今月の21日、外交史料館において、湾岸危機(掃海艇派遣、避難民輸送)、海部総理訪米、ゴルバチョフ・ソ連大統領訪日、ソ連崩壊、海部総理訪中といった、1991年の外交案件に関する外交記録(ファイル等19冊分)が一般公開され、原本の形での閲覧が可能になったということです。
その中の湾岸危機に関わる「極秘文書」について、先日、朝日新聞が「掃海艇派遣 迫り続けた米国」と題して取り上げていました。
それによると、米政府は日本政府に対し、「目に見える貢献」を求め、①自衛隊の掃海艇派遣、②米海軍の追加的作戦費用の半分の分担(年間1億ドル)、③米軍艦の修理費用分担、④在日米軍経費負担の大幅増額という選択肢を示したということです。
その記事に関して見逃してはならないと思うことは、当時、アメリカの大統領が、自衛隊の掃海艇派遣を働き掛けた事実は報道されず、公表されてもいなかったことです。
また、アメリカが日本の憲法を知らないわけはないことを踏まえると、この働き掛けが、アメリカという国の対外政策や外交政策の本質をよくあらわしているように思います。
憲法に違反する自衛隊の掃海艇派遣を受け入れると、政権維持が難しくなるため、当時の海部政権がその代替策として実施したのが、130億ドルという莫大な財政支援でした。それも、アメリカの要求通りで、日本自らの積算根拠がなかった実態も判明したといいます。あきれます。
そうした歴史を頭に置いて、今回の岸田政権の防衛費増額をとらえると、アメリカの働き掛けに基づくものであろうことは容易に察しが付くことだと思います。中ロの台頭によって、アメリカの覇権や利益が危うくなっているといわれている現在、日本は、アメリカと一体となって、中ロに敵対しなければならない立場に、無理矢理、立たされているのだと思います。
アメリカの働き掛けが察せられるのは、「ニカラグアに対するアメリカの影響力行使と日米合同委員会」で取り上げたように、岸田首相が2023年~27年度の5年間の防衛費について、総額43兆円とするように浜田防衛相と鈴木財務相に指示したという報道があったからです。アメリカの働き掛けが、通常あり得ない防衛予算決定の手続きにあらわれたと思うのです。
防衛予算は、防衛省の関係者がさまざま状況を踏まえ計算して作成するものだと思います。部分的には、首相が指示することもあるかもしれませんが、 5年間とういう長期の防衛費を首相が指示するということは、手続き的にあり得ないことだと思います。現場を無視した決定であり、独裁的決定だと思います。
それを暗に非難しているのが、朝日新聞(12月23日付)の「防衛費増額への警鐘」と題する、元海上自衛隊自衛艦隊司令官、香田洋二氏に対するインタビュー記事です。香田氏は、「今回の計画からは、自衛隊の現場のにおいがしません。本当に日本を守るために、現場が最も必要で有効なものを積み上げたものなのだろうか」と疑問を呈しているのです。
だから日本は、アメリカの桎梏から逃れ、自主自立の道を進むようにしなければ、日本の富を収奪されるばかりでなく、第二のウクライナとして、利用される心配もあるように思います。
下記には、「清潔な女性を供給しようという韓国政府の努力」と題された文章があります。民主主義や自由主義を掲げるアメリカが、韓国の独裁者と手を結び、独裁政権を動かして、基地村買売春を、直接的、集中的に管理し取り締まる体制をつくらせているのです。
「在韓米軍 犯罪白書 駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部」徐勝+広瀬貴子(青木書店)には、すでに取り上げた2件の事件のほかに、強盗、強姦、殺人、暴行など16件の事件が取り上げられています。今回は、それらを省略し、「基地村」についてまとめられている文章の一部を抜萃しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
トピック 駐韓米軍と基地村(キジジョン)の女性
韓国の歴史を見ると、米軍や日本軍が、外国勢力または占領軍として売春をはじめとするさまざまな反社会的機能を韓国社会に根深く残したことがわかる。しかし長いあいだ、韓国人は日本軍が犯した蛮行について話すのとは異なり、米軍の存在と問題に対しては相当に寛大であった。いままで米国が韓国現代史のなかでどのような役割を果たしたのか、その過程で韓国社会に及ぼした政治的、文化的機能に対して韓国社会は問題としてこなかった。日本帝国を朝鮮半島から追い出した米軍の政治的、軍事的恩恵に対して、韓国国民はその代価を黙って支払わなければならない立場に置かれていたからである。とくに解放後、米軍政期間と朝鮮戦争を経ながら、韓国社会は米国を「兄の国」と考えることで、駐韓米軍の駐屯の必要性を事実以上に極大化させた。このような「反日、親米、反共」の雰囲気のなかで米軍犯罪や米兵らによる買売春問題は無視されてきた。そんななか、米軍は解放軍でなく、第二の占領軍としてこの地に駐屯しながら、韓国社会に多くの問題を生じさせた。買売春問題において果たした役割は非常に大きく、買売春文化を韓国に定着させ、米国と見まがう姿へとつくりあげた。米軍は解放後からいまにいたるまで、韓国社会で矛盾発生源として機能している。
要衝地ごとに基地村
