混乱が続く韓国で、とうとう尹錫悦大統領は、官邸で捜査官に捕らえられて高位公職者犯罪捜査処(公捜処)に護送されました。
でも、尹大統領は、大統領室と弁護団が公開した映像では、「望ましくない流血事態を防ぐため、ひとまず違法捜査ではあるものの、公捜処の出頭(要求)に応じることにした」と述べています。「出頭」したのではなく、官邸に入った捜査官に捕らえらにもかかわらず、「出頭」という言葉を使っています。公捜処の捜査員は、大型車によるバリケードや鉄条網などをはしごを使って乗り越え、公邸に入って拘束令状を執行したのです。「出頭」というのは、自ら出向くことだと思います。
韓国が収拾できない混乱状態にあったわけでもないのに、「非常戒厳」を宣布し、権力を行使したのみならず、「出頭」することを拒否していたのに、拘束されたら「流血事態を防ぐため、公捜処の出頭(要求)に応じることにした」などと誤魔化す尹大統領を日本は高く評価し、「関係改善」とやらを進めていたこと、私は、きちんと反省する必要があると思います。
野党が自らの政策を受け入れないからといって「非常戒厳」を宣布するのは、相手が言うことを聞かないからということで暴力を振るうのとかわらないと思います。
裁判所が発付した逮捕状の執行については「銃器を用いてでも防げ」と指示していたという話もあるようですが、「出頭」という言葉遣いにも、尹大統領や、彼を支える側近・支持者などの非民主的な姿勢が読みとれるのではないかと思います。
また、公捜処の出頭通知に応じなかったために、逮捕状が発付され、官邸に入った捜査官に捕らえられた事実を、日本のメディアも正しく伝える必要があると思います。
また、見逃せないのは、こうした混乱状態が続く韓国を、岩屋外務大臣が訪れ、趙兌烈(チョ・ヨテル)外相と会談していることです。
日本では、
岩屋外務大臣とチョ外相は会談のあと、共同記者会見に臨んだということで次のようなことを伝えられています。
”岩屋外務大臣は「日韓関係の重要性は変わらないどころか増してきている。日韓関係の改善の基調を維持・発展させるべく、引き続き、外相間でも緊密に意思疎通をしていきたい。状況が許せば、首脳間のシャトル外交もぜひ復活させていきたい」と述べました。
また、アメリカのトランプ次期政権との連携について「諸般の事情が許せば、トランプ大統領の就任式に出席する方向で調整しており、その際に日韓米の戦略的連携がこれまでになく重要だということを、アメリカの新政権側にしっかりと伝えてきたい。これはチョ外相とも認識をしっかり一致させた」と述べました。”
また、岩屋外相は、韓国国会の禹元植(ウ・ウォンシク)議長とも面会し
”日本と韓国は価値や原則を共有するパートナーで、国際社会のさまざまな課題にともに協力していける関係だ。現在の韓国国内の状況は重大な関心を持って注視しているが、私は韓国の民主主義の強じん性を信頼している”
と述べたといいます。
さらに、岩屋大臣は14日には、大統領の職務を代行する崔相穆(チェ・サンモク)副首相兼企画財政相との面会もするというのです。
また、「ソウル聯合ニュース」は
”韓国国防部は15日、チョ・チャンレ国防政策室長が同日、北大西洋条約機構(NATO)のルーゲ事務総長補と面会したと発表した。
両氏は北朝鮮とロシアによる実質上の軍事同盟・包括的戦略パートナーシップ条約の批准やウクライナに侵攻するロシアを支援するための北朝鮮軍派遣などの違法な軍事協力が朝鮮半島と欧州の安全保障に及ぼす否定的影響に深刻な憂慮を表明し、即時中止を求めた。
また、韓国とNATO間の安保・国防協力の重要性を再確認し、「国別適合パートナーシップ計画(ITPP)」の国防分野履行のために努力することで一致した。
ITPPは協議体の運営、サイバー防衛、軍備管理と不拡散、相互運用性、対テロ協力、気候変動と安保、新興技術、女性と平和など11分野における韓国とNATO間の協力の枠組みを規定した文書だ。
チョ氏は韓国とNATOが防衛産業分野で協力を拡大できるよう、関心と協力を呼びかけた。”
と伝えています。
