真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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バルフォア宣言と欧米の支配

2024年01月18日 | 国際・政治

 第二次世界停戦前、欧米はアジア、中東、アフリカ、中南米などの国々を植民地とし、搾取・収奪を続けていました。
 戦後、多くの植民地が独立しましたが、搾取・収奪がなくなったわけではないと思います。欧米は、かつての植民地に対して、政治的独立を認めながら、経済関係や軍事同盟などを通じて、巧みに植民地時代とかわらない関係を維持し、搾取・収奪を続けていると思います。
 変ったのは、直接的な権力の行使による搾取・収奪がなくなったということだけであって、本質的な関係は、植民地時代とそれほど変わっていないと思うのです。
 だから、欧米の繁栄は、そうした世界支配に支えられてきたといっても過言ではないと思います。
 そして今、ガザやヨルダン川西岸地域でイスラエルが続けている人道犯罪は、その延長線上にあると思います。
 下記は、「君はパレスチナを知っているか」奈良本英佑(ほるぷ出版)からの抜萃です。イギリスの二枚舌外交を象徴する「バルフォア宣言」は、第一次世界大戦中のものですが、イスラエルの独立は第二次世界大戦後のことであり、欧米の植民地支配的な政策が、そのまま進めらているといえるように思います。同書の著者、奈良本英佑教授も、”そしてこの大戦中とそののちのイギリスの政策が、「パレスチナ問題」と今日呼ばれているやっかいな問題の発生に決定的な役割を果たしたことは、誰もが認めている。”と書いています。

 イスラエルは、空爆をくり返し、さらに、地上軍をガザ市街に侵攻させ、避難せず市街に残っていた市民のみならず、指示に従って避難した市民をも無差別に殺し続けています。その多くが女性や子どもであると言います。イスラエルの政府や軍は、「ハマス殲滅」のための空爆であり、攻撃だと言うのですが、実は、ガザやヨルダン川西岸地域に住む「パレスチナ人の殲滅」を意図的にやっているのだと思います。
 ハマスのイスラエル襲撃で死んだ人は1200人といわれ、その後その数にほとんど変化はありませんが、パレスチナ人の死者はその20倍をこえたことが報道されています。ハマスが運営するガザ地区の保健省のデータによると、7日間の一時戦闘休止期間を除き、紛争開始から現在まで、1日当たり平均300人近くが殺されているということです。
 世界保健機関(WHO)のリチャード・ブレナン地域緊急ディレクター(東部地中海地域担当)は、この数字は信頼に値するとしている。”と言っています。また、保健省によると、”ガザでの死者数は病院で死亡が確認された人しか集計していない。倒壊した建物の下敷きになっている死者や、病院に運ばれずに埋葬された死者は含まれていないため、ガザ地区の医師らは、実際の犠牲者数はさらに多い可能性があるとしている”ということです。
 だから、イスラエルの人道犯罪を、国際司法裁判所に提訴した南アフリカの弁護団が、”イスラエルの政治指導者や軍のトップ、公職者らが明確な言葉でジェノサイドの意図を宣言した”、と指摘し通り、この戦争は自衛の戦争などではないのです。イスラエルの政治家や軍人に、パレスチナ人とは共存できないと公言している人たちがおり、その人たちがイスラエルの戦争を主導しているということです。

 だから、そうしたイスラエルの人道犯罪を受け入れることのできない人々が存在することは、当然だろうとと思います。
 先日、イエメンのフーシ派、ナセルディン・アメル報道官は、攻撃対象を米国の船舶にも拡大すると述べたといいます。
 アメル報道官が、テレビ局アルジャジーラに対し「われわれが標的とする船舶は必ずしもイスラエルに向かう船舶である必要はない。米国の船舶であれば十分だ」と主張したことが報じられました。
 大事なことは、西側諸国では、ほとんど報じられていませんが、紅海の船舶攻撃が、無差別なものではなく、イスラエルに向かう船舶に対する攻撃であったという事実です。
 にもかかわらず、アメリカ主導の軍が、イエメンフーシ派の拠点に対する攻撃に踏み切ったので、アメル報道官は、攻撃対象の拡大を公にしたということです。

