真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて…

2022年01月04日 | 国際・政治

  下記は、第三次桂内閣の不信任決議案に関する尾崎行雄の第三十議会(大正二年ニ月五日)における主張全文です。
 桂太郎自伝の解説で、宇野俊一教授も取り上げていますが、尾崎は”彼等は玉座を以て胸壁(キョウヘキ=とりで)となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒さんとするものではないか”ときびしく桂首相を指弾したといいます。護憲をスローガンとした桂内閣不信任決議案提案当日は、多くの民衆が早朝から衆議院を取巻き、議場も開会前から異常な緊張状態にあったということです。
 この時、尾崎の立憲主義の主張を受け入れていれば、日本は統帥権独立を盾にした軍部の暴走による戦争の大きな犠牲を払うことはなかったと思います。
 だから私は、王政復古のクーデターによって、日本を”大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス”という天皇制国家にしたことが、日本の敗戦に至る歩みの始まりであったと考えざるを得ないのです。王政復古のクーデター以来アジア太平洋戦争の敗戦まで、日本の政権中枢は、くり返し、”玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒”し、領土拡張の戦争を続けることになってしまったと思うのです。

 天皇の政治利用の意図は、何度も取り上げている木戸孝允品川弥二郎宛書簡の、”玉を我方へ奉抱候御儀千載之一大事に而自然万々一も彼手に被奪候而はたとへいか様之覚悟仕候とも現場之處四方志士壮士之心も乱れ芝居大崩れと相成三藩之亡滅は不及申終に 皇国は徳賊之有と相成再不復之形勢に立至り候儀は鏡に照すよりも明了…” という文章から読み取れると思いますが、そうした考え方が、残念ながら王政復古のクーデター以来、日本の敗戦まで、政権中枢の根本思想であり続けたと思います。

 明治維新を成し遂げた薩長を中心とする尊王攘夷急進派が、天皇を政治的に利用しつつ幕府を倒したこと、そして自らの目的達成のために手段を選ばないような戦いを展開したこと、また維新後、薩長の関係者で要職を独占し、政権を掌握し続けたという事実は、忘れられてはならないと思います。

 尾崎行雄が”玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒さんとするものではないか”と叫んだとき、桂は”顔面蒼白となり、首をうなだれた”といいますが、内心を見抜かれたからではないかと想像します。
 最後の、”誤解を解いて欲しい”とくり返す桂の答弁も、尾崎の主張にきちんと答えるものでないことは、明らかではないかと思います。誤解などではないのです。

 そうした過去の権力政治の過ちをきちんと受けとめず、”日本を、取り戻す”などと言って、戦後の日本を批判し、国民を欺いた戦前の日本、すなわち、天皇を利用して、国民の口をふさぎ、一部指導層がやりたい放題をやった日本を復活させようとしている人たちが少なくないことが、現在日本の大きな問題ではないかと、私は思います。

 だから政権中枢は、現在もなお、多くの国民の声を聴き入れず、権力政治を続けているのだと思います。女性や子どもの人権を尊重せず、多くの人の願いを受け入れず夫婦同姓を維持し、また、関係者の思いを無視して「こども庁」に無理矢理「家庭」という言葉を加え「こども家庭庁」と名称を変更したりするところに、そうした姿勢があらわれていると思います。
 そうした意味で、日本はいまだに天皇家を総本家とした一大家族であるという、戦前の家族国家観をきちんと克服することができていないと言わざるを得ないと思います。人権後進国と批判されるような実態は、そうしたところに原因があると思います。
 100年以上も前のことですが、桂首相を弾劾した尾崎行雄の主張は、現在に通用するものであり、噛み締める必要があるように思います。
 下記は、「尾崎咢堂全集 第五巻」(尾崎行雄記念財団)から、「桂首相を弾劾す」と題された文章の全文を抜萃したものです。(漢字の旧字体は新字体に変更しています)
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                    桂首相を弾劾す

