先日取り上げた毎日新聞の、「世界の分断を深めぬよう」と題する記事には、下記のようにありました。
”中東やウクライナで戦火が長引き、国際情勢は不透明さを増している。大国が覇権争いに走り、世界の分断を深めることがあってはならない。中国、ロシア、インドなど有力新興5カ国の枠組み「BRICS」に今年、イラン、エジプトなどが加わり、9カ国になった。”
この主張は、言い換えれば、アメリカの覇権に抵抗するな、「BRICS」の拡大は世界の分断を深める、ということだろうと思います。
これが、大戦後、アメリカが主導してきた西側諸国の世界認識なのだと思います。そしてそれは、バイデン民主党政権の隠れた政府といわれる「ディープステート(DS)」の世界認識なのだろうと疑うのです。
その理由の一つは、日本の主要メディアの論調が、ほとんどアメリカの戦略に基づいていると考えられるからです。バイデン民主党政権の政治の根幹を批判するような論調はありませんでした。
朝日新聞は、朝日新聞デジタル連載【そもそも解説】に「ロシアはなぜ侵攻したのか? ウクライナ危機の背景」と題する記事を掲載しました。
”ロシアが2月24日にウクライナに攻め込み、戦争が始まりました。ウクライナ市民の犠牲は増え続けており、国際社会からはロシアへの厳しい非難の声が上がっています。ロシアはなぜ、「兄弟国」とも言われた隣国に侵攻したのでしょうか。「ウクライナ危機」の背景をまとめました。”
ということで、下記のように指摘しています。
”ウクライナはかつてロシアを中心とするソ連の構成国でしたが、ソ連が崩壊したことで独立。いまのウクライナのゼレンスキー政権は親欧米で、NATOへの加盟を目指しています。ロシアにとって、これはがまんがならない。そのため、いろんな理由をつけてゼレンスキー大統領を何とか武力で排除し、ロシアに従順な国に変えてしまいたいのです。ウクライナを影響下に置けば、地理的にもNATOに加わっている国々とロシアとの間のクッションにもなります。
でも、戦争の代償の大きさを考えれば、攻撃の開始を理性的に判断したのかどうかは疑問が残ります。プーチン氏はかねて、ウクライナ人とロシア人は「歴史的に一体だ」と主張し、ウクライナを独立した存在として認めてきませんでした。そうした独自の歴史観や国家観が影響した可能性も否定できません”(https://www.asahi.com/articles/ASQ3Q7XHRQ3LUHBI03X.html)。
ウクライナ戦争は、プーチン大統領の歴史観や国家観が影響しているというようなウクライナとロシアの関係史を無視した考え方は、アメリカの戦略に基づくものだと思います。そしてそれは、世界はアメリカが中心でなければならず、アメリカの覇権に抵抗することが、「世界の分断を深める」ことであるという考え方に行きつくのだと思います。
でもそうした覇権大国アメリカを中心とする考え方は、中国やロシアが主導する「BRICS」に結集する国々や、「BRICS」加盟を希望している国々の主体的な選択を認めないということだと思います。
アメリカを中心とする西側諸国は、「BRICS」の拡大を阻止したり、「BRICS」を無力化したりしようと躍起になっているようですが、「BRICS」は、覇権大国アメリカのグローバル化を受け入れ、アメリカに寄り添うことで富と権力を確保しようとしてきた西側諸国の支配層に対する、アフリカや中南米、中東やアジアの国々の将来を熟慮した選択の結果、拡大しているのだと思います。
それを受け入れないことは、民主主義を掲げる西側諸国の自己否定にほかならないと思います。だから、世界の分断を深めるのは、「BRICS」を主導するロシアや中国でなく、覇権大国アメリカとアメリカに寄り添うことで富と権力を確保しようとしてきた西側諸国の支配層だと言ってもよいと思います。
下記の動画で、アメリカ合衆国のリンゼー・グラム上院議員は、なぜウクライナを支援するのかを語っていますが、プーチンを壊滅させなければならない理由は、ウクライナに数兆ドルの資源があるからだというのです。その資源がプーチンの手に渡らないようにしなければならないというのです。そうすれば、何兆ドルもの利益を得ることができるのだというのです。