韓国売春文化史をみると、米軍は解放直後、軍政実施の7なかで日本式の公娼文化を断絶させる中心的役割を果たしながら、同時に朝鮮戦争を経て新しい買売春文化を移植し定着させた存在であった、という事実がよくわかる。米軍は韓国の軍事的、社会的要衝地ごとに自分たちだけの買売春空間である基地村を形成して、新しい形の買売春文化を導入しながら、その基地村買売春文化を全国に拡散させた。米国式の基地村文化の定着は日本帝国植民地支配による朝鮮半島公娼化の過程より速い速度で進行した。その過程で過去の公娼構造が積極的に利用された。多くの米軍基地が、以前日本軍基地があった所にあり、過去に、日本軍を相手にした売春女性と商業地区も基地村女生と基地村へと変貌した。この過程で、国内で日本軍を相手にした売春女性だけでなく、中国や日本から九死に一生を得て戻ってきた日本軍「慰安婦」女性たちが、故郷に帰ることができず、今度は米軍基地村で売春をすることになるというひどいこともおこった。
朝鮮戦争以後、朝鮮半島全域には米軍が主要都市別に主力部隊を進駐させ、つづいて全国各地に米軍基地村が形成された。釜山の基地村は西面(ソミョン)一帯、別名「ハヤリヤ部隊」周辺と海雲台(ヘウンデ)の弾薬部隊、第三埠頭付近の輸送部隊、補給倉庫周辺の凡一洞(ボムイルドン)一帯と草梁(チョリャン)周辺が代表的なものである。富平(プビョン)と釜山は代表的な軍事後方都市として基地村化された。全基地村のなかで最も有名であったのは京畿道披州郡州内(チュネ)面延豊(ヨンブン)一里、別名ヨンジュコル一帯であった。そのほかにもヨンジュコルと隣接した延豊ニ里テチュボルとムンサン邑仙遊四里、披州里、そして抱川、東豆川、永北(ヨンブク)面ウンチョン里、議政府、ソウル市龍山の米第八軍本部をとりまく厚岩洞と梨泰陰一帯、平澤郡松炭邑新場里、烏山(オサン)、大田(テジュン)、大邱、倭館(ウェグァン)、春川、群山、木浦、鎮海にいたるまで首都圏と軍事的要衝地の米軍が駐屯する場所ごとに基地村ができた。
基地村文化は米軍と基地村女性を中心に形成され、彼らを顧客とするサービス業中心の生活圏が形成された。外国人専用酒場であるクラブや米兵、基地村女性、米軍基地PX(売店)から流出する外国製品販売の責任者、闇ドル商、売春宿の主人、美容院、クリーニング店、洋服店、写真館、土産物店、肖像画店、ビリヤード場、国際結婚仲介業などの商人たちを中心として特殊な形態と機能をもつ基地村が形成され、新しい基地村文化が定着して拡散した。このように解放後の米軍政から始まった米軍の駐屯により全国のいたるところが米軍基地になり、貧困のためなんらか生存手段を探す多くの韓国女性を基地周辺に引き込み、さらにその周りに彼女たちに寄生して生計を立てようとする多くの韓国人が集まった。
これまで、どれほど多くの基地村女性がいたのか調べるのは不可能である。売春のかたちがクラブ売春から契約同居まで多様であり、潜在的な売春女性まで含めて考えるとその数を把握するのは困難といえる。概算すると約40年間の基地村売春女性 の総人口は25万から30万人と数えられる。基地村が最も活況を呈した1960年代中盤には、3万人の基地村女性がおり、80年代初めにいたって2万人に減少した後、90年代はじめには再び急増している。
米軍から直接受けた被害
基地村が繁盛するにつれ、韓国人が米兵から受ける被害も多くなった。しかし韓国社会のいずこにおいても、このような問題について知らせたり、問題を発生させる主体を明らかにしようという努力はそれほど多くなかった。そのような努力があったとしても、それはすぐに「反米」や「容共」と罵倒された事実はだれでも知っているだろう。
基地村女性は米軍に最も近いので、米兵がひきおこす犯罪の被害者になるよりほかなかった。以前に比べて犯罪は発生件数はいくらか減っているかも知れないが、依然として女性たちは米軍から被害を受けつづけている。このことは、東豆川で92年の尹クミ氏と、96年の李基順氏が米軍人により残酷に殺害された事件をみるだけでも証明される。また「友好国」の軍人として「おまえたちの国を守ってやっているという、多くの米兵の意識は、基地村女性への態度としてそのまま現れている。
清潔な女性を供給しようという韓国政府の努力
1971年夏、米軍のあいだに人種差別が原因で白人・黒人間のケンカが基地村ごとにくり広げられた。米軍当局がこのケンカを仲裁する過程で、米兵たちの要求事項のなかに「基地村の女性たちは汚い。我々は韓国を助けるために来たVIPなのに待遇があまりにも粗末である」という不満が多くあった。それで米軍当局は韓国政府に基地村の浄化を要求した。ちょうど韓国政府は米国の在韓米軍縮小政策と関連して顔色をうかがっていたときだ。
60年代末から米軍撤収説が広まると「ニクソン・ドクトリン」が発表されて、60年代末には約6万2000人であった米軍から71年には約2万人が撤収し約4万5000人水準になった。駐韓米軍は歴代の韓国独裁政権を維持させるのに決定的な役割をしてきたため、米軍が撤収するということはそのまま朴正煕政権が危うくなることを意味した。朴政権は米軍当局の要求を即刻受け、その前までは保社部(保健社会部)で個人病院に依頼したり米軍により不定期におこなってきた性病診療を、毎週実施するようにして全国の基地村に性病診療所を建てた。韓国政府が基地村買売春に深く介入し、直接的、かつ集中的に管理と取り締まりを実施するようになったため、基地村買売春は公娼の性格を帯びてきた。