      決 議 案〔書紀朗読〕
 内閣総理大臣侯爵桂太郎は大命を拝するに当り、屡々聖勅を煩わし宮中、府中の別を紊り、官権を私して党與を募り、又、帝国議会の開会に際し、濫りに停会を行ひ、また、大正二年一月二十一日本院の提出したる質問に対し、至誠其責を重んずるの意を昭にせず、是れ皆立憲の本義に背き、累を大政の進路に及ぼすものにして、上、皇室の尊厳を保ち、下国民の福祉を進むる所以にあらず。本院は此の如き内閣を信認するを得ず。仍て茲に之を決議す。(拍手起こる)

議長(大岡育造君) 尾崎行雄君
  (尾崎行雄君登壇)(拍手盛んに起る)
尾崎行雄君 本員等の提出しましたる決議案は、只今桂総理大臣の答弁に照し、尚その前後の挙動に鑑みて、茲にこの決議案を提出するの已むべからざることを認めて出しました訳であります。その論点たるや、第一は身内府に在り、内大臣兼侍従長の職を辱(カタジケノウ)うして居りながら、総理大臣となるに当つても優詔(ユウショウ=天子のありがたいみことのり)を拝し、又その後も海軍大臣の留任等に就ても、頻りに優詔を煩わし奉りたると云ふことは、宮中・府中の区別を紊ると云ふのが非難の第一点であります。
 只今桂侯爵の答弁に依りますれば、自分の拝し奉ったのは勅語にして、詔勅では無いが如き意味を述べられましたが、勅語も亦詔勅の一つである。(「ヒヤヒヤ」=演説会などで聴衆が発する掛け声。賛成。そうだ。いいぞ。など )而してわが帝国憲法は、総ての詔勅は──国務に関するところの勅語は必ずや国務大臣の副署を要せざるべからずことを特筆大書してあつて、勅語と云はうとも、勅諭と云はうとも、何と言はうとも、その間に於て区別は無いのであります。(「ノーノー」「誤解々々」と呼ぶ者あり)若し然らずと云ふならば、国務に関するところの勅語に若し過ちがあつたならば、その責任は何人が之を負ふのであるか。(「ヒヤヒヤ」拍手起る)畏多くも 天皇陛下直接その御責任に当たらせられなけれならぬことになるでは無いか。故に之を立憲の大義に照し(「勅語に過ちがあるとは何だ」と呼ぶ者あり)立憲の本義を弁へざる者は黙して居るべし。勅語であらうとも、何であらうとも、凡そ人間のなすところのものに過ちが無いと云ふことは言へないのである。(拍手起る)是に於て憲法はこの過ちの無きことを保障するがために──(「勅語に過ちとは何のことだ、取消せ取消せ」と呼ぶ者あり議場騒然)憲法を調べて見よ──(「不敬だ不敬だ」と呼ぶ者あり)
議長(大岡育造君)討論中であります。ご意見があれば順次登壇して御述べなさい、斯る大切な問題を議するに、徒らに騒擾するが如きは甚だ取らざるところであります。(「ヒヤヒヤ」)「議長注意を与えよ、不敬である」と呼ぶ者あり)

尾崎行雄君(続)わが憲法の精神なるものは……
    (「議長注意をなさい」と呼ぶ者あり)
尾崎行雄君(続) わが憲法の精神は、天皇を神聖侵すべからざる地位に置かんが為に、総ての詔勅に対しては国務大臣をしてその責任を負はさせるのである。然らずんば……
   (「天皇は神聖なり」「退場を命ずべし」と呼ぶ者あり)
議長(大岡育造君)静かになさい。
  (取消を命ぜよ」「何だ不敬の言葉を使つて」と呼ぶ者あり) 
議長(大岡育造君)討議が憲法論である間は、本院に於ける議論は自由であります。