 米英軍のイエメン・フーシ派拠点に対する攻撃が、国際社会の同意を取り付けていないばかりでなく、事前に何の話し合いも行われていないことも見逃すことができません。
 民主的な手続きを踏むことなく、再びアメリカの軍事力が行使されたことは、重大なことだと思います。逆らうものは容赦しないという軍事力の行使は、植民地時代と何ら変わらないと思います。 
 バイデン米政権は、イエメンのフーシ派を「特別指定国際テロリスト(SDGT)」に再指定する計画だといわれます。アメリカに逆らう国や組織は、すべて「独裁国家」であり、「テロ組織」なので、アメリカの軍事力行使は、当然だという考えなのだろうと思います。

 でも、下記のような報道を合わせて考えると、事実がそれほど単純ではないことが窺われると思います。
マクロン仏大統領は会見で、フランスは地域の情勢緊迫化を避けるため米主導の攻撃には参加しないことを選択したと説明。紅海で取っている「防衛的」な姿勢を堅持すると述べた。

英国は紅海の紛争に巻き込まれることは望まないとしつつ、航行の自由を守ることにコミットしていると表明。シャップス国防相はスカイ・ニュースで、フーシ派拠点へのさらなる攻撃の可能性について状況を見守る考えを示した。
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                                          大国のエゴイズム

 バルフォア宣言
 シオニズム運動の成功にもっとも大きな力を貸したのはイギリスだった。この成功の記念碑は、なんといっても、1917年の「バルフォア宣言」だ。
 これはイギリス政府がシオニズム運動の目的を支持することを、はっきりとうたったものだ。この支持をとりつけるには、ワイツマンが非常に大きな役割を果たした。「政治的シオニズム」と呼ばれる運動がバーゼルでスタートしてわずか20年後に、大部分の人々が「夢物語」だと考えていたものが「正夢」になったのだ。
 「バルファ宣言」が出されたのは、第一次大戦のまっただなかだった。
 イギリス、フランスを中心とする「連合国」側、ドイツを中心とする「同盟国」側との生死をかけた戦いの行方は、まだはっきりしているとはいえなかった。この世界大戦が、シリア・パレスチナだけでなく、「中東」と呼ばれる地域のその後の運命にどれほど大きな影響を与えたか、いくら強調してもしすぎることはない。そしてこの大戦中とそののちのイギリスの政策が、「パレスチナ問題」と今日呼ばれているやっかいな問題の発生に決定的な役割を果たしたことは、誰もが認めている。
 イギリスの「二枚舌外交」とか「三枚舌外交」という言葉は、パレスチナや中東の現代史をテーマにした本には必ずといっていいほど出てくる。問題は、イギリスだけを悪者にしてすむほど単純ではない。だが、当時、最大の世界帝国だったこの国の外交政策をよく調べてみることは、パレスチナ問題を歴史的に理解するのにたいへん役に立つ。

