真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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「ラッセル法廷」、アメリカの戦争犯罪を裁く

2023年02月10日 | 国際・政治

 アメリカは第二次世界大戦後も、あちこちで武力を行使し、戦争をくり返してきました。
 そして、数々の戦争犯罪を犯してきたと思いますが、戦争犯罪を犯したのがアメリカの場合、国連や国際司法裁判所などの国際組織が機能したことはないと思います。そこに、軍事大国であり、経済大国であるアメリカの影響力の大きさが示されていると思います。

 でも、そんな国際社会に抗い、いわゆる「ペンタゴンペーパーズ」によって、でっち上げが明らかになったトンキン湾事件を発端とするアメリカ主導のベトナム戦争を裁くために、民間人であるイギリスの哲学者が立ち上がりました。世界的な哲学者で、1950年にノーベル文学賞を受賞しているバートランド・ラッセル(Bertrand Russell, 1872年~1970年)が、法律の専門家その他を招請し、多くの人たちに協力を呼びかけ、いわゆる「ラッセル法廷」と呼ばれる「民衆法廷」を開いたのです。

 下記は、ベトナム戦争におけるアメリカの戦争犯罪を裁くためにラッセルが中心となって開いた「ラッセル法廷」の開廷にむけ、「人類の良心」に訴える呼びかけです。
 ベトナム戦争で、アメリカが、国際法が禁じている武器(毒ガスや化学物質その他)を使い、学校や病院などの民間施設を爆撃し、拷問などの残虐行為をくり返していることが明らかであり、アメリカの戦争犯罪を黙認してはならないと、ラッセルが訴えたのです。

 でも、アメリカが受け入れることはありませんでした。
 だから、湾岸戦争に関して、今度は、ラムゼイ・クラーク元アメリカ司法長官の呼びかけによって、湾岸戦争時のアメリカの戦争犯罪を問う、いわゆる「クラーク法廷」という「民衆法廷」が開かれることになったのだと思います。

 アメリカが、自国の戦争犯罪を、国連や国際司法裁判所などの公的な組織に裁かせないばかりではなく、こうした「民衆法廷」の裁きの影響力拡大を抑え、乗り越えることができるのはなぜなのか、と私は考えます。
 思いつくのは、やはり圧倒的な軍事力と経済力、また、それらに支えられ、世界中に張りめぐらされたCIAやNSA(国家安全保障局:National Security Agency)というような組織の情報収集力や指導力だろうと思います。 
 グローバルノートの「世界の軍事費(軍事支出)国際比較統計」によると、アメリカの軍事支出は突出しています。最近支出を増やしている中国の倍以上の軍事支出をしているようです。また、武器輸出額でも、アメリカは突出しています。
 今まで、そうした圧倒的な軍事力や経済力で、他国がアメリカの利益に反するようなことをしないように影響力を行使するとともに、反米的な国家や組織、団体の影響力が拡大するのを、時に武力を行使しながら抑えてきたと思います。そして、そうした力を維持するために、アメリカは常に最先端の武器を開発し、大量に生産して、武器の売却や戦争をくり返す国になっているのだと思います。

 なぜなら、圧倒的な軍事力を維持しないと、アメリカの絶対的な影響力も維持できず、多くの利権を失うとともに、世界中で反米的な動きが激しさを増すことになるのだろうと思います。だから、アメリカは常に最先端の武器を開発し、生産を続けて、軍事産業が衰退しないようにしつつ、他国に武器を売却したり、戦争をしたりして、それを様々な利権の維持・獲得にも結びつけてきたのだと思います。

 そんなアメリカも、最近、工業生産額で中国に追い越され、「覇権国家アメリカの盛衰」とか「超大国アメリカの没落」などということが、あちこちで語られるような状況に追い込まれているようです。
 だから、”CIA長官が言及、「27年までに台湾侵攻準備 習氏が指示」”というよう報道が、アメリカのあがきのように思えて、とても気になります。
 アメリカが、中国の弱体化や孤立化をねらって、台湾有事を現実のものにし、限定的ではあっても、台湾と中国との武力衝突に、日本や韓国やフィリピンなどを巻き込むのではないかと心配なのです。

 本来、アメリカが台湾の政権に近づき、「台湾独立」を働きかけたり、大量の武器を売却したり、南シナ海で共同の軍事演習をしたりして、中国に敵対する動きをしなければ、中国が台湾に侵攻する必然性は少しもないと思います。アメリカが、意図的に中国の台湾侵攻を画策しているように思うのです。
 だから、日本は、あくまでも法や道義・道徳に基づいた政策を進め、アメリカと距離を置く方向に進まないと、危ういと思います。軍事費の大増額などとんでもないことだと思います。台湾有事の際、指揮権はアメリカが握るのであって、戦闘を始めるのも、終らせるのも、アメリカだろうと思います。