尾崎行雄君(続)御聴きなさい、御聴きなさい、総て 天皇は神聖にして侵すべからずと云ふ大義は、国務大臣がその責任に任ずるから出て來るのであります。(拍手起る)然るに桂侯爵は内府に入るに当つても、大詔已むを得ざると弁明し、又内府を出て内閣総理大臣の職を拝するに当つても、聖意已むを得ぬと弁明する。如何にも斯の如くなれば、桂総理大臣は責任が無きが如く思へるけれども、却つて 天皇陛下に責任を帰するを奈何(イカン)せん。(拍手起る)凡そ臣子の分として、己の責任を免れんがために、責を外に帰すると云ふが如きは、本員等は断じて臣子の分に非ずと信ずる。(拍手起る「西園寺侯爵はどうだ」「間違つて居る」と呼ぶ者あり)殊に唯今の弁明に依れば、勅語は総て責任無しと言ふ、勅語と詔勅とは違ふと言ふが如きは、彼等一輩の、曲学阿世の徒の憲法論に於て、斯の如きことがあるかも知れないが、天下通有の大義に於て、そのやうなことは許さぬのである。(拍手起る)
 彼等がやゝもすれば、引いて以て己の曲説を弁護せんとするところのドイツの実例を見よ、ドイツ皇帝が、屡々四方に幸して演説を遊ばされる、その中には、頗る物議を惹起するところのものがある、天下騒然たるに至つて、総理大臣の主として仰ぐところのピューロ公爵は、総ての陛下の演説に対して、拙者その責に任ずるといふことを天下に公言して居るではないか。(拍手起る)演説に対してすら、総理大臣たるものは総て責任を負ふ、況んや勅語に対して責任を負わぬと云ふが如きは、立憲の大義を弁識せざる甚だしきものと言はなければならぬ。(拍手起る)殊に桂侯爵が、未だ内閣を組織せざる前、身内府に入つたときに、天下の物情如何であったかと云ふことは、侯爵自ら之を知らなければならぬ。
 惟ふに、公爵の邸にはただ纔(ヒタタ=わずか)にその道を踏まずして内府に入り、恰も新帝を擁して天下に号令せんとするが如き地位を取つたがために、幾通もの脅迫状、幾通の血を以て認めたるところの書面が参つたであらう。この一事を以て見ても、天下の形勢何処にあるかと云ふことは、ほぼ承知致さなくてはならぬ。
 彼等は常に口を開けば、直に忠愛を唱へ、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へて居りまするが、その為すところを見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執つて居るのである。(拍手起る)彼等は玉座を以て胸壁(キョウヘキ=とりで)となし、詔勅を以て弾丸に代へて、政敵を倒さんとするものではないか。斯の如きことをすればこそ、身既に内府に入つて未だ何をも為さざるに当つて、既に天下の物情騒然として、なかなか静まらない。況んやその人が常侍輔弼の性格──其人の性格として一点だも常侍輔弼と云ふ責任を執るべき資格ありや否やと云ふことは、公爵自ら承知して居らなければならぬ。(「ヒヤヒヤ」拍手起る)常侍輔弼なるものは、その品行端正、擧止(キョシ=立ち居振る舞い)謹厳、一挙一動帝王の師となるべき者にして始めて成就するのである。桂侯爵は、それ等の資格の一点をも備へて居るところがありますか。(「恥を知れ」「黙れ」と呼ぶ者あり)斯の如き性格の者が、玉座の蔭に隠れて、常侍輔弼の任に当り、而してその野心を逞うせんと欲すればこそ、天は人をして言はしめ、誰が教ふるとなく、天下物情騒然として定まるところがないのである。
 況んやその人が入つて未だ数ケ月を経ざるに、再び諸般の奇略を弄し、殊に 先帝崩御の後、天下皆憂愁の裡に沈むの場合に当つて、諸般の陰険なる策略を弄して、故(コトサ)らに平地に風波を捲起し、而して徐ろに優詔を拝して内府を出で来る、恰も吾々にあらずんば天下を治むる者なしと云ふが如き顔色をして、総理大臣の職に就くと云ふに至つて、天下の物情、益々騒然となると云ふことは、敢て怪しむに足らぬのである。(拍手起る)今日苟も眼ある者は、天下の形勢を見なければならぬ。如何に地方忠愛の士が、殊に醇朴なる地方の人々が、如何に今日の事態を憤慨して居るかと云ふことは、蓋し臺閣の裡に隠れて、天下の実情を識らざる者の予想の外であるでありませう。本員は近来地方を歩いて、余程この朴直なる人々に接しましたが、近来の事態、殊に桂侯爵の出入、皆優詔を煩はし、常にその責任を免れるが如き言動に至りましては、いづれの地の没分曉漢(ボツブンギョウカン=わからずや)と雖も、涙を以てその非行を語らぬ者はないのであります。(拍手起る)即ち吾々は已むを得ずしてこの物情に副ひ、冀くば国家今日の危急の状態に対して、民論のあるところを表明するがために、第一に於てこの宮中・府中の区別を紊ると云ふことを掲げて、彼総理大臣及その他の人々の反省を促すの目的に外ならぬ。吾々は好んでこの議を提出するにあらず、世間の形勢実に已むを得ざるのであります。