混乱さなかの韓国、尹政権高官に対するこうした西側諸国の要人の接触は、表向きの内容とは別に、尹政権支援のありかたを詰める意図があるのではないかと疑います。
偶然か、意図的かはわかりませんが、朝日新聞は15日、”根深い「女嫌」、見えた韓国社会の溝、「非常戒厳」と抗議 ジェンダーの視点で読み解く”と題する崔誠姫・大阪産業大准教授の記事を掲載しました。そこには
「植民地期からの影響」ということで下記のように記されていました。
”「女嫌」の背後にある軍隊文化、男尊女卑には、日本植民地からの影響も読み取れる。
45年に大日本帝国が解体した後成立した韓国では、急ごしらえで軍隊を整える必要があった。朝鮮戦争では、旧満州国軍出身の朴正煕(パク・チョンヒ)ら、旧日本軍にルーツを持つ若手軍人が軍の主力として活躍し、朴が率いた軍事政権では国家の中枢を担った。教育でも植民地期の教員経験者が多く採用され、戦時下を背景に植民地期の制度が引き継がれることが黙認された。軍政下の学校では植民地期を思わせる軍事教練も行われた。今も多くある男子校や女子校は、植民地期の男女別学制度の名残りでもある。”
また、”にじいろの議”という欄に、”非常戒厳招いた韓国の権威主義、支えた思想 日本に源流” と題する郭旻錫・京都大学大学院講師の記事も掲載されていたのです。そこには、次のようにありました。
”今回の戒厳が戦後韓国の権威主義的な政治体制の遺産であることは間違いない。この点からも戦後民主主義を謳歌してきた日本と明らかに違う。しかし、韓国の権威主義を象徴している朴正煕元大統領(1917~79)が帝国日本の体制下で満州国陸軍軍官学校を首席で卒業し、関東軍の将校として務めた歴史的な事実を想起すると、ただのひとごとではなくなる。しかも朴正煕が独裁色を強めた政権後期の「維新体制」を思想面から支えようとした哲学者朴鍾鴻(パク・チョンホン:1908~76)が、戦前日本哲学の有力な潮流だった京都学派にその根を持っていたとすればどうか。”
いずれも、今回の尹大統領の「非常戒厳」宣布の背景に、植民地期の日本の影響があることを指摘しているのです。
でも私は、その日本の影響の具体的な経緯や歴史が、そういうこと以上に重要だと思います。
なぜ、日本の植民地期の制度が、民主化される筈だった戦後の韓国に引き継がれたのか、ということがこそが重要であり、そこに焦点を合わせなければ、問題は克服できないのではないかと思います。
尹錫悦大統領は暴力的に「非常戒厳」を宣布し、権力を行使したのみならず、「出頭」することを拒否して、法の支配に背きました。
また、先だって日本では、岸田首相が、突然、浜田防衛相と鈴木財務相に対し、来年度から5年間の防衛費の総額について、およそ43兆円を確保するよう指示しました(その後、バイデン米大統領は、ABCテレビのインタビューで、自身の功績として「日本に予算を増額させた」と述べました)。
この防衛費増額の指示は、国会はもちろん、閣議でも議論されていない独裁的決定でした。自衛隊からの要求さえなかったのです。でも、メディアが追及したのは、財源の問題であり、手続きの問題ではありませんでした。それが常々、中国やロシアに対しては、「法の支配」や「民主主義」を要求する日本の実態です。
こうした韓国や日本の「法の支配」や「民主主義」に反する政治は、戦後、アメリカが韓国や日本に軍政を敷き、反共政権を誕生させたことに端を発するのだと思います。それが、現在もなお続いているのだと思います。
以前取り上げたことがありますが、朝鮮半島の38度線がいつどのように、なぜ設けられたのか、また、すでに建国委員会が建国を宣言していた「朝鮮人民共和国」が、まったく支援されることなく潰され、38度線を国境とするようなかたちで、韓国が独立したのはなぜなのか、というようなことを調べれば、それが、アメリカの対ソ戦略からきていることがわかると思います。
言ってしまえば、韓国や日本におけるアメリカの軍政は、韓国や日本の民主化のためではなく、実は、アメリカの対ソ戦略に基づき、反共右翼政権を育てることにあったということだと思います。