こんな理由で、他国を戦争に駆り立てるような覇権大国アメリカとアメリカに寄り添うことで富と権力を確保してきた西側諸国の支配層の政治に苦しめられてきた国々の選択が、「BRICS」の拡大ではないかと思います。
下記は、「ウクライナを知るための65章」服部倫卓・原田義也編著(明石書店)の「第63章」を抜萃したものですが、ウクライナの対ロシア関係をさまざまな角度から論じ、次のような文章で締め括っています。
”このように、文明的だったはずの離婚から四半世紀を経て、今さらながら泥沼の離婚劇の様相を呈しているのが、今日のウクライナ・ロシア関係である。現下ウクライナの反ロシア的な政策路線は、ロシア側の措置への対抗策である場合もあるし、ウクライナの安全保障上やむを得ない場合もあるだろう。しかし、ウクライナの右翼的な勢力がスタンドプレーとして反ロシア政策を掲げ、政権もその風潮に乗って大衆迎合的にそれを取り入れている傾向も目に付く。経営難や貧困から国民の目を逸らすために反ロシア政策を採り、それがロシアとの関係を悪化させ、それによってさらにウクライナの経営難と貧困が深刻化するという悪循環が見られる。ウクライナとロシアの対立のエスカレートでより深く傷つくのは体力の弱いウクライナ側であり、この不毛なループに一日も早く終止符を打つべきだろう。” (服部倫卓)
ウクライナ戦争が始まる前、ウクライナを知る人は、ウクライナの国民を欺くようなロシアに対する攻撃的政治姿勢に警鐘を鳴らしていたのです。
でも、ウクライナ戦争開始後、日本のメディアに登場した専門家と言われる人から、私は、一度もこうした実態を聞きませんでした。だから、覇権大国アメリカとアメリカに寄り添うことで富と権力を確保してきた西側諸国の支配層が、メディアを自らの影響下に置いているように思うのです。
歴史を知ること、戦争の経緯を知ること、ほんとうに大事だと思います。
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第63章
ウクライナの対ロシア関係
──★ 深まる一方の不毛な対立 ★──
ソ連時代にウクライナ共和国は、ロシア共和国と並んで、国家の中核的な存在だった。ともにソ連邦の屋台骨を支えてきたウクライナとロシアは、軍事や経済などの面で分かち難く結びついていた。また、ウクライナ人とロシア人はともに東スラブ系の民族であり、ウクライナ領内には多数の民族的なロシア人やロシア語を母語とするウクライナ人が居住しているなど、両国民は緊密で入り組んだ関係にある。
1991年暮れにソ連邦が解体すると、連邦を構成していた15共和国のうち、バルト三国を除く12共和国は、「独立国家共同体(CIS)」という枠組みを形成し、緩やかな結び付きを維持していくことになった。ユーゴスラビアとは対照的に、ソ連の解体過程ではウクライナ・ロシア間も含め、軍事衝突の類はほぼ発生せず、「文明的な離婚」などとも称された。ただし、ウクライナは1993年のCIS憲章には調印せず、これをもってCISの正式な加盟国ではないとの立場を採るなど、当初からロシア主導の再統合には距離を置く姿勢を見せていた。
独立直後のウクライナにはソ連から引き継がれた核兵器が多数残っていただけに、ウクライナとロシアが戦火を交え最悪の事態に至るのではないかと危惧する専門家もいた。幸い、懸念の的だった核兵器も、戦術核は1992年5月までにすべてロシアに撤収され、戦略核についても1996年6月にウクライナ領土からの核弾頭の撤去が完了した。
そうは言っても、ウクライナ・ロシア関係は対立の要因に事欠かなかった。クライナ独立後、とりわけ大きな問題となったのが、クリミア半島の領土帰属と半島に位置するセヴァストーポリ市の帰属およびそこに基地を置く旧ソ連の黒海艦隊の扱いであった。交渉の末、1997年5月に黒海艦隊分割協定が成立し、艦船をロシア81%:ウクライナ19%の割合で分割、ロシア側は2017年までセヴァストーポリを基地として利用できることになった。同じく1997年5月にウクライナとロシアは友好・協力・パートナーシップ条約を締結し、領土保全および国境不可侵などについて相互に確認し合っている。一方、経済面ではエネルギーが最大の対立点となり、ウクライナは石油・天然ガスの供給をロシアに依存し、逆にロシアは石油・天然ガスの欧州向け輸送路としてウクライナに依存することから、それらの条件をめぐる紛糾が続いた。