 殊に今日鋒(キッサキ)を逆まにして、吾々が天下の輿論を代表して内閣の反省を促すのを見て、恰も故(コトサ)らに平地に風波を起す如き言説を、彼れ臺閣の者が為しまするが、もともとその原因は、彼等が前内閣を倒して不法なる手段陰険なる方法を設けて前内閣を倒し、取つて之に代つたといふのが、そもそもこの大逆浪を捲起したる原因であつて、その形勢は恰も積水を決するが如き事態であります。実に怒濤の逆捲く所、何人と雖も之に対抗することが出来ないのである(拍手起る)この形勢を識らずして、徒に彼等の非行を助けんとするところの徒輩は、ただ自ら逆浪の中に葬らるゝの一法あるのみ(拍手起る)。又その内閣総理大臣の地位に立つて、然る後政党の組織に着手すると云ふが如きも、彼の一輩が如何に我が憲法を軽く視、その精神のあるところを理解せないかの一斑が分る。
 彼等が口に立憲的動作を為すと云ふ、併しながら天下の何れの処に、先づ政権を握り政権をさし挟んで与党を造るのを以て立憲的動作と心得る者がありますか。(「政友会あり」と呼ぶ者あり)凡そ立憲の大義として、先づ政党を組織し、輿論民意のあるところを己の与党に集めて、然る後内閣に入るといふのが、その結果でなければならぬのに、彼等は先づ結果を先にして、而してその原因を作らんとするが如きは、所謂逆施倒行の甚だしきものであつて、順逆の別を識らない者であります。(拍手起る)又斯の如き非行を見て立憲的動作等と考へて、これに服従する者があるに至つては、その無智また大いに驚くべきものがある。(拍手起る「妥協はどうだ」「黙れ」と呼ぶ者あり)又この議会の初に当つて濫りに停会を致したと云ふが如きも、現に彼等は立憲的動作の何物たるかを弁別せざるか、但しは之を知つて敢へて非立憲的挙動を為して憚らずと云ふことの証拠である。ただ予算の印刷が間に合わないと云ふがために議会を停会して、議会の権能を抑止するが如き乱暴狼藉なる挙動を為す非立憲的大臣が、天下何れの処にあります。(「ヒヤヒヤ」拍手起る)
 又本員等の提出したるとこの質問に答ふるところの有様を見るに、一も誠意の見るべきものなし。但し桂総理大臣の誠意を欠くと云ふことは、啻にこの一事に止まらず、彼が誠意において欠くるところあるは、天下万衆の皆認むるところでありまするが故に、彼如何に口に美なる事を唱へ、如何なる約束をしようとも、天下の人、多くは之を信じませぬ。蓋し之を信ぜしめんと欲すれば、啻に口に言ふのみならず、先づ之を実行に於て示さなければならぬ。実行に於て示すべき機会は幾らもあるに拘わらず、却つて実行に於ては、謂われなくして議会の停会を命じ、甚だしきに至つては詔勅と勅語の区別の如き事を述べて、人目を誤魔化し去らんとするが如きは、彼が凡その点に於て誠意なきの証拠である。斯の如き誠意無き者が、如何に立憲的動作をすると申したところが、真正にその事の行はれ
よう筈がない。若し行はんとするならば、吾々は謹んでその事蹟を見、然る後非難することである。
 今日桂公爵を談ずるものは、既往二、三十年間の桂公爵でなければならぬ。彼既往二、三十年間に於て何を致して居りましたか、一として非立憲的挙動ならざるなし。政党組織可ならざるにあらずとも雖も、彼の伊藤公が十余年以前、政党組織をされた時に、百方之を妨害したでは無いか。又更に溯れば、板垣・大隈諸伯の如きが、明治十四年、十五年の際に政党組織を致して以来、彼が如何にこの政党なるものを呪ひ、之を毒し、之を賊(ソコナ)ひしかと云ふことは、天下公衆の皆知って居るところであります。併しながら、彼もし三十年の後に於て過を悟つたといふことなら、吾々はその過を改むことを咎めはしない。彼若し十余年の前に於て伊藤公の政党を妨害したる過を悟つたと云ふならば、これまた過を改むることを非難は致さぬ、併しながら真に悟れる者は、真にその過を改むるの実を挙げなければならぬ。彼れ何を以て今日に於て改む実を挙げましたか。若しその実を挙げんとすれば、前二週間の停会中に於て、その事実を証明することが出来たのでありますが、その間為したところのことを見れば、僅かに政権を挟む利益を賄賂として、政党攪乱の仕事をしたと云ふ一事にあるのみである。凡そ朝憲を挟んで与党を募らんとするが如きは、非立憲的行為の最も甚だしきものである。吾々は第一波が頻りに 新帝を擁して、己の利を逞うすると云ふが如き挙動に対して、天下の公憤を漏らし、今日人天倶に憤ると言ふ事態を生じたるは、彼の挙動止むを得ざるものであつて、その原因は唯に彼の既往の事蹟、現在の所為、総て是にあるのである。彼自ら之を改むるにあらずんば、天下の物情は如何にしても之を鎮静することが出来ないと考へますが故に、聊か全国の公憤を漏らすためにこの決議案を提出した次第であります。(拍手起る)