 下記は、「ラッセル法廷─ベトナム戦争における戦争犯罪の記録─」ベトナムにおける戦争犯罪調査委員会編(人文選書8)から、「人類の良心に」を抜萃しました。
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                      人類の良心に
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 アメリカの良心に対する私の訴えは、ベトナムにおける戦争犯罪と、アメリカ人自身の生命とのあいだの関係をアメリカ人民のまえに提起しようとするものである。あの紛争にまきこまれているのはアメリカ人民だけでなく、われわれのすべてなのだ。世界の世論と世界の行動が、あの途方もない残虐行為をやめさせなければならない。そうしなければ、アイヒマンが全人類にのりうつることになろう。われわれは──アイヒマンは言った──「ただ兵器を供給しているだけだ」。
 これにたいして、ホセ・マルティは言った、「犯罪を無関心に見まもっていることは、犯罪をおかすのと同断である」。
 アイヒマンは人類の堕落を、何も知らない人びとを、考えることをしない人びとを、何にも関心をもたぬ人びとを象徴している。マルティは、思いつめた、妥協を知らぬ態度で、人間の責任感を表明し、また、ぞっとするような惨事、道徳的な責任回避に平然としている態度に心の痛みを表明した。西方世界の知識人で、アメリカ政府がベトナムで挑発している戦争について熟知しないものはほとんどいない。マス・メディア、わけてもテレヴィジョンと雑誌は、アメリカ政府とそのかいらい政府の部隊がベトナムでおかしている残虐な行為の動かしがたい歴然とした証拠を定期的に報道してきた。農民や、解放民族戦線側から捕らえられた捕虜を不具にしたり、拷問にかけたりしたさまをうつした写真が、『ニューヨーク・タイムズ』『ニューヨークヘラルド・トリビューン』『ワシントン・ポスト』その他多くの新聞の第一ページに載った。『ニューズウィーク』『タイム』『ライフ』『ルック』誌は、ベトナムで作戦しているアメリカ軍が隣、毒ガス、化学物質、ナパームをつかっている写真をたくさん載せてきた。「ベトコンを煙にまいてしまう」とか「燐は猛毒ガスだ」といった見出しと一緒に、写真が、こうした雑誌には載っていた。
 病院、学校、結核療養所の無差別爆撃も報道されてきた。西側の新聞に報道された写真、資料、情報をまとめるだけでも、ドイツがニュールンベルクで断罪される理由になったと同じくらい多くの恐るべき犯罪の一覧ができあがる。
 合衆国最高裁の首席検察官ジャクソンは、ニュールンベルクでの最初の証言で述べた、「本法廷の原告は文明である。文明は、法というものが完全に無力なほど怠慢なものかどうか──ドイツがおかした途方もない犯罪を裁くには無力なものかどうか──を知ることを要求している。文明は、本法廷が国際法とその適用、その禁止条項、その制裁力の大半を平和のために役だてることをのぞんでいる」
 ニュールンベルクの先例は、現在の状況にもあてはまる。その点は、ジャクソン検事によって以下のように表現された──
 「世界平和にたいする犯罪を告発する将来の法律家ないし国家は、たしかに、そうした告発には先例がなく、したがって──含意的には──それが適法でない、というような主張に直面することはないであろう」。
 われわれは、1966年に戦争犯罪法廷を提案したとき、いまの情勢がニュールンベルク裁判をもとめたときの状況に類似している、と主張した。われわれはいま、25年前にユダヤ人がガス室で絶滅させられた当時に世界が感じたのと同じような気持ちでいる。われわれは、ベトナムで犯されている犯罪に抗議して発言するのをおさえることができない──いやむしろ、叫ばざるをえないのである。
 われわれの見解では、圧倒的な証拠、反証のない証拠があり、それらは西方諸国自らのマス・メディアをつうじて日々暴露されている。われわれの戦争犯罪糾弾を裏づけるこれらの証拠によって、われわれは、一種の調査委員会として機能する「国際法廷」を組織する気持ちに駆られたのである。
 それでは、本法廷の性格はどういうものであるか? 被告側は自由に法廷に出頭することができるが、出頭を強制されるわけではない。法廷は、被告に判決を下し、あるいは制裁を課する権限をもたない。法廷はいかなる政府のスポークスマンでもない。
 こういった事実は、(法廷に)なにか別途の手続きを要求している。というのは、被告側が弁護の証言をおこす可能性がなければ、裁判は成り立たないからである。見せかけの裁判では、本法廷の諸要求に役立たない。戦争犯罪法廷はそれゆえに、どちらかといえば一種の国際調査委員会となるであろう。それはちょうど大陪審の場合のように、おかされたと判断される犯罪を調査するに十分な、反証のないかぎり有効な証拠をもっている。
 本法廷の影響力は、参加するメンバーの傑出度と、彼らが何を代表しているかとにかかっている。彼らは、不当または不正な証拠を出すなどとはだれひとり非難できぬような、非の打ちどころのない人びとである。この点は強調されなければならない。なぜなら、犯罪がおかされたと信ずる人びとは、事件を公平に審理することができない、と強弁する人びともいるだろるからである。これは、開かれた心と空虚な心とを混同するようなものである。本法廷が召集されようとしているのは、恐るべき犯罪と残虐行為が一小国に対して現にこの瞬間もおかされているという牢固たる革新をわれわれがもっているからである。本法廷は大陪審のやりかたにならい、あらゆる証言を正しく評価するであろうが、法廷が証言を聴取するのは、犯罪が現におかされていると確信するからである。