ウクライナの政治勢力に関して言われる「親欧米派」、「親ロシア派」といった分類は常に条件付きのものに過ぎないが、ウクライナ・ロシア関係がウクライナ側の政権交代と連動する形で揺れ動いてきたことは事実である。2004年のウクライナ大統領選の結末としていわゆる「オレンジ革命」が起き、親欧米的とされるユーシチェンコ大統領が2005年1月就任すると、これ以降ウクライナ・ロシア関係は険悪化しいくことになる。天然ガスの供給と輸送、ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟路線、歴史認識の問題、2008年夏のジョージア戦争などをめぐって、ウクライナとロシアは対立を深めた。2010年2月に親ロシアとされる地域のヤヌコービッチ政権が成立すると、ウクライナ・ロシア関係も改善に向かった。2010年4月にはいわゆる「ハルキフ協定」が成立、これはロシア黒海艦隊の駐留期限を当初の2017年から25年間延長し、見返りにロシア側はウクライナに天然ガスの大幅値引きを適用するという大胆な取り決めだった。
しかし、ヤヌコービッチ政権にしても、欧州連合(EU)との関係を海外戦略の基軸とし、ロシアを中心としたCIS諸国の再統合路線と距離を置いていたことに変わりはなかった。ウクライナは2011年10月のCIS自由貿易条約には参加したものの、ロシアはそれに飽き足らず、ウクライナとより緊密な関係を目指した。2011年にユーラシア経済連合の構想を発表したロシアのプーチンは、ウクライナを巻き込むことをプロジェクトの成否を握るものととらえ、ウクライナへの圧力を強めた。2013年11月にヤヌコービッチ政権がEUとの連合協定の棚上げを決めると、ロシアはウクライナへの対応を一変させ、天然ガスの値下げやウクライナ政府債150億ドルの引き受けといった経済的報酬で応じた。
2014年2月の政変でヤヌコービッチ政権が崩壊すると、ロシアは3月にクリミア併合を強行するとともに、4月以降はドンバス地方で親ロシア派武装勢力へのテコ入れを行った。ウクライナに対する経済政策もより攻撃的、報復的なものへと転じていった。天然ガスの値下げはウクライナの政変直後に撤回され、またロシアはCIS自由貿易条約に反して2016年1月からウクライナ商品に関税を適用、ウクライナもすぐに対抗措置を取った。
2015年10月にウクライナ当局はウクライナ・ロシア間の航空便の運航を全面的に禁止する措置を採り、以降、両国間では直行便が飛べない状況が続いている(さらに、2018年8月には、ウクライナ側がロシアとの鉄道路線も廃止する可能性を示した)。ウクライナ中央銀行は、ウクライナに進出していたロシア系銀行を締め出す政策を採り、実際にロシア政府系のズベルバンクは2017年にウクライナ撤退を表明した。2017年5月に、ウクライナは対ロシア制裁の追加を決定し、フ・コンタクチェ、アドノクラスニキ、ヤンデックス、メイル・ルといったロシア系のSNS、ネットサービスの利用が禁止された。これらのサービスはウクライナでもユーザーが多く、アクセス禁止によりウクライナの一般市民の活動に重大な影響が及ぶことになる。2018年5月、ポロシェンコ・ウクライナ大統領は同国のCISでの活動を停止する大統領令に署名、ウクライナまた、1997年にロシアと調印した友好・協力・パートナーシップ条約を破棄する構えを見せている。
このように、文明的だったはずの離婚から四半世紀を経て、今さらながら泥沼の離婚劇の様相を呈しているのが、今日のウクライナ・ロシア関係である。現下ウクライナの反ロシア的な政策路線は、ロシア側の措置への対抗策である場合もあるし、ウクライナの安全保障上やむを得ない場合もあるだろう。しかし、ウクライナの右翼的な勢力がスタンドプレートとして反ロシア政策を掲げ、政権もその風潮に乗って大衆迎合的にそれを取り入れている傾向も目に付く。経営難や貧困から国民の目を逸らすために反ロシア政策を採り、それがロシアとの関係を悪化させ、それによってさらにウクライナの経営難と貧困が深刻化するという悪循環が見られる。ウクライナとロシアの対立のエスカレートでより深く傷つくのは体力の弱いウクライナ側であり、この不毛なループに一日も早く終止符を打つべきだろう。(服部倫卓)