためになされることを定めた日本国憲法の精神が後退し、国民の義務が重視されているように思います。
さらに、自民党憲法改正草案第93条では、
”地方自治体は、基礎地方自治体及びこれを包括する広域地方自治体とすることを基本とし、その種類は、法律で定める。
2 地方自治体の組織及び運営に関する基本的事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律で定める。
3 国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。地方自治体は、相互に協力しなければならない。”
とあります。この、”国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、…”の”役割分担”が問題だと思います。自民党憲法改正草案の考え方は、当然、地方自治は ”住民に身近な行政”ということでしょうから、地方自治が国政と対立することになった場合には、国政が優先され、抑え込まれることになるのではないかと思うのです。
日本国憲法第93条には、
”地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
② 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。”
とありますが、自民党憲法改正草案は、第94条で、
”地方自治体には、法律の定めるところにより、条例その他重要事項を議決する機関として、議会を設置する。
2 地方自治体の長、議会の議員及び法律の定めるその他の公務員は、当該地方自治体の住民であって日本国籍を有する者が直接選挙する。”
と定めています。すでに触れたように、自民党憲法改正草案は、第92条で、”住民は、…その負担を公平に分担する義務を負う。”と住民の義務を定めていました。でも第94条では、”日本国籍を有する者”にしか、選挙権を与えていません。義務は公平に分担し、権利は、日本国籍を有するものだけしか行使できないのです。在住外国人の人権に配慮すべきではないかと思います。地方自治は ”住民に身近な行政”と言っておきながら、在住外国人の選挙権を認めようとしない自民党政権中枢は、未だに戦前の女性差別と共に、外国人差別も払拭しきれていないように思います。
日本国憲法の第96条は、
”この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。”
とあるのですが、自民党憲法改正草案では、「第十章 改正」の第百条になっています。そして、
”この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。
2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、直ちに憲法改正を公布する。”
となっています。 ”各議院の総議員の三分の二以上の賛成で…”が、”両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で…”と変えられているのです。
憲法は、専断的な国家権力の支配を排し、国家権力の監視と抑制を行うための大事な規範だと言われています。だから、単純過半数で進められるような簡単な問題ではないという意味で ”各議院の総議員の三分の二以上の賛成で…”とあるのだと思います。それを”両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で…”と変えようとするのは、やはり、自民党政権中枢の過去の歴史認識が、一般国民のそれとは異なるからだろうと思います。憲法改正のハードルを下げ、簡単に憲法を改正できるようにして、少しずつ”日本を取り戻”そうということではないかと、私は思います。
先だって憲法改正推進本部最高顧問に就任した安倍前首相は、かつて記者会見で、「憲法改正というのは、決してたやすい道ではありません。必ずや私たちの手で、私自身として私の手で、成し遂げていきたい」と語ったことが報道されました。それは、敗戦後の日本が、連合国(GHQ)によって無理矢理変えられてしまったので、憲法改正によって、戦前の日本、即ち「皇国日本」を可能な限り取り戻したいということなのだろうと思います。日本国憲法を「押し付け憲法」と主張する人たちは、皆同じ思いなのだろうと思います。したがって、安倍・菅政権の日本は、欧米を中心とする国際社会とは、進む方向が違っているのだと思います。
東京五輪・パラリンピック組織委員会・森会長の”女性蔑視”発言や世界経済フォーラム(WEF)による「ジェンダーギャップ指数2021」で、日本が、世界156カ国のうち、120位という不名誉な結果も、そうしたことと無関係ではあり得ないことを見逃してはならないと思います。
もともと、行政府の長である内閣総理大臣が、憲法改正を語り、そのための運動を主導すること自体がおかしなことだと、私は思います。率先して憲法を遵守し、国会の議決に基づいて行政を主導すべき内閣総理大臣が、”衆議院又は参議院の議員の発議により”進められるべき立法府の問題を主導することは、専制政治の始まりのように思います。そこにすでに安倍前首相の独裁性があらわれていたように思います。
また、見逃すことができないのは、自民党憲法改正草案が、第九章として、第98条と第99条で、下記のような「緊急事態」の条項を新たに設けていることです。
第98条
”内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。”
第99条
”緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。”
この緊急事態に関わる第98条と第99条は、内閣総理大臣にかつての「天皇大権」にも似た権限を与えています。
”法律と同一の効力を有する政令を制定すること”ができるほか、”内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。”とあるのです。
また、国民は、” 国その他公の機関の指示に従わなければならない”とあります。一度「緊急事態」が発せられれば、誰も逆らえないということだと思います。
日本国憲法の第97条は
”この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。”
とありますが、これは過去の歴史を踏まえた大事な条文だと思います。でも、自民党憲法改正草案では完全に削除されています。そこに、すでに述べたように、歴史や憲法に関する認識があらわれているように思います。
内閣総理大臣や内閣の行政権限を強化し、国民の権利や自由は制限しつつ、義務を明確にしようとする安倍・菅政権の方向性は、国際社会とは異なる方向性を示していると思います。だから、選択的夫婦別姓法案やLGBT差別禁止法案も、簡単には成立しない難しさがあるのだと思います。
ただ、自民党政権中枢も、政権を維持する必要上、国際社会や国民の意識と甚だしく乖離した戦前回帰の意図を明白にできないというジレンマがあり、ところどころで妥協しつつ、時間をかけてゆっくり変えていこうとしているように思います。それだからこそ、この憲法改正が、本格的な戦前回帰の端緒として、重要な意味をもっているのだろうと思います。(条文のいくつかは、http://tcoj.blog.fc2.com/blog-category-4-1.htmlを利用させていただきました。)