 本法廷は、ベトナムで使用されている化学物質、ガス、その他の兵器の性質、属性、効果をきわめて綿密に調べるであろう。200人以上の証人および犠牲者が、証言のためにベトナムからくるであろう。科学者や兵器専門家が、その鑑定結果を提出するであろう。医師、看護婦、ジャーナリスト、その他の証人が証言するであろう。爆撃や犠牲者のフィルム、写真が、法廷の検討にゆだねられるであろう。証人の証言、法廷の審理、証拠を撮影したドキュメンタリー・フィルムがつくられるであろう。聴聞は記録され、つくられた記録は広く頒布されるであろう。すべての資料と証言は、公刊されるであろう。
 法廷の成立を公表しただけで、きわめて大きな関心と国際的な支持があつまった。多くの国で、裁判を支持する自主的な活動がおこなわれてきた。人びとに法廷構想の支持をよびかけるアピールが至るところで配布され、多くの国で連帯委員会がつくられた。法廷にかんする集会や討論が組織された。こうして、法廷の成立を支持するかなりの意思表示がすすめられたことは、明白になりつつある。法廷はパリで聴聞をおこない、十二週間つづくであろう。
 戦争犯罪法廷を成立させるイニシアティブは、バートランド・ラッセル平和財団ではじめられた。われわれは、人間文明に特別に寄与した経歴のある有徳な傑出した人物を招請した。そのなかにはユーゴスラヴィアの博士で教授のウラジミール・デディエ、国際法学者で『インターナショナル・ソシアリスト・ジャーナル』編集者のレリオ・バッソーがいる。
 そのほかのメンバーにはオーストリアの作家ギュンター・アンデルス、フランスのシモーヌ・ド・ボーボワールとジャンポール・サルトル、メキシコ前大統領ラザロ・カルデナス、SNCC会長ストークリー・カーマイケル、国連食糧農業機構の元議長だったブラジルのホスエ・デ・カストロ、イギリスの歴史家アイザック・ドイッチャー、シチリアのダリオ・ドレイ、スウェーデンの劇作家ペーター・ヴィアスがいる。
  法廷は明らかに、著名で、かつ地理的な代表となるようなかたちで構成される。法定メンバーたちの重要な職務のため、すべてのメンバーがパリに十二週間とどまあることは出来ないであろう。法廷の法律顧問たちが証人らの証言を聴取し、その結論を法定メンバーたちに──彼らがどこにいるにしても──提出するであろう。聴聞の最後には、法廷の判定が公表されるであろう。
 法廷の開催にさいしては、世界的規模で強く支持が要請されるであろう。
 合衆国にたいする解放戦線およびベトナムのレジスタンス側の暴力という問題をとりあげる人びとがいる。戦争犯罪法廷はアメリカの侵略にたいするベトナムの抵抗を犯罪として検討するつもりはない。それはちょうど、ニュールンベルクの法廷がワルシャワ・ゲットーの蜂起、ユーゴの生きのこるためのゲリラ闘争、ノルウェーのレジスタンス、デンマークの地下活動、フランスのマキの活動を犯罪と考えなかったのと同様である。法廷が断罪したのはゲシュタポであって、ゲシュタポの犠牲者ではなかった。この点はニュールンベルク法廷における核心のアイディアであったから、それはベトナム戦争犯罪法廷によっても尊重されるであろう。
 被告側の証人に本法廷への出廷を強要することは不可能であるが、法廷は、被告側を代弁する証人からも聴聞する用意がある。ただし、それは合衆国によって正式に弁護に立つよう指示されたものにかぎる。
 合衆国の行動を弁護するのに、権限のない証人をみとめるわけにはいかない。そんなことをみとめるなら、アメリカ政府によって不当かつ不正とみなされることは避けがたいし、アメリカ政府は、アメリカ政府を弁護するという問題は同政府みずからの責任に属する問題だ、と強く主張するであろうからである。
 本法廷は、法廷の責任が文明と人類にたいするものであることを考慮している。
 合衆国最高裁のジャクソン首席検察官は、ニュールンベルクで言った、「ある行為または条約侵犯が犯罪であるとしたら、そのときにはそれは、合衆国、ドイツのいずれがおかしたものであれ、犯罪である。われわれは、自分にたいして適用するものがないとしたら、他人に適用する犯罪行為の原則をさだめる気にならない」。本法廷は、そうした犯罪がふたたびおかされたということ、そしてそれに責任あるすべての人びとが裁きをうけなければならないという確信にもとづいて召集された。
 ニュールンベルク法廷が戦勝国によって戦敗国にむけられたものであったということは、指摘しておくべき重要な点である。戦争犯罪国際法廷は、勝利によっても、またいかなる国家の権力によっても権限を賦与されていない。それはただ、世界じゅうの高潔な人びとの感情にたいする訴えである。国際調査委員会はベトナム全土を旅行し、証拠を収集するであろう。
 すべての国の人びとよ、戦争犯罪国際法廷に手をかしたまえ。
 本法廷を人類の良心の法廷せよ。

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