   〔内閣総理大臣公爵桂太郎君登壇〕
内閣総理大臣(公爵桂太郎君) 諸君、唯今この議場に不信任案を提出相成りまして、尾崎君は数千言をを費やされまして、その説明を致されました。その初めに当りまして本官が内府より出でて総理大臣の重任を拝しました間、勅語濫発と云ふことを述べられました。その勅語の性質に於きましては、過刻元田君よりの御質問に対しまして余儀なく畏多くも本官は是に対する答弁を致しまして置きましたから、この尾崎君の説明致されましたところの箇条に付きましては、諸君は疾くに誤解を御解きになつたであらうと考へるのであります。又、決議案に御賛成になつた諸君は宜しくこの点に付いて誤解を御解き下さるやうに希望致すのである。ただこれ等のことは感情を以て、わつとなさるべきものではないと云ふことは本官の申すまでもないことである。(「感情論ではない」と呼ぶ者あり)また、数千言を費やされまして、私の数十年に於ける動作の御非難を御演説になりましたが、これには尾崎君に向つて御答弁をする必要はないと考へます、これ等は天下の人が公平なる判断を以て尾崎君の演説を判断するであらうと考へる、ただ勅語の一点に付きまして、その勅語に対しまして責任がないと言ふのではない。能くお聴きなさい、憲法第五十五条により副署を要するものにあらざることを云ふのであります。又必ずしも奏請を待つものでないと云ふことを言ふのであります。大命を奉ずる者がその責に任ずるは勿論のことであると云ふことを茲で明言致して置くのであります。どうか諸君、この議場の有様を見ますると多分誤解を御解きになつても、或は多数で御決議になるかも知れないが、本官は、どうか、かくの如き誤解のないやうに諸君の誤解は十分に御解き下さることを希望して已まぬのであります。

 

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