 遺産ぶんどり合戦
 第一次大戦は、中東から見た場合、「瀕死の病人」オスマン帝国の遺産ぶんどり合戦にほかならなかった。
 形のうえでは、オスマン帝国はドイツ側につくのだが、この大戦の実態は、イギリス、フランス、ドイツを中心とするヨーロッパの強大国、いわゆる「帝国主義列強」によるオスマン帝国の分割戦争だったといってよい。別の言葉で言うと、あの「東方問題」に決着をつける戦争だった。だから帝国主義列強の代表格であり、中東での分割戦争に最大の勝利を収めたイギリスが、この分割戦争の中でどのように振舞ったかということが人々の関心を引くのである。つまり、この大戦前の「東方問題」から、どのようにして戦後の「中東問題」が発生したかを見るのに、イギリスの外交政策というプリズムを通すと非常にわかりやすいのだ。さて、そのような外交政策の産物の一つである「バルフォア宣言」とは、どういうものか。日付は1917年11月2日、ロシアの11月革命の5日ばかり前だ。
 「イギリス政府は、パレスチナにユダヤ人のための民族郷土を建設することを好ましいことだと考える。わが政府は、この目的の達成を助けるために最善の努力をするだろう。ただし、次のことはははっきりと理解しておかなければならない。パレスチナに存在している非ユダヤ人社会の市民的・宗教的権利、あるいは他の諸国に住むユダヤ人の権利や政治的地位をそこなうことは何もしてはならないということである」
 全文を少しかみくだいて意訳するとこのようになる。英文にしてわずか119語の短いものだ。非常にまわりくどい言い方をしているのに気づくだろう。しかも、この「宣言」は、バルフォア外相が、ロスチャイルドという富豪への手紙を通じて、イギリスのシオニスト組織への伝達を依頼するという、間接的な方法で行われた。この表現といい、伝達方法といい、当時のイギリス政府が八方に気をつかわねばならなかったことを物語っている。

 だが、この宣言の意味を解くカギは「パレスチナに存在している非ユダヤ人社会の市民的・宗教的権利」といういいまわしにある。
 当時のパレスチナの人口は、ざっと70万人。うち「ユダヤ人」は約6万人とみつもられている。ここの「ユダヤ人」には、アラビア語を話す現地のユダヤ教徒と、ヨーロッパから移民してきたユダヤ人とがふくまれる。「非ユダヤ人」社会の大部分はアラビア語を話すムスリムとキリスト教徒、つまり「アラブ人」だが、こちらが人口の90%以上を占める。住民の圧倒的多数派なのだ。
 ところが、この宣言を読むと、まるでユダヤ人の方が多数派で、アラブ人の方が少数派であるかのような印象を受ける。実は、このユダヤ人を多数派にして、アラブ人の方を少数派に転落させるというのがシオニストの本当のねらいだったのだ。
 また「市民的・宗教的権利」とはいいながら、「政治的権利」とはいっていない。これは、パレスチナの多数派である「非ユダヤ人社会」が、将来、ひとつの独立国家を要求しても、認められるとは限らないことを暗示しているのだ。大戦後の外交交渉の中で、イギリスのライバルになったフランスがこの点をついている。これは、連合国側が戦争目的としてかかげた「民族自決」の原則に反するのではないか、と。
 ここでひとつ注意してほしい。そもそも、パレスチナの住民を「ユダヤ人」と「非ユダヤ人」に二分する考え方は、ヨーロッパから持ち込まれたものだ。現地の人々が「アラブ人」という場合は、ムスリム、キリスト教徒だけでなく、ユダヤ教徒も含んでいた。
 宗教のちがいを利用してこの地域の人々の関係を引きさくやり方が、「東方問題」の産物であることは、第一章にも書いた。このように、バルフォア宣言は、イギリスの「東方問題」への対応、つまり東方政策」から生まれたものということができる。
バルフォア宣言ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー資料
 親愛なるロスチャイルド卿

 イギリス政府を代表して、私は、ユダヤ人・シオニストの願望への共感を表す、以下の宣言をお伝えします。これは閣議で承認されたものです。
「イギリス政府は、パレスチナにユダヤ人のための民族郷土建設することを好ましいことだと考える。わが政府は、この目的の達成を助けるために最善の努力をするだろう。
 ただし、つぎのことは、はっきりと理解しておかなければならない。パレスチナに存在している非ユダヤ人社会の市民的・宗教的権利、あるいは他の諸国に住むユダヤ人の権利や政治的地位を損なうようなことは、何もしてはならないということである」
 この宣言をシオニスト連盟にお伝えいただければ幸いです。
                                    1917年11